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今回は珍しく真面目モードです。思いついた事があったので自分の思考整理用に書いてみました。
結論は当たり前じゃーんとか言われそうな内容かも知れません。起はすっとばしても内容は掴めそうです。
起
子供の頃、たまたまテレビで見た
神経の電気信号を読み取って自分の腕のように動く義手、というのにとても興味が惹かれました。
(今年の24時間テレビでも、義手でバイオリンを弾く女の子の特集があり、筋電義手という名前を知りました)
話は変わって、
自分が子供の頃、クラスに耳の聞こえない子がいました。
その子は、読唇と、普通に声で話す事を習得してたため
こちらが口の動きが見えるように話す、という事などを気をつける必要はありましたが
そういう点以外は、アイドル歌手グループが好きだったりとごくごく普通の友達でした。
(読唇は本人の努力もあってかなり上手だったと思うので意思疎通に殆ど支障は無かったのですが
読唇といってもそう簡単・万能なものでもないようなので、
子供の頃はあまり意識していませんでしたが、本人はこちらが思っていた以上に大変だったかも知れませんが)
このように、自分は障害者(という呼び方もなんだなあと思いますが、ここでは便宜上こう書きます)の人と
接する事が多かったため、障害者といってもそう特別な人ではない、という意識があります。
普通の人(という書き方もなんですが)でも、背が低かったり視力が悪かったりして不便とか、
足が速いとか遅いとか、物覚えがいい悪いとか色々違いがあるように、障害者と区分されている方も
不便の度合いが他と比べて大きいだけで、人の個性の一部だと考えています。
と同時に、相反している気もしますが、障害のある友達がいたからこそ、
人よりも不便を抱えた人が、不便を解消する手段として
先に述べた筋電義手のようなものに興味を持ったのかも知れません。
(ぶっちゃけ、自分が歳とって体が衰えた時に、不便になるのが嫌だから
こういう技術が進歩すると便利そうだなーという気持ちも大いにありましたが(笑))
承
とかなんとかあって、自分としては
目が悪い人が眼鏡をかけたりするのと同じように、
体に不自由がある人は、義手とか意思伝達装置とか、技術によって不便を補う事は
決して悪い事ではない、と考えていました。
でも、そうやって技術で差を埋めていくと、
平等にはなっても、人の個性というのがどんどん無くなってしまったり
クローン人間や人工分娩に伴う問題などのように、どこまでが倫理的に許されるのかとか
裕福な人しか助からないとか(これは普通の家庭・社会にも当てはまるのでなんともですが)
便利と引き換えに種として退化していくものがありそうとか
色々な問題が付随してくるかと思います。
この辺、TLO問題と似ている気がしていました。技術進歩バンザイ派的に色々ジレンマを感じたり。
転
で、これを書こうとしたきっかけについて。
これまで自分が思い至ってなかった(か、考えた事はあっても忘れていたか)事として、
技術を使う以外にも、人の個人差を補う方法がある、とふと気付きました。
それは、人同士が助け合う事。
視力が悪くて遠くが見えない人がいれば、目のいい人が代わりに様子を見て教えてあげれば済むこと。
(あ、別に私はアンチ眼鏡派ではないです、と弁解しておきます(笑))
…技術など無くても、人が助け合えば、なんかうまい事やって行けそうな気がしてきましたよ?
ではなぜ、人は文化が進むと助け合う事ではなくて技術に頼る事を選びたがるようになるか、だなあと。
ぱっと浮かんだのは、
- 助け合いというのは、不自由が少ない人により負担がかかるシステムである(社会保障とか年金のシステムを考えれば明らか)
- 技術に頼れば、不自由が多い人が自立しやすくなり、人々の負担が均等化されやすい
- 不自由が少ない人は、負担が少ない方法を取ろうとすると、技術に頼る事となる
- 不自由が多い人で、不自由が少ない人に負担をかける事を申し訳なく思う人は、やはり技術に頼り自立する事を選ぶ
- やっぱ便利なものがあれば人間ってそっちに流れちゃうよね
結
転の最後あたりを
アイドレスのシステムに当てはめてみたり対策を考えたりしていけば、
TLO問題の緩和方法のヒントの一つくらいにならないかなーと。
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徒然] - &trackback() - 2008年09月20日 00:40:33
- どこかでアンドロイド研究…兵庫県で筋電義手…人はいくつもの夢を叶えて来た、遠くない未来にはロボットや人造人間等オートメールが実現して新たな人種が増えてる事…平和と愛を主張する国が多くある事をのぞみます -- リューク (2010-07-21 23:21:13)
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最終更新:2010年07月21日 23:21