黒と静寂が世界を包む頃。
森の中に一際明るく、そして激しく辺りを照らす光があった。
光の破片は天へと昇り、ゆっくりと紺に溶け込む。
パチパチという音に合わせて柔らかく形を変える炎の周りには、野営の準備に勤しむ仲間の姿があった。
馴れた手つきでテントの骨組みを組み立てる青年が言った。
「遅くなってごめんね。どうしても今日中にこの地点までは着きたかったんだ。」
もう片方のテントの方が作業は進んでおり、骨組みに布を被せながらゼシカは言った。
「気にしないで。貴方のこと信頼してるから。」
「兄貴の言うことに間違いはないでがす。」
「あはは、ありがと。ゼシカ、ヤンちゃん」
作業を続けながらエイトはゆっくりと振り返る。
火に照らされながら気持ちよさそうに眠るミーティアと、馬車の中で大きな鼾をかいて眠るト
ロデ王を見つめてぽつりと言った。
「…ミーティアと王様にも悪いことしたね。」
「そんなことあの二人は何とも思っちゃいないでがすよ。」
自分用のテントの仕上げに、布と地面を固定する。
きゅっと最後の紐を引っ張り、しっかり引き締まったのを確認すると、ずっと手元にあった視
線を上げてゼシカは言った。
「だいたいエイトは気にしすぎ………… って、あれ? …ククールは?」
てっきり居るものと思ったが、もう片方のテントを組み立てているのはエイトとヤンガスだけ
であった。
「サボリじゃないでげすか?」
「明日飯抜きにしてやる」
初めての事ではなく、えらくあっけらかんと言い放つ仲間達。
ゼシカは呆れたように眉を寄せるとため息をついた。
「ちょっと探してくるわね。」
どうせそう遠くは行っていない。
ゼシカは草むらを掻き分け、風の吹く方へと歩いて行く。
生茂った木々の終わりを抜けると足場のよい場所へと出た。
崖状の、辺りの地形が見渡せる場所に、ククールは一人腰を降ろしていた。
「ちょっと、準備サボって何でこんな所にいるのよ?!」
「…見つかったか」
少しも悪怯れない様子で苦笑いをするククール。
真っ直ぐククールの方へ近づくゼシカは、そのまま強制連行するのかと思いきや、その隣にど
っかり腰を下ろした。
「…不安、なんでしょ?」
「そういう訳じゃないさ。 ……まあ、そりゃ全く不安はないって言ったら嘘になるけど。」
「うん。きっと、みんな同じ気持ち。 もう、誰が死ぬのも見たくないもの…。」
…海峡の街であった出来事や、遥か雪国であった出来事。
少しの沈黙の間、二人はそれぞれ想いを廻らせた。
「…ねえ、祈ってよ。」
初めにそう切り出したのはゼシカだった。
「はあ?」
「あんた、仮にも僧侶でしょ? だから」
「生憎とオレはあんまりカミサマなんざ信じちゃいないんだがな。」
軽くため息混じりに吐き出す。
「私もよく分からなかったけど……今は、ちょっとだけ、いるんじゃないかって思うわ。
私達が出会ったのも、暗黒神とか何とかを封印しに行くのだって、運命だったんじゃない
かって。」
「ゼシカは幸せに育ったんだな。」
ククールのその言葉が皮肉に聞こえ、ゼシカは思わずムッとする。
「神様……か」
いつものふざけた表情とは違い、いつになく真面目な顔で語りだす。
「オレは今までいろんな奴を見てきた。
―歪んでいる人間ほど、全てを手にして幸せになっていくものさ。
その裏では毎日食ってくのに精一杯な、マトモな人間だっている。
…そんな奴らを見てると、とてもこの世に神様がいるなんて思えないね。」
ククールは一息つき、視線を遠くに移して、言葉を続けた。
「……所詮世界ってのはそんなもんなんだ。
例えば、オレみたいな人間が居なくなったって初めから居なかったかのように、何も変わ
らず世界は廻り続けるのさ。」
ゼシカが見てきたものと、ククールの見てきたものは違う。
そしてゼシカはきっと限られた世界の中で、幸せに育ってきたのだろう。
それ故妙に説得力を帯びていた言葉も、やはり最後だけは引っかかった。
「…それ、本気で言ってるの?」
怒鳴りつけてやろうと思った。
ククールとって、ゼシカ達は所詮それだけの存在だったのだ。
一体どれほどの時間を共有したのだろう。
生きてきた時間に比べればほんの短い間だけれど、ゼシカにとって、それは仲間と呼べる関係
になるには十分な時間だった。 そう思っていた。
きっと、エイトやヤンガス、トロデやミーティアも同じ気持ちだろう。
それなのに、ククールにとってはそうではなかったのだ。
居ても居なくとも変わらない存在なんて仲間と呼べるはずはない。
ククールにとって自分達は一体何なのだろう? そう思うと腹が立って仕方がなかった。
「…っ」
しかし、言葉より先に出たのは頬を伝う雫だった。
「………え?」
気付いたククールは目を見開いた。
涙は頬を落ちてスカートを濡らす。
…時々、遠くを見ているような、どこか寂しそうにする眼をゼシカは知っていた。
ククールがふいに何処かへ行ってしまいそうになるような感覚も。
彼の本心に触れた今、己が抱えていた不安の正体を知ってしまったのだ。
一滴落ちてしまえば止まらなくなり、次々に溢れ出す感情の形を、ゼシカは手で抑えることし
かできなかった。
いつも気丈なゼシカが泣いていて、そして泣かせたのは自分かもしれない。
自分が何をしたかと必死に頭を廻らせるが、焦りと動揺で上手く思い出せない。
すすり泣く声が一層ククールを追い詰める。
「わ、悪い! 別にゼシカを否定したり、そういうつもりは…」
咄嗟に言葉を紡ぐが、それでもゼシカが泣き止む気配はない。
それどころかククールの声は全く届いてないように思われた。
「た、頼むから、泣き止んでくれ…」
そっとゼシカの髪を撫でる。
女を宥める時の条件反射のようなもので、ゼシカを包もうと腕を伸ばしたその時だった。
「何? どうしたの」
後ろの草陰から姿を現したのはエイトだった。
野営の準備が終わったので二人を探しにきたのだ。
途中ゼシカのすすり泣く声を聞いたのだろうか、少し慌て驚いた様子でククールとゼシカを同
時に見た。
(助かった…)
ゼシカの親友であるエイトなら、彼女を任せるには打って付けだろう。
ククールはエイトに助けを求めようとするが、既にエイトはククールのことなど眼中になく、
その視線はある一点に集中していた。
呆然とゼシカを見つめた後、一瞬鋭い視線がククールを襲ったのは気のせいだったか
にこやかな表情で問い掛けた。
「……ククール? ゼシカに何したの?」
そう聞くも、どうやら自身の中では確かな答えを出しているようだ。
表情とは裏腹に紫のオーラと殺気が身を纏う。
クールは生命の危険を感じた。
(ぜってー何か誤解してる!)
「いや、オレは何も…」
ゼシカに弁護を頼もうと見やるも、溢れる涙を手で拭うので精一杯で、全く状況を把握できて
いなかった。
「…嫌がるゼシカに無理矢理一体何をしたの?」
「だから何もしてねえって!」
「女の子にムリヤリ手を出すなんて最低だよ!!」
エイトの抜いた剣が光り輝く。 天に掲げた剣から鋭い閃光が駆け抜けた。
「いや~、そんなことだろうと思ったんだよね。いくら節操無しのククールでも仲間を無理矢
理、なんてさ。」
テントの中で、治療を終えた青年が呑気な声をあげた。
「お前…、人を殺しかけといてよくぬけぬけと…」
実際、ゼシカがあと一歩のところでエイトを止めてくれていなかったら今ごろククールは
棺桶の中だっただろう。
もしもゼシカがいなかったら……想像しただけで背筋が凍った。
「ベホマかけてやったんだからいいじゃん」
「そうでがす。プラマイゼロでがす。」
「お前らね」
死ななかったからよかったものの、やはり何だか腑に落ちない。
「…クソ。 馬姫さんに言いつけてやる。」
「姫はクックルのアホの言うことなんて信じませんー」
意地悪く吐いた後、取って代わって少し真面目な顔つきでエイトは言葉を続けた。
「それに、ゼシカを泣かせたのは本当なんだろ? 早く行ってきなよ。
…ゼシカには、今日の見張りは僕達でするからゆっくり休んでって言っておいたから。」
「まったく女を泣かせるなんて最低でがす!」
「そうは言っても心当たりないんだがな…」
首の後ろを掻きながら考えるが、やはり心当たりはない。
ククールにとってあの言葉はそれほど深い意味はなかったのだ。
「ククールってさ、結構鈍感だよね。」
「うわー、お前には言われたくねー…」
「とにかくさ、何があったかは知らないけど、当たって砕けてきなよ」
「砕けてはこねえよ」
「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと行くでがす」
「言われなくても行くよ、馬鹿」
仲間に促されてククールは重い足取りでテントを出た。
(まあ女を泣かせたままにするのも男が廃る)
焚火跡を挟んで対極側にもう一つ小さなテントがある。
ククールは近づき、テント越しに話し掛けた。
「…あー…あー…、なんだかよく分からんが一応謝っておく、悪かった。」
「………。」
灯りは点いていなかったが、確かにゼシカが起きている気配はあった。
ククールは多少気不味さを感じながらも、静かにゼシカの言葉を待った。
「…本気でそう思ってるの?」
そう話すゼシカの声は、至って落ち着いた、少し低い声色だった。
「…………あ?」
「さっきの、続き。 …あんたが昔どんなだったかは知らない。
だけど、今も、私たちと一緒に旅をするようになった今だって、あんたは自分が居なくて
も、私たちが心配…………か、悲しまないとか、思ってるの? 何も変わらないって、
そう思ってるの?」
「………。」
「ふざけないでよ。 ……あんただって死なせない。絶対全員生きて帰るんだから。」
ゼシカの一言一言が深く響く。
「あんたにとって私たちって何なの。仲間じゃ…ないの?」
テント越しに、言葉を交わす。 お互い顔は見えなかった。
「…なんとか言いなさいよ。」
「……『私達』なんだ? 『私』じゃなくて?」
低く、静かにククールは言った。
笑いを含んだその言葉には、少しだけいつもの調子が戻っていた。
「『私も、みんな』、よ!」
「そっか。…ゼシカはオレに居てほしいんだ?」
「だから『私やみんな』だってば!」
茶化した風に言う言葉の裏で、必要とされることが嬉しいことだったと、ククールは初めて知
った気がした。
「…ゼシカ。出て来いよ。」
「嫌よ。寒いから。あんたが入ってきなさいよ。」
「そんなこと言っちゃっていいの? オレ、男だぜ?」
「変なことしたら大声でエイトとヤンガス呼ぶからいいわよ。
ギガスラッシュと烈風獣神斬で今度こそ棺桶行きね。」
「…冗談だよ」
テントの出入り口である布を軽く捲り上げると、ククールは中を覗き込んだ。
そのすぐ傍に居たゼシカもククールを見上げる。
そんなに時間が経ってるわけではないのに、お互い顔を見るのはひどく久しぶりな気がした。
「元気そうな顔見て、安心した。」
ククールが本当に安心したように柔らかく微笑むものだから思わず吹き出してしまう。
「ふ。何よ、それ。」
そう言って、つられたように微笑むゼシカの顔は、すっかりいつもの顔だった。
自分の中にくすぐったい気持ちを感じながらククールはそっと自分の方へゼシカを抱き寄せた。
何とはなしに、いつもの不真面目なククールとは違う気がした。
そして、今のククールが本当の姿のような気がしたから、ゼシカもまた、振りほどけないでいた。
ただただ自分の顔が染まっていくのを感じていた。
捲れた布の隙間から、そよそよと心地よい外気が流れる。
それはククールの背中越しに、ゼシカの前髪を小さく揺らした。
ククールは俯けた頭を、そのままゼシカの肩に軽く乗せた。
「ゼシカに会えて、よかった。」
肩に置いた頭を持ち上げて、額に持っていき、そっと唇を置く。
柔らかく、暖かい感触がゼシカに伝わった。
「あ、あんたねえっ 調子に乗りすぎよ!」
顔を真っ赤にしたゼシカはククールを振り払うと、拗ねたように背中を向けた。
サイテー、信じらんない、とぶつぶつ怒るゼシカに、ククールは目を細めて愛しそうに微笑んだ。
――かつて、世界は閉じられていた。
欲しいものは手に入らなくって、いつだって、手を伸ばしても遠ざかっていくだけで。
仲間を仲間だと思っていない訳ではなかった。
実際、救われた部分も沢山あることを自覚している。
一緒に旅をするようになって新しく見えてきたものだって数え切れないほどある。
ただ、何度呼んだって、振り返ることのない背中を知ってるから。
苦しい感情から逃げ出したくて、何も求めず生きようとした時期もあったから。
なかなかそういったことを現在と結び付けられずにいたのだ。
(けど、そうだな、今は――)
「ゼシカ」
「なによ?」
不機嫌そうに眉を上げて。それでも振り返ってくれる君がいるから。
「また明日、おやすみ」
捨てたものじゃないな、と、ククールはそう思った。
「……おやすみ」
ゼシカは捲り上げた布の合間から、去って行くククールの姿を見つめて言った。
ククールがテントに戻ったのを確認すると、緊張の糸が切れたように体重全てを預けてころん
と横になった。 まだ、顔が暖かい。
(眠れるかな……)
「…合意ならいいんだよ、僕は。別に。」
テントに戻ったククールが、目を逸らしながら何処か詰まらなそうに言うエイトと、ニヤニヤ
しているヤンガスに、動揺と気恥ずかしさを覚えたのはゼシカが知らない話。
最終更新:2008年10月23日 11:51