一、問題
二、最初に結論を
三、一つの歴史観
四、「惚れさせない」國語教育
五、外國の古典と自國の古典
六、失はれた世界としての古典
因に、本稿の仮名づかひは、仮名づかひ改訂私案(本書七十一頁)によつた。
一、問題
(一)
南原東京大学総長が、昭和二十一年二月十一日紀元節に際して、東京大学學生に向つて行つた講演の中に、次のやうな一節があつた。
「日本はわが國固有の傳統と精紳を賭けて職つたところのこの戰爭に於て、その精神自体が壞滅した今、何を以て祖国の復興を企て得るであらうか。それはもはや過去の歴史に於て求め得ないとすれば、將來に於て創り出さねばならぬ。」(「祖国を興すもの」十一頁)
と。敗戰の直後に於いて、このやうな感を抱いたものは、ひとり南原氏のみに止まらなかつたであらう。氏の論旨が、敗戰後の一つの思想の代弁であつたことは、その後のわが國の動向を見ることによつて、肯けるであらうと思ふ。あれほどやかましかつた日本精神、日本的なものの唱道が、殆どその声を断つたところから考へて、祖國の歴史を顧みることそのことが、多くの人々には、時代錯誤であり、反動的であるといふ風に思はれたのであらう。そこまで論理的に考へない人々にも、日本精神について語り、日本の古典について云々することは遠慮すべきことであり、氣がひけることであると考へられたに違ひない。私は今、この度の大戰爭が、わが國固有の傳統と精神とを賭けて戰つたものであるかどうか、又それは西洋文化に対する日本文化の敗北と結論出來るかどうかを論じて、南原氏の講演を批判することが当面の目的ではなくして、このやうな思想的動向を捉へて私の小論の一つの手がかりとしようとしたのである。
(二)
まだ戦爭のたけなわな頃であった。私は或る國文学者の小さな会合に列する機会が與へられた。その時、たまたま國文学者の時局への寄與といふととが問題になって、私は一つの質問を提出したとがあつた。それは、國文学者は何故に古事記とか、日本書紀とか、万葉集とか、神皇正統記とかばかりを取上げることが日本精神の闡明になると考へてゐるのであるか。そしてそれが何故に國文学の時局への寄與と考へられるのであるかと。この愚問は、ぞの際はついに私の納得の行くやうには解決されなかつたが、終戦後、國文学は更に新しく平和文学の探究に、自我の覚醒の文学の追求に、庶民文学の源流の探索にその開拓の歩を進めねばならないといふことが唱へられるのを見て。私は古典を探求すろことが如何に馬鹿氣てゐるかを痛感したのである。かういふ態度が、國文学の研究対象の採択の基準であり、國文学が現代へ接触する所以であるとするならば、國文学は時局に対する一種の幇間に過ぎないのではないか。私の古典に対する問題はかういふところにもあったのである。
(三)
最後に、私は最近、新制中学並に高等学校用の國語読本を開いて、そごには従来相当数を占めてゐた古典教材が殆どその姿を消してゐるのを見て、時勢の動きの如何なるものであるかを明かに見ることが出来たやうな感がした、私は編纂者がどのやうな見識で従来の古典教材を処理したかは全然知らない。しかし、もし古典教材を從來のままに残して置くならば、必ずやそれは旧思想を温存するものとして、手痛い非難を買ふことは明かである。さりとて旧教材に代る新古典教材を探し出すことは、恐らく非常に困難なことであるに違ひない。むしろ古典に手を触れないのが賢明な策であつたかも知れないのである。しかし、それが編纂者の立場であつて、明かな編纂方針が示されぬかぎり、教授者にとつては何か割り切れぬものがあるに違ひない。國語教育の立場として、これほどまでに古典を無視し、疎略にしてよいものであらうか。それは反動的立場や、懐古趣味の立場だけからさう感ぜられるのではなくして、もっと冷靜な國語教育的立場からも当然問題にされることであらう。同じく國語科に属する漢文教材には、中國古典が相当幅廣く採られてゐるのを見ては、或はこれも編纂者の氣がひけるところから來てゐるのではないかと疑ひたくなるし、そのやうに疑つて來れば、國語教育に於ける古典教材のありかたといふものを、もつと切実に考へて見たくなるのは当然と云はなければならないであらう。
このやうな古典に対する色々の問題に直面して來ると、日頃、古典の研究に從つてゐる我々には、何かこれに答へねばならない責任を感ぜざるを得なくなつて來る。國文学は研究であつて、教育とは何のかかわりもないものであると一應は逃げても、國文学の目的は、古典を扱ふ技師を養成するのではなく、やはりそこには嚴然たる人生的意義が裏付けされてゐなければならないのは当然であるから、それをも否定しないかぎり、國文学研究の究極の目的は、廣い意味に於ける古典教育に帰着するものと考へなくてはならないのである。今日、古典教育は無益であり、有害であると云ふならば、國文学の研究を継続することも許されないであらうし、もしそれが許されるとすれば、それは古典教育とつながつて來ることは必然である。ただその際、國文学研究は、時代の要求するものを提供する幇間的立場に甘んずるか、もし別にとる道があるとするならば、如何なる立場に於いて古典教育に立向ふか、これは國文学者にとつて切実な問題であると同時に、それは又教科書編纂者にとつても、又國語教育者にとつても切実な問題であることは当然であらうと思ふのである。以上のやうなことを前提として、國語教育に於ける古典教材に対する私の見解を発表して批判を得たいと思ふのである。
二、最初に結論を
この小稿の論旨を明かにするために、最初に、論文の結論を掲けることとし、次にそれに関する補註として、数項に分つて説明を加へて行かうと思ふ。その結論とは、
古典を読むといふことは、故人の言葉に耳を傾けることである。同時に、古典は過去の長い年月に亙つて多くの人々に尊重され、愛好されたものであるから、古典を読むといふことは、それら古典を受け継いだ人々の心をも読むことを意味する。
人は、他人の傳記を読むことによつて、人生の指針を與へられることが多いが、同時に、又それ以上に自己の生活の回顧や反省によつて、己の行くべき道を知ることが多い。自國の古典を読むといふことは、それと同じ意味で、自己を正しく知り、現在の自己を拡充する大切なよすがである。古典は、鏡に映された民族の自らの姿である。己の姿を見るのに、これに自惚れたり、これに卑屈であつたり、又これを歪めることがあつてはならない。
右の結論には、一に古典の意味、二に古典を読むことの効果、三に古典を読む態度が述べられてゐる。それぞれの結論には、諸々の学者の学説、見解を引合に出して、一々批判、論証を加へる必要があるのであるが、今はそれらの労を省いて、專ら私の論拠を挙げることにしたいと思ふ。
三、一つの歴史観
古典に対する私の見解には、一つの常識的な歴史観が根底に横つてゐる。それは、現代は過去の集積の頂点ではないといふ考方である。もし現代が過去の集積の頂点であるならば、現代は常に人類文化の頂上でなければならないし、從つて過去を探求するといふことは、ただ現代の源流を知的に認識し、これを確証すること以外に意味はない筈である。そして歴史はただ進化し、発展すると考へられるであらう。ところが事実はこれに反して、歴史には傳統の遮断があり、知識の停頓、退化があり、暗黒時代がある。故に歴史の探求は、ただ現代の確認のためにあるのではない。それは人間が迂闊に落し忘れたものを拾ひ探すことである。もしさうでないならば、文藝復興などといふことはあり得ないことであるし、又その必要もないことである。
人は、現代が過去の集積の頂点であると考へるところから、ややもすれば、古典に対する現代的評價といふものを、重要視しすぎる。古典を古典として捉へる認識主躰は、確かに現代人の眼であるに違ひない。しかし、古典が古典として考へられるのは、現代の必要、欲求に基づくといふ考方は正に右に述べた現代的評價の過信から出て來るものとは考へられないであらうか。私は古典といふものをそのやうには考へずに、過去何れかの時代に於いて、古典たることを保証されたものは、現代的評價の如何に関せずこれを古典と云ふべきであると考へるのである。源氏物語は、その或る部分に、近代文学に見るやうな自然主義的心理描写を持つがために、國文学の古典として高く評價されるのではない。それは.過去幾世紀かに亙つて、多くの人々に愛敬されたが故に古典と考へられるのである。そこには、そのやうに高く評價されるべき理由があつたに違ひない。それは恐らく現代の尺度には無いものであり、忘れ去られたものであるかも知れない。それを探索するのが源氏物語の研究であり、又源氏物語を読む態度でなければならないのである。私が古典を「過去の長い年月に亙つて多くの人々に尊重され、愛好されたもの」としたのはその故である。多くの人々によつて、長い年月に亙つて愛好され、尊重されたといふことは、その文献が人性の何かの眞に触れてゐたからであると考へて差支へないと思ふのである。このやうな古典を読む態度及びその効果は、國語教育一般の大道に通ずるものである。凡そ読書の態度といふものは、己の好惡に関せず、己の立場の如何に関せず、虚心、相手の思想を読み取ることでなければならない。そのためには、常に相手の立場に同情し、これを包容する寛大さが必要である。このやうな読書の態度によつて、はじめて読書によって己を拡充することも掘下げることも出來るのであつて、もし自己の個性に執するならば、自己以外の何ものをも攝取することが出來ないであらう。この読書の原則は、そのまま時代を隔てた古典にも適用することが出來るのである。
四、「惚れさせない」國語教育
終戦後、古典教材が何となく遠慮されねばならないやうに感ぜられたり、或はそれらが反動思想を温存するかのやうに危險視されたり、一般に國語読本を批判するものが、主として読本教材の思想内容の如何について問題にするのは、従来の國語教育が専ら教材に惚れさせることを目的としてゐたがためである。惚れさせることが目的であったから、好ましくない思想に触れさせることは最も警戒しなければならないことであった。戦時中は、日本精神に惚れさせることが大切であったが、歇後はそれらを警戒して、民主主義的、自由主義的思想に惚れさせることが必要とされて来た。このやうにして、國語教育は、惚れさせる内容については一大転換をしたのであるが、国語教育そのものの理念に於いては旧態依然たるものがあった。さればこそ、教科書編纂者も、国語教育の批評家も、惚れさせてはならないものを教材に採ることに、極度に敏感にならざるを得なかったのである。
「惚れさせる國語教育」とは一躰どのやうなものであるか。例へば、ここに偉人の傳記が教材に採られたとする。教師はここで生徒をして正確に、冷靜に、文章の趣旨を理解させることに專念させる代りに、生徒をして感奮させ、奮起させることを主要なことと考へ、國語教育の目的もまたそこにあると考へるのである。このことは、在来の國語科教授要目の努めて強調するところであつて、一例を挙ければ、昭和十八年三月改正の要目中の國語科教授要旨には次の如く述べられてゐる。
國民科國語ハ正確ナル國語ノ理会ト発表トノ能力ヲ養フト共ニ古典トシテノ國文及漢文ヲ習得セシメ國民的思考感動ヲ通ジテ國民精神ヲ涵養シ我ガ國文化ノ創造発展ニ培フモノトス
國語科が我が國文化の創造発展に寄與するのは、國語教材を通して國民精神を涵養することによつて達成されると考へられてゐるのである。昭和十八年の要目は、戰時中の改正であつて、戰時色の濃厚に現われたものであるが、この眼目は、決してこの改正要目にだけ見られるものではなく、殆ど各年代の要目に一貫して見られるものであつて、ただ異なるのは、涵養すべき内容が相違するに過ぎないのである。「國民精紳を涵養し」と云ふべきところを、「民主主義精神を涵養し」と置き換へるならば、恐らく新時代の教授要目が出來上るのである。しかし、それはただそれだけのことであつて、惚れさせる國語教育である点に於いて少しも変らないのである。
惚れさせる國語教育は、好ましくない他のものを忌避する國語教育である。それは國語教育の邪道であつて正当の道ではない。そこで古典教育は、一般國語教育の一領域として、その原理を一般國語教育の原理に仰がねばならないのである、私は本稿に於いては、一般國語教育の原理については、それに触れることを省略して、それは別の機会に譲ることにしたのであるが、ここに極めて簡單にその要旨を述べるならば、國語教育の主眼とするところは、相手の思想の如何に関せす、己を空しくして、これを正確に忠実に理解する能力と、このやうな寛大な、又冷靜な、そして己の好尚に媚びない峻嚴な態度を養成し、訓練するところにあると云はなければならない(國語科学習指導要領試案講読編参照)。一言にして云へば、相手を理解はするが、かりそめにも惚れさせない國語教育でなければならないのである。惚れさせない國語教育は、箱入娘を養成するのではなくして、如何なる男性に対しても、その價値を評價し得るやうな見識を持つた女性を養成することである。このやうな國語教育の原則に立つた古典教育に於いては、その教材の思想内容が、如何なるものであるかを案ずる必要はない。時には悪徳を獎励するやうなものであつても、現代と相背反するやうなものであつても何等懸念すべきことではないのである。むしろ、あらゆる思想に接してこれを理解する力を涵養することこそ望ましいことであると云ふべきである。私が本稿の最初に掲げた結論の中に、「古典は、鏡に映された民族の自らの姿である。」とし、そして、その自らの映像を見る態度、方法として、「己の姿を見るのに、これに自惚れたり、これに卑屈であつたり、又これを歪めることがあつてはならない。」と述べたのは、以上のやうな「惚れさせない」國語教育といふ考方の上に立つて述べたことである。
五、外國の古典と自國の古典
今日と云はず、明治以來の日本のあらゆる文化は、多かれ少なかれ西洋文化の傳統の上に立つてゐるといふことは、既に多くの人々によつて述べられたことである。であるから、この度の大戰爭にしても、それは西洋文化に對する日本精神の敗北を意味するのではなくして、先進西洋文化に対する後進西洋文化の敗北であるとも云ふことが出來る訳である。日本精神の唱道すら、既に飜訳臭の濃厚なことは、多くの人々に氣づかれてゐたことである。このやうな情勢であるから、今日の日本を精密に分析する場合に、その傅統を日本的なものに求めるよりも、西洋的なものに求める方が手近かであるのは当然である。かくて今日以後の日本が、その傳統を益々西洋的なものに求めて行くであらうといふことは必然の勢に違ひない。現代の古典は、即ち西洋の古典であるといふ論はこのやうにして生まれて來るのである。外園の古典が自國の古典として根強い傳統を持つに至るといふことは、日本人が外國文化の攝取に異常な努力を払ふことと、互に因果関係をなして、益々増大して來る。そして外國古典は、強力な規範と考へられ、常に畏敬の念を以て遇せられるのである。これは中國古典に対する場合も同樣であつたと考へてよいであらう。古典を常にこのやうに遇することにのみ馴らされた日本人は、古典を遇する他の重要な別の道を忘れてしまつた。それは、古典を規範とのみ考へて、それが人類の曇ない自己の映像であることを忘れたことである。古典を、常に功利的價値に於いてのみ取上げて、自己を反省する鏡として見ることを忘れたのである。この態度は、自國の古典に対する態度として最も必要であるにもかかわらす、自國の古典に対しても、外國の古典に対すると同様な態度を以て遇することとなるのである。この古典に対する先入観は、時には古典に対する狂信的態度となつて現われ、時には古典蔑視或は古典抹殺の態度となつて現われる。その方向は異なつても、その基づくところは一つの古典に対する考方であつたのである。それは結局に於いて古典を常に功利的見地に於いて考へるところから來ることであり、現代的評價によつてのみ古典を決するといふ考方に基づくのである。
古典教材の意義を考へるについては、上に述べたところに從つて、ます外國古典と自國古典とに対する價値の相違を明かにしなければならない。私は結論の中で、一の譬を以てこれを説明しようとした。「人は他人の傳記を読むことによつて、人生の指針を輿へられることが多い。」と云つたのは、外國の古典について云ったことで、このやうな古典に對しては、我々はその利用價値を問題にすることが出來る。「同時に、又それ以上に自己の生活の回顧や反省によつて己の行くべき道を知ることが多い。」と云つたのは、自國の古典に対する場合で、それには何よりも古典の利用價値を離れて、虚心に、大胆に自己の美醜に直面するといふ熊度がなければならない。古典が民族の曇ない映像であるがためには、古典が現代的立場によつて書き改められたり、曲解されたりすることを、極力防がなければならないのであつて、古典のありのままの姿を再現することは、國文学の重要な任務であるが、古典を読む國語教育の立場に於いては、前項に述べた「惚れさせない」國語教育の方法の確立をまたねばならない。
古典を読むことの意味は、以上のやうに、消極的のやうに見えて、実は更に根本的なものであり、己の素顔を映して見ることであつて、外からの脂粉の化粧は、己の素顏を最もよく知るものによつてのみ効果的になされるであらう。既に述べたやうに、このやうな古典教育が成立するためには、國文学の任務は頗る重大であつて、國文学が、ただ時代の要請のままに、時代向きの作品の研究をすることが、その使命であると考へるやうな幇間的立場を放棄しないかぎり、その成就は困難である。
六、失はれた世界としての古典
読書の一つの目的は、己の所属しない世界をうかがひ知ることの幸福を味ふためである。それは、感情の世界に於いて、又知識の世界に於いて同様である。そんなことは、今更ここに取上げて云ふまでもないことであらう。人はいつでも現実の生活の再現を見せつけられて喜ぶとはかぎらない。時には嫌悪の情さへ催すでもあらう。十世紀頃にフランスで制作された宗教的物語の詩篇が、大西洋を越えてアメリカ合衆國でもてはやされてゐるといふことを嘗て聞いて、不思議に感じたことであるか、思へばそれは不思議でも何でもないことである。読書が未知の世界の開拓であるならば、古典を読むことは、失はれた世界を取戻すことにほかならない。そこでは、天皇が神であっても差支へなからうではないか。佛神の加護によって親子が再会するといふこともあってよいであらう。現代人が現代の感覚に於いて共感し得るものにしか、價値と趣味と興奮を見出し得ないとしたならば、それは現代人の大きな不幸でなければならない。
勿論、現代人が失はれた古典の世界を取戻すためには、その歴史的、社会的制約によって自ら可能の限界があるであらうが。それは同時代の、同一社会に生活する甲と乙との間にすら、甲が乙に共感を感するには限界がある。それを克服するものとして國語教育の使命が存在するのである。同様の瑕由によって、現代人と失はれた古典の世界とを媒介するところに、古典教育の使命が存在することが理解されるであらうと思ふ。
以上述べて来たところによって、ほぼ古典教育の焦点がどこにあり、從って古典教材の採択の基準がどういふものであるかが明かにされて来るであらうと思ふ。教材としての古典は、必ずしも現代的意義や要求からだけで取捨選択されてはならない。さういふ意味に於いてならば、むしろ現代文の中から求めることの方が更に適切であり、危險が少ないであらう。古典は、現代とは異なつた歴史的、社会的條件の下に制作されたものであるから、そこに現代的意義を求めることは、巌密な意味に於いて不可能なことである。仮にそのやうなものを古典の中に見出し得たとしても、それが古典を眞に生かすこととはどうしてなり得ようか。もし強ひてそのやうなものを古典に求めようとする結果は、ややもすれば、古典の歪曲か曲解に陷らざるを得ないこととなる。このやうな態度は、從來でも色々なことに現われてゐた。他人の財宝を見て、我が家にも同様なものがあると数へ立てることが、我が家を権威づけるものであると考へたがるのは世の常である。このやうな態度で探索された古典史が、現代のために意義が無いばかりか、古典史そのものとしても、意義が無いことは明かである。古典が取上げられるのは、それが現代と懸け離れた内容を持つてゐる時に一層有効であるべき筈であり、一見明日のために有害となるやうなものでも、それは読まれねばならないし、それが実は最も古典が効果を発揮する場合であらう。そして、更に重要なことは、このやうな異質的な古典に触れて存分に滋養を吸収することが出來るやうな、寛大な包容力を持つた魂を養つて行くことである。古典教育の眼目は、まずこの辺に焦点を置くことが至当と考へられる。これは國語教育一般に通することであり、又人生修業のあらゆる道に通ずることでもあるのである。
最終更新:2018年12月16日 00:28