「鏡」アンドレイ・タルコフスキー映画祭
タルコフスキー映画祭行って来ました。ギリギリ駆け込んだら、結構来てます。たぶん100人程度の地下ホールが満員。整理番号78だったので前しか空いていない。臨時で出されたイスをゲットしましたが、堅いから痛かった・・。
実は今回の「鏡」で3つ目というタルコフスキー中級者(わずか7本しか長編ありません)ですので、まだまだ新鮮さがあります。とは言え、三百人劇場でみた「ソラリス」はまだしも、ビデオでみた「ストーカー」など、ギリギリ寝ないきわどいリズム。この「鏡」もかなりきてます。モノクロからカラーへ写り変わる映像美に見とれつつも、意味深な「長い間」から突然「炎」が立ち上ったり、展開の読めない断片的な場面の連続には、忍耐を要する映画であることには変わりないと・・・。
しかし今日は上映後のトークが目的。エンドロールもなくいきなり終わったとたん。ふっと横を見れば、眠たそうな阿部和重+中原昌也のお二人が立ちすくしてます。何故か黒のTシャツというお揃い状態。前置きもあっさりといきなりトーク開始。このあたりはちょっとイメージフォーラムの姿勢を疑う所でもあります。なんたって「タルコフスキー映画祭」というくらいだし、わざわざ駅から遠いいここまで足を運ぶ連中です。もう少し主催者側の動機やら、タルコフスキーの解説やらあってもよさそうなもの。ぶっきらぼうに投げ込まれた作家二人はただ漠然と話し始めました。
「雨の中よくこれだけあつまりましたねー」という中原昌也。その後もしばしリードして、結構気を使っている様子でしたが、実は阿部和重のほうが上手。彼はわざわざこの機会にDVDを購入して見直してきたそうです。とにかく、「いたねーそう言えば」的な監督だそうで、「もう10年くらい意識にのぼらない」作品だったと。
阿部和重いわく「取りあえず、雨降って、炎だしてですからねー」しかも「恐ろしく現代の若者が求めるものから遠のいた作品」と中原昌也。
さっきまで崇高な映像詩人だったタルコフスキーの姿が、だんだんと崩れていく。
「とにかく今日からタルコフスキーまつりですから」(阿部和重)「ああお祭りなんだ」(中原昌也)と言って、まとまったのか、早く終わらせたいのか、ざっくりと終了したのでした。
最近の「サイン」が「サクリファイス」とそっくりだと言い続け、しきりにその類似点を並べる阿部和重。それを「いやーまた再見したい気になせるねー」と上辺の相づち的な中原昌也。二人は実際中が良いのか、あまり意識していないのか。僕には気になる二人なんですけど。実際この場当たり的なトークでもかなり満足してしまいました。
コメントなど
最終更新:2008年04月13日 21:43