チック/タック/チック/タック、時計の針が秒毎の時を刻む音だけが、泉家のリビングに響いている。大黒柱
そうじろうの趣味である『如何
にも怪しげな鳩時計』だ。
その時計の下、テーブルで向かい合うように2人の男女が座っていた。しかも互いに顔を下に向け、意味もなく正座をしている。
シン・アスカと泉こなた。つい最近付き合い始めたばかりの、元は居候とその家の娘さんという関係だった2人だ。
何故2人は静寂となった泉家で座り在っているのだろうか。
理由は至極単純、付き合って初めて家で2人っきりの状態が発生しているからだ。
ちなみにこれは、泉そうじろうと小早川ゆたかが2人に気を使ったわけではなく、本当に偶然に出掛けなければならない状況が発生したの
だ。
その理由は今に関係ないので省略。
「あ、あ~…あのさ、
こなた」
「ふぇっ!?」
沈黙に耐えきれず声を発したシンへの返答は、およそこなたらしからぬ奇声であった。
跳ね上がるこなたの顔、それがシンの特徴的な赤い目とぶつかり合って、まるでその赤が移ったかのように顔を赤くしていく。
それに続いてシンも開いた口を動かすことが出来ず、徐々に顔を朱に染めていって、両者はまったく同じタイミングで顔を下に向けた。
先ほどからこれの繰り返しである。二人きりという特殊な状況というのは、付き合い始めたばかりの2人にはまだ早かった。
2人の心中に渦巻くのは、何故付き合う前みたいに振る舞えないのかという、まったく同種の自己嫌悪である。
ボーン、と時計が夕刻を過ぎたことを音で示した。顔を上げ、時間を確認したこなたは思った。
チャンス!
「わ、私ご飯作ってくるね~」
「え、だったら俺も」
「し、シンは座ってて!」
有無を言わさぬ様子。そんなこなたの様子に、何だか釈然としないシンであった。
だがふと、エプロンをつけるこなたを見て、いつもの調子にするための方策を考えついた。
それを実行するため、シンは最近めっきり使わないザフト時代の技術を用いて、スニーキングミッションを開始した。
自分はどうしてしまったのだろう、と料理の準備をしながらこなたは思う。
皆との決着をつけ、気持ちを伝え、そしていつか望んだ状況になったというのに、まるで体と意志が分離したかのように動いてくれない。
今では告白の時に抱きしめてくれたシンの温もりすら思い出しそうになり、危うく鍋を落としそうになった。
らしくない。
こなたの理想としては今日にはキスの一つでもできればいいかなー、などと考えていたが、しかし恋人の魔力というのはイヤな面でも発動
するのを実感してしまい、気恥ずかしさが心中からこみ上げてくる。
とりあえず今は料理中ということで紛らわしているが、それが終わればまたあの気まずいような恥ずかしいような状態に戻ってしまうだろ
う。
「ふぅ…」
それはそれで嫌だった。シンと喋ったりじゃれ合ったり出来ないというのは、今のこなたにとっては苦しみで、嫌なことでしかなかった。
折角恋人になれたというのに、これでは本末転倒だ。
「いっそ…」
恋人なんかにならないで、ただずっと一緒にいたいと思えばよかった。
そう、言葉にしようとした時、自分の体が背後から何かに包まれた。
同時に、耳元にかかる声は。
「…こなたお姉ちゃん」
甘えるようなものだった。
その瞬間、こなたの血という血が沸騰したかのように熱くなり、その熱は脳と脊髄に異常をきたし、通常ではありえない命令を条件反射の
レベルで発動させた。
背後からかかった右腕を掴み。
「へっ?」
体を反転させ、同時に足を踏み込み、抱きしめた人間の真横に並び当て身。
「ぷぐ」
そこから足払い、刹那の内に体を引き寄せ、円運動を起こさせる。
「どわぁぁぁっ!?」
そのまま相手の後頭部から落とすように、床に叩きつける。
変則投げ。体に染み付いた武道がこなたに取らせたのは、まるで痴漢を撃退するような武道家系女子高生のものだった。
「………て、シン?」
「いてて…何するんだよこなた!」
投げた相手が、今さっきまで一緒にいた人だと気づいて唖然とする。
いや、実際は気づいていたが如何せん相手の認識よりも体の条件反射のほうが優先順位で勝っていたのだろう。
シンの赤い、まるで綺麗な目を見つめながら固まるこなた。シンもまた、その様子に罰が悪くなってそっぽを向く。
また時計の音が響き初めて十秒、こなたが麻痺したかのように動かなくなっていた唇を動かした。
「…シン、何しようとしてたの?」
「………前、言ってたじゃないか。俺は弟みたいだって。だからそれっぽく……」
喋りながらも、シンの顔はこなたの目に合わせようとしない。その顔には、自分がやったことに対する恥ずかしさか後悔か、そのどちらか
から来る赤みがあった。
沈黙が嫌だったのはシンも同じだったのだ。こなたはまるで子どもみたいなシン見つめてそう理解した。
理解をすると、先ほどまでの気恥ずかしさが、まるで漫画にでてくる魔法みたいに、愛しさに変わっていく。
「ふふ、シンは可愛いな~」
「な、バカ。何いきなりそんなことを…」
シンが何かをしゃべっている。それを気にせずこなたはシンの両頬に手を添えて、自分の目と向き合うようまっすぐにする。
逆さの状態で絡み合う二つの視線。シンは呆然とした顔で、こなたはいつもの笑みに上気したような朱と愛しさを加えて。
「シン…ありがと…」
こなたの顔がゆっくりと降りていく。その形のよい唇が、まるで小鳥が餌を啄むような形となって、シンの顔に迫る。
そして――
最終更新:2009年11月08日 05:46