「ククール!アッシと勝負するでがすよ!」
ヤンガスがカード片手に放った一言が、事の発端だった。
後ろに組んだ手に頭をのせ、だらしなく長椅子に寝そべっていたククールは、目の前で鼻息も荒く仁王立ちになっているヤンガスを見上げる。
「いいけどさ。なんか賭けるのか?」
ククールは面倒くさそうに聞いた。
「もちろんでガスッ」
ヤンガスは大きく頷く。
「ククールが勝ったらアッシの所持金なり装備なり、好きなもんを持っていけばいいでがす。アッシが勝ったら…」
目を丸くしているククールを指差し、息巻く。
「そのナマイキで自分勝手な言動を慎み、兄貴に忠誠を誓うでがすよ!」
エイトが慌てて仲裁に入るが、ヤンガスの勢いは止まらない。
「アッシは何としても口の利き方がなってないこの若造をギャフン!と言わせたいんでがす!」
エイトに忠誠を尽くすヤンガスは、日頃からククールの物言いに不満を募らせていた。温厚なエイトは気にしていない様だったが、うっとおしいだのいちいち話し掛けるなだのと口汚いにも程がある、と思っていた。
「イカサマされるわよ?」
横で黙ってやりとりを見ていたゼシカが口をはさんだ。
「ひでーなゼシカ。いくらオレでも、仲間相手にそんなことしないぜ?」
心外そうにゼシカを見上げてククールが言った。
「どーだか」
ゼシカは冷ややかにククールを見た。
ヤンガスは更に語った。
「イカサマを了見に含めて勝負するのがバクチってもんでがすよ。イカサマがあったとしても、それを見抜けば結局アッシの勝ち!それがパルミド男の美学でがす!」
ヤンガスの自信には根拠があった。パルミドに行ったとき、こっそり情報屋に、最新のイカサマ手口を教えてもらっていたのだ。
ゼシカは熱くギャンブル論をぶつヤンガスを呆れた目で見返し肩を竦めた。
「まぁ、好きにしなさいよ。わかんないわ。そんな美学。お風呂入ってこよっと。」
ばかみたい…と思いながら、ゼシカは浴室に向かった。
ゆっくりと湯船につかり、肌の手入れをし、髪を丁寧に拭き、くつろいだ服に着替えて―――1時間も経った頃、ゼシカは部屋に戻って来た。そして目の前の光景に唖然とした。
ヤンガスと、何故かエイトまでもが身ぐるみ剥がされて、ステテコパンツ1枚にされている。
そしてゆうゆうと足を組んで座るククールの足下には、彼等から奪ったであろう戦利品がごっちゃりと積まれていた。
「ゼシカ姉ちゃん……」
ヤンガスが訴えかけるように涙目を向けてくる。
「なんでエイトまで巻き込まれているのよ?」
バカバカしさに気が遠くなりそうなのを堪えてゼシカが呟いた。
エイトはそれに答えず、生暖かく微笑むばかりなので、ヤンガスが代わりに答えた。
「えーとですねぇ、まずアッシの装備やらを全部ククールに巻き上げられちまって、それを取り戻すのに兄貴が代わりに挑んでくれたんでげすが…このありさまで…」
ゼシカは地の底まで届きそうな、ずっしりとしたため息をついた。
へへへ、とバツが悪そうに笑うヤンガスを尻目にククールの正面に座る。
ククールは『オレは悪くないぞ』とばかりに、平然とゼシカを見ている。
「OK。武器と防具だけでも返してもらわなくっちゃね。イカサマはナシよ。ククールともあろう人が女のコ相手にそんな事をするなんて、私は、思わないけどね。」
私は、の部分を特に強調してゼシカが言った。
「お手やわらかに…」
いつもならコテンパンに説教されるパターンなのに。
意外な申し出に苦笑しながら、ククールはカードの束をゼシカに渡した。
フォーカード、ストレートフラッシュ、そして今度は…
「ロ、ロイヤルストレートフラッシュ…。」
ゼシカの見せたカードに、ヤンガスが感嘆の声を上げる。
「すごいでがすよ!!ゼシカ姉ちゃん!連続で勝ちの手…、ククール相手に…。」
「なぁ?オレもツキに見放されたかな。」
ククールがつまらなそうにカードを投げる。
しかしゼシカは腑に落ちないでいた。
ツイている、と言うにはあまりにも出来過ぎている。
そして負けず嫌いな筈のククールの、白々しいあの態度。
ゼシカは確信した。
―――ククールのヤツ、私に勝たせているんだわ。
面白くなかった。こういう場でフェミニスト精神を発揮されるのは、ゼシカにしてみればバカにされているも同然だった。
たかがゲーム。じゃれあいだという事はもちろん承知でつき合うつもりだったのに。
ゼシカの活躍により、ククールに巻き上げられたエイト達の所持品は、あらかた取り戻せていた。
「ホラ、もうさっさと片付けなさいよ。明日も早いんだし、もう寝よう。」
急に不機嫌になったゼシカに低い声で言われて、エイトとヤンガスは慌てて荷物をまとめるとすばやく寝室に引っ込んで行った。
ゼシカは保護者さながらに腕を組んだ姿勢でそれを見届けると、カードを片付けているククールのほうをじっと見た。
「…なんだよ?」
ゼシカの視線に含みを感じて、ククールの手が止まる。
「イカサマ、よね?さっきのあれ。」
「さあね。」
あらぬ方へ視線をただよわせるククールに、憎々しげにゼシカが言う。
「バカにしてくれちゃってさ…。」
ゼシカの言い方に険があるのを感じ、ククールは
言い訳する。
「アイツらからせしめたモノなんて処分に困るからさ。助かったよ、ゼシカちゃん。でも相手に勝たせる方がムズかしいんだぜ?」
ゼシカはおどけたように笑ってみせるククールの手から一枚カードをひったくって言った。
「もうひと勝負よ。今度こそ、イカサマなしで。」
ククールは呆気に取られてゼシカを見上げる。
「結構、執念深いんだな。ゼシカって。」
「なんとでも言いなさいよ。」
ゼシカはそう言うと、やっと微笑みを見せた。
「なんか賭けようぜ?」
カードを切りながらククールが言った。
「全く…本当にあんたって人は…」
ゼシカは呆れた視線をククールに送る。
「オレが勝ったらキスさせて。」
口の端をあげて、ククールが言った。
「え!?」
予想外の申し出にゼシカは動揺した。そんなゼシカの様子に頓着せずにククールが続ける。
「キスなんて挨拶みたいなもんだし、スキンシップ。」
「!」
ククールのその言葉は、細い針のようにゼシカの胸の中を引っ掻いた。
「…他の女の子と同じように、私を扱うのね」
そう、ククールは出会ったばかりの女性相手でも、キス程度の事ならそこかしこでしている。
ククールが口元に口紅を移されて帰ってくる事は度々あったし、運悪くそういう場面に出くわしてしまった事さえあった。
「じゃあ、私が勝ったら、口説いたりするの、金輪際やめてよね。」
ゼシカは努めて冷たく言った。自分を小さく傷つけた事に対する、ささやかな報復つもりだった。
ククールのカードを切る手が止まる。
「いいよ。そうなったら…オレはゼシカの事を永久に諦める。」
あまりにも自然に、あっさりと了解したので、ゼシカは驚いてククールの顔を見た。
ククールは表情を変えずに、ゼシカの顔を少しの間見つめる。
「まぁ、諦めが肝心な事もあるからな…。おとなしく振られてやるよ。」
ククールは何でもない事のように言った。
「………。」
―――何よそれ?…何よそれ、何よ………。
ゼシカは胸に燻っていた小さな傷が具体的な痛みを伴って広がるのを感じた。
初めてあった時のの印象はどうあれ、今ではククールはゼシカにとって何よりも大切な仲間の一人だった。それはククールにとってもそうだろうと思っていた。
だから信じ始めていたのだ。自分を好きだと言う、ククールの言葉を。他の女性に向けられる言葉と、自分に向けられるそれは違うものだと。
ククールとゼシカは手元の五枚のカードを各々見つめる。表情を堅くして、ひと事も言葉を交さないまま…。
誰も居ない部屋は静かだった。風が時々窓のガラスを叩くほかには、物音ひとつしなかった。
ゼシカはしばらくの間目を伏せてカードを眺めていたが、そっと顔をあげてククールを見た。ククールもまた、ゼシカを見ていた。ククールの顔からいつもの軽薄な微笑みが無い事にゼシカは安堵した。
たかがゲームだけれど…しくじるわけにはいかない、とゼシカは思った。
―――ゼシカ、怒ってる。…『スキンシップ』はまずかったかな。
ククールは少し後悔していた。ゼシカが他の女性とのことを引き合いにしている事が分ったからだ。
『…他の女の子と同じように、私を扱うのね』とゼシカは言った。
―――最近はずっとご無沙汰なんだけどね。
いつものように無かった事にして謝ってしまうこともできたが、敢えてククールはそうしなかった。ゼシカの無自覚な嫉妬に気付いたからだ。この機会を逃す手は無い。だから賭けてみることにした。カードではなくゼシカがどう出るかに。
それに…そろそろ自分が本気だと言う事をゼシカに分らせておく必要がある。
たかがゲームだけれど…しくじるわけにはいかない、とククールは思った。
ククールは二枚、ゼシカは三枚のカードを、慎重に選びチェンジした。
「さて、オレとしては久しぶりの大バクチだ」
ククールはカードをテーブルに広げた。
カードをククールはフルハウス。ゼシカは役なしのノーペア―――勝者の笑みを浮かべたのはククールだった。
「さてと、ゼシカ罰ゲームだな。」
ククールは黙ったままのゼシカの腕を引き、長椅子に座らせて、自分の方をむかせた。
軽口とは裏腹にククールの顔が真剣だったのでゼシカは怯んだ。
「あんた…イカサマした?」
「してないよ。本当にキスしたかったから、さ。」
ククールの顔に偽りの影はなかった。真っすぐに見つめる青い目が、きゅっと、ゼシカの胸を刺した。
ゼシカは一層たじろいで、ククールの瞳から逃れる様に視線を落とした。
「目、瞑って。」
ククールの指がゼシカの額に触れた。
言われるまでもなく、ゼシカは目を閉じずにはいられない。良い匂いがするね、とゼシカの前髪を撫で上げながら、ククールが唇を寄せる。冷たくさらりとしたククールの唇が触れ、ゼシカの心臓は跳ね上がった。
「力抜いて、口を開けよ、ゼシカ。こんなのキスじゃないぜ?」
ククールはゼシカの髪を後ろに引き、喉を開かせるように上をむかせた。唇の両端と下顎に五指をあてがい、口を開かせると、再び口付ける。その舌がゼシカの唇を割り、侵入する。
ゼシカは未知の恐ろしさに身をすくめる。
ククールは怯えて固くなっているゼシカの舌をとらえ、小さく吸い上げた。
ゼシカはしびれるような甘い感覚が身体の底から沸き立つのを感じ、小さく震える。湿った音さえもゼシカを責め苛む。
ゼシカの反応を認め、ククールは時折ゼシカの顔を見ながら、舌先や形の良く並ぶ歯列の裏の過敏な所を確実に探り当てていく。ゼシカが息苦しさに身を引こうとするが、ククールは許さない。
恥ずかしさと初めての感覚に翻弄されるゼシカの手が、救いを求めるようにククールの上着の裾を掴む。ククールの左手がゼシカの顔から離れ、その手を強く包む…。
ククールが名残り惜しげに唇を離した。上気したゼシカの顔を見つめ、その湿った唇を親指で優しく丁寧に拭った。
乱暴な事をしたという自覚はあったが、罪悪感はまるで無かった。
「…何が挨拶でスキンシップよ………!」
ゼシカは弱々しくククールを睨み付けた。しかしククールは引かなかった。
「あんまりオレを見くびらないように。」
勝った者の傲慢さもあらわに言って、ククールはテーブルの上に散らばったカードに視線を投げてみせた。
ククールのその一連の動作が物語る事を察っして、ゼシカの表情が堅く強張る。
「ゼシカにそういう気持ちが少しでもあるのなら、オレは遠慮しない。」
ククールはしばらくの間黙ってゼシカを見ていたが、俯いたまま何も言う気がないのを見て取って小さなため息をついた。
「おやすみ。…また明日。」
ククールはゼシカの手を取りその指に軽くキスをすると、静かに部屋を出ていった。
扉の閉まる音が聞こえ、ゼシカはゆっくりと顔をあげた。
---ああ、ククールは気付いている。
ゼシカはふらりと立ち上がり、卓上に散らばるカードを一枚一枚めくった。三枚のキング---勝てる筈のカードを捨てたのはゼシカだった。
---私は、どうして…。ゼシカは甘い苦痛に責め苛まれ、唇を押さえて目を閉じた。
---チッ…、しまった。やりすぎた。
ククールは今出てきた扉の前に立ち、ゼシカの感触が残る唇を手で覆った。そして昂揚する気持ちと早鐘を打つ心臓を押さえるべく、息を深く吐いた。
最終更新:2008年10月23日 11:52