大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件



井口は、膨れ上がった膨大な負債を処理しようと、ますます大きなトレードを行うようになった。あまりにビッグプレーヤーになってしまった井口の取引は、市場参加者に井口の手を容易に読まれて、市場で捌ききれなくなり、完全に破綻してしまった[1]。

1995年7月、井口は遂に不正による巨額損失を、藤田彬ら大和銀行上層部に手紙を送り告白。突然の知らせに、銀行上層部はこの損失に関して日本の大蔵省へ報告した。しかし米連邦捜査局はその手紙を読んでおり、井口に面会を求め、アメリカでの捜査を開始する[1]。

またアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)への報告が、大蔵省からの報告から6週間後と後手に回り、アメリカ合衆国連邦政府から『隠蔽』と判断される結果となった[1]。

大蔵省より、事実発表を遅らせるよう指示があった[1](大和銀行株主代表訴訟判決文より)。

しかし、この一連の出来事によりFRBが、かえって大和銀行に厳しい処分を下す結果をもたらした。1996年2月28日、大和銀行は司法取引に応じ16の罪状を認め、当時の米刑法犯の罰金としては、史上最高額といわれる3億4千万ドル(当時の為替レートで約350億円)の罰金を払い、大和銀行はアメリカ合衆国から完全撤退という厳罰が下された[1]

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最終更新:2025年06月16日 21:29