オレの上着




酒場できいた会話がいつまでも耳に残って、うっとうしかった。

「あの子ブカブカの上着一枚だけしか着てないけど寒くないのかねぇ」
「あの上着彼氏のらしくてね。他の貸したんだけど十分暖かいからって断られちまったよ」
「なるほどねぇ、それなら納得だ。恋する若者同士の熱々さにはかなわないねぇ」

あのなぁ…誰が彼氏だよ…あのバカ、妙な誤解されるようなこと言いやがって…
ったく…。……。
……ったく……なに言ってんだか…………。
…………バカジャネーノ……。

…………………………あぁもう、なんか火照るな!ちょっと中庭でも出てくるか。

             ☆

しんしんと降る一面真っ白の粉雪の中、全身真っ赤なその姿はひときわ目立った。
ふわりとしたスカートと、――オレの上着だ。
この氷点下で、何をしているのか…ぎゅっと肩をすくめて立ち尽くしている。
今にも消えそうなその儚い姿に、オレは不覚にも一瞬みとれていた。
だから彼女の小さなくしゃみで、我に返った。コイツなぜこんなところにいるんだろう。
「…何やってんだよ。入るぞ」
やたらとぶっきらぼうになる自分がくだらないと思う。…意識しすぎだ。
「ククール…」
「何か用でもあるのか」
「え…べ、別に」
「じゃあ何やってんだよこのクソ寒いのにバカみたいに突っ立って…」
呆れた口調でわざと尊大に言ってやると、案の定ムクれた顔を向けてくる。
「アンタに関係ないでしょ。ほっといてよ」
「じゃあ面倒かけんな」
「じゃあほっとけば?」
「…ったく」
ため息しか出ない。ほんとにまぁ、なんつーカワイクない女だよ。…わかってて返してるオレもオレだが。
ゼシカはブカブカに余った両袖を口元に当てて、うつむいてしまった。
…なんだよこれ。オレが悪いことしたみたいじゃねぇか…クソ。
そりゃ、本当にほっとけるもんならとっくにこんな寒いとこからオサラバしてるさ。
一緒に帰んねぇと不安なんだよ。こいつがこんな薄着でいつまでもここに突っ立てるなんて、
想像しただけで頭が痛くなる。さっさと連れ帰って暖炉の前に座らせたい。
いつも通り、適当に着せてやっただけの、聖堂騎士団の制服。
そんな上着一枚着たところで、たいした防寒にならないのはオレが一番知ってる。
…改めて見ると、どう考えても寒い。ソレの下、肩も胸も丸出しの薄い布一枚じゃねぇか。
ふいに、さっき酒場で聞いてしまった会話が脳裏に浮かんできて、また落ち着かない気分になった。
「…なんでお前、ソレ一枚しか羽織ってねぇの?」
なにげなく、ごく無関心を装って、ボソリと訊ねてみる。
一瞬ゼシカの身体が強張ったような気配がして、それから俯いたままで小さな声が聞こえた。
「…別に…これだけでも、ちゃんとあったかいもの…」
「んなワケねーだろ」
「私 基礎体温高いの。だから平き…」
そしてまた、くしゃみ。
気まずい沈黙。オレはわざと大きなため息を吐いてやった。
「…何をガキみてーに意地はってんだか…」
「い、意地なんか…!!」
気がつくと、小さい背中を、何も考えずに抱きしめていた。ひきつけみたいな声が聞こえて笑った。
「なら、ずっとこうしててやるよ」
「なっ、やっ、ヤダッ…何してんのよこの…!!!」
「お前が部屋に帰るって言うまでこうしててやる」
「~~~ッッ!!!!!」
メラに対する構えはできていたが、ゼシカは絶句したのち、なぜか大人しくなって抵抗しなかった。
不思議に思うが(あるいは本当に寒かったのかも)、もちろんオレの方から腕を解く気はない。

2人してじっと黙って立っていると、本当の静寂が身体の奥に沁みてくるように感じた。
人の声も風の音も聞こえない。雪は音も立てずに舞い降る。雪は音を吸収する。
今オレ達だけが、こうしてこの世界で2人きりで抱き合っているんじゃないかとか、
柄にもなくロマンチックなことを考えた。
…ん?柄にもない?いやいや、色男のお得意技じゃねぇか、ロマンチックな口説き文句は…。
あーもう、やっぱり変だ。ゼシカ相手だとオレがオレじゃなくなる。
こんなおいしい状況で、それこそロマンチックな台詞の一つも言わずぼーっと呆けてるだけなんて。
「……ゼシカ」
低く甘い声で呼びかけたつもりだったが、自分的にはイマイチ決まらなかった。
ゼシカがもぞもぞと身体を動かすが、オレの腕は後ろから強く抱きしめたままだ。
「……クク…ル」
照れているような声音で掠れ気味に名を呼ばれ、不覚にも心臓が鳴った。
今まで彼女のこんな艶っぽい声を聞いたことがあっただろうか、否。
「………………ゼシカ……」
腕に自然と力がこもる。
抱きしめている肩のあまりの華奢さに、今さらながら気付いて驚く。
あんなに生意気で気が強くて戦闘も完璧にこなすコイツは、やっぱり女の子なんだよな。
頭ではわかっていたつもりだったが、今、改めて確認させられた。
―――オレがゼシカを守る騎士なんだってこと。もうあんな目には合わさないってことを。
オレがゼシカを抱きしめたら、彼女の後頭部にキスするくらいの位置になる。
まさに頭一つ分、と言ったところだ。髪の綺麗な分け目に口付けて、熱い吐息を吹きこんだ。
「ゼシカ…」
呼びかけに反応してかすかに震えてるのは、寒いから?それとも、緊張してる?
「……帰る気になったか?」
「…………ま、だ」
「じゃあ、離さないからな」
いったん腕を解いて正面を向かせ、俯いたままの彼女の手を取った。
ブカブカの袖からぴょこんとのぞいた指先がなんともカワイらしい。
オレの上着が、オレの代わりに、彼女の身体を包み込んでいる…そんな風に考えると、思わずニヤけた。
「…なに?」
「いや…。…それよりお前、ホントにカチカチに冷えてんじゃねぇか」
指先は氷のように冷たくて、正直けっこう焦った。
「なんでこんなになるまで…」
「…じゃああっためてよ」
思いがけない言葉を聞いた気がして、目を見開く。
ゼシカは気の強い瞳でじっとオレを見つめている。頬が赤いのは…寒さのせい、なのか。
その瞳に魅入られるようにして、オレは彼女の両手を包み込んで口元に近付け、
何度も何度も熱い息を吹きかけた。そして強く握りしめ、なんとなくホイミを唱えると
ゼシカがクスリと笑ったので、オレも笑った。
そのまま、細い指の一本一本にキスをする。爪先だけじゃなく、関節や手の平にもまんべんなく。
最後に騎士の誓いをその手の甲にゆっくりと落として彼女を見ると、少し困ったような、
戸惑ったような、でも決して嫌悪は感じさせない潤んだ瞳が、オレをひたむきに見つめていた。
舞い散る粉雪の中、世界が再びオレ達だけのものになっていく錯覚。

「……………どうする?」
「……まだ、帰りたくない」
「……わかった。じゃあ、ずっとこうしてる」
今度は正面から強く抱きしめた。
二回りできそうなほど細い腰に、また驚く。でも柔らかい。厚着越しでも伝わる豊満な胸の感触。
彼女に触れるたびに、気付かされる。もっと触れて知りたい。ストレートにそう考えている
自分に焦った。こんな、性欲だけじゃない、下心だけじゃない、こんな気持ちは…。
あ~!もう、何やってんだろな、オレ達。
ゼシカが部屋に帰りたくないと言い張る理由なんて、ホントはわかってるくせに。
こんなに回りくどい真似しないと、抱き合うことも恥ずかしい、オレ達って、なんなんだろう。

下がったままだったゼシカの両腕がおずおずとオレの背中に回され、オレ達の距離がより密着した。
オレの胸で、ゼシカが白い息と共に微笑む。
「…やっぱりこれだけで充分よ」
「…これ?」
「他の服は、いらないわ」



この街は寒い。
でも防寒をしなくてもあたたまる方法を、オレ達は知ったらしい。

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最終更新:2011年02月03日 23:43
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