幾つもの円弧
主人公の2人がある希薄さに包まれているのと、はたしてこの世に希薄でない人生など存在するのかと思わせるニヒリズムを感じる。そしてこの感じが北野映画の持つ大きな魅力ではないのだろうか。
シンジ(安藤政信)とマサル(金子賢)はオープニングからエンディングまでの間に一つの物語的な円を描いている。そしてラストに閉じられた円はある大きな円の一部でしかないことを告げられているようだった。映画にはいくつもの小さな円が描かれている。それら脇役達の描く円も主人公2人のものと同列に配置され、物語の進むペースに絶対的なリズムを与えている。
いくつもの小さな人生劇場達は、それぞれの関係性と共に自らの知らないところで巡り合い、時にわざわいとなって近づき、そして寂しさと共に引き寄せられていく。
この作品はあのバイク事故からの復帰第一作。「死」を限りなく疑似体験した彼が、リハビリを兼ねて創った作品だそうです。どことなく描かれる円が閉じられながらも終わらない力強さを表現しているのは、その時の監督の心意気にも通じるのでしょうか。
2001.10.07k.m
カテゴリー-映画
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