1984
十訓抄・肥後守盛重は周防の国の百姓の子なり。
1985
花月草紙・あるくすしが、「君はかならず、こん秋のころ
1986
古今物忘れの記・山に籠りをる翁・ある人山をこゆるに、
1987
拾遺集・
後拾遺集・
難後拾遺・たよりあらばいかで都へつげやらむけふ白河の関はこえぬと
1988
夜の鶴・さりがたき人の、「歌よむやう教へよ」と・むかしより、このやまとうたの道を得たる人々、初学抄と申して、
1989
中井甃庵「とはずがたり」・いつのころにやありけん。あき人の家に、ぬす人いりて、
1990
大鏡・この侍従大納言殿こそ、備後介とて〜道理なりや。
1990後
手枕 坊におはしまいし時、〜なかなかの忍草なめり。
1991
今物語・「何事いふ法師ぞ」といふに、
1992
唐物語・むかし朱買臣、会稽といふ所にすみけり。
1993
発心集・永観律師といふ人ありけり。
1994
栄花物語・四条大納言殿には、女御・尼上・姫宮など、天王寺へ、
1995
沙石集・下総国の御家人、領家の代官と相論する事ありて、
1996
撰集抄・中ごろ、都のうちにいづくの者とも知られで流離へ歩く僧侍り。
1997
新古今集美濃の家つと・あふまでの命もがなと思ひしはくやしかりける我が心かな・聞くやいかにうはの空なる風だにもまつに音するならひありとは
1998
梅園拾葉・花は生くるも投げ入るるも、おのおのその法ありとぞいふめる。
1999
玉勝間・神の社にまれ、御陵にまれ、歌枕にまれ、何にまれ、
2000
住吉物語・春秋過ぎて、九月ばかりに初瀬に籠りて、
2001
泊洦筆話・吾が師常によみ出らるる歌、いと遅吟にして、
2002
大鏡・
拾遺和歌集・しのべとやあやめも知らぬ心にもながからぬ世のうきに植ゑけむ
2002後期
古今著聞集・巻五
2003
しのびね・姫君は、をこがましく、さのみ思ひ沈みて見え奉らじと、
2003後期
閑居友・上六
2004
鶉衣・こはそもはかなき世なりけり。〜なき魂やたづねて雲になく雲雀
2004後期
篁物語 親の、いとよくかしづきける〜いとけうとくなかりけり
2005
藤簍冊子・我が難波のふるさと人の、母一人を、
2005後期
四条宮下野集
2006
松蔭日記・かく、こなたかなた、御よろこびをのみいひつづくるほど、〜あすやなごりもなつのこのもと
2006後期
玉勝間・巻4 世の物しり人の〜かならずわろしとは思はずなむ
2007文
冷泉家和歌秘々口伝・俊成卿云ふ、歌とはよろづにつきて、我が心に思ふことを言葉に言ひ出すを歌といふ
2007理
長谷雄草子・中納言長谷雄は、学九流に渡り芸百科に通じ
2008文
石清水物語・木幡の里には、「いかにさる事ありとも知られたてまつらん。
2008理
唐物語・昔、をとこ女あひすみけり。齢などもさかりにて、
2009文
発心集・事の有様などを聞きてむすめにいふやう〜恨めしき中に、いささかあはれまる」とぞいはれける。
2009理
源家長日記・年月の経るに添へて〜御物語のついでに承る事侍りき。
2010文
増鏡・花山院の大納言師賢は
2010理
女郎花物語・
2011文
井関隆子日記 ふるさとの荒れたる様を見て
2011理
錦織舎随筆 文かく事は用広きわざにて
2012文
百首異見 春の夜の
2012理
苔の衣 なにとなくしめやかなる
2013文
源氏物語・宿木 右大殿には六条院の〜我ながら思ひ知らる
2013理
玉勝間 同じ人の説の〜とにかくはえらびは見む人の心になむ。
2014文
とはずがたり さればとて、出でじと言ふべきにあらねば〜いかでか御恨めしくも思ひまゐらせざらむ。
2014理 「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の」歌の注釈文(「百人一首聞書」「この鹿に心なほあり〜哀れに聞こゆるなり」・小倉無隣「牛の涎」「この歌は、秋のあはれも〜感通はなきものなり」)
2015文
うつほ物語 女君はかく思ひて
2015理
雑々集
2016文
伊勢物語 恨むる人を恨みて〜
2016理
わらんべ草 昔人の云く、万のこと草を見るに〜油断強敵也
2017文
津坂東陽「夜航余話」 宋人晁冲之が暁行の詩〜同一感慨なり
2017理
中島広足「海人のくぐつ」 敦化はおのれに二つばかり〜何かさのみはとて
http://hal.la.coocan.jp/b_class/kinsei_06.html#sono39
2018文
風雅和歌集・仮名序 やまと歌は、あめつちいまだひらけざるより〜むねをえてみづからさとりなむ。
2018理
西山宗因「肥後道記」 抑この肥後国を〜秋の別れとともに立ち出で侍る。
2019文
藤井高尚『三のしるべ』 俊恵法師は、ただ歌をば、をさなかれといへり〜人のあはれと思ふべくよむが歌なればなり。
2019理
落窪物語 八月一日頃なるべし〜ただ消え失せなむわざもがなと思ほす。
2020文
和泉式部日記 かくて、しばしばのたまはする御返りも〜夜もやうやうふけぬ。
2020理
富士谷御杖『北辺随筆』 せめてといふ詞〜なほ精しくたづぬべきなり。
2021文
栄花物語 今は筑紫におはしましつきたるに〜とぞ独りごちたまひける。
2021理
正徹物語 歌詠みは才覚を覚ゆべからず〜我はさは心得ず」など云ふ事あるなり。
2022文
田安宗武『国歌八論余言』 歌の道の大きに廃れにしは〜いとあぢきなきことなめり
2022理
建礼門院右京大夫集 雪の深く積もりたりしあした〜朝顔の花をほどなきものと言ひけめ
2023文
室鳩巣「駿台雑話」 冬もやうやうふかくなりけるに、暮れ行く空のけしきすさまじく、〜喜共故人遊。
2023理
松岡行義「後松日記」 四の海をさまりて二百とせにあまりぬれば、文武の道ならびにひらけて、〜新令を下し給はんも、またむべならんと我は思ふなり。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1914164/1/78
1976
万葉集の「潮満てば入りぬる磯の草なれや見らく少なく恋ふらくの多き」について
俊頼髓腦 この歌はひがごととも申しつべし〜めでたくこそ聞こゆれ
奥儀抄 磯の草の、潮満ちぬれば〜多かるよしをよめるなり
出典未詳 この歌の心は、潮の満ち干ることは常のごとし、〜見ゆるは少なく見えぬは多かりとよめり
袖中抄 今言ふ、[ ]は磯の草の〜かくれたるものは多しと言へり