ソ連の試作機・実験機

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* 目次 -&link_anchor(polikarpov){ポリカルポフ} (8) -&link_anchor(mig){ミコヤン・グレビッチ} (12) -&link_anchor(tomashevich){トマシェビッチ} (1) -&link_anchor(pashinin){パシーニン} (1) -&link_anchor(yakovlev){ヤコブレフ} (2) -&link_anchor(lavochkin){ラボーチキン} (2) -&link_anchor(gudkov){グドコフ} (3) -&link_anchor(ilyushin){イリューシン} (3) -&link_anchor(sukhoi){スホーイ} (6) -&link_anchor(antnov){アントノフ} (1) -&link_anchor(bisnovat){ビスノバト} (2) -&link_anchor(nis){ニキーチン・シェベツェンコ} (3) -&link_anchor(bi){ベレズニャク・イサエフ} (1) -&link_anchor(moskalev){モスカレフ} (2) -&link_anchor(silvansky){シリバンスキー} (1) ---- * ポリカルポフ(Polikarpov、Поликарпов)&aname(polikarpov){} 「戦闘機の王様」と呼ばれたポリカルポフが率いた設計局。1938年に起きたI-180試作戦闘機の墜落事故でソ連邦英雄で国民的人気のあったテストパイロットチカロフを死亡させて以降その地位を失い、1944年のポリカルポフの死によって他の設計局に吸収され消滅した。1930年代にI-15やI-16といったソ連軍の主力戦闘機を生み出し、第二次世界大戦中はそれらの拡大型とも言える空冷星型エンジン搭載の戦闘機を開発していたが、前述の事故以降はスターリンに嫌われたこともあり制式採用されたものはない。 :I-180、戦闘機、単座単発機、空冷| I-16の後継として開発された戦闘機。複列14気筒の星型エンジン M-88 を搭載し、機首形状はスマートなものになったが、胴が短いスタイルはそのままだった。性能は良好だったものの、試作1号機が初飛行で墜落するなど開発は順調に進まず、ポリカルポフ設計局没落のきっかけになった。開発は1940年に中止され、より高出力のエンジンを搭載するI-185が作られることになった。■ 初飛行:1938年12月25日 ■ 製造数:13機 ■ 全備重量:2429kg ■ エンジン:トゥマンスキー M-88 空冷星型14気筒(1700hp)■ 最高速度:585km/h ■ 12.7mm BS x3、7.62mm ShKAS x2 :I-185、戦闘機、単座単発機、空冷| I-180をさらに発展させたもの。全体的にはI-180を拡大したような形状をしており、I-16の最終形ともいうべき機体だった。M-71エンジンを搭載するタイプとM-82エンジンを搭載するタイプの二種類が設計されたが、M-71はまだ完成の域に達しておらず、M-82は既にLa-5戦闘機に使用されていたため、I-185 が採用されることはなかった。■ 初飛行:1941年1月11日 ■ 製造数:機 ■ 全備重量:3500kg ■ エンジン:シュベツォフ M-71 空冷星型18気筒(2000hp)■ 最高速度:630km/h ■ 20mm ShVAK x3 :I-187、戦闘機、単座単発機、空冷、計画のみ| I-185のエンジンを2200馬力の M-71F に強化し、後方視界の優れたバブルキャノピーを装備するもの。■ 製造なし ■ エンジン:シュベツォフ M-71F 空冷星型18気筒(2200hp) :I-188、戦闘機、単座単発機、空冷、計画のみ| I-185のエンジンをM-90に変更したもの。■ 製造なし ■ エンジン:ツマンスキー M-90 空冷星型18気筒(2000hp) :I-190、戦闘機、単座単発機、複葉機、空冷| I-153 の後継として1939年から開発された試作複葉戦闘機。直径が小さく出力の大きいM-88エンジンを搭載して速度の向上を図り、複葉機ならではの高い旋回性も持ち合わせていたが、それでも最高速度 450km/h は仮想敵のドイツの Bf109 より 100km/h 以上遅かった。試作2号機はターボチャージャーを装備した高高度戦闘機になる予定だったが、完成前に計画はキャンセルされた。 ■ 初飛行:1939年12月30日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:2112kg ■ エンジン:ツマンスキー M-88 空冷星型14気筒(1100hp)■ 最高速度:450km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 または 7.62mm ShKAS x4 :I-195、戦闘機、単座単発機、複葉機、空冷、計画のみ| I-190 のエンジン強化型として開発された複葉戦闘機。M-90 星型18気筒エンジンを搭載する予定で、最高速度は591km/hと計算さていたが、すでに複葉機で単葉機に対抗することは不可能だと考えられたため、初期段階で計画は放棄された。■ 計画年:1940年 ■ 製造なし ■ 全備重量:2916kg ■ エンジン:ツマンスキー M-90 空冷星型18気筒(1750hp)■ 最高速度:591km/h :ITP、戦闘機、単座単発機、液冷| 重武装の戦闘機というコンセプトのもとに1941年から設計された機体。VK-107Aエンジンを搭載し37mm機関砲と20mm機関砲2門とを装備する1号機と、AM-37エンジンを使用し20mm機関砲3門を装備する2号機が作られたが、双方ともエンジンの不調のためになかなか実用の域にまで達することが出来ず、1944年にポリカルポフ設計局が解体されると開発は未完のまま終了した。■ 初飛行:1941年2月23日 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:3570kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39 液冷V型12気筒(1700hp、2号機改修後)■ 最高速度:655km/h ■ 20mm ShVAK x3 :TIS、戦闘機、複座双発機、液冷| 爆撃機護衛用の双発戦闘機として1938年に開発が開始されたもの。しかし、ポリカルポフ設計局に混乱・縮小があったことや、バトル・オブ・ブリテンで同様のコンセプトに基づき作られたナチス・ドイツのBf110が全くの役立たずであることを露呈したことから、開発は遅々として進まず、AM-38Fエンジンを搭載し武装等に変更を加えた2号機が初飛行を行ったのは1944年のことだった。さらに同年ポリカルポフの死によって設計局が解体されると、同時に計画は消滅してしまった。■ 初飛行:1941年 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:8280kg ■ エンジン:ミクーリン AM-38F(2号機)液冷星型12気筒(1700hp)■ 最高速度:535km/h ---- * ミコヤン・グレビッチ(mikoyan gurevich、Микоян Гуревич)&aname(mig){} I-200(後のMiG-1)を完成させるためにポリカルポフ設計局に作られた設計チームが元となっており、1940年に正式にポリカルポフから独立した。この設計局が第二次世界大戦初期に完成させた量産機としてはMiG-1とMiG-3がある。大戦中期以降はMiG-3の改良型とI-220シリーズという大型の高高度戦闘機の開発を主に行うことになるが、いずれも試作段階に留まった。戦後はジェット戦闘機メーカーとして花開くことになる。 :I-210(MiG-9、MiG-3-82)、戦闘機、単座単発機、空冷| #ref(DSmall-Mikoyan_Gurevich_I-210.png)1941年5月から量産が開始されたM-82(ASh-82)空冷エンジンをMiG-3の胴体に取り付けた戦闘機。大直系の空冷エンジンに適合させるため胴体は拡大されている。予定のプロペラが使用できなかった上に拙い空力的処理が重なり試作1号機の最高速度は何と計算値を90km/hも割り込んだ。その後の改修で速度性能は多少改善されたものの、結局予定値には遠く及ばず開発は中止となった。MiG-9の名称は後のジェット戦闘機に再利用された。 ■ 初飛行:1941年7月23日 ■ 製造数:5機 ■ 全備重量:3382kg ■ エンジン:シュベツォフ M-82(ASh-82)空冷星型14気筒(1700hp)■ 最高速度:565km/h ■ 武装:12.7mm UBS x 3 :I-211(MiG-9E)、戦闘機、単座単発機、空冷| #ref(DSmall-Mikoyan_Gurevich_I-211.png)失敗に終わったI-210のリベンジ作で、改良型のASh-82Fエンジンを使用した上で各部の設計を見直した。側面図はI-210に似るが、I-210の中・後部胴体が左右に幅のある形をしているのに対し、I-211は左右に絞り込まれている。重量と空気抵抗の大幅な削減に成功し最高速度は100km/hも向上したが、機動性は今一つで、既に生産ラインにあるLa-5と比べて特別に優れてもいなかったため試作のみに終わった。■ 初飛行:1943年2月24日 ■ 製造数:不明(1~10機程度) ■ 全備重量:3070kg ■ エンジン:シュベツォフ ASh-82F 空冷星型14気筒(1700hp)■ 最高速度:670km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 :I-230(MiG-3U)、戦闘機、単座単発機、液冷| MiG-3の性能向上型。エンジンはAM-35Aのままで、胴体をやや延長し構造を金属製から木製に改めた。MiG-3で問題となっていた武装は20mm機関砲に強化された。改良の結果性能は全般にわたりMiG-3を上回ったが、新たに量産を開始する理由になるほどの劇的なものではなかった。■ 初飛行:1943年5月31日 ■ 製造数:6機 ■ 全備重量:3260kg ■ エンジン:ミクーリン AM-35A 液冷V型12気筒(1350hp)■ 最高速度:656km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 :I-231、戦闘機、単座単発機、液冷| I-230に続いて作られた試作高高度戦闘機。基本設計はI-230を踏襲したものだったが、エンジンをより強力なAM-39Aに変更している。その他胴体の一部を再び金属製に戻したり、燃料タンクを拡大するなどの細かい修正も行われた。しかしAM-39エンジンの開発が上手くいかず、このエンジンの開発が中止されるのと同時にI-231は放棄された。以降のミコヤン・グレビッチ設計局の高高度戦闘機は、並行して開発されていたI-220シリーズに一本化されることになった。■ 初飛行:1943年10月19日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3280kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39A 液冷V型12気筒(1700hp)■ 最高速度:707km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 :■ I-220シリーズ(I-220、I-221、I-222、I-224、I-225)| MiG-3の後継として開発された高高度戦闘機で、I-220からI-225までの5種類が作られた(223は製作されていない)。機体規模はMiG-3より二回りほど大きい。 :I-220、戦闘機、単座単発機、液冷| I-220シリーズの最初のタイプ。この型はまだターボチャージャーや与圧コクピットを持たず、本格的な高高度戦闘機となるのはI-221以降である。エンジンはAM-39を搭載する予定だったが、1号機は間に合わずに中低高度向けのAM-38Fを搭載して完成した(その後AM-39に載せかえられている)。■ 初飛行:1943年? ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:3835kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39 液冷V型12気筒(1800hp)1号機は AM-38F ■ 最高速度:695km/h ■ 武装:20mm ShVAK x4 :I-221、戦闘機、単座単発機、液冷| 主翼を左右に1メートルずつ延長し、TK-2Bターボチャージャーと与圧コクピットを装備した。I-220と比べ、より高高度での運用に特化した設計になっている。■ 初飛行:1943年12月2日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3800kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39A 液冷V型12気筒(1550hp)■ 最高速度:690km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 :I-222、戦闘機、単座単発機、液冷| エンジンを改良型のAM-39Bに変更し、ラジエーターの装備方法を胴体下部から大きく飛び出す形に変更した。他に、後方視界を確保するためにキャノピー以後の胴体の背が低められたこと、垂直尾翼が拡大されたことなどがI-221と異なっている。■ 初飛行:1944年5月7日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3790kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39B 液冷V型12気筒(1900hp)■ 最高速度:691km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 :I-224、戦闘機、単座単発機、液冷| エンジンをAM-39BからAM-39FBに、ターボチャージャーをTK-2BからTK-300Bにそれぞれ変更した。またラジエーターの形状も若干修正されている。初飛行年月日はシリーズ中もっとも遅い。■ 初飛行:1944 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3780kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39FB 液冷V型12気筒(1800hp)■ 最高速度:693km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 :I-225、戦闘機、単座単発機、液冷| AM-42Bエンジンを搭載するI-220シリーズの最終モデルで2機が製造された。主翼をI-220と同じ長さに戻し700km/hを優に超える最高速度を発揮した一方で、上昇限度はI-224の14,100mに対して12,600mにとどまり、高高度戦闘機としての性格はやや薄れている。戦後も引き続き開発が進められたていたが、ジェット機の台頭のために中止となった。■ 初飛行:1944年7月21日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3780kg ■ エンジン:ミクーリン AM-42FB 液冷V型12気筒(1800hp)1号機はAM-42B ■ 最高速度:726km/h ■ 武装:20mm SSh-20 x4 :MiG-5(DIS)、戦闘機、単座双発機| 双発戦闘機。 :I-250(MiG-13)、戦闘機、単座混合動力機| ドイツのジェット機に対抗するため第二次世界大戦末期に試作されたプロペラとモータージェットによる混合動力戦闘機。 :MiG-8(ウートカ)、実験機、単座単発機、先尾翼機、後退翼機| 来るべきジェット機の時代に向けて低速飛行時の後退翼の特性を調査するために設計された実験機。終戦後に1機だけ製造された。後退翼を持った先尾翼機という斬新な設計だったが、安定性や操縦性に特に問題はなかったという。元々が低速飛行特性の研究のために作られただけあって最高速度はわずか205km/hに過ぎなかった。愛称のウートカは「鴨(カモ)」の意味。■ 初飛行:1945年 ■ 製造数:1機 ■ エンジン:シュベツォフ M-11F 空冷星型5気筒(110hp) ■ 全備重量:1150kg ■ 最高速度:205km/h ■ 武装なし ---- *トマシェビッチ(Tomashevich、Томашевич)&aname(tomashevich){} トマシェビッチは元々ポリカルポフ設計局内の有力者だったが、欠陥を抱えたままのI-180の試作機を初飛行に送り出し死亡墜落事故を招いた罪で逮捕された。そのような彼が収容所内で設立したのがトマシェビッチ設計局である。 :110(I-110)、戦闘機、単座単発機、液冷| #ref(DSmall-Tomashevich_110.png)1400馬力のVK-107エンジンを搭載する戦闘機。設計に当たっては生産性と整備性に最大限の注意が払われたが、その反面でサイズや重量は既存のソ連製単発戦闘機と比べてかなり大きなものとなり、さらに搭載を予定していたエンジンの信頼性も十分とは言い難かった。機首下面の大きな張り出しにラジエーターとオイルクーラーをまとめて装備しているが、この部分はアメリカのP-40戦闘機に似ている。■ 初飛行:1942年12月 ■ エンジン:クリーモフ VK-107P 液冷V型12気筒(1400hp) ■ 全備重量:4000kg ■ 最高速度:610km/h ■ 武装:20mm ShVAK x1、12.7mm UBS x2 ---- *パシーニン(Pashinin、Пашинин)&aname(pashinin){} パシーニンはポリカルポフ設計局で働いていた有力な設計者だったが、1940年に独自に I-21 戦闘機を設計するために独立した。 :I-21、戦闘機、単座単発機、液冷| #ref(DSmall-Pashinin_I-21.png)I-16の後継を目指した戦闘機で、Yak-1やLaGG-1と同じクリーモフM-105Pエンジンを搭載するものだった。試作1号機は操縦性・安定性や着陸性能が劣悪で、2号機と3号機では主翼や水平尾翼の形状が変更されたが、根本的な解決には至らずに開発中止になった。■ 初飛行:1940年5月18日 ■ 製造数:3機 ■ 全備重量:2670kg ■ エンジン:クリーモフ M-105P 液冷V型12気筒(1050hp)■ 最高速度:573km/h ■ 武装:23mm BT-23、7.62mm ShKAS x2 ---- * ヤコブレフ(Yakovlev、Яковлев)&aname(yakovlev){} :I-28(Yak-5)、戦闘機、単座単発機、液冷| ミコヤン・グレビッチ設計局のMiG-1に対抗した高高度戦闘機。Yak-1と並行して開発が進められたため基本的な設計は同じで、主翼前縁スラットを追加したり、視界改善のためにキャノピーを拡大したりしている。高高度出力を確保するため二段式過給機付きのM-105PDエンジンを使用し、最高到達高度は12,890mに達したが、エンジンの信頼性の問題のため量産されることはなかった。■ 初飛行:1942年 ■ 製造数:3機 ■ 全備重量:2928kg ■ エンジン:クリーモフ M-105PD 液冷V型12気筒(1160hp)■ 最高速度:650km/h ■ 武装:20mm ShVAK x1、7.62mm ShKAS x2 :I-30(Yak-3)、戦闘機、単座単発機、液冷| 木金混合製だったYak-1を全金属製に改めたもの。左右の主翼に20mm機関砲を追加し、当時としては重武装の戦闘機になったが、独ソ戦の開戦で金属資源が不足したため開発中止になった。Yak-3とも呼ばれるが後に量産されたYak-3とは別物。■ 1941年春 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:3130kg ■ エンジン:クリーモフ M-105P 液冷V型12気筒(1050hp)■ 最高速度:571km/h ■ 武装:20mm ShVAK x3、7.62mm ShKAS x 2 ---- * ラボーチキン(Lavochkin、Лавочкин)&aname(lavochkin){} :La-7R、戦闘機、単座混合動力機| La-7戦闘機の尾部に推力300kgfのRD-1ロケットエンジンを追加したもので、数分間だけ 80km/h ほど加速することが出来た。しかし、エンジンは試験飛行中に度々爆発し、作動時間は短すぎ、重量の増加によって操縦性や旋回性能も低下した上に、ジェット技術の発達もあり、この種の混合動力機は実用性は薄いとして計画は中止された。■ 1944年後半 ■ 全備重量:3500kg ■ エンジン:シュベツォフ ASh-82FN 空冷星型14気筒(1850hp)、グルシュコ RD-1 ロケット(300kgf)■ 最高速度:752km/h ■ 武装:20mm B-20 x3 :La-126、戦闘機、単座単発機、空冷| La-7 の後継として開発された戦闘機。エンジンは La-7 と同じ ASh-82FN を搭載し、外見も似ていたが、木金混合構造は全金属構造に改められ、主翼には層流翼を採用し、武装も23mm機関砲4門に強化されていた(La-7と同じ ShVAK 2門のままだったという資料もあり)。しかし飛行性能の向上が予想されたほどではなかったため、La-126の開発は中止され、新たにLa-130(後のLa-9)が開発されることになった。■ 1944年 ■ 全備重量:3300kg ■ エンジン:シュベツォフ ASh-82FN 空冷星型14気筒(1850hp)■ 最高速度:690km/h ■ 武装:23mm NS-23 x4 ---- *グドコフ(Gudkov、Гудков)&aname(gudkov){} ラボーチキンとゴルブノフと共にLaGG-1およびLaGG-3戦闘機を開発したグドコフだったが、後に独立し自らの設計局を持った。エンジンをミッドシップに配置した戦闘機 Gu-1 や、ソ連初のジェット戦闘機 Gu-VRD といった野心的な計画を進めていたが、Gu-1 の開発失敗後の1943年に解散した。 :Gu-82、戦闘機、単座単発機、空冷| 液冷エンジンを搭載していたLaGG-3の胴体に新開発のASh-82(M-82)空冷エンジンをくっ付けた戦闘機。これは大量生産されたラボーチキンLa-5戦闘機と全く同じコンセプトだが、エンジン周りの設計をSu-2爆撃機から流用するなどLa-5より新規設計部分が減らされていた。しかし、Gu-82 が完成したときには既に La-5 が成功していたため、量産に移されることはなかった。■ 初飛行:1942年 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3000kg ■ エンジン:シュベツォフ M-82(ASh-82)空冷星型14気筒(1700hp)■ 最高速度:680km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2、12.7mm BS x2 :Gu-1(Gu-37)、戦闘機、単座単発機、液冷、ミッドシップ配置| 胴体中央にエンジンを搭載し、延長軸で機首のプロペラを回すという、アメリカのベルP-39「エアコブラ」が採ったのと同様のレイアウトを採用した戦闘機。珍しい構造に不慣れだったためか完成した試作機は重量過大となり、しかも初飛行で墜落事故を起こしたため開発は放棄された。■ 初飛行:1943年6月12日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:4620kg ■ エンジン:ミクーリン AM-37 液冷V型12気筒(1400hp)■ 最高速度:674km/h(計画値?)■ 武装:23mm 機関砲、12.7mm BK x2、7.62mm ShKAS x2 :Gu-VRD、戦闘機、単座単発ジェット機| 開発中のターボジェットエンジンを装備するジェット戦闘機としてグドコフが提案したもの。ソ連初の具体的なジェット戦闘機計画だったといわれる。しかし搭載予定のエンジンが完成しなかったため開発は進展せず、1943年のグドコフ設計局解体までに実機が製造されることはなかった。■ 計画年:1943年 ■ 製造なし ■ 全備重量:2250kg ■ エンジン:リュールカ RDT-1/VDR-2 ターボジェット(700kgf)■ 最高速度:900km/h(計画値)■ 武装:20mm 機関砲 x2 ---- *イリューシン(Ilyushin、Ильюшин)&aname(ilyushin){} :I-21、戦闘機、単座単発機、液冷| :Il-1、戦闘攻撃機、単座単発機、液冷| 重装甲の戦闘機というコンセプトで設計された機体。主に大型機との戦闘に使用される予定だったが、攻撃機(シュトルモビク)としての運用も考慮された。重量過大で速度性能が不足したため戦闘機としての開発は諦められたが、攻撃専用機としたものは後に Il-10 攻撃機として量産された。■ 初飛行:1944年 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:5320kg ■ エンジン:ミクーリン AM-42 液冷V型12気筒(1800hp)■ 最高速度:580km/h ■ 武装:23mm VYa-23 x2 :Il-6、爆撃機、多座双発機、液冷、ディーゼル機| Il-4 の改良型として設計された爆撃機。高出力の ACh-30 ディーゼルエンジンの採用により5000kmを超える航続距離を実現したが、劣悪な操縦性や低すぎる最高速度のために採用されなかった。■ 初飛行:1943年8月7日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:19,600kg ■ エンジン:チャロムスキー ACh-30BF 液冷ディーゼル(1900hp)■ 最高速度:464km/h ■ 武装:20mm Sh-20 x5、爆弾4500kg ---- *スホーイ(Sukhoi、Сухой)&aname(sukhoi){} :Su-1(I-330)、戦闘機、単座単発機、液冷| クリーモフM-105エンジンとTK-2ターボチャージャーを組み合わせた高高度戦闘機だが、TK-2の故障が多く実用性は薄かった。1機のみ製作された試作機がドイツ軍の侵攻による混乱で破壊されたため、新たにSu-3が作られた。■ 初飛行:1940年 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:2875kg ■ エンジン:クリーモフ M-105P 液冷V型12気筒(1100hp)■ 最高速度:641km/h ■ 武装:20mm ShVAK、7.62mm ShKAS x2 :Su-3(I-360)、戦闘機、単座単発機、液冷| Su-1の改良型で、主翼を再設計し翼面積が2平方mほど減少している。胴体はラジエーターの形状を手直しした以外はSu-1とほぼ同じものだった。ターボチャージャーの信頼性の問題で計画は中止された。■ 初飛行:1942年? ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:2992kg ■ エンジン:クリーモフ M-105P 液冷V型12気筒(1100hp)■ 最高速度:638km/h ■ 武装:20mm ShVAK、7.62mm ShKAS x2 :Su-6、攻撃機、単座/複座単発機、液冷/空冷| ■ 初飛行:1941年3月1日 ■ 製造数:3機 :Su-8(DDBSh)、攻撃機、複座双発機、空冷| 重装甲・重武装の対地攻撃機。乗員やエンジンを防御する装甲板の重量は1680kgに及び、前方固定武装は37mm機関砲4門と7.62mm機関砲8門という強力なものだった。しかし装備するM-71エンジンの機械的信頼性の問題で計画は行き詰ってしまった。■ 初飛行:1944年 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:12,425kg ■ エンジン:シュベツォフ M-71 空冷星型18気筒(2200hp)■ 最高速度:550km/h ■ 武装:37mm N-37x4、12.7mm UBT、7.62mm ShKAS x9、爆弾1400kg :Su-5(I-107)、戦闘機、単座混合動力機| #ref(DSmall-Sukhoi_Su-5.png)大戦末期になって戦場に現れたドイツ軍のジェット機に対抗するために試作された高速戦闘機。通常は今までの戦闘機と同様にレシプロエンジンでプロペラを回すことで飛行するが、戦闘時には尾部に搭載したモータージェットエンジン「VDRK」をレシプロエンジンの動力で駆動し、レシプロ機では到達が難しい800km/h以上まで加速することができた。しかし、エンジンの作動時間が短く実用的でなかったこと、ドイツの敗戦で高性能なターボジェットエンジンの技術が利用可能になったことなどから開発は中止された。競作相手のミコヤン・グレビッチI-250も同じ運命を辿っている。■ 初飛行:1945年4月6日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量: ■ エンジン:クリーモフ VK-107A 液冷V型12気筒(1650hp)■ 最高速度:810km/h ■ 武装:23mm NS-23、12.7mm UBS x2 :Su-7、戦闘機、単座混合動力機| ---- *アントノフ(Antnov, Антонов)&aname(antnov){} :KT、グライダー、飛行戦車| T-60 軽戦車に二枚の主翼と双ブーム型の尾翼を取り付けグライダーとしたもので、戦場付近まで大型機で牽引され、降下後は主翼と尾翼を取り外し直ちに戦闘に入れるようになっていた。しかし、TB-3爆撃機を使用して行った滑空試験で牽引機ごと墜落しそうになるなど、既存の航空機で牽引するにはあまりにも重荷であることが判明し、計画は中止された。■ 製造数:1機 ■ 全備重量:7800kg ■ エンジンなし ■ 武装:20mm TNSh、7.62mm DT ---- *ビスノバト(Bisnovat、Бисноват)&aname(bisnovat){} :SK-1、実験機、単座単発機、液冷、特殊コクピット| #ref(DSmall-Bisnovat_SK-1.png)空気抵抗を減らすためにコクピットを胴体に完全に埋め込んだデザインの実用性を試すために製作された実験機。レイアウトは普通の単発機と同じで、エンジンの後ろにコクピットがあった。そのままでは前方視界が皆無なので、離着陸時にはパイロットが機体上に体を乗り出せるように設計されていた。結局このアイデアは失敗だったようで、1機だけ作られた機体は後に開放式コクピットに改造されている。 :SK-2、戦闘機、単座単発機、液冷| #ref(DSmall-Bisnovat_SK-2.png)SK-1を元に開発された高速戦闘機。尾翼に近い位置に装備されたコクピットと、かなり小さい主翼(翼面積9.57平方m)が特徴となっている。エンジンはYak-1やLaGG-3と同じM-105で、機体規模も似通っていたが、小さい主翼のおかげで空気抵抗と重量の大幅な削減に成功しており、最高速度は660km/hに達した。 ■ 初飛行:1940年 ■ 製造数:1機? ■ 全備重量:2300kg ■ エンジン:クリーモフ M-105 液冷V型12気筒(1050hp)■ 最高速度:660km/h ■ 武装:12.7mm UBS x2、7.62mm ShKAS ---- *二キーチン・シェベツェンコ(Nikitin Shevetsenko、Никитин Шевеценко)&aname(nis){} :IS-1、戦闘機、単座単発機、空冷、可変翼機| :IS-2、戦闘機、単座単発機、空冷、可変翼機| :IS-4、戦闘機、単座単発機、液冷、可変翼機| ---- *ベレズニャク・イサエフ(Bereznyak Isaev、Березняк Исаев)&aname(bi){} :BI、戦闘機、単座ロケット動力機| 液体燃料を使用するロケット戦闘機。全長全幅ともに7mに満たない小型機で、同時期のドイツのロケット機 Me163 と異なり、一般的な飛行機と大差のない形状をしていた。動力全開飛行では800km/hを超える速度を記録するも、いわゆる「音速の壁」の影響でコントロールを失い墜落した。開発はその後も続けられたが、当時はまだ遷音速域での飛行についての情報がほとんどなかったこと、滞空時間が短かすぎることが問題となり実用化には至らなかった。■ 初飛行:1942年5月15日 ■ 製造数:9機 ■ 全備重量:1700kg ■ エンジン:D-1A-1100 ロケット(1100kgf)■ 最高速度:800~990km/h(墜落により正確な値は不明) ■ 武装:20mm ShVAK x2 ---- *モスカレフ(Moskalev、Москалев)&aname(moskalev){} :SAM-7、戦闘機、複座単発機、無尾翼機、液冷| :SAM-13、実験機、単座双ブームタンデム双発機、液冷| ---- *シリバンスキー(Silvansky、Сильванский)&aname(silvansky){} シリバンスキーは飛行機の設計に関しては全くの素人だったが、共産党とのコネで設計チームのリーダーに選ばれた。I-220が唯一の設計機となった。 :I-220(IS)、戦闘機、単座単発機、空冷| I-16 にM-88エンジンをくっ付けた様な戦闘機で、外見や搭載エンジン・性能は I-180 に似ている。設計ミスにより翼に納まらなかった主脚を急遽切り詰めることになり、これによりプロペラと地上との間隔が不足したためプロペラも短縮された。試験飛行の結果試作機には耐空性が無いと判断され、計画は放棄された。■ 初飛行:1940年 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:2445kg ■ エンジン:ツマンスキー M-88 空冷星型14気筒(1100hp)■ 最高速度:585km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 ----
* 目次 -&link_anchor(polikarpov){ポリカルポフ} (8) -&link_anchor(mig){ミコヤン・グレビッチ} (12) -&link_anchor(tomashevich){トマシェビッチ} (1) -&link_anchor(pashinin){パシーニン} (1) -&link_anchor(yakovlev){ヤコブレフ} (2) -&link_anchor(lavochkin){ラボーチキン} (2) -&link_anchor(gudkov){グドコフ} (3) -&link_anchor(ilyushin){イリューシン} (3) -&link_anchor(sukhoi){スホーイ} (6) -&link_anchor(antnov){アントノフ} (1) -&link_anchor(bisnovat){ビスノバト} (2) -&link_anchor(nis){ニキーチン・シェベツェンコ} (3) -&link_anchor(bi){ベレズニャク・イサエフ} (1) -&link_anchor(moskalev){モスカレフ} (2) -&link_anchor(silvansky){シリバンスキー} (1) ---- * ポリカルポフ(Polikarpov、Поликарпов)&aname(polikarpov){} 「戦闘機の王様」と呼ばれたニコライ・ニコラエビッチ・ポリカルポフが率いた設計局。1938年に起きたI-180試作戦闘機の墜落事故で、ソ連邦英雄で国民的人気のあったテストパイロット バレリー P. チカロフを死亡させて以降その地位を失い、1944年のポリカルポフの死を契機に他の設計局に吸収され消滅した。1930年代にI-15やI-16といったソ連軍の主力戦闘機を生み出し、第二次世界大戦中はそれらの拡大型とも言える空冷星型エンジン搭載の戦闘機を開発していたが、前述の事故以降はスターリンに嫌われたこともあり制式採用されたものはない。 :I-180、戦闘機、単座単発機、空冷| I-16 の後継として開発された戦闘機。複列14気筒の星型エンジン M-88 を搭載し、機首形状はスマートになったが、胴が短いスタイルはそのままだった。性能は良好だったものの、試作機の墜落が相次ぐなど開発は順調に進まず、ポリカルポフ設計局没落のきっかけになった。開発は1940年に中断され、より高出力のエンジンを搭載する I-185 が作られることになった。■ 初飛行:1938年12月25日 ■ 製造数:13機 ■ 全備重量:2429kg ■ エンジン:ツマンスキー M-88 空冷星型14気筒(1700hp)■ 最高速度:585km/h ■ 12.7mm BS x3、7.62mm ShKAS x2 :I-185、戦闘機、単座単発機、空冷| I-180 をさらに発展させたもの。全体的には I-180 を拡大したような形状をしており、I-16 の最終形ともいうべき機体だった。18気筒の M-71 エンジンを搭載するタイプと、14気筒の M-82 エンジンを搭載するタイプの二種類が試作されたが、M-71 はまだ完成の域に達しておらず(結局その後開発中止になった)、M-82 は既にLa-5戦闘機に使用されていたため、I-185 が制式採用されることはなかった。■ 初飛行:1941年1月11日 ■ 製造数:機 ■ 全備重量:3500kg ■ エンジン:シュベツォフ M-71 空冷星型18気筒(2000hp)■ 最高速度:630km/h ■ 20mm ShVAK x3 :I-187、戦闘機、単座単発機、空冷、計画のみ| I-185 のエンジンを2200馬力の M-71F に強化し、風防形状を後方視界の優れたバブルキャノピー型に変更した派生型。実機が製作される前にポリカルポフ設計局が消滅してしまった。 ■ 製造なし ■ エンジン:シュベツォフ M-71F 空冷星型18気筒(2200hp) :I-188、戦闘機、単座単発機、空冷、計画のみ| I-185のエンジンをM-90に変更した派生型。I-187と同様にポリカルポフ設計局の消滅までに完成することはなかった。 ■ 製造なし ■ エンジン:ツマンスキー M-90 空冷星型18気筒(2000hp) :I-190、戦闘機、単座単発機、複葉機、空冷| I-153 の後継として1939年から開発された試作複葉戦闘機。複葉機ならではの高い旋回性能を維持しつつ、I-153 の M-62 エンジンと比べ直径が小さく出力の大きい M-88 エンジンを搭載して速度の向上を図ったが、それでも最高速度 450km/h は仮想敵のドイツの Bf109 戦闘機より 100km/h 以上遅く、実用的ではなかった。試作2号機はターボチャージャーを装備した高高度戦闘機になる予定だったが、完成前に計画はキャンセルされた。 ■ 初飛行:1939年12月30日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:2112kg ■ エンジン:ツマンスキー M-88 空冷星型14気筒(1100hp)■ 最高速度:450km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 または 7.62mm ShKAS x4 :I-195、戦闘機、単座単発機、複葉機、空冷、計画のみ| I-190 のエンジン強化型として開発された複葉戦闘機。高出力の M-90 星型18気筒エンジンを搭載する予定で、最高速度は591km/hと計算さていたが、すでに複葉機で単葉機に対抗することは不可能だと考えられたため、初期段階で計画は放棄された。■ 計画年:1940年 ■ 製造なし ■ 全備重量:2916kg ■ エンジン:ツマンスキー M-90 空冷星型18気筒(1750hp)■ 最高速度:591km/h(計画値) :ITP、戦闘機、単座単発機、液冷| 重武装の戦闘機というコンセプトのもとに1941年から設計された機体。VK-107A エンジンを搭載し37mm機関砲と20mm機関砲2門とを装備する1号機と、AM-37 エンジンを使用し20mm機関砲3門を装備する2号機が作られたが、双方ともエンジンの不調のために実用の域にまで達することが出来ず、1944年にポリカルポフ設計局が解体されると開発は未完のまま終了した。■ 初飛行:1941年2月23日 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:3570kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39 液冷V型12気筒(1700hp、2号機改修後)■ 最高速度:655km/h ■ 20mm ShVAK x3 :TIS、戦闘機、複座双発機、液冷| 爆撃機護衛用の双発戦闘機として1938年に開発が開始されたもの。ポリカルポフ設計局に混乱・縮小があったことや、バトル・オブ・ブリテンで同様のコンセプトに基づき作られたナチス・ドイツのBf110が全くの役立たずであることを露呈したことから、開発は遅々として進まず、AM-38Fエンジンを搭載し武装等に変更を加えた2号機が初飛行を行ったのは1944年のことだった。同年にポリカルポフの死によって設計局が解体されると、計画は同時に消滅した。■ 初飛行:1941年 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:8280kg ■ エンジン:ミクーリン AM-38F(2号機)液冷星型12気筒(1700hp)■ 最高速度:535km/h ---- * ミコヤン・グレビッチ(Mikoyan Gurevich、Микоян Гуревич)&aname(mig){} アルチョム・イワノビッチ・ミコヤンとミハイル・ヨシフォビッチ・グレビッチがリーダーを努めた設計局。I-200(後のMiG-1)を完成させるためにポリカルポフ設計局に作られた設計チームが元となっており、1940年はじめに正式にポリカルポフから独立した。第二次世界大戦初期にはMiG-1やMiG-3といった量産機を生み出し、大戦中期以降はMiG-3の改良型とI-220シリーズという大型の高高度単発戦闘機の開発を主に行うことになるが、いずれも試作段階に留まった。戦後はジェット戦闘機メーカーとして花開くことになる。 :I-210(MiG-9、MiG-3-82)、戦闘機、単座単発機、空冷| #ref(DSmall-Mikoyan_Gurevich_I-210.png)1941年5月から量産が開始されたM-82(ASh-82)空冷エンジンをMiG-3の胴体に取り付けた戦闘機。大直系の空冷エンジンに適合させるため胴体は拡大されている。予定のプロペラが使用できなかった上に拙い空力的処理が重なり試作1号機の最高速度は何と計算値を90km/hも割り込んだ。その後の改修で速度性能は多少改善されたものの、結局予定値には遠く及ばず開発は中止となった。MiG-9の名称は後のジェット戦闘機に再利用された。 ■ 初飛行:1941年7月23日 ■ 製造数:5機 ■ 全備重量:3382kg ■ エンジン:シュベツォフ M-82(ASh-82)空冷星型14気筒(1700hp)■ 最高速度:565km/h ■ 武装:12.7mm UBS x 3 :I-211(MiG-9E)、戦闘機、単座単発機、空冷| #ref(DSmall-Mikoyan_Gurevich_I-211.png)失敗に終わったI-210のリベンジ作で、改良型のASh-82Fエンジンを使用した上で各部の設計を見直した。側面図はI-210に似るが、I-210の中・後部胴体が左右に幅のある形をしているのに対し、I-211は左右に絞り込まれている。重量と空気抵抗の大幅な削減に成功し最高速度は100km/hも向上したが、機動性は今一つで、既に生産ラインにあるLa-5と比べて特別に優れてもいなかったため試作のみに終わった。■ 初飛行:1943年2月24日 ■ 製造数:不明(1~10機程度) ■ 全備重量:3070kg ■ エンジン:シュベツォフ ASh-82F 空冷星型14気筒(1700hp)■ 最高速度:670km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 :I-230(MiG-3U)、戦闘機、単座単発機、液冷| MiG-3の性能向上型。エンジンはAM-35Aのままで、胴体をやや延長し構造を金属製から木製に改めた。MiG-3で問題となっていた武装は20mm機関砲に強化された。改良の結果性能は全般にわたりMiG-3を上回ったが、新たに量産を開始する理由になるほどの劇的なものではなかった。■ 初飛行:1943年5月31日 ■ 製造数:6機 ■ 全備重量:3260kg ■ エンジン:ミクーリン AM-35A 液冷V型12気筒(1350hp)■ 最高速度:656km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 :I-231、戦闘機、単座単発機、液冷| I-230に続いて作られた試作高高度戦闘機。基本設計はI-230を踏襲したものだったが、エンジンをより強力なAM-39Aに変更している。その他胴体の一部を再び金属製に戻したり、燃料タンクを拡大するなどの細かい修正も行われた。しかしAM-39エンジンの開発が上手くいかず、このエンジンの開発が中止されるのと同時にI-231は放棄された。以降のミコヤン・グレビッチ設計局の高高度戦闘機は、並行して開発されていたI-220シリーズに一本化されることになった。■ 初飛行:1943年10月19日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3280kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39A 液冷V型12気筒(1700hp)■ 最高速度:707km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 :■ I-220シリーズ(I-220、I-221、I-222、I-224、I-225)| MiG-3の後継として開発された高高度戦闘機で、I-220からI-225までの5種類が作られた(223は製作されていない)。機体規模はMiG-3より二回りほど大きく、この時代のソ連の単発戦闘機としてはかなり大型の部類に入る。ミコヤン・グレビッチ設計局は、第二次世界大戦中期から戦後の一時期までの長きに渡りこのシリーズに労力を注ぎ込んだが、I-220が技術的に成熟する頃にはすでにレシプロ機の時代は過ぎ去っていた。 :I-220、戦闘機、単座単発機、液冷| I-220 シリーズの最初のタイプ。この型はまだターボチャージャーを持たず、本格的な高高度戦闘機となるのは I-221 以降である。エンジンは当初 AM-37 を搭載する予定だったが、このエンジンの開発中止にともない AM-39 に変更され、さらに1号機が製造された時点ではまだ AM-39 が完成していなかったため仕方なく中低高度向けの AM-38F を搭載して完成した(その後 AM-39 に換装されている)。飛行テストでは良好な性能と操縦性を示したが、エンジンの故障によってテストの中断を余儀なくされ、新型の I-221 が開発されることになった。■ 初飛行:1942年12月26日 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:3835kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39 液冷V型12気筒(1800hp)■ 最高速度:695km/h ■ 武装:20mm ShVAK x4 :I-221、戦闘機、単座単発機、液冷| I-220の改良型として設計された戦闘機。主翼を左右に1メートルずつ延長し、TK-2Bターボチャージャーを装備した結果、より高高度での運用に特化した戦闘機になっていた。新型の AM-39 エンジンの開発が難航したため、初飛行が行われたのはI-220の初飛行から1年近く経ってからで、その上満足な試験も行えないうちに空中火災を起こして墜落した(パイロットは脱出した)。 ■ 初飛行:1943年12月2日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3800kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39A 液冷V型12気筒(1550hp)■ 最高速度:690km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 :I-222、戦闘機、単座単発機、液冷| 1944年に製造された型で、与圧コクピットを採用し、キャノピー以降の胴体の背を低くして視界を改善したこと、ラジエーターを胴体下部から大きく飛び出す形に変更したことなどが I-221 からの変更点である。飛行試験では到達高度14000mが期待されたが、潤滑油系統と燃料系統の不調のため達成できなかった。その後は1945年はじめにエンジンが耐用寿命を迎えるまで各種テストに使用されていた。■ 初飛行:1944年5月7日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3790kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39B 液冷V型12気筒(1900hp)■ 最高速度:691km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 :I-224、戦闘機、単座単発機、液冷| シリーズ中最も遅くに登場したタイプで、エンジンを AM-39B から AM-39FB に、ターボチャージャーを TK-2B から TK-300B にそれぞれ変更し、ラジエーターの形状も若干修正されている。上昇限度は目標値の14000mを超えることができた。試験と改良は第二次世界大戦後まで続けられていたが、ジェット機の実用化の目処がたったこともあり、1946年11月にキャンセルされた。 ■ 初飛行:1944年9月16日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3780kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39FB 液冷V型12気筒(1800hp)■ 最高速度:693km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 :I-225、戦闘機、単座単発機、液冷| AM-42B エンジンを搭載する I-220 シリーズの最終モデルで2機が製造された(ただし初飛行は I-224 より早い)。主翼をI-220と同じ長さに戻し700km/hを優に超える最高速度を発揮した一方、上昇限度は12,600mにとどまり高高度戦闘機としての性格はやや薄れている。I-224 と同様に戦後も引き続き開発が進められたていたが、ジェット機の台頭のために中止となった。■ 初飛行:1944年7月21日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3780kg ■ エンジン:ミクーリン AM-42FB 液冷V型12気筒(1800hp)1号機はAM-42B ■ 最高速度:726km/h ■ 武装:20mm SSh-20 x4 :MiG-5(DIS)、戦闘機、単座双発機| 双発戦闘機。 :I-250(MiG-13)、戦闘機、単座混合動力機| ドイツのジェット機に対抗するため第二次世界大戦末期に試作されたプロペラとモータージェットによる混合動力戦闘機。 :MiG-8(ウートカ)、実験機、単座単発機、先尾翼機、後退翼機| 来るべきジェット機の時代に向けて低速飛行時の後退翼の特性を調査するために設計された実験機。終戦後に1機だけ製造された。後退翼を持った先尾翼機という斬新な設計だったが、安定性や操縦性に特に問題はなかったという。元々が低速飛行特性の研究のために作られただけあって最高速度はわずか205km/hに過ぎなかった。愛称のウートカは「鴨(カモ)」の意味。■ 初飛行:1945年 ■ 製造数:1機 ■ エンジン:シュベツォフ M-11F 空冷星型5気筒(110hp) ■ 全備重量:1150kg ■ 最高速度:205km/h ■ 武装なし ---- *トマシェビッチ(Tomashevich、Томашевич)&aname(tomashevich){} トマシェビッチは元々ポリカルポフ設計局内の有力者だったが、欠陥を抱えたままのI-180の試作機を初飛行に送り出し死亡墜落事故を招いた罪で逮捕された。そのような彼であるが、収容所内に設立された設計局のリーダーを任されることになった。 :110(I-110)、戦闘機、単座単発機、液冷| #ref(DSmall-Tomashevich_110.png)1400馬力のVK-107エンジンを搭載する戦闘機。設計に当たっては生産性と整備性に最大限の配慮が払われたが、その反面でサイズや重量は既存のソ連製単発戦闘機と比べてかなり大きなものとなった。さらに搭載を予定していたエンジンの信頼性も十分とは言い難く、とても制式採用に値する戦闘機ではなかった。機首下面の大きな張り出しにラジエーターとオイルクーラーをまとめて装備しているが、この部分はアメリカのP-40戦闘機に似ている。■ 初飛行:1942年12月 ■ エンジン:クリーモフ VK-107P 液冷V型12気筒(1400hp) ■ 全備重量:4000kg ■ 最高速度:610km/h ■ 武装:20mm ShVAK x1、12.7mm UBS x2 ---- *パシーニン(Pashinin、Пашинин)&aname(pashinin){} パシーニンはポリカルポフ設計局で働いていた有力な設計者だったが、1940年に独自に I-21 戦闘機を設計するために独立した。 :I-21、戦闘機、単座単発機、液冷| #ref(DSmall-Pashinin_I-21.png)I-16の後継を目指した戦闘機で、Yak-1やLaGG-1と同じクリーモフM-105Pエンジンを搭載するものだった。試作1号機は操縦性・安定性や着陸性能が劣悪で、2号機と3号機では主翼や水平尾翼の形状が変更されたが、根本的な解決には至らずに開発中止になった。■ 初飛行:1940年5月18日 ■ 製造数:3機 ■ 全備重量:2670kg ■ エンジン:クリーモフ M-105P 液冷V型12気筒(1050hp)■ 最高速度:573km/h ■ 武装:23mm BT-23、7.62mm ShKAS x2 ---- * ヤコブレフ(Yakovlev、Яковлев)&aname(yakovlev){} :I-28(Yak-5)、戦闘機、単座単発機、液冷| ミコヤン・グレビッチ設計局のMiG-1に対抗した高高度戦闘機。Yak-1と並行して開発が進められたため基本的な設計は同じで、主翼前縁スラットを追加したり、視界改善のためにキャノピーを拡大したりしている。高高度出力を確保するため二段式過給機付きのM-105PDエンジンを使用し、最高到達高度は12,890mに達したが、エンジンの信頼性の問題のため量産されることはなかった。■ 初飛行:1942年 ■ 製造数:3機 ■ 全備重量:2928kg ■ エンジン:クリーモフ M-105PD 液冷V型12気筒(1160hp)■ 最高速度:650km/h ■ 武装:20mm ShVAK x1、7.62mm ShKAS x2 :I-30(Yak-3)、戦闘機、単座単発機、液冷| 木金混合製だったYak-1を全金属製に改めたもの。左右の主翼に20mm機関砲を追加し、当時としては重武装の戦闘機になったが、独ソ戦の開戦で金属資源が不足したため開発中止になった。Yak-3とも呼ばれるが後に量産されたYak-3とは別物。■ 1941年春 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:3130kg ■ エンジン:クリーモフ M-105P 液冷V型12気筒(1050hp)■ 最高速度:571km/h ■ 武装:20mm ShVAK x3、7.62mm ShKAS x 2 ---- * ラボーチキン(Lavochkin、Лавочкин)&aname(lavochkin){} :La-7R、戦闘機、単座混合動力機| La-7戦闘機の尾部に推力300kgfのRD-1ロケットエンジンを追加したもので、数分間だけ 80km/h ほど加速することが出来た。しかし、エンジンは試験飛行中に度々爆発し、作動時間は短すぎ、重量の増加によって操縦性や旋回性能も低下した上に、ジェット技術の発達もあり、この種の混合動力機は実用性は薄いとして計画は中止された。■ 1944年後半 ■ 全備重量:3500kg ■ エンジン:シュベツォフ ASh-82FN 空冷星型14気筒(1850hp)、グルシュコ RD-1 ロケット(300kgf)■ 最高速度:752km/h ■ 武装:20mm B-20 x3 :La-126、戦闘機、単座単発機、空冷| La-7 の後継として開発された戦闘機。エンジンは La-7 と同じ ASh-82FN を搭載し、外見も似ていたが、木金混合構造は全金属構造に改められ、主翼には層流翼を採用し、武装も23mm機関砲4門に強化されていた(La-7と同じ ShVAK 2門のままだったという資料もあり)。しかし飛行性能の向上が予想されたほどではなかったため、La-126の開発は中止され、新たにLa-130(後のLa-9)が開発されることになった。■ 1944年 ■ 全備重量:3300kg ■ エンジン:シュベツォフ ASh-82FN 空冷星型14気筒(1850hp)■ 最高速度:690km/h ■ 武装:23mm NS-23 x4 ---- *グドコフ(Gudkov、Гудков)&aname(gudkov){} ラボーチキンとゴルブノフと共にLaGG-1およびLaGG-3戦闘機を開発したグドコフだったが、後に独立し自らの設計局を持った。エンジンをミッドシップに配置した戦闘機 Gu-1 や、ソ連初のジェット戦闘機 Gu-VRD といった野心的な計画を進めていたが、Gu-1 の開発失敗後の1943年に解散した。 :Gu-82、戦闘機、単座単発機、空冷| 液冷エンジンを搭載していたLaGG-3の胴体に新開発のASh-82(M-82)空冷エンジンをくっ付けた戦闘機。これは大量生産されたラボーチキンLa-5戦闘機と全く同じコンセプトだが、エンジン周りの設計をSu-2爆撃機から流用するなどLa-5より新規設計部分が減らされていた。しかし、Gu-82 が完成したときには既に La-5 が成功していたため、量産に移されることはなかった。■ 初飛行:1942年 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3000kg ■ エンジン:シュベツォフ M-82(ASh-82)空冷星型14気筒(1700hp)■ 最高速度:680km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2、12.7mm BS x2 :Gu-1(Gu-37)、戦闘機、単座単発機、液冷、ミッドシップ配置| 胴体中央にエンジンを搭載し、延長軸で機首のプロペラを回すという、アメリカのベルP-39「エアコブラ」が採ったのと同様のレイアウトを採用した戦闘機。珍しい構造に不慣れだったためか完成した試作機は重量過大となり、しかも初飛行で墜落事故を起こしたため開発は放棄された。■ 初飛行:1943年6月12日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:4620kg ■ エンジン:ミクーリン AM-37 液冷V型12気筒(1400hp)■ 最高速度:674km/h(計画値?)■ 武装:23mm 機関砲、12.7mm BK x2、7.62mm ShKAS x2 :Gu-VRD、戦闘機、単座単発ジェット機| 開発中のターボジェットエンジンを装備するジェット戦闘機としてグドコフが提案したもの。ソ連初の具体的なジェット戦闘機計画だったといわれる。しかし搭載予定のエンジンが完成しなかったため開発は進展せず、1943年のグドコフ設計局解体までに実機が製造されることはなかった。■ 計画年:1943年 ■ 製造なし ■ 全備重量:2250kg ■ エンジン:リュールカ RDT-1/VDR-2 ターボジェット(700kgf)■ 最高速度:900km/h(計画値)■ 武装:20mm 機関砲 x2 ---- *イリューシン(Ilyushin、Ильюшин)&aname(ilyushin){} :I-21、戦闘機、単座単発機、液冷| :Il-1、戦闘攻撃機、単座単発機、液冷| 重装甲の戦闘機というコンセプトで設計された機体。主に大型機との戦闘に使用される予定だったが、攻撃機(シュトルモビク)としての運用も考慮された。重量過大で速度性能が不足したため戦闘機としての開発は諦められたが、攻撃専用機としたものは後に Il-10 攻撃機として量産された。■ 初飛行:1944年 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:5320kg ■ エンジン:ミクーリン AM-42 液冷V型12気筒(1800hp)■ 最高速度:580km/h ■ 武装:23mm VYa-23 x2 :Il-6、爆撃機、多座双発機、液冷、ディーゼル機| Il-4 の改良型として設計された爆撃機。高出力の ACh-30 ディーゼルエンジンの採用により5000kmを超える航続距離を実現したが、劣悪な操縦性や低すぎる最高速度のために採用されなかった。■ 初飛行:1943年8月7日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:19,600kg ■ エンジン:チャロムスキー ACh-30BF 液冷ディーゼル(1900hp)■ 最高速度:464km/h ■ 武装:20mm Sh-20 x5、爆弾4500kg ---- *スホーイ(Sukhoi、Сухой)&aname(sukhoi){} :Su-1(I-330)、戦闘機、単座単発機、液冷| クリーモフM-105エンジンとTK-2ターボチャージャーを組み合わせた高高度戦闘機だが、TK-2の故障が多く実用性は薄かった。1機のみ製作された試作機がドイツ軍の侵攻による混乱で破壊されたため、新たにSu-3が作られた。■ 初飛行:1940年 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:2875kg ■ エンジン:クリーモフ M-105P 液冷V型12気筒(1100hp)■ 最高速度:641km/h ■ 武装:20mm ShVAK、7.62mm ShKAS x2 :Su-3(I-360)、戦闘機、単座単発機、液冷| Su-1の改良型で、主翼を再設計し翼面積が2平方mほど減少している。胴体はラジエーターの形状を手直しした以外はSu-1とほぼ同じものだった。ターボチャージャーの信頼性の問題で計画は中止された。■ 初飛行:1942年? ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:2992kg ■ エンジン:クリーモフ M-105P 液冷V型12気筒(1100hp)■ 最高速度:638km/h ■ 武装:20mm ShVAK、7.62mm ShKAS x2 :Su-6、攻撃機、単座/複座単発機、液冷/空冷| ■ 初飛行:1941年3月1日 ■ 製造数:3機 :Su-8(DDBSh)、攻撃機、複座双発機、空冷| 重装甲・重武装の対地攻撃機。乗員やエンジンを防御する装甲板の重量は1680kgに及び、前方固定武装は37mm機関砲4門と7.62mm機関砲8門という強力なものだった。しかし装備するM-71エンジンの機械的信頼性の問題で計画は行き詰ってしまった。■ 初飛行:1944年 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:12,425kg ■ エンジン:シュベツォフ M-71 空冷星型18気筒(2200hp)■ 最高速度:550km/h ■ 武装:37mm N-37x4、12.7mm UBT、7.62mm ShKAS x9、爆弾1400kg :Su-5(I-107)、戦闘機、単座混合動力機| #ref(DSmall-Sukhoi_Su-5.png)大戦末期になって戦場に現れたドイツ軍のジェット機に対抗するために試作された高速戦闘機。通常は今までの戦闘機と同様にレシプロエンジンでプロペラを回すことで飛行するが、戦闘時には尾部に搭載したモータージェットエンジン「VDRK」をレシプロエンジンの動力で駆動し、レシプロ機では到達が難しい800km/h以上まで加速することができた。しかし、エンジンの作動時間が短く実用的でなかったこと、ドイツの敗戦で高性能なターボジェットエンジンの技術が利用可能になったことなどから開発は中止された。競作相手のミコヤン・グレビッチI-250も同じ運命を辿っている。■ 初飛行:1945年4月6日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量: ■ エンジン:クリーモフ VK-107A 液冷V型12気筒(1650hp)■ 最高速度:810km/h ■ 武装:23mm NS-23、12.7mm UBS x2 :Su-7、戦闘機、単座混合動力機| ---- *アントノフ(Antnov, Антонов)&aname(antnov){} :KT、グライダー、飛行戦車| T-60 軽戦車に二枚の主翼と双ブーム型の尾翼を取り付けグライダーとしたもので、戦場付近まで大型機で牽引され、降下後は主翼と尾翼を取り外し直ちに戦闘に入れるようになっていた。しかし、TB-3爆撃機を使用して行った滑空試験で牽引機ごと墜落しそうになるなど、既存の航空機で牽引するにはあまりにも重荷であることが判明し、計画は中止された。■ 製造数:1機 ■ 全備重量:7800kg ■ エンジンなし ■ 武装:20mm TNSh、7.62mm DT ---- *ビスノバト(Bisnovat、Бисноват)&aname(bisnovat){} :SK-1、実験機、単座単発機、液冷、特殊コクピット| #ref(DSmall-Bisnovat_SK-1.png)空気抵抗を減らすためにコクピットを胴体に完全に埋め込んだデザインの実用性を試すために製作された実験機。レイアウトは普通の単発機と同じで、エンジンの後ろにコクピットがあった。そのままでは前方視界が皆無なので、離着陸時にはパイロットが機体上に体を乗り出せるように設計されていた。結局このアイデアは失敗だったようで、1機だけ作られた機体は後に開放式コクピットに改造されている。 :SK-2、戦闘機、単座単発機、液冷| #ref(DSmall-Bisnovat_SK-2.png)SK-1を元に開発された高速戦闘機。尾翼に近い位置に装備されたコクピットと、かなり小さい主翼(翼面積9.57平方m)が特徴となっている。エンジンはYak-1やLaGG-3と同じM-105で、機体規模も似通っていたが、小さい主翼のおかげで空気抵抗と重量の大幅な削減に成功しており、最高速度は660km/hに達した。 ■ 初飛行:1940年 ■ 製造数:1機? ■ 全備重量:2300kg ■ エンジン:クリーモフ M-105 液冷V型12気筒(1050hp)■ 最高速度:660km/h ■ 武装:12.7mm UBS x2、7.62mm ShKAS ---- *二キーチン・シェベツェンコ(Nikitin Shevetsenko、Никитин Шевеценко)&aname(nis){} :IS-1、戦闘機、単座単発機、空冷、可変翼機| :IS-2、戦闘機、単座単発機、空冷、可変翼機| :IS-4、戦闘機、単座単発機、液冷、可変翼機| ---- *ベレズニャク・イサエフ(Bereznyak Isaev、Березняк Исаев)&aname(bi){} :BI、戦闘機、単座ロケット動力機| 液体燃料を使用するロケット戦闘機。全長全幅ともに7mに満たない小型機で、同時期のドイツのロケット機 Me163 と異なり、一般的な飛行機と大差のない形状をしていた。動力全開飛行では800km/hを超える速度を記録するも、いわゆる「音速の壁」の影響でコントロールを失い墜落した。開発はその後も続けられたが、当時はまだ遷音速域での飛行についての情報がほとんどなかったこと、滞空時間が短かすぎることが問題となり実用化には至らなかった。■ 初飛行:1942年5月15日 ■ 製造数:9機 ■ 全備重量:1700kg ■ エンジン:D-1A-1100 ロケット(1100kgf)■ 最高速度:800~990km/h(墜落により正確な値は不明) ■ 武装:20mm ShVAK x2 ---- *モスカレフ(Moskalev、Москалев)&aname(moskalev){} :SAM-7、戦闘機、複座単発機、無尾翼機、液冷| :SAM-13、実験機、単座双ブームタンデム双発機、液冷| ---- *シリバンスキー(Silvansky、Сильванский)&aname(silvansky){} シリバンスキーは飛行機の設計に関しては全くの素人だったが、共産党とのコネで設計チームのリーダーに選ばれた。I-220が唯一の設計機となった。 :I-220(IS)、戦闘機、単座単発機、空冷| I-16 にM-88エンジンをくっ付けた様な戦闘機で、外見や搭載エンジン・性能は I-180 に似ている。設計ミスにより翼に納まらなかった主脚を急遽切り詰めることになり、これによりプロペラと地上との間隔が不足したためプロペラも短縮された。試験飛行の結果試作機には耐空性が無いと判断され、計画は放棄された。■ 初飛行:1940年 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:2445kg ■ エンジン:ツマンスキー M-88 空冷星型14気筒(1100hp)■ 最高速度:585km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 ----

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