ついに見た。だが、3週目とはいえけっこう空いていた。ミラノ座の巨大な空間は埋まらず、今時この大きさがつらいのが目立っていた。僕も1,2作と先行ロードショーを見ていたのに、今回はそれがなかったのもあり、やや熱の冷めた状態でのぞんだ。
案の定、この終わりへと向かった展開はどうにもパワーダウンという感じで、「終わらせる」ことの難しさをみたような気がした。
そもそもマトリックスの魅力は、人間味のない演出で、あのパーティーにでも行くような「おめかし」スタイルで、どこまでも華麗に舞い続ける姿にあった。それがいつからかザイオンとか言う生々しい集落が登場し、夢から覚めた原始人のように薄汚れた衣装のネオやトリニティーが、赤裸々な人間味で愛し合うシーンになってしまった。
さらにネオは華麗にプログラム世界を駆け抜けるサイバーヒーローという姿から、集落の危機を救う神秘的な力をもった救世主という、ほとんどオカルト世界のような様相に至ってしまう。ザイオンでの戦いは、さながらスターウォーズのごとくに壮大な音楽をバックに繰り広げられ、戦争映画のごとく根性と使命感の師弟ドラマが演じられ、パニック映画のエンディングのように救世主の成功を祝うシーンへと・・。
かつて映画「マトリックス」は、何物にもたとえきれない新たなジャンルを築いた感すらあった。けれどこの壮大な終末は、何度も繰り返し踏まれてきたハリウッドの王道パターンへ収斂されてしまう。それが興業的成功を招くためなのか、それ以上のプレゼンテーションをもうハリウッドが捻出出来ないという限界を示しているのか。せめて続編によってすぐれたオリジナルを食い尽くさない体質をこそ目指すべきなのだろう。2003-11-22/k.m
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