霧の中の風景



  • 1988年 ギリシャ
  • 監督:テオ・アンゲロプロス



早稲田松竹、金曜日の最終会。これから飲みに行く時間へ映画、まぁそれもいいか。結構混んでいて場所がら学生も多い。子供が主役の映画で思い出すのは「大人は判ってくれない」とか、「動くな、死ね、甦れ!」、「自由はパラダイス」など、、、。

まずこの映画では省略的な描写がおおい。通常ならば充分に描いてくる部分も、説明しないままどんどん進む。例えば冒頭、主人公たちの母親は子供たちの寝室を覗きに来る足音だけだ。もっと手前、電車へ乗れなくて佇むシーンも、なんの説明もない。弟が迷い込んだパン屋のくだりで、結局報酬を得るまでの省略。そして際立っていたのは、姉がトラックの運転手へ荷台に連れ込まれた後のシーン。

これはロベール・ブレッソンの映画でもよく使われていて、見る側の想像を掻き立てる絶妙なバランスのカット割だと思う。長回しのゆっやりしたリズムも、こうして退屈ではないテンポの良さを保っている。

次に不可解な場面が多い。近所の原っぱか何かでカモメの真似をしているおじさんに語りかけるシーン。降り出した雪に見とれて大人たちがみな上を向いている隙にその合間をぬって走って逃げていくシーン。駅で途方に暮れる姉の前に無音で通り過ぎる作業員。突然のようにあらわれる旅芸人たち。そして最大の不可解は、海の中から静かに巨大な石像の手が浮かび上がり、やがてヘリコプターに吊られて運ばれてくシーン。

荒涼とした風景と、殺伐とした人間描写というリアリズムの最中、突然この不思議さは差し込まれるのに、何故かなんの違和感もなかったかのように進む。最初は驚きながら見ていたものの、次第にそれは幻想的な響きで調和していき、なくてはならない場面として積み重なっていく。そしてこの創造性こそがテオ・アンゲロプロスが生み出す最大の魅力であると思えて仕方がなくなる。

省略と不思議が混ざった素晴らしいシーンは、浜辺で芸人たちが練習をしている場面。夜道でフィルムの欠片を拾うとても抒情的な場面から一転。バスがあって、浜辺があり、朝食のような卓。その後バラバラに演じる芸人たちをゆっくりと水平にパンさせながら長回しでほぼ360度動いてしまうカメラ。驚異的な時間が過ぎていく。

主人公二人の成長もしっかりと描かれ、芸人青年との触れ合いもドラマティックであり、これほど前衛的な場面ばかりなのに、どっしりと軸のある物語。終盤、青年との別れでライトアップされた車道を俯瞰していくシーンも本当に素晴らしい。もはや霧の中の風景は、幻想的ではなくリアルな映像として、観終わった後もじわじわと響き続ける。2010-10-10/k.m

最終更新:2010年10月12日 20:15