「非行少年の凶悪化」について
2010年4月15日
「非凶悪化立場としての意見」
この度のレポートの議題は「現代の非行少年は凶悪化しているかどうか」についてであったが、これは議題をどう解釈するかによって論じ方も変化する。まず凶悪化と言う言葉を:
1非行少年による犯罪総数の内、凶悪な犯罪の数が増加しているかどうか。
2非行少年による凶悪犯罪の内容がより残忍なものに変化しているかどうか。
と二つ定義する事が出来る。定義を①とした場合、警察庁発表による「少年非行等の概要」の数値データを比較する事によって論理的判断が可能である。この資料によるところの凶悪犯とは殺人、強盗、放火、強姦の4つが含まれるが、これら4つの総数が少年非行の検挙数の内占める割合は平成16年の1.6%から平成21年の1.1%へと減少している。よって平成16年から現在のタイムスパンで見た場合は必ずしも凶悪化しているとは言えない。しかし「現代」というタイムスパンを戦後からと捉えた場合は「少年非行等の概要」では資料不足である。なお、法務省発行の「犯罪白書」も参照したが、こちらには少年及び凶悪犯罪という区分での数値データはなかった。
また凶悪化を②と定義した場合は判断がとても困難になる。犯罪が残忍であるかどうかを公的な資料や法律で定義している文書は今回発見する事が出来なかった。私的な資料による定義ではインターネット検索により、和光大学総合文化研究所の奥平康照教授による「少年犯罪は凶悪化しているか」という文書を引用する事が出来る。この資料は少年非行が凶悪化しているかどうかをタイムスパン(グラフ)の区切り方によって変化させる事が出来る事も指摘しており、とても有用であると言える。また凶悪化には数的増減と、質的変化という二面性がある事もこれを読む事で明らかになる。しかし(以下、3少年犯罪の変化より引用)「凶悪事件は増えていない。しかし凶悪事件は身近でおこる。「身近」とは私の生活圏で、ということであるが、また私の家庭や子どもと異質ではない家庭や子どもに、ということでもある。」と最後に締めくくっている所は結局少年非行が凶悪化しているかどうかの論点が「身近化」の論理にすり替わってしまっているように思い残念である。ただここでも分かる通り「凶悪化」を数値データで捉えた場合やはり減少傾向にある事が分かる。よって私の結論としては警察庁、法務省、と上記の資料を合わせて凶悪化はしていないとする。
「中立的意見」
上記のように凶悪化していないと結論を出したが、それはあくまでも数値データに基づく結論であり、個人的感性や危機管理の意識を持った場合凶悪化しているかどうかは不確かであると言える。これは一見日々のメディアを見ている限り非行少年の犯罪が凶悪化しているように感じてしまうが、先に述べたようにタイムスパン(グラフの期間)を限定する事によって生じる錯覚によるものとも言えるからである。また確実に少年非行が凶悪な内容(質的に)変化しているかどうか判断するには戦後から現在までの凶悪犯を全て解析する必要があると思われる。
end
最終更新:2012年11月04日 18:33