| 特徴 |
江戸時代中頃、加古川宿に徳蔵という油絞りを生業とする男がいた。腕の良い職人だったが、博打好きが災いして貧乏暮らしを続けていた。徳蔵にはタマという飼い猫がおり、いつもこれを懐に入れて博打に出かけていた。徳蔵はあるとき、賽の目が丁の時はタマが両目を閉じ(あるいは開け)、半の時は片目を閉じることに気がついた。徳蔵はタマの合図を利用して大勝ちしたが、同じ長屋に住む吉松、吉蔵の兄弟の金を巻き上げてしまったことで恨みを買い、加古川の土手で殺され、死骸は川へ放り込まれた。タマはそれきり姿を消し、徳蔵の死骸は長屋の人々に発見され、通夜が執り行われることとなった。下手人の兄弟が何食わぬ顔で焼香に来た途端、徳蔵の亡骸にかけていた着物がめくれ上がり、腕が上がったり下がったりし始めた。一同は驚き、名主にこの奇怪な出来事を報せに行った。偶然加古川に滞在中であった丸亀藩士の吉岡儀左衛門はこの話を耳にして、妖怪を退治せんと槍を手に徳蔵宅へ駆けつけた。儀左衛門が起き上がり動き回る徳蔵に槍を向けると、その体から小さな女の子程の大きさの猫が飛び出した。主人の体に乗り移っていた化け猫タマは表へ逃れ、そのまま長屋の内の一軒へ入り込んだ。追って来た儀左衛門は逃げ回るタマに槍を打ち込んだ。確かに手ごたえを感じて見てみれば、槍で刺し貫かれていたのは猫ではなく吉松兄弟だった。間もなくタマも仕留められ、その血で長屋の白い壁は真っ赤に染まった。儀左衛門は兄弟を殺してしまった罪を償うため切腹を図ったが、瀕死の吉松が罪を白状したため、それを聞いた人々が切腹を押しとどめた。人々はタマが主人の仇を討ったのだと噂し、この忠義心ある猫を手厚く葬った。そして、血に染まった壁を使って小祠を建立した。これが赤壁大明神の起こりだという。 ▽講談として人気を博し、大正7年、9年の『赤壁明神』昭和13年『怪猫赤壁大明神』など映画化もされた。 ▽実際の赤壁大明神(赤壁さん)の由来ははっきりとせず、いつしか江戸時代の化け猫話と結びついて語られるようになったものと考えられる。 |