プティのたまご

クラビウス王が公式にエイトをミーティア姫の許嫁だと認め、チャゴス王子との婚約が白紙となった段階で、近衛隊長のエイトがトロデーン王家に婿入りするであろう事は公然の事実として世に広まっていた。
しかし、そこから先に話は進んではいなかった。
当のエイトが、婚儀を執り行うには時期尚早であろうとトロデ王に進言をしたのである。

自分はサザンビーク王家の血を引く者であっても、その王子として育ってきたわけではない。
なりゆきで近衛隊長の肩書きを戴きはしたが、茨の呪いで時を止められていたトロデーン国民にこの昇格は青天の霹靂であろうし、どうあれ自分は一介の家臣にすぎない。
王位継承者たるミーティア姫の夫となるには、世間の誰もが認める「何か」が必要でありましょう、と。

「おぬしは…暗黒神を滅した英雄、というだけでは物足りないと申すか?」
トロデ王の問いにエイトは頷き、話を続けた。
「竜神族の里に参りました折に、竜の試練なるものがあると聞き及びました。つきましては、仲間と共にその試練に挑みたく存じます」
「なるほどのぅ」
「竜の試練を完遂致しました暁には、国王陛下と内親王殿下のもとに改めてご挨拶に伺わせていただきます」

こうして、暗黒神を倒した後も四人の英雄達は、竜の試練の為に日を決めてトロデーン城へと集う事になっていた。
「ミーティア姫も色々と振り回されて大変よね」
ゼシカはミーティア姫の部屋を訪れていた。
ミーティアが、ゼシカがトロデーンを訪問した際には是非とも自分の部屋を訪ねて欲しい、と希望していたのだ。
同じ年頃である二人の話は尽きることがない。
竜の試練についての話に始まり、美容のこと、美味しいお菓子のこと、面白かった本のこと、市井で流行しているもののこと。
そして、恋愛の話。

「呪いが解けてからも、確かに色々ありましたけれども」
ミーティアはピアノを弾く手を止め、話を続けた。
「今はエイトが納得できる時まで待っていればいいんですもの。辛くはありませんのよ」
「そっか。それなら良かったわ」
そう答えるゼシカの表情がほんの僅かばかり曇ったのをミーティアは見逃さなかった。
「…もしかして、ククールさんと何かありましたの?」
ゼシカはハッとした後、苦笑して顔の前で手をひらひらとさせた。
「まぁ…いつもの事だわ」
「いつもの事って…」
「こちらに来る時に何となく窓から中庭を見たら、ククールがまた女の子に言い寄っているのが見えたの」
「まぁ!そんなことが…」
ミーティアは大きな目を見開く。
「ククールさんらしいと言えばいいのかしらね」
そう言ってクスクスと笑い始めた。
「姫様ぁ、笑うなんてひどい!」
ゼシカは頬を膨らませて抗議する。
「それでそれで?」
ゼシカの抗議にも関わらず、ミーティアは瞳を輝かせながら話の続きを促した。
「…それだけ」
「あら、メラゾーマとかはなさらなかったの?」
ミーティアはさらりととんでもない事を口走る。
「さすがに三階からは距離が…って、いや、そんなことじゃなくって」
ゼシカは自らの発言に突っ込みを入れてから話を続けた。
「えっと…最近、何だかそっけない感じがするの。そのくせ他の女の子には変わらずあんな風で…」
「寂しいのでしょう?」

…図星だった。
ゼシカは驚いてミーティアを見、直後に視線を逸らして話を続けた。
「旅してた時は結構親しくなれたかもって感じてたんだけど、それって私の思い込みだったのかな?なんて思うの…」
「喧嘩したわけではないのでしょう?」
こくっ、と、ゼシカは無言で頷く。
「それなら大丈夫だと思いますわ」
ミーティアは自信ありげに微笑んでそう言った。

「わたくし、こう思うんですよ」
暫しの沈黙の後、ミーティアは語り始めた。
「ゼシカさんはきっと、ククールさんのプティのたまごなんだって」
「ブティのたまご?」
聞いた事のない言葉に、ゼシカは首を傾げた。
「ブティのたまごというのはね。ピアノの先生に教えていただいたのだけど」
ミーティアは右手の指を少し曲げ、掌でたまごを持つ動作をする。
そして瞳を閉じ、子供に語りかけるような口調で話し始めた。

「プティのたまごは見えないたまご。ピアノで素敵な曲を弾く為に無くてはならない、だいじなたまご」
見えないたまごを持ったミーティアの右手が鍵盤の上に置かれ、軽やかにメロディを紡ぎ始めた。
「でもブティのたまごはとっても壊れやすいの。だいじにしていないと、すぐに壊れて消えてしまうの」
ミーティアはわざと指を延ばし、たまごの形を潰して曲を弾き続ける。
それは同じ曲のはずなのに、まるで違う曲に聞こえた。
「いつでも素敵な曲を弾けるように、プティのたまごはだいじにしましょう」
再びたまごを持つ形となった手で、ミーティアは曲を締めくくった。

「わたくし、ずっと見ておりましたのよ」
ミーティアはゼシカの方に向き直り、話し続けた。
「馬の姿で旅をしていた時、わたくしは皆さんの姿を後ろから見ておりました」
「姫様…」
「ククールさんが他の女性と歩かれているところをわたくしも何度か拝見したことがありますけど、いつもククールさんが先を歩かれて女性が後を追っている状態でした」
「そうなの?気にしたこともなかったわ」
ゼシカは目を丸くしてミーティアの話に耳を傾ける。
「今度はメラを我慢して、気をつけて御覧になるといいわ」
「今度って…。あんまり何度も見たくは無いんだけど」
苦笑するゼシカを見てミーティアはクスクスと笑った。

「でもね。ゼシカさんだけは違っていたの」
「えっ?」
「いつの頃からか、ククールさんはいつもゼシカさんの左側にいらっしゃるようになりました。歩く時も、戦っている時も。何故だかわかります?」
ゼシカは首を横に振る。
これも気にしたことがなかった。そして、何故だかも分からなかった。
「ククールさんは剣を左手でお使いになりますからね」
「!!」
ハッとするゼシカを見て、ミーティアは微笑んだ。
「ククールさんはゼシカさんの騎士ですよ」
「…あ…!」
ゼシカの脳裏に、ククールが幾度となく言っていた言葉が鮮やかに蘇る。
「ほ…本当…だったのね…あの言葉……」
途切れる言葉とは対照的に、ゼシカの瞳からはとめどない涙が溢れていた。
(…バカね……私…ほんとに……)
涙は雪解けの清流のように清々しく、ゼシカの心を潤していった。

「そしてゼシカさんはプティのたまごなの」
暫しの沈黙の後、ミーティアは再び語り始めた。
「とっても壊れやすい、でも失ってはいけない、だいじなだいじなプティのたまご」
ゼシカは溢れる涙をハンカチで拭う。
「ククールさんは、この先ゼシカさんとどう接して行けばいいのかをじっくり考えているのだと思うの」
ミーティアはピアノの椅子から立ち上がり、ゼシカの側に座り直した。
「竜の試練が終わる時を、わたくしとっても楽しみにしてますのよ」
やや冷めたであろう卓上のお茶をミーティアは口にする。
「エイトのことももちろんですけど、終えた時に皆さんがどう変わられるのかが、とっても楽しみ」
微笑みながら言うミーティアに、ゼシカも釣られて笑みを見せた。
どうにも涙が止まらないので泣き笑いの状態ではあったが。
「私も、楽しみになってきたかも…」
照れ笑いをするゼシカを見て、ミーティアは満足げに微笑んだ。

翌日。
何度目かの竜の試練を受ける為に、一行は竜神族の里から天の祭壇を目指していた。
エイトを先頭に、いつも通りの陣形で歩を進める。

(ほんと…ミーティア姫の言っていた通りだわ)
ゼシカは自分の左側を付かず離れずの距離で歩くククールを見て、ミーティアの観察力に脱帽した。
移動中の何度目かの戦闘の後、ゼシカは試しにククールの左側に立ってみた。すると…。
「どうしたゼシカ?」
歩き始めてすぐククールに問われてしまった。
「えっ?別にどうもしないけど、何?」
ククールのあまりの反応の早さに驚いてしまったゼシカは、つとめて何でもないフリを装う。
「わりぃけど、そっちにいられるとなんか調子狂っちまう。いつも通りにこっちを歩いてくれよ」
そう言いながらククールはゼシカの肩に手を添え、ゼシカを自分の右側に移動させた。
「いつも通り…ね」
ゼシカは満足げに「いつも通り」という言葉を噛み締めた。嬉しさのあまり笑みがこぼれる。
「うふふ」
「なっ…何だよ?」
「何でもなーい」
ゼシカはクスクスと笑いながら再び歩き始めた。

「ミーティア姫にね、昨日言われたの」
歩きながらゼシカはククールに語り始めた。
「姫様が言うには、私はククールのブティのたまごなんだって」
ミーティアの話がすっかりお気に入りになってしまったゼシカは、ニコニコしながら得意げに話す。
それを聞いたククールは神妙な表情を浮かべ、沈黙してしまった。

(「何だそれ?」って聞いてくる?それともこのまま?どちらにしても、この話は姫様と私の秘密だけどね。ふふ…)

横目でククールの様子を観察しながら、ゼシカはその反応を楽しむつもりだった。
それで終わらせるつもりだったのだが……。
「参ったな…。姫様も上手い例えをするもんだ」
ククールはそう言いながら、右手で髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
「えっ……」
今何て言った?と驚いてゼシカがククールを見やると、手に隠れていてその表情は伺えなかったが、耳が真っ赤になっていた。
(まさか……!!)
絶句するゼシカの顔は既に真っ赤に染まってしまっていた。

ククールは暫くの間黙っていたが、やがてゆっくりと話し始めた。
「それ…さ。ガキの頃、修道院でオルガンやらされた時に言われた…」
「うそ……知って…たん…だ」
動揺したゼシカはその一言を絞り出すのがやっとだった。
「プティのたまごは素敵な曲を弾く為に無くてはならない、壊れやすいだいじなたまご……だろ?」

こんな展開になろうとは、ミーティアも予想してはいなかっただろう。
運命の女神の気まぐれにも程があるというものだ。

「おーい、ゼシカ!ククール!ちょっと間隔あけすぎてるよ!!」
はるか前方からエイトが大声で呼び掛けてきた。
ゼシカとククールはハッとしてエイトを見、照れ笑いを交わした後に駆け出した。
「僕のわがままにみんなを付き合わせて悪いと思ってるけど、もう少しだけ頼むね」
済まなそうに言うエイトに、追い付いたククールはいつもの調子で応えた。
「おいおい、勘違いすんなよ。オレはお前の為に来てるんじゃねぇぜ?」
唖然とする三人にククールはにやりと笑って言い放った。
「オレがやりたいから来てるんだ。こんな機会、滅多にないだろ?」
「ククールらしい言い方でげすな」
そう言ってヤンガスが笑ったのを皮切りに、全員はその場で笑い出した。

「あとは、そうだな……これから素敵な曲を弾く為、かな」
「はぁ?」
ククールの言葉を受けて再び唖然とするエイトとヤンガスの脇で、ゼシカは一瞬驚いた後に微笑んだ。
さっきまでミーティアとの秘密の話の中の言葉だったはずのものが、いつの間にかククールとの秘密の言葉になっていた。
そういうのも、妙に心地のいいものだった。

いつもの青空が、より青く見えたのは気のせいだろうか。
水晶のように輝く不思議な階段を上りながら、ゼシカは思う。

これは、みんなの未来へと繋がる階段だ。

巨大な竜の頭蓋骨をくぐり抜けるところでククールは先に階段を数段飛び下り、振り向いた。
「お手をどうぞ、マイハニー」
「……バカ!」
そう言いながらもゼシカは、差し出されたククールの手に自らの手を委ねる。
見えないたまごの存在をその手に感じながら。
そして再びいつも通りの位置へと二人は戻る。
いつの間にか当たり前になっていた位置へ……。

一行はようやく頂上へと辿り着いた。
「みんな、今日もよろしく」
エイトが振り返り言うと、三人は不敵な笑みを浮かべて無言で頷く。
それは今まで幾度となく繰り返されてきた、強敵を前にした時の四人の英雄たちの儀式のようなものだった。

「さあ!行こうぜ!」
ククールの号令がその沈黙を破り、今日もまた天の祭壇の扉が開かれた。
                ~ 終 ~











最終更新:2008年10月23日 11:53
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