「まだ飲み足りないの?私は宿屋に戻って休んでるから。どうぞごゆっくり!」
「そりゃないぜハニー」
そう言うククールの周りには、いつものようにバニーガール。
エイトはやや困った風情で、ヤンガスは「ま、仕方ないでげすね」という表情でこちらを見ている。
ゼシカはそんな仲間たちを見ながら酒場を後にした。
ここはドニの町。宿屋は道を挟んですぐ向かい側…のはずだったが。
「あれ?私酔ってる?」
外は真っ暗だった。町の灯りがあって然るべきなのに。
振り向くと、たった今出て来た酒場の扉すら見えない。
手を伸ばしても何にも触れられない。
「あれ?なにこれ?やだ…ねぇ、みんな…みんな、どこに行っちゃったの!!?」
「!!…夢、だった…のね」
ふぅ、と息をつくことで、ゼシカはようやく今の出来事が夢だったと実感できた。
「随分とうなされてたでげすな」
心配そうに語りかけてくるヤンガスの声を聞き、ゼシカは記憶の整理をする。
「スープか何か貰ってきやす。ちょっとでも食った方がいいでがすよ」
そう言って派手な足音を響かせ受付カウンターへ向かうヤンガスを見送りながら、ゼシカは天井を仰いだ。
(そうだった。私はあの杖に操られてとんでもないことをしちゃって、みんなが助けてくれたんだっけ…)
七賢者によって杖に封じられた暗黒神の魂から放たれる邪気は、想像以上にゼシカの身体を蝕んでいた。
一行は彼女の体力が回復するまでリブルアーチ逗留を余儀なくされてしまっていた。
ゼシカは数日間眠り続け、一度は目を覚ましたものの、仲間の顔を見て安心して再び眠りに落ち、そして今の悪夢に襲われたのだ。
横になっていたら悪夢の続きを見てしまうかもしれない…。
そう思ってゼシカはゆっくりと起き上がった。意図してゆっくりではない。身体が鉛のように重く、思うように動いてくれないのだ。
眠り続けていたゼシカは知らないが、宿屋の従業員はゼシカを恐れて客室に近付こうとはしなかった。
無理もない。ゼシカは町の中であれだけの事をしてしまったのだから。
町で平和な日々を送る人々は、呪いや魔法のなどといった日常からかけ離れた事柄についての知識は無いに等しい。
何かあったところでハワードのようなその道に心得のある者を頼れば良いのだから、なおさらである。
そんな彼らには、ゼシカの見た目以外の違いが分からないのだ。
「良かった。寝てなかったでげすな」
ヤンガスがスープを持って戻って来た。
「ありがとうヤンガス」
ゼシカはスープを受け取り、立ち上る香りを嗅ぎ、口に運ぶ。
スープを味わう。
ただそれだけの事に、ゼシカは幸せを感じずにはいられなかった。
暗黒神に操られていた時は、何を食べても味も香りも感じられなかったのだ。
意識だけを残しておいて他の感覚を全て奪い、操る。
そのことでもたらされる不安と恐怖を糧として、その呪縛は更に強固なものとなる仕組みだったようだ。
暗黒神の呪縛の恐ろしさを、解放されてみて改めて思い知らされる。
スープの熱さと塩味が少し滲みた。口の中と、唇と。
痛かったが、しかしその事がゼシカには心地よくもあった。
「…おいしい」
「そりゃ良かったでがす。ゆっくり食ってくだせえ」
「ねぇ、みんなは何してる?」
時間をかけてスープを半分程に減らしたところでゼシカが切り出した。
「兄貴は馬姫様とおっさんの所に行ってるでがす。ククールは…」
一瞬考え込むポーズをした後、ヤンガスは続けた。
「アッシと交代した時、ちょっとドニの町まで行ってくるって言ってやしたね」
「ドニの町?」
ちくっ、と胸に刺さる地名だった。
ドニの町にはククールの知り合いが何人もいる。
面倒見の良さそうなおばさん。説教をしてくれるおじいさん。気さくな酒場のマスター。
そして、酒場に入ると喜んで駆け寄ってくるバニーガールたち…。
馴染みの顔に逢って嬉しいのは分かる。けど、バニーガールたちにもみくちゃにされているククールの姿を見るのは、何となく嫌だった。
「私が動けないから…暇つぶしに行ったのかな?」
ゼシカの絞り出すような声を耳にして、ヤンガスの頬には一筋の冷や汗が流れる。
「そっ、そんな事は無いと思うんでがすが!酒ならこの町でも飲め…」
しまった!!とヤンガスは思ったが、時既に遅し。
「ふーん。用があって行ったんだ。ドニの町に」
一行の足を止めているのは、他ならぬゼシカ自身だ。
自分の回復を待ってくれているだけでありがたいと思わなければならないのに。
仲間の自由時間の使い方に目くじらを立てるなんて立場ではないのに。
なのに、胸が痛む。
突然、宿屋のドアが乱暴に開けられた。
「あ、すいません、大きな音たてちゃって」
「まぁ大変!転んだりなさったの?!」
「いてて…。ったく、階段多すぎだぜ、この町は」
二人の男の声と宿屋のおかみさんの声が交互に聞こえてくる。
エイトとククールだった。
「お!兄貴たちが来やしたね」
ゼシカにどう声をかけたものかと思案に暮れていたヤンガスが、助かった、とばかりに受付カウンターの方へ向かう。
「ほんとに二人して転んだみてぇでがすなぁ」
笑いながら言うヤンガスの口調で二人が大した事態ではないと、姿を見る前にゼシカには解釈できた。
ほどなく部屋に入って来た二人は、なるほど土ぼこりにまみれている。
ククールがエイトの肩を借りている状態だった。
「馬車の前で陛下と話をしていたら、ククールがルーラで飛んで来たんだ。「そこどけ~!!」って言われたんだけど、避けられなくて…」
「直撃を喰らったでげすか」
うん、とエイトが頷く。
「トロデ王やミーティア姫に当たらなくて良かったじゃない」
「うん。陛下もそう仰ってた」
エイトの言葉で一同は笑い出した。
笑いながらゼシカは思う。
(うん、夢じゃない。私、みんなの所に戻ってこられたんだ…)
「ああ、わりぃ。二人ともちょっと席外してくれねえ?」
ククールのその言葉に、ぴくっとゼシカの肩が一瞬震えた。
ドニの町から帰って来たククールに、一体どう接すればいいのだろう?
そんな考えをゼシカが脳裏に巡らせている間に、エイトとヤンガスは宿屋を出て行ってしまった。
先ほどまでヤンガスが座っていた椅子にククールが腰掛ける。
「お酒くさっ!」
ゼシカの一言目は自然に出た。いや、出てしまった。
「参ったな。そんなに匂うか?」
ククールは悪びれもせずに言うと、自分の袖口や肩などの匂いを嗅いでいる。
「ばっかじゃないの?飲んだ本人には分からないわよ」
「スープ」
え?とゼシカは手元を見る。
「スープ、冷めてるぜ。さげとくか?」
酔っているくせに細かい奴、と思いながら、ゼシカはスープ皿をククールに手渡す。
カウンター越しにククールがスープ皿をおかみさんに渡す様子が、ベッドからも伺えた。
「ドニの町に行ってきたんだ」
思いもかけず、直球が飛んできた。
カウンターから戻ってきたククールは、今度は椅子ではなく奥のベッドに腰掛ける。
「知ってる。ヤンガスが教えてくれたわ。バニーさんたちは元気だった?」
咄嗟に返した言葉を反芻してゼシカは、何で私はイヤミ言ってるのよ、これじゃ誰かさんと同じじゃない!と思い、胸の内で頭を抱えてしまった。
「ああ、元気だったぜ。その元気を分けてもらいに行ってきたんだ」
「はぁ?」
「おかげでこんなに飲まされちまった。まったく、酒酔いルーラなんてやるもんじゃないな」
呆れて言葉が出てこない。
ゼシカは、はぁ、と深くため息をついた。
自分が臥せっている間に、馴染みの店で楽しい時間を過ごしてきたと言うのだ。
この男は。臆面も無く。
何故そんな話を聞かせられなければならない?酔った勢いにしても酷すぎではないか。
「ふーん、良かったじゃない。元気を分けてもらえて」
ククールから視線を逸らし、そう言うことしかゼシカにはできなかった。
「あのさ。目、つぶっててくれないか」
まったく、この酔っ払いは唐突に何を言いはじめるのだろう?
そう思いながらククールを見やると、その表情はいつもの軽口をたたく時とは明らかに違うものになっていた。
「なっ…なんでよ?」
「秘密。すぐ分かるけどな」
仕方がないのでゼシカは言われた通りにする。
まさかこんな状態の時に変な事しないわよね?と思いつつも、ゼシカの胸の内には様々な感情が交錯する。
わざわざ人払いをしたのだ。何か目的はあるはず…。
手袋を外す音がした。両手分。
それはほんの数秒であるはずなのに、目を閉じているせいかゼシカには長く感じられた。
身体の内から耳の奥に胸の鼓動が直接聞こえる。気付かれたくはなかった。
ほどなくして。
ゼシカの顎にそっとククールの指が触れてきた。
そのままほんの少しだけ上に、ややククールの側に向かせられる。
「なっ…なにす…」
「動かないで、そのまま」
ククールの声は普段とは全く違っていた。深く、重い。
目をつぶったままなので見えはしないが、おそらくは人さし指であろうそれが、ゼシカの唇に触れてきた。
いわゆる「静かに」という、あの動作。
身体が硬直する。頬が熱くなり、胸の鼓動は更に高まる。
(…ずるい。こんなの反則よ…まるで魔法だわ…)
その永遠とも思える一瞬の後。
つっ、と、軽く指の腹で唇を撫で付けられた。
(甘い…?)
「もういいぜ」
ククールの声にハッとしてゼシカが目を開けると、いつもの悪戯っぽい表情が飛び込んできた。
ぼーっとするゼシカの手を取り、ククールは持っていたものを手渡す。
それは装飾が施された小さな瓶だった。
「これは?」
「さっき言ったろ?元気を分けてもらいに行ってきたって」
瓶を開けると、中は琥珀色の液体で満たされていた。
「バニーの仕事ってさ、夜遅くまでやってるだろ?」
「う…うん。それが?」
目をぱちくりさせるゼシカを見てククールはにやりと笑い、話し続けた。
「そんな彼女たちの元気のもとが、このハチミツなんだってよ。商売柄、彼女たちはこういうものに金かけててさ。そこらの店で売ってるのとは全然ものが違うんだ」
ククールは手袋をはめ直し、ベッドに腰掛け脚を組む。
完全にいつものスタイルに戻っていた。
「体調が優れない時にお茶に入れて飲んだり、今みたいに唇に塗ったりすると、バッチリ効くんだと。昔そんな話を聞いたのをふと思い出して、な」
と言いながらククールはウィンクをした。
「お酒たくさん飲まされたって、もしかしてこれをもらったから?」
「そ。今度はこっちの頼みを聞きなさいよ、だとさ」
ぷぷっ、と、思わずゼシカは吹き出した。
「なぁんだ」
「ん?なぁんだ、って?」
「あ…えっと………」
ゼシカは視線を逸らし、所在無さげに瓶を玩ぶ。
「もしかして妬いてくれちゃってたりしたのかい?」
「!!!…もう!ご想像にお任せしとくわ!!」
「光栄に存じます、ハニー」
ククールは立ち上がって言うと、旅に合流する時に修道院の入り口で見せたあのポーズをとる。
それを見たゼシカはたまらず膝を立て、そこに顔を埋めてしまった。
膝に顔を埋めたまま、ハチミツが塗られた唇にこっそりと触れる。
ささくれだった唇をハチミツが潤してくれているのが、指先に感じられた。
優しい甘さが残っている。
今度飲むスープは、きっともう滲みないだろう…。
そうだ。
エイトとヤンガスを呼んできてもらって、みんなでお茶を飲もう。
このハチミツを入れて。
トロデ王とミーティア姫には、エイトに届けてきてもらおう。
無くなったら、またドニの町のバニーさんから分けてもらえばいいものね。うん。
「ねえ、ククール。みんなを…」
膝から顔を上げたゼシカの目に映ったのは、隣のベッドで寝息を立てているククールだった。
一瞬あっけに取られたゼシカは、こつん、と、右のこめかみを膝に置き、ククールの寝顔を見ながらひとしきりクスクスと笑った。
「…ありがとう、ね。ククール」
~ 終 ~
最終更新:2008年10月23日 11:51