彼の上着




うっかりうたた寝していた時も。
体調を崩して寝込んだ時も。
トンネルを抜けたあの日も。

いつだって気が付くと、私の肩にかけられていた。大きくて長い真っ赤な制服。
時に言葉が余計な諍いを起こす私とアイツにとって、物言わぬそれはとても便利なアイテムだった。

これは、ククールの優しさ。ククールの心配。ククールの…

                ☆

「お嬢ちゃん!それじゃダメだ、凍えちまうよ!これ着なさいこれ」
「えっ」
「そんな上着一枚着てたって役にたちゃしないよ。ほら、脱いで。これ着込んで」
「えっ、いえその、い、いいんです。ありがとう」
「よくないよ!住んでる人間の言うことは聞くもんだよ!」
「あの…でも」
強引に上着をひっぱられそうになり、私は思わず身をひるがえして阻止してしまった。
「ほ、ほんとに大丈夫です。ありがとうございます。これ、着てたいんです」
なんとかその場をしのごうと咄嗟にそう言ってしまったら、おばさんの目が丸くなった。
一気に頬が火照る。
「着てたいって…」
「あっ、いえ、違うの、これ、意外とあったかいんです!本当に!」
「そういやその真っ赤なの、確かお連れの色男が似たようなズボンを…」
「ああああああのっっ!!!!!すみません、ありがとう!!それじゃ!!」

                 ☆
飛び出してきた中庭で、私は一抹の後悔にさいなまれていた。
なにも外に出てこなくてもよかったじゃない…さすがに寒いわ私のバカ。だって側に扉があったから…。
…本当は、いつもの格好にこの上着一枚じゃ、この極寒の地で寒いに決まってる。
当たり前だわ。ホント、私、バカみたい…

チラチラと光りながら舞う粉雪。吐くため息が小さな雲のように白い。
―――ただ、この上着を素肌にいちばん近い場所で、感じていたかったの。
下に何か着込んでしまったらその感触は不明瞭になるし。上に着込んでしまったら
その温かさがわからなくなるし。だから、これだけでよかったの。
もう少ししたら中に戻って、ちゃんとした格好をするから。
今は、この上着のぬくもりだけを、実感していたいの。他のぬくもりは、いらないの…
あの杖に操られた私を抱きしめてくれたアイツのあったかさを、今でもはっきりと覚えている。
あのあったかさに、もう一度包まれていたいだけなの。ほんの少しでいいから。
雪の中にじっと立ち尽くす。足先が凍えて、指先もかじかんでくる。
それでも目を閉じると、後ろから抱きしめられているみたいにあったかかった。
私は広い背中と、肩幅と、長い裾と、長い袖に、ぎゅっと包まれていた。

「…何やってんだよ。入るぞ」
突然背後からかけられたよく知ってる声に、ビックリした。考えていたことが知られてしまったような
錯覚に陥ったけど、そんなワケはないと、なんとか落ち着いて振り向く。
「…ククール」
「何か用でもあるのか」
「え…べ、別に」
「じゃあ何やってんだよこのクソ寒いのにバカみたいに突っ立って」
不機嫌な顔でそんな風に言われたら、こっちだって即座に青筋が立つわよ。
「アンタに関係ないでしょ。ほっといてよ」
「じゃあ面倒かけんな」
「じゃあほっとけば?」
ブツブツとククールの文句が聞こえたけど、私はまた背中を向けてしまった。
…もうッ、なんでこんなに腹立つのかしら。いちいち余計なこと言うのはククールの方よ。
私だって、たまには感謝してるのに…それを言えなくしてるのは、アンタのせいで。
急に指先の冷たさを感じて、ブカブカの袖を掴んで口元にそっと当てた。
―――ククールの上着は、こんなにあったかいのに。
……。……なによ、バカ…私だって、本当は…。
「…なんでお前、ソレ一枚しか羽織ってねぇの?」
「!」
心臓が止まるかと思った。
だ、大丈夫。私がこの上着だけを着たいと駄々をこねたことなんて、ククールは知らない、はず。
「…別に…これだけでも、ちゃんとあったかいもの」
「んなワケねーだろ」
「私 基礎体温高いの。だから平き…」
突然ブルッと襲ってきた寒気に耐えきれずくしゃみが出てしまって、ククールのため息が聞こえた。
「…何をガキみてーに意地はってんだか…」
「い、意地なんか…―!!――――ひゃ…ッ」
「なら、ずっとこうしててやるよ」
何が起こったのかわからなかった。突然後ろから羽交い締めみたいに抱きすくめられていた。
「なっ、やっ、ヤダッ…何してんのよこの…!!!」
「お前が部屋に帰るって言うまでこうしててやる」
「~~~ッッ!!!!!」
明らかに人をからかって楽しんでいる口調に、悔しさと恥ずかしさで顔が真っ赤になる。
腕の力は強くて、ちょっと暴れたくらいじゃ解けそうにないけど、逃れる方法ならいくらでもあった。
…でも。……でも。

すごく、あったかい。あったかい…どうしよう…
あったかすぎて…抗えない…ほっとするぬくもりに、身体の力が抜ける…
私は、そのままで動けなくなってしまった。どうしよう。こんな…こんなの。
「……ゼシカ」
「クク…ル……」
応えるつもりはなかったのに、無意識に漏れ出た声は掠れていた。
自分がわからなくて、心臓の鼓動ばかりが早くて、混乱で身体が震える。
「ゼシカ……」
頭の後ろがほのかにあったかくなって、身をすくめる。
ククールがそこに口付けているんだとわかるまでに、少し時間がかかった。でも、イヤじゃない。
こんなの、……私じゃない……いつもだったら、絶対に許さないのに。
囁くように、また名前を呼ばれた。ククールのこんな声を聞いたことがあったかしら?
どこか切実な、言葉の底で何かを訴えているような…すごく…艶を帯びた声音…
あまりの静寂に、今ここには私たちしかいない、と思いこもうとする自分がいる。
誰も見てない。だから。だから、もう少しだけ、このままで…
「……帰る気になったか?」
「…………ま、だ」
おねがい、もう少しだけ。
「じゃあ、離さないからな」
突然正面を向かされたけど、恥ずかしくて顔を上げられなかった。ブカブカの袖から指を引っ張りだされる。
そのまましばらくククールの指が私の指を弄んでいるから、不審に思って見上げると
なんだか気持ちの悪い顔でニヤニヤと笑っている。
「…なに?」
「いや…。…それよりお前、ホントにカチカチに冷えてんじゃねぇか。なんでこんなになるまで…」
「…じゃあ、あっためてよ…」
思いがけないセリフに、言ってから自分でハッとしてしまった。
触れてくれる彼の指があったかくて、気持ち良かった。だからもっと触れてほしかったの。
ククールも驚いたみたいだったけど、すぐに気を取り直して、私の指を吐息であっためてくれた。
しかもホイミまでかけてきて、意味なんかないのにって、2人でクスクスと笑いあう。
指や手の平の全てに丁寧にキスされて、ドキドキした。その仕草はとても優しくて、
ちっともいやらしくなくて、なんにもイヤじゃなかった。
ただ、胸がどんどん苦しくなる一方で…

最後に騎士の誓いを手の甲にゆっくりと落とされて、2人の視線がからみあう。
「……………どうする?」
「……まだ、帰りたくない」
その言葉は、信じられないくらい自然に口唇から紡がれた。
ククールの碧眼が細められ、秘密めいた笑みを浮かべる。
「……わかった。じゃあ、ずっとこうしてる」
そして今度は、正面から強く抱きしめられた。
…ねぇ、私が帰ると言うまでは、こうしててくれるのよね?
こんな、お互いの揚げ足をとってまで気持ちを隠さなければ、触れ合うことも恥ずかしいなんて。
私たちって、なんなんだろう、ね。
彼の胸の中でなんだか笑いがこみあげて、ククールの背中に腕を回し、自分からぎゅっと抱きついた。
なんだか嬉しくて、頬が熱くて、身体があったかい。今はもう寒さなんか、全然気にならなかった。
「…やっぱりこれだけで充分よ」
「…これ?」
「他の服は、いらないわ」


だってこの上着だけを着ていれば、誰かさんがこうしてあたためてくれるんだから。
そうでしょ?私だけの騎士さん。

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最終更新:2011年02月03日 23:45
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