時枝誠記「文法(教育内容の分析と教育の方法)」



第六章 教育内容の分析と教育の方法
 一 言語形態の分類─「話す」「聞く」「書く」「読む」─
 二 言語生活の実態
 三 標準語教育と方言生活
 四 経験主義の教育と基礎学力の問題
 五 話し方と聞き方
 六 読み方
  読み手(読者)の立場
  言語教育と文学教育
   附、鑑賞の問題
 七 作文(綴り方)
○八 文法


文法
 改訂学習指導要領では、ことさらに、文法といふ用語をさけて、「ことばのきまり」といふ用語を用ゐて、その中に、文法を含ませてゐる。「ことばのきまり」といふことの中には、文法ばかりでなく、他の表記に関する法則のやうなものをも含んでゐる。グラマーといふ語は、いはゆる文法の意味だけでなく、一切の法則的なものを意味するのであるから、文法といふ用語を、「ことばのきまり」の中に解消させてしまふことに一理があるやうに見えるのであるが、いはゆる文法が、従来の国語教育において占めてゐた比重を考へるならば、またそのことには、充分の理由があったことであるが、この用語を抹殺してしまったことには、大いに問題があると思ふのである。以下、述べることは、指導要領中の「ことばのきまり」の内容を、ほぼ、従来の「文法」の意味するものと同じものとして述べることとする。
 文法教育の目的は、国語についての法則を教へて、国語の実践に、自覚と確信を与へることにあるのである。文法の法則を記憶することが目的でなく、国語を正しく読み、かつ話すことが目的なのである。高校指導要領の目標3に、
ことばのはたらきを理解させ、国語に関する知識を高め、国語に対する関心や自覚を深めて
とあるのは、右に述べたやうに、文法を含めて、国語の種々な知識が、国語の実践に寄与すべきものであることを、うたつたものと解せられるのである。このことは、小中高における文法教育は、文法といふ学科を教授するのではなく、国語的実践に必要なものとして、またそのかぎりにおいて教授するのである。文法教育の範囲、限界といふものも、そこから決定されて来るわけである。ところが指導要領の文面には。右に述べて来た趣旨とは相違することが述べられてゐる。即ちB項(ことばに関する指導を規定した項)には、
以上の聞くこと、話すこと、読むこと、書くことの学習を通して、
 ことばに関する次のような指導を行う(『高校要領』中学校も同じ)。
として、言語的指導事項を掲げてゐるのであるが、この文面をそのまま受取れば、「話すこと」「読むこと」等が手段になつてゐて、言語的指導が主目的になつてゐるやうに理解されるのであるが、その真意は、私が右に解説したところに従ふべきではないかと思ふのである。
 文法教育が、国語の表現理解の実践に奉仕すべきであるとする実用主義の見地は、近世の国学の中における文法研究において、さうであったし、昭和の初期に至るまで、文語文法だけが、中等学校で課せられてゐた時にも、それは古典読解のためといふ実用主義的見地がとられてゐた。ところが、昭和六年、現行のやうに、口語法が旧制中学校の初年級に課せられるやうになってから、文法教育の目的が、従来の実用主義とは相違して来た。口語文法を、先づ中学校初年級に課することの意義について、橋本進吉博士は、現代においては、口語文が一般に行はれて、文語文法は稀にしか行はれなくなったこと、また、教育上からは、既知から未知に入り、易より難に及ぶのが、教育の根本原理である所以を述べて、口語文法を先きに教授することの当然であることを述べてゐる(『新文典別記』初級用「編纂の趣意及び方針」)。ところが、ここに問題になることは、文語文法を教授することには、古典の読解のためといふ明かな目的があるのであるが。口語文法になると、それがなければ、言語の実践が完全に出来ないといふわけのものではない。そこで、橋本博士は、口語法教授は、その他に、国語の構造を明かにし、国語の特質を知らしめ、文法に現はれた国民の思考法を自覚させるのに役立つものとし、更に、それは、文化現象を観察する方法を学ぶのに必要な学科であるとした(昭和十二年九月「国語学と国語教育橋本博士著作集第一巻に収む。本書第二章「国語学と国語教育との関係」参照)。ここにおいて、文法は、実用主義より一転して、国語観察の学科として位置づけされることになったのである。
 私は、普通教育における国語教科の目的は、言語的実践、即ち「話すこと」「聞くこと」「書くこと」「読むこと」の実践の方法技能を生徒の身にっけさせることにあるとするところから、文法教授も、右のやうな実践に奉仕し、その基礎になるものでなければならないと考へ、戦前の科学主義の文法教育を批評するやうになった。学校教育における文法教授は、文法現象そのものの観察が主でなく、獲得した文法的知識によって、正しく話し、かつ読むことが出来るやうにすることが大切で、文法的知識によって、国語の実践を、より自覚的に、より確実にすべきであることを説いた。文法現象の観察は、言語の学問に関することで、普通教育でやるべきことではないとしたのである。
 以上のやうな実用主義的見地からするならば、今日の口語文法は、その組織、範囲において問題があるのであって、それは、全く文語文法の組織範囲を踏襲したものであるから、口語の実践に必要な組織内容は、その必要に応じて、別個に考案される必要がある。私が、口語文法の体系の中に、「文章論」を設けて、文を越えた一の作品としての文章を単位として取上げ、その構成を明かにすることの必要を説いたのは、その一端を示したものである。従来、詳細に説かれた「活用」「接続」等の部分は口語法としては、さまで重要な部分とは考へられないのである。
 文法教育の方法に関することで、屡々問題にされることは、機能文法か体系文法かといふことである。機能文法、正しくは機動文法あるいは機動的教授法と呼ぶべきもので、問題が起きた場合、その都度、これを解決して行く方法で、それに対して、体系文法といふのは、これも体系的教授法と呼ぶべきもので、予め文法の体系を教授して置いて、これを具体的な問題に適用するといふ方法である。昭和二十六年の教科書検定基準では、文法は、言語編(資料集である「文学編」に対するもので、正しくは「方法編」といふべきもの)の中の一章として扱はれるべきものとされ、更に文法は、読解、作文に附随して教授するのが適当であるとする経験主義の立場から、独立教科書としては、検定種目から除外されたのである。文法は、問題の都度、これを取上げ、逐次、これを纏めて行く帰納的方法が望ましいのであらうけれども、元来、文法はそれ自身体系的な事実であって、体系的知識として整理されている時に、はじめて効果を発揮することが出来るのであるから、独立教科書によって、一応の知識を体系的に学習しで置く方が効果的であると云へるのである。文法教科書は、その性質上、旅行の前に用意する地図と同じやうな役目を持ってゐる。予め地図によって、目的地の大体の方向、地勢を知る便宜を与へて呉れるのである。
 最後に、文法学説について問題がある。今日、種々な文法学説が並列して居て、教授上教師は帰趨に迷ふといふのである。その煩はしさから、文法教育に対して、投げ遣りの考へも出て来るのである。もともと文法学説とか、言語観といふものは、学者が、言語の事実と無関係に、ただ頭の中で勝手に作り上げたといふものではなく、言語に対する認識の投影として出来たものである。従って、文法学説の背後には、それぞれの学者の、言語の事実に対する認識の態度方法の相違があるわけである。
 国語教育で、文法学説が問題になるのは、学説それ自体が問題になるのではなく、それらの学説が、児童生徒の言語的実践を、成就させ得るが否かといふことで問題になるのである。もし文法教育が、「話すこと」や「読むこと」などの教育と無関係に、独立した学科として教授されるものであるならば、どのやうな学説であらうと、またいかに多くの学説が対立してゐようとも、殆ど問題にならないであらう。大学における文法学の講義は、むしろそのやうな学説の対立を対象にして行はれるのである。国語教育の現場では、問題は別であって、文法は、国語の実践を自覚的にし、確実にするために、その基礎として教授されなければならないのである。そのやうな文法は、何よりも国語の真の姿を反映してゐるものであることが必要条件であって、文法学説が何であってもかまはないといふものではないのである。これが、教育現場で文法学説が問題にされる所以である。ここで、今日の学校文法の文法学説の由来を辿ってみることにする
 昭和六年の教授要目の改訂によって、従来、文語文法だけが教授されてゐたところへ、新たに口語文法が中等学校に課せられることになった。その時、橋本進吉博士の『新文典』が、完備した『別記』とともに、広く教壇に採用された。戦争末期に及んで、文部省は、資材統制の必要から、教科書検定制度を廃止し、すべての教科書を国定にすることにした。国定文法教科書『中等文法』の内容になったものは、橋本博士の文法体系であって、それは、同博士の、『国語法要説』(昭和九年十二月明治書院「国語科学講座」の中、橋本博士著作集第二冊)の説によるところが多いのであるが、『中等文法』においては、博士が断定を避けた部分、例へば、受身、使役の助動詞については、これを助動詞と見るべきか、接辞と見るべきかについては、疑が残されてゐるにも拘はらず、断定的に、助動詞に属するとしてしまったやうな点が見られるのである。このやうにして、橋本学説に基づく『中等文法』が、学校教育における文法学説の定説乃至通説と認められるやうになって今日に至ってゐるのである。戦後再び検定制度が布かれて、私の言語過程説に基づく文法教科書『中等国文法』(昭和二四年中教出版社)が世に出ることになって、その文法理論が、通説と著しく相違してゐるために、教室の混乱を惹起こすと同時に、漸く文法論議が華やかになって来た。
 国定文法教科書及びその系統を引く文法教科書の基礎となってゐる橋本学説が、定説あるいは通説と認められるやうになった経緯は、以上述べて来た通りであるが、それは、学界の論議や批判を経た結果ではなく、たまたまそれが広く流布し、続いて国定教科書として採用された結果に過ぎないのである。
 昭和九年、橋本博士の文法体系である『国語法要説』が世に出た時、不思議にこの文法学説に対する批判といふものは、学界に現はれず、そのまま経過した。私は、昭和十二年三月の『文学』誌上に、「文の解釈上より見た助詞助動詞」と題して、山田孝雄博士の文法学説とともに、橋本学説を取上げ、これを批判の対象としつつ、始めて、言語過程説に基づく文法体系の基礎観念を世に問うた。世の中では、この文法学説に、私の名を冠して呼んでゐるやうであるが、実はこれは私の独創説ではなく、鎌倉時代以来、連綿として継承され、江戸時代に至って、国学者の手によって大成された文法学説に基礎を置くものなのである。その後、『国語学原論』中の「文法論」(第一章)で体系を整へ、岩波全書『日本文法口語篇』(昭和二十五年九月)で、その全貌が明かにされたものである。以上のやうなわけで、この文法理論は、私の名で呼ばれる性質のものではなく、いふならば、伝統日本文法と呼ばれるべきものなのである。この文法が教科書として世に出たのは、それよりも早く、昭和十七年に、朝鮮総督府学務局の文法教科書として、広く全鮮に使用させることになってゐたのであるが、一部で使用したまま、終戦と同時に消滅したわけである。文法理論、あるいは文法教科書に対する卒直な考へを述べることが許されるならば、従来の、西洋言語学あるいは西洋文法学の理論を継承した日本文法の体系は、国語の実相を説明するには、全く不適当なものであって、それを、国語の実践と関係させた場合、その破綻は、至るところに指摘し得るのである。ただ一般の教師は、従来の文法理論に習熟することが深い上に、この新しい文法理論の考へ方を会得する手懸りを得ないために、徒に混乱に陥ってゐるのだと思ふ。そのことについては、私も充分責任を感じてゐるので、国語教育を正しい軌道に乗せるために、文法教育を正しい礎石の上に置くために、あらゆる機会を利用して、私の責任を果したいと考へてゐる。