アブノーマル泉家
今日、お父さんと初めて喧嘩した。
お父さんは今までに見たことの無い鬼のような形相で
私に怒鳴りつけた。
私はそれに一瞬たじろいだが、
反駁は耐えない。
原因は、とても些細なこと。
思い返せば、受験生でありながら
ゲームやライトノベルばかり読んでいる私に
お父さんはとうとう見兼ねたのだろう。
自分でも、反駁にあらゆることを取り上げてるせいか、
原因なるものが分からなくなってしまった。
ゆーちゃんは、私たちの怒鳴り合いを部屋の隅から
震えながら見ていた。
とても怖かったに違いない。
だって、お父さんは普段滅多に…いや、滅多どころじゃない。
あんなに本気で怒ったことはないのだから。
最終的に、私は
「お父さんの馬鹿オタク!!」
と叫んだ。
お父さんは、その時初めて私の頬を引っ叩いた。
乾いた音が部屋に響き渡り、
私の頬に紅葉型の手形が滲み出てくる。
私はジンジン痛む頬を押さえ、お父さんを睨み付けると
そのまま階段を駆け上がり、自分の部屋に閉じこもった。
私は真っ暗な部屋に布団に潜り込んで泣きじゃくった。
電灯をつける気力も起こらなかった。
その時、コンコンとドアをノックする音がした。
「こなた…入るぞ」
ドアがゆっくり開く。
「真っ暗じゃないか…こなた」
お父さんは、紐を引っ張って電灯をつける。
布団がもぞもぞと小刻みに動いているのが見える。
その時、私は頬を叩かれた苛立ちから
自然と言葉が出てきた。
「…出てって」
「え?何だこなた」
「出てってよ」
「…こなた。ごめんよ。あとでゆっくり…」
「いいから出てってよ!!馬鹿オタク!!」
そう言うと、私も我に返って青ざめた。
しばらく部屋の空気が凍りついた。
お父さんは、私の部屋のドアを勢いよく閉め、
出て行ってしまった。
「…お父さん…ごめん」
その言葉はお父さんには届かなかった。
翌日、私はお父さんに謝ろうと思った。
眠い目を擦りながら顔を洗い、階段を降りる。
食卓にお父さんの姿は無かった。
「ゆーちゃん、お父さんは?」
「まだ起きてないみたい。
私が朝ごはん作っておいたから、食べてね」
「うん、ありがとう。…昨日はごめんね」
「ううん、気にしないで。
ちょっと二人とも怖かったけどね」
「よく考えたらお父さんも
ストレス溜まってたのかもしれないな…
悪いことしちゃったよ…」
「うん…昨日、すごくショック受けてたみたいだから…」
学校に着くと、いつものようにかがみん達が出迎える。
「おっす、こなた」
「おはよう、こなちゃん」
「やあ、かがみん、つかさ…」
「あれ、元気ないわね。どうかしたの?」
「あぁ…昨日ゲームとかやってたからさ、遅くなっちゃって」
「夜更かしはダメだよ、こなちゃん」
「気をつけます」
私はそう言って椅子に座った。
机に頬杖をつき、大きな溜息をついた。
お父さん…どうしてるだろ…
「泉さん。どうされたのですか?
あまり気分が優れない様子ですが…」
みゆきさんが私に歩み寄る。
私は、作り笑いをしてその場をごまかす。
「…何でもないよ」
「いえいえ、何でも話して下さい。
隠し事はよくありませんよ?
心の奥底に秘めたままにしておくより、
思い切って打ち明けてしまった方が気も楽になりますよ?」
…話した方が良さそうかな。
いや、恐らく話さないという選択肢はなさそうだ。
私はゆっくり口を開いた。
「実は…お父さんと喧嘩したんだ…」
「喧嘩ですか…?」
私は頷く。
みゆきさんは、顔を綻ばせてこう言った。
「それなら心配はいりません。
喧嘩は双方が謝れば解決します。
しかし、謝ることが何よりも難しいことですね」
「…そうだよね」
「私があなたの代わりに謝るという手もあるのですが…
恐らくそれでは無理でしょうね」
「うん…ありがとう、みゆきさん」
これは、相談したところで
誰にも解決できそうにないことだということは理解していた。
始業のチャイムが鳴り、みんなが席につく。
お父さんのことばかり考えていると、授業も頭に入らない。
私は授業中に何回溜息をついただろうか…
ついには、前の男子に声をかけられる始末。
「おい、泉。お前朝歯磨きしたのか?」
「あっ…ごめん。臭かった?」
私は慌てて口元を押さえる。
「あぁ、正直カメムシ並だぞ。
まあいい。何でそんな溜息ばっかつくんだよ?」
「いや…何でもないから気にしないで」
その時、頭に激痛が走る。
一点集中でデコピンされるような痛さである。
あまりの痛さに私は思わず
「痛っ」
と声を出してしまった。
前の男子にもチョークが飛んできたようで、同じく声を出していた。
ジンジン痛む頭を摩っていると、前から大音声が耳をつく。
「お前ら何くっちゃべってんねん!授業に集中せい!」
と言うといきなり形相を変え、
「よっしゃー!まだコントロールは鈍ってないみたいやな。
二人ともいい練習台になってくれたもんや。ありがとなー」
黒井先生はニヤリと笑うと授業を続ける。
「くそ、お前のせいで俺まで…」
「ごめん…」
私は手を合わせて謝る。
「ったく…」
そう言って、男子は再び前を向いた。
私は…お父さんと喧嘩なんかしたことなかった。
理由がどうであれ、お父さんを怒らせてしまった。
もう、許してくれないのだろうか…
入試に落ちたような絶望感と悪感が頭から離れない。
それが溜息となって出ているのだろう。
頭の上に1トンの鉛が乗っているかのように、
私の気持ちも沈んでいく。
ようやく唯一の1時間弱休みである昼休みがやってきた。
つかさがこちらに近づいて来た。
「こなちゃん、お弁当食べよう?」
「うん」
みゆきさんは、どうやら委員会活動で来るのが遅れるらしい。
つかさと私が机をくっつけると、
つかさは綻ばせていた表情を変え、こう言った。
「こなちゃん、お父さんと喧嘩したんだって?」
意外な言葉である。
「…知ってたんだ」
「うん、ゆきちゃんから聞いたんだ。
こなちゃん、大丈夫だよ。そんなこと心配しなくていいよ。
家に帰ったらもう許してくれてるよ」
つかさは私の頭を撫でた。
「つかさ、ありがとう…そうだよね。
家に帰ったら…許してくれてるよね」
「うん。私もお姉ちゃんと喧嘩したことあるけど、
次の日には治まってた」
家族だもんね…そうだよね。
考えすぎていたような気がする。
私のお父さんは、あのお父さんしか居ないんだし。
私は一人娘だし。
私とつかさは楽しくお弁当を食べた。
もう、悪感や絶望感はなくなっていた。
その後の授業は、午前よりは楽な気持ちで受けられた。
帰り道、私達はみゆきさんを除く3人で帰ることにした。
みゆきさんは、また委員会活動で遅くなるという。
「今日も疲れたよ~」
「文句言わない、明日も学校よ?」
「こなちゃん、今日はよくがんばったもんね」
「え?つかさ、こなたが何かしたの?」
「あ、ううん。特には何もしてないけど」
「じゃあ何もしてないんじゃないの」
「えーと、うーん…バルサミコ酢~♪」
「もう、つかさはいつもそうやって
誤魔化すんだから!」
3人からどっと笑いがこぼれた。
別れ際、つかさが歩み寄り、
「大丈夫だからね、こなちゃん」
と言ってくれた。
この時、つかさの天然は演技だったのかと思った。
家に帰ると、部屋は真っ暗だった。
カーテンの隙間から漏れた細い光線が
人型の物体を照らし出す。
それは、すぐにお父さんだと分かった。
「ちょっ…真っ暗じゃん…電気くらいつけなよ」
そう言うと、お父さんは恰も老人のように
ゆっくりと私の方へと向きを変える。
「ぉぉ……ぉかぇり……こなた」
声もガラガラ声だ。
いつものお父さんの声じゃない。
「ただいま…カーテン開けるよ?まだ外明るいし」
「ぁぁ…」
私はカーテンを開けて、外の光を部屋の中に入れる。
「こんな明るいのにどうして…」
私が振り返ると、
お父さんはカッターナイフを手首に切りつけている最中だった。
血がどんどん出ている。
「ちょっと!何やってんのお父さん!!」
「ぅるさぃ!こなたは黙ってろ!」
「だめ、だめだよ!そんなことしたら死んじゃうよ!?」
私は必死にお父さんからカッターナイフを奪い取った。
しかし、お父さんの力も呆気ないもので、
私が引っ張るとカッターナイフはお父さんの手から離れた。
信じられなかった…
お父さんがリストカットをするなんて…
私は、急いで手近にあったタオルで
お父さんの腕を縛った。
「お父さんの馬鹿!!」
「……こなた…」
焦点の合わないお父さんの
半開きになった目が私を見つめる。
お父さんは、そのままリビングを出て行ってしまった。
私は、嫌でも目に付くお父さんの血が付いた
テーブルとカッターナイフを見た。
私…どうしたらいいんだろ…
とりあえず、今日の夕食は私が作ることにした。
お父さんには、おかゆ。
私とゆーちゃんは…すうどんにしよう。
「お姉ちゃん、ただいまー」
私が材料を包丁で切っている最中に、
ゆーちゃんが帰宅した。
「あ、手伝おうか?」
「ううん、いいよ。
それより、お父さんを見てあげてくれないかな?」
「うん、分かった」
ゆーちゃんは自分の部屋に戻って制服を着替えた。
ゆたかは、そうじろうを探すが、
1階の部屋にそうじろうが居ないことが分かったので、
2階へ行く。
「何でこの家今日は
こんなに真っ暗なんだろう…いつも明るいのに…」
ゆたかは階段の電灯をつけ、2階へ登る。
何かゴソゴソと物音がする。
こなたの部屋のようだ。
ゆたかは、恐る恐る階段を登る。
すると、そうじろうがこなたの部屋から出てきた。
そうじろうは、こなたの部屋の電灯も消さずに、
堂々と部屋から恐竜の闊歩のように、足音を過剰に大きく立て、
こちらへ歩いてきた。
手には、ゴミ袋が4袋ほどあり、
何が入っているのかはよく分からない。
それらの袋は地面に引きずられて、そうじろうと共に
徐々に近づいてくる。
「お、叔父さん…何ですか?その袋は…」
「……ゅたヵちゃん…ぉヵぇり…」
「お姉ちゃんの部屋で…何してたんですか?」
「どぃてくれるかな…ゅたかちゃん…」
そうじろうは、構わずゆたかの身体をぐいぐい押して
階段を降りようとする。
ここは狭い廊下なので、
二人が横に並んで通れるスペースはほとんどない。
「叔父さん…押さないで下さい…落ちちゃう…!」
「じゃぁ…はゃくどぃてくれなぃヵな…」
そうじろうは、上目遣いでゆたかを睨み付ける。
鼻元に陰がかかっていて、とても不気味である。
「…いや、叔父さん…やめて、落ちる…!」
そうじろうは、それでも構わずゆたかを押して
階段を降りようとする。
ゆたかがそうじろうの身体を支えきれるわけがない。
階段は急なので、後ろ向きに降りることは困難だ。
しかも、もうゆたかの足は階段の縁であり、
今更方向転換は不可能だ。
これ以上そうじろうが押してくれば、
このまま真っ逆さまに落ちてしまう。
「叔父さん…!助けて!誰かたす……きゃあああああ!!」
ゆたかはとうとう足を踏み外し、
階段を転げ落ちた。
ゆたかはそのまま気を失った。
そうじろうは堂々と階段を降り、
ゴミ袋をどすどすと音を立てながら下ろしていく。
しかし、ゴミ袋をいちいち引っ張って
階段を降りるのが面倒くさくなったそうじろうは、
ゴミ袋を階段下へ転がした。
このゴミ袋は丈夫なポリエチレンを使用していたため、
転がしても破れることは無かった。
ゴミ袋は、下で仰向けになって気絶しているゆたかの上に
転がり落ちた。
そうじろうはそのまま階段を降り、
ゆたかの身体の上に乗っかった一つ3kg程のゴミ袋を
持ち上げ、ゆたかのことを見向きもせずに進んでいく。
お父さんは、私の元へとやってきた。
私はカレーライスの味見をしていた。
「ゃぁ、こなた…ごはんつくってるのヵ…?」
「うん、お父さんにはおかゆ作ってるから楽しみにしててね」
「…ぁぁ、それは良ヵった。ぁ…これ、捨ててくるヵらな」
「…え?何を?」
私はゴミ袋を見る。
「何を捨てるの?」
「…ぉまぇの部屋にぉぃてぁった、人形ゃ雑誌だ」
「え…ちょっと待って?それって…まさか」
「じゃぁな…ぃってくる…」
「ちょ、ちょっと待って!」
私はお玉を鍋に置き、急いで袋を奪いにかかる。
きっと、人形や雑誌は…フィギュアと同人誌のことだ。
急いで取り戻さないと、せっかく渾身の思いで溜めた
アイテムが無駄になってしまう。
「やめて!捨てないで!」
「だめだ!こんなものがぁったら、勉強できなぃだろぅが!」
「で、でも!捨てるのはやめてよ!ダンボールに包むか
何とかしておくから!!」
「…そぅヵ…そんなにこれが大事ヵ…」
「うん!だから…お願いだから…やめてよ…
お父さん…さっきから変だよ…どうしちゃったの!?」
「俺な…馬鹿ォタクだろ…?だヵら
心を入れ替えよぅと思ったんだ…
今まで変な父さんで悪ヵったな…」
お父さんは低い声で唸りながら言う。
「お父さん…そんなこと言わないで…ごめん…
本当にごめん……お父さんは…馬鹿オタクじゃないよ…」
お父さんは、上から目線で睨み付ける。
その眼は魔物が宿っているようで、
あまりにも怖く、私は目を逸らしそうになった。
お父さんは、そのまま何も言わずにゴミ袋を置いて
自分の部屋へ戻った。
どうしたらいいかもう分からない…
私は、夕食をとりあえずテーブルに置き、ゆーちゃんを呼ぶ。
「ゆーちゃん!ゆーちゃん!ご飯できたよー!」
返事が無い。
私は、家を探し回る。
すると、階段の下で頭から血を流して
倒れているゆーちゃんを見つけた。
「ゆーちゃん!!」
私はゆーちゃんの元へ駆け寄る。
とりあえず、電話で救急車を呼ぶ。
救急車に連絡を取り終え、
私はお父さんの部屋へ向かう。
お父さんは、自分の部屋でタバコを吸っていた。
無論、部屋は真っ暗である。
「お父さん…ゆーちゃんに何かやったの?」
「…」
お父さんは、振り向きもしない。
「…どうなの?」
「…」
「答えてよ!!」
私はお父さんの肩を掴んで私の方へ向ける。
「ぁっちぃってなさぃ」
お父さんはタバコを私の手に押し付ける。
「あ、あちちちち!!やめて熱い!!」
私は慌ててお父さんの肩を放した。
すると私を睨み付けて、言った。
「…はゃく出てぃくんだ」
私は仕方なく部屋を出た。
「…お父さん……酷いよ…何で……何でよ……」
私は目から流れる液体を止められなかった。
すると、救急車が到着し、
私もゆーちゃんと同乗することにした。
…お父さんも乗せてもらえばよかったのかもしれない。
病院に入ると、直ぐに手術が行われた。
相当状態が酷いらしい。
私は手術室の外のソファで待ち続けた。
私は精神的にも身体的にも疲れ、いつの間にか寝てしまっていた。
起きた時には、既に夜中の1時だった。
偶然にも、その時手術中ランプが消えた。
医師が一人、戸を開けて出てくる。
私は何も言わずに先生の方を見た。
マスク越しなので表情は分からないが、
この空気が事実を伝えていた。
医師は、静かに首を振った。
私は一気に脱力感に見舞われ、床に崩れ落ちた。
医師は私の背中を撫でてくれた。
私は医師に抱きついて泣いた。
私は、とぼとぼと帰り道を歩いた。
正直、家に帰りたくなかった。
何をされるか分からないから。
かがみんの家で泊まろうかな…
でも、無断外泊したらあのお父さんは危険だ…
明日かがみん達に相談してみよう…
私は、ドアの前に立つ。
震える手を抑えながら、ドアノブを掴む。
ガタン
ドアが開かない。
締め出しを喰らったようだ。
私は庭へ回った。
運良く庭の鍵は開いていた。
私はそこから中に入る。
カーテンが閉ざされてあったので、カーテンを開ける。
すると、いきなりお父さんが目の前に立っていた。
「きゃああああ!!」
私はあまりに驚いて声を上げてしまった。
「ぉぉ…ぉヵぇりこなた。
ぁまりでヵい声出しちゃいけないぞ…」
「もう…驚かせないでよ…」
「どこ…行ってたんだ?こんな時間まで」
「…病院だよ」
「何で…」
「ゆーちゃんが…階段の下で倒れてたから
病院に連れて行ったんだけど、ダメだった…」
「そぅヵ…それは残念だなぁ…
そぅぃぇば、さっき階段の上で誰かにぶつヵったよぅな気もするが、
…気のせぃヵな」
私は、顔面蒼白になってお父さんを見上げる。
「お父さん……まさか…お父さんなの?」
「…さぁ」
「さぁじゃないよ!ちゃんと答えてよ!!」
私は、泣きながらお父さんの肩を掴む。
「うるせぇ!!とっとと寝ろ!」
私はお父さんに振り飛ばされた。
身体が畳の床に叩きつけられる。
お父さんは更に私に歩み寄り、髪の毛を手で掴んで引っ張る。
「大体、こんな遅くまで外に出ていいって誰が言った!え?」
「痛い、痛いお父さん…やめてよ…」
「今度こんな遅くまで外に出てたらただじゃおヵねぇヵらな?」
「は…はい!はい!すいませんごめんなさい!!」
そう言うと、お父さんは私の髪の毛を手放した。
お父さんは、自分の机の前に座ってタバコを吸い出した。
「ぉゃすみ、こなた」
「あ…うん………おや…すみ…」
私は、部屋に出た瞬間腰が抜けた。
もう時間の猶予はない。
明日中になんとかしなければ、私の命さえ危ない。
私は壁や手すりを支えに自分の部屋へ向かった。
もう、力が入らなかった。
部屋に入り、布団に入るとすぐに寝てしまっていた。
明日には、かがみん達に相談しないと…
翌朝、私は早急に家を後にし、
コンビニで弁当を買ってから学校に向かった。
学校にはまだ人が疎らだったが、
かがみんとつかさは居た。
「か…かがみん…」
「おっす!こな…ってどうしたのそのクマ」
かがみんが目の下を指差す。
「あぁ…うん…」
すると、つかさが寄ってきた。
「大丈夫だったの?」
私は首を振る。
「えっ…それどういう事?」
「…お父さんが…おかしくなっちゃった」
「そんな…」
「あんたたち、何の話してるのよ」
かがみんに隠す必要は皆無だ。
寧ろ、相談して解決の糸口を
見つけなければならないのだから。
私は、二人に昨日起きたことを全て話した。
「…こなたのお父さん…おかしいよ。
警察に渡したほうがいいんじゃないの?」
かがみんが腕を組みながら言う。
「うーん…カウンセラーの人に来てもらったほうが
いいんじゃないかな…」
つかさも珍しく顰め面をしながら言う。
「でも、大丈夫よこなた。
私たちがきっと何とかするから」
「そうだよ。力になるよ」
「うん、ありがとう…二人とも」
お父さんも、何かしらストレスを溜めていたのかもしれない。
お母さんが死んだこと…
小説のこと…
私のこと…
何かの拍子に爆発したのかもしれない。
それが、今回の喧嘩だったのだろうか…
私は今日、かがみん、つかさ、みゆきさんと一緒に家に帰ることにした。
「悪いね…本当に」
「気にすること無いわよ。あんたが悪いんじゃないんだし」
「そうだよ」
「確かにそうですね」
私達は、家へと入った。
中は、真っ暗で気配が全くない。
「……留守じゃないの?」
「ううん。居ると思う」
「…泉さんには、分かるのですか?」
「…うん」
「やっぱり…親子なんだね」
私達は、秘密特務のスパイのようにゆっくりと中に進む。
「ここが…お父さんの部屋だよ」
皆は固唾を呑む。
「開けるよ…」
私は慎重に襖を開く。
中を覗くと、リビングの光だけが差し込み、
背中を向けて机の前に座っているお父さんが居た。
「お父…さん」
お父さんは、こちらを向く。
「おかえり、こなた」
声が昨日と違う。
いつものお父さんの声になっていた。
こなたは部屋の中に入る。
続いてかがみん達も中に入る。
「…お邪魔します」
「おぉ、今日は友達を連れて来たのかい?」
「あぁ、うん。同じクラスの柊つかささんと高良みゆきさんと、
クラスは違うけどつかささんの双子の姉の柊かがみさん」
3人とも、頭を下げる。
「こんな格好ですまないね。
お茶をいれてくるから少し待っててくれ」
そういうとお父さんは立ち上がり、台所へと向かった。
お父さんが去った後で、かがみんが耳元で囁く。
「…全然普通じゃないの。何処が変なのよ」
「で、でも…」
「こなちゃん…ここまで来て冗談だった、
なんて言わないでよ?」
「いや…だって…」
私は段々不安になってきた。
このままでは事実上かがみん達に
嘘をついたことになる。
昨日のあの暴力的なお父さんは
どこに行ったんだろう…
私は妙にそわそわしていた。
お父さんは、お茶を持って来た。
私は、声をかける。
「あの…お父さん?」
「何だ?こなた」
「昨日みたいに…やらないんだね」
「何をだ?」
「何って…リストカット…とか、根性焼き…とか」
「はははは、何言ってるんだこなた!
お父さんがそんなことする訳ないだろ!」
かがみんが口を出す。
「でも…あの…こなたが…」
「え?こなたがそんな事を言ったのか?」
お父さんはかがみんに寄る。
「…はい」
かがみんは目線を反らして答える。
「ははははは!そんなホラを信じたらだめだぞ!
自分の娘に根性焼き?
どう考えてもおかしいだろ!」
「そ、そう…ですよね…あはははは…」
かがみん達は、私を睨みつける。
「では、今日はこの辺でおいとま致します」
かかみんが立ち上がって言った。
「え?もう帰るのか?寂しいなー」
「はい。では、失礼いたしました」
「またいつでも来ていいからな」
「はい」
私は、皆の元へ走る。
「こなた……私はあんたに失望した」
「え…そんな、違うんだよかがみん!」
「こなちゃん…ついていい嘘と悪い嘘があるよ…」
「そんな…信じてよ、つかさ」
「…私達を嵌めたんですね」
「みゆきさん…みんな、待ってよ!」
そして、玄関の扉は閉ざされた。
私は、とぼとぼとリビングに戻る。
「酷いよ…お父さん」
私はか細い泣き声で言う。
「こなた…何故言った?」
「…え?」
「何で友達に言ったのかを聞いてるんだ!」
お父さんは私の髪を掴む。
「…ご、ごめん…なさい。でも…本当の事…だったから…」
「そうか…ちょっと待ってろ」
お父さんはそう言うと、部屋に何かを取りに行ったようだった。
ふと、私はある衝動にかられた。
興奮が昂っていたからかもしれない…
今ので鬱憤が炸裂したように感じた。
─コノ男ハ危険ダ…
ハヤク殺サナイト、私ガ殺サレテシマウ─
私は何も考えていなかった。
頭には奸心、邪心しか残らなかった。
息が突如荒くなった。
私の中に突如現れたよこしまな心。
振り解こうにもその殻は固くて破られない。
体が誰かの支配下に置かれているようで
私の身体は勝手に操られる。
私は手に包丁を掴み、お父さんが居る部屋へと向かった。
お父さんは私に背を向けて、
引き出しから何かを取り出しているようだった。
私は両手に包丁を持ち、
躊躇なくお父さんの背中に振り下ろす。
部屋に響く自分のお父さんの悲鳴。
一振り、また一振りと、お父さんの身体に確実に傷をつける。
刃物を臓物から抉り出す時の生々しい音を聞きながら、
私は何のたじろぎもなしに制裁する。
私は何度も何度も包丁を振り回し、お父さんを追い詰める。
お父さんは最期まで命乞いをしていたような気がした。
その時のお父さんの目は、
いつものお父さんの目だったような気がした。
そして、お父さんの断末魔を聞いた後、
私は包丁を落とし、
操り人形を放したように床に崩れ落ちた。
終わった…
私を傷つけるものはもう居ない。
涙が止まらなかった。
私は…自分の親を…殺したんだ…
帰り血で一杯の制服。
引っ張られてぼさぼさになった髪。
目の前に倒れる、私のお父さん。
ようやく私は精神を取り戻し、後悔の念が込み上げた。
狂っていたのは…私?
それとも…世界?
私は、最期の償いをしようと思った。
これで、お父さんにも許して貰えるだろうか…
お父さんは、あっちの世界では優しいお父さんだよね。
あっちの世界は、狂ってないよね。
そう信じて…
私は自分の首筋にナイフを突き刺した。
全て、私の夢だと思いたかった…
こんなお父さんも全て私の夢で、
ゆたかちゃんも実は死んでなくて、
それから…それから…
…夢?
…
「ゆたかちゃん…おはよう」
その男は、ずっとリビングで頬杖をついている。
「おはようございます、叔父さん」
その女の子は、寝起き顔で部屋から出てくる。
「朝ご飯は…作ってあるからな」
「あ、ありがとうございます」
その男は、上の空である。
「…大丈夫ですか?お姉ちゃんが…」
「そうなんだ…今でも俺にはどうしてか全く解らない。
虐められてもいない、それといった理由はないはずなのに…
検死の結果は薬品中毒だったらしいしな…」
「でも…自殺する前のお姉ちゃん…変でしたよね」
「あぁ…いきなり部屋で暴れだしたり…
勝手に夜出て行くし…
ゆたかちゃんが死んだとか言うし…
友達呼んで…俺が虐待したとか言いふらすし…
あの時は流石にちょっと怒ったけど…
そしたら俺の部屋でいきなり暴れだして…
そのすぐ後だったんだよな…こなたが死んだのは。
あの時に精神科医に診て貰えば良かったんだ…」
「…後悔しても始まりませんよ、叔父さん」
「…そうだな」
「では、行ってきます」
今日も、一人欠けた泉家の生活が始まる。
「やっぱり、これはちょっと失敗作だったかな…
でも、次こそは……あの人で試すしかないか…」
ゆたかは玄関から、
リビングでいつまでも頬杖をついている男を見る。
ゆたかは登校中、河川敷に寄った。
そして、空になった透明な筒を取り出した。
注射器である。
ゆたかは、空っぽになった注射器を川に投げ捨てた。
今度こそ空想の中で、私の好きな夢が見られますように…と。
完成したら、永遠にみなみちゃんと一緒に居られる夢が見たいなぁ…
ゆたかは暫し黙祷して、立ち上がった。
(終)
最終更新:2025年02月24日 20:51