昭和二十一年十月二十六日の国語学会公開講演会(東京帝大法文経三十七番教室にて)の席上で、西尾実氏は、「ことばの実態」といふ題で講演され、従来の国語学の研究方法を批判され、あはせて今後の国語教育の方向をも示唆されるところがあつた。講演会が終つて、茶話会の席上でも活潑な意見の交換があり、同氏からも補足的な説明があつたが、私としては国語学の立場からお答へしたいこともあり、国語教育の立場についても御教示を乞ひたいことを希望しながら他事にとりまぎれ、殆んど一年を経過してしまつたことは、何と云つても私の不勉強と申すより外ないことであつた。それに引きかへ、氏はその後、右の論旨を色々な形に於いて敷衍し、発展させて、国語教育、国語問題の解決に対して多くの示唆を与へて来られたのである。しかも右の論旨は、岩波講座国語教育の「文芸主義と言語活動主義」(昭和十二年三月)に早く見えてゐることから考へて、氏にとつては最近十年閻の国語教育論の基礎理論であつたと推測されるので、現代並に将来の国語教育のために、特に氏の所説をここに取上げて考へて見ようとしたのである。
二
順序として、まつ十月二十六日の講演要旨を次に引用することとする。
(上略)われわれの日常におけることばの生活では、人間の存在や行動といふやうな目に訴へるものが、耳にきく音声と一体になつて表現を形成してゐる。しかもさういふ存在や行動、また、ものをいふときの顔つき・目つき・身振りなど、耳にきく音声としての言葉ときり離しがたい関聯を講成してゐる。それを無理に切り離せば、血が流れたり、死んでしまつたりする。ことばを「思想を音声で現したもの」だの、「意味と音声との結合」だの、「思想が音声や文字に現はれる活動」だのとしてゐる在来の国語学の定義では、いきたことばの実態はとらへられぬのではないか。学問といふものには研究対象を概念的に規定しておくことが必要である。国語学の定義も、その本質要素をとらへてゐるとは思ふ。わけても言語発達史から推して、言語進化の方向をも指示し得てゐると思ふ。しかし、いまのことばの実態は、それだけでは捉へきれない。さうしてこの実態と研究対象としての言語との関聯を、たえず見失はぬことが、学問のたあにも必要ではないだらうか。すくなくとも、ことばの実践指導である国語教育は、この実態の認識から出発しなほさなくてはならぬと思ふ。(国語学会会報第三講演要録)
右の論旨には、言語の実態なるものが、如何なるものであるかについての考察から、進んで言語を対象とする国語学や言語学は、実は言葉の実態を把握するに遠いものであることが述べられてゐる。そして、従来の国語学や言語学の立場を一方では是認しながらも、国語教育の基礎として、言語の実態についての認識が必要であることが強調されてゐる。しかも、それが国語学に属すものであるのか、或は他の別個の科学を構成するものであるのかといふことは、氏の論述の意図の有無に拘はらず、これを受取る我々の側に於いては、必然的に問題とされることなのである。このことは一方に於いて、国語学は、国語教育の要請の如何に拘はらず、従来の立場が認められてよろしいものであるのか、そして他方に於いて、国語教育は、その国語認識を何に求めたらばよろしいのであるのかといふことが反省されるのである。
以上は右の講演の提出するところの問題であるが、なほ、同様の趣旨のことが、氏の他の諸著にも述べられてゐる。
文芸主義と言語活動主義 昭和十二年三月 岩波講座国語教育
国語教育の新領域 同十四年九月
言葉とその文化 同二十二年三月
国語教育の構想 同 国語の教育一ノ一
本論に入る前に、本筋にはいささか関係のないことと考へられるが、国語叡育に対する批評家としての西尾氏の立場といふものを、右の諸著を基礎にして、私なりの解釈に従つて、叙述して見ようと思ふ。このことは、私が氏の所説を理解するに当つての一の態度とも、心構へともなつてゐると思ふので、これを予め明かにして置くことが、私の論旨を展開する上に極めて必要なことではないかと考へられたからである。
氏は、時代の呼吸を極めて鋭敏に感受される人である。そしてそれに即応して国語教育の欠陥を指摘して、それに適切な方向を与へようとされる。従つて氏の国語教育の理論は、氏の所説の前提であり、基礎であるよりも、氏の所説を合理化する手段として用ゐられる場合が多いのではないかと思ふ。氏は病人を適切に診断する名医の勘と、病状に適当した薬剤を調合する術を心得てをられることに於いて、優れた国語教育の批評家であると云つてもよいであらう。しかし、もし、国語教育に従事するものが、各自銘々に自力で新しい道を探し求め、発見することが出来るやうな力を与へられ、そのやうな指導が与へられたならば、と歎くのは私ばかりであらうか。氏は秀れた名医ではあつても、我々が常に健康を維持するにはどうしたならばよいか。又病気にかかつたならば、どういふ風に自ら診断し、どういふ治療法を用ゐたならばよいかについて自ら工夫することを教へる忠告者ではないのではなからうか。氏の歩みの跡を辿つた時、私にはどうしても氏の立場をそのやうに解せざるを得ないやうな気がするし、又そのやうな心構へで氏の所説をとりあげて行くことが、氏の所説を正当に生かす所以ではないかと考へたのである。
四
西尾氏が、国語国文の教育(昭和四年十一月刊)に、鍛錬道どしての国語教育を力説され、或は文芸学的理論を国語教育に導入され、更に転じて言語活動主義の国語教育を提唱され(昭和十二年)、その発展としての話し言葉の文化を説かれ、ここに至つて話し言葉は、即ち民衆の言語と同義語の如くに考へられて、終戦後の時代思潮の動向に適切した国語教育の理念を掲げられたのである。我々は氏の思索の極めて柔軟性に富み、時に前後矛盾するのではないかの疑を抱くことはあつても、皆夫々に時機に適した氏の提案に対しては、賛意を表しこそすれ、異議を申立てる理由を見出さないのである。ただそれらの提案の裏付けとして、言語理論を持込まうとされる時、ここに始めて我々にとつて、問題が生ずるのである。いはば、私は名医としての氏の臨床診断に対しては、全幅の敬意を表しながら、氏のそれに対する生理的病理的説明にはなほ批判の余地があると考へる、といふ風に云へるであらう。臨床的判断さへ誤らないならば、そして対症療法が適確であるならば、それでよいではないかと云ふかも知れない。しかしながら、国語教育界を自力で歩ませるためには、氏の言語理論こそ最も重要な力とならなければならないのである。氏が、国語教育は言葉の実態を捉へることから再出発しなければならないと主張されることは、正しいことである。ところが、この言葉の実態なるものを、専ら感情的言語、動作や身振りを伴つた言語、或は言語としては外に現われない、いはば未分化の身体的動作にまでも言語と同格の機能を認めようとされようとし、更にこれらを言語の地盤的領域として、その上に発展段階、完成段階といふやうな言語の発展段階を認めようとされたことは(言葉とその文化第二)、言語理論としては直ちに承認出来ないことであつて、それこそ氏とは別の意味に於いて、言語の実態認識に反した結論ではないかと考へられるのである。ここで氏のいはゆる「実態」といふことが問題になつて来ると思ふのである。表情や身振りや動作を伴ふことがことばの実態であるとするならば、このやうなものを伴はない極めて冷静な「話し」もまた同様にことばの実態ではないであらうか。更に音声言語が実態であるならば、親が子に愛情を吐露した手紙のやうな文字言語も同様にことばの実態であり、厳粛な哲学の論文であつてもそれがことばの実態でないとは云へないのではなからうか。仮にそのやうなものは実態でなく、実態はただ日常生活の言語のやうなものに限られるとしても、文字言語や芸術的言語が、それらを地盤として、その上に建てられた発展段階であるとして考へることが許されるのであらうか。仮にさういふ事実が認められるとして、その時、実態的なことば以外の言語は、一体どういふ言語なのであらうか。もし言語にそのやうな発展段階があるとするならば、そのことをもまた言語の実態として素直に認めて行かなければならないのではないか。一体氏が、日常生活語のやうなものにのみ「ことばの実態」を認めて、それを国語教育の地盤ともし、出発点ともしようとされた理論は何処から来てゐるのであらうか、等々の疑問が私には涌いて来るのである。
私はこれらの疑問に対して、一応次のやうな解答を与へて見た。氏の考への根底には、恐らく、素朴なもの、未分化なもの、自然的なものを、最も基本的なもの、典型的なものとする考へがあるのではなからうか。或る意味で、本能的な、獣性を持つた、理性の拘束を受けない人間を最も人間的なものとする自然主義的考へ方に似通つた考へ方があるのではなからうかと考へて見た。それは、ソシュールよりパイイへと展開した、文学的言語に自然的言語 langue naturelleを対立させたやうな考方に一致するものがあるのではないかとも見られるのである。
五
私は、しかし、西尾氏の「ことばの実態」の所説を、氏の言語理論の発展の結論として見ることは正しくないのではないかと考へた。氏の真意は、むしろ言語の具体的な姿を認識せよ、そして国語教育の出発点をそこに置かなければならないといふことを力説されたのであつて、氏の言語理論は、ただその裏付けとして持ち出されたものに過ぎないのではないかと思ふのである。言語の具体相を「ことばの実態」として、これを直に素朴な音声言語に結び付けて考へられたところに、氏の思索の非常な飛躍があつたのではなかつたかと思ふ。ただしそれは論理的思索の面に於いてそのやうな飛躍が認められるのであつて、氏が実際に「ことばの実態」と考へられたものは、実はそのやうな「ことばの実態」即ち表情や身振りを伴つた音声言語といふやうなものではなくして、むしろ、言語に於ける主体性の把握──人間性の認識とも云つてよいであらう──といふことではなかつたかと思ふのである。言語に於ける主体の立場、言語を生み出す人格の力を認め、そこに国語教育の地盤を求めようとされたのが氏の真意に近いのではないかと思ふ。かう云ふ解釈は、決して私のほしいままな理解に基いて云ふのではないのである。
それは氏が、言語活動主義の国語教育の主張に於いて、旧読本巻十第十七の「言ひにくい言葉」を例として、
そこに問題にせられてゐるところは極めて簡単な声音語が実は極めて困難な言葉であること、そしてその困難は「言ひにくい」といふことであり、それを言ふには「勇気」を要することであるといふことが示されてゐる(岩波講座国語教育文芸主義と言語活動主義二九頁)。
と云はれ、更に、
かくして、現実としての言語活動は、横に声音や身振や行為の有機的に結合した構成を有すると共に、縦にその人の内外生活の成果としての過程を含む全的表現として理解せられなくてはならないものである(同上書二九頁)
と云はれ、国語教育に於ける全人的陶冶を力説された(同上書二七頁)根拠を尋ねて見れば明かではないかと思ふ。言語表現に於いて、このやうな話手の人格が端的に把握されるのは、音声言語に於いて特に著しいところから、これを言語の実態とし、国語教育の地盤とされたのではないかと考へられるので、その意のあるところは理解することが出来るのであるが、このやうな全人的活動は、必しも表情や身振りを伴ふ音声言語に於いてばかりでなく、文字言語に於いても、又氏の云はれる完成段階の芸術的言語に於いても、当然考へられなければならないことである。もしこのやうに言語の実態といふものを考へることがゆるされるとするならば、国語教育の地盤は、表情や身振りや動作によつて初めて完成されるところの、言語としては、どちらかと云へば未分化状態にある音声言語に国語教育の地盤的領域があるといふよりも、音声言語、文宇言語を通して、これを成立させる全人的活動にそれがあると考へなくてはならないのである。そして、このやうな全人的活動の訓練錬磨こそ、国語教育の出発点とし、主眼点としなければならないことを知るのである。そしてこのやうな話手或は聞手、読手としての全人的活動の様相として音声言語、文字言語、芸術的言語等が考へられるのである。この場合でも重要なことは、音声言語を以て文字言語や芸術的言語の地盤として考へるべきではなく、人格的活動の異つた表現様相として、夫々に異つた表現意図と、表現技巧のあることを明らかにし、これを訓練することが国語教育の任務でなければならないのである。例へば、言ひにくいことを、はつきり云はなければならないといふことは、音声言語に於いても、文字言語に於いても共通して、勇気を必要とすることであるが、それをどう表はすかといふことは、音声言語の場合と文字言語の場合とでは異るのであるから、その相違を明かにし夫々に適切な方法手段を考へることが必要なことなのである。話手(文字言語の場合をも含めて)の人格といふことが、言語の真の実態であり、地盤的領域であるべき筈のところを、西尾氏に於いては、それが日常普通の音声言語といふことに置き代へられ、又さういふ話手の、私の術語を以てするならば、場面的変容による表現様相が、音声言語を基本とする発展段階として考へられたのではないかと思ふ。そして、その理論付けとして、従来の国語学言語学に於ける言語観の批判といふことが、なされたのであらうと思ふけれども、氏の端的に云はうとされたことは、国語教育が、従来とかく表現の特殊様相、しかも芸術的表現といふことの教育にのみ偏し、言語表現の他の種々な様相、特に音声的表現を軽んじた弊を矯めようとされたことにあるのであつて、その理論付けの点は、氏に於いてさまで重要な点ではなかつたのではなからうか。私はそのやうに、氏の国語教育説を考へるのが至当ではないかと考へるのである。たまたま氏がそれを強調するあまりに、言語の一特殊様相である音声言語をとつて、それの特殊性を明かにすることの代りに、これを地盤的なものとされ、文芸的言語の特殊性を明かにすることの代りに、それを音声言語の発展段階、或は完成段階とされたところに問題が生ずるのであり、それを言語の実態の問題に結びつけ、音声言語を実態的なものとし、国語教育の出発点をそこに置かうとされたことによつて、問題は益々重大となつて来たのである。
六
私は、西尾氏が「ことばの実態」といふことを極めて狭く、また偏つて考へられたことを指摘し、しかしそれが恐らく氏の本意ではないのではなからうかといふことを述べて来た。氏の論理の飛躍は、氏が国語学や言語学の方法に対して下された批判の側からも云はれることである。氏に従へば、国語教育に於いて取り扱ふ国語と、国語学がその対象として規定する国語とは別のものであると云ふのである。
ソシュールのやうに、実践としての言語を「パロル」とし、実践の材料として脳裏に蓄積された言語を「ラング」とし、言語学は「ラング」を研究するものであるとする考へ方に従ふならば、或はそのやうに考へられもするであらう。しかしながら、本来科学としての国語学に於いて取扱ふ対象としての国語は、個々の具体的な実践された国語より外にないのであるから、国語学の取扱ふ国語が、国語教育に於いて取扱ふ国語と別物であるとは、決して考へられない筈である。異るのは、ただそのやうな国語に対する立場だけであつて、教育的立場は、実践を主とし、国語学の立揚は、実践されたものを観察し、そこに法則を見出すことを主とするのである。このやうに考へることによつて、始めて国語学は国語教育に理論的基礎を供給することが出来るのであつて、もしこれを別個のものを取扱ふとするならば、国語教育と国語学とは全く無縁のものとなつてしまはなければならないのである。国語学の対象とする国語は、個々の具体的な国語であるから、西尾氏の云はれるやうに、音声言語の場合には、多分に表情や身振りのやうな身体的動作を伴ふものである。しかし、それは文字言語の場合でも同様で、興奮して口をゆがめたり、字を乱暴に書きなぐつたりすることは、必ず場合によつてあることであるが、文字言語の場合には、これらの動作を捨象して言語を考へるのは、これらの身体的なものは、具体的には言語と切離せないものではあるけれども、言語の本質的な構成要素とは考へられないからである。どこまでも言語に随伴する現象であり、または言語の代りをするものであつて、言語そのものではないのである。音声言語では、身体的動作によつて表現を助け、時にはそれだけで用を弁ずることがあるにしても、それらが同じく表現であるといふ理由では、これを言語と認めることは出来ないのである。国語学者の努力は、この綜合的な、複合的なものから言語の本質的性格がどのやうなものであるかを抽象しようとするところにあるといふことが出来るであらう。それが、「意味と音声との結合」とか、「思想が音声や文字に現れる活動」といふやうな言語の定義となるのであるが、それは決して、氏のいはゆる言語の実態の否定を意味するのではない。それどころか、このやうな本質的性格の規定なくしては、言語の実態をも実は明かにすることが出来ないのであり、従つて、国語教育の本領がどこにあるかも明かにすることは出来ない筈なのである。事実、氏に従へば、言語に伴ふ表情や、身振りや動作の如きものをも、引きくるめて言語と云ふのであるのか、或は更に沈黙とか人間の存在そのものとかが、相手に何等かの言語と同じやうな影響を及ぼすものとして、このやうなものをも引きくるめて言語といふのであるのか、甚だあいまいであつて、これらの点が明かにならなければ、恐らく国語教育の本質的領域、或は国語教育の目的をも決定することは困難ではないかと思ふのである。
綜合的な、未分化の感情表現から言語表現が分化し、音声或は文字を枢軸とする表現のみを言語と限定して考へるやうになつたことは、言語表現の目標を考へる上に極めて大切なことであり、言語がこのやうに純粋に言語的になることによつてのみ、人間文化の発展に寄与することが出来るのであるから、国語教育の目標もまたこのやうな、言語表現を言語表現として純化させる努力訓練の上になければならないのではないかと思ふ。例へば、悲しいことの表現に、ただ「悲しい悲しい」と泣きながら身もだえすることが言語表現として好ましい状態であるかと云へば、云ふまでもなく言語表現としては、「悲しみ」を何らかの言語的な形に於いて表はして他人に自己の悲しい所以を伝へることでなければならない。そこに言語表現の目的も訓練もなければならないと考へられるのである。
次に、西尾氏は、国語学や言語学に於ける言語の本質規定を以て、発達の最終段階に於ける言語の規定としては該当するが、今日の段階に於いては、言語は未だそのやうな状態には到達してゐないと考へられたのは、国語学や言語学の言語の規定を誤り考へられた結果ではないかと思ふのである。既に述べたやうに、国語学や言語学に於ける言語規定は、具体的言語に於ける本質的領域と、それに随伴するものとの境界を明かにしようとしたもので、個々の具体的言語に、裏情や身振りや動作が伴つて表現が完成される場合があることを否定しようとしたものでないことは明かである。ただそのやうな場合には、身体的なものを借りて表現が完成されるのであるから、言語表現としては不完全なものであると云はなければならないのである。氏の云はれるやうに、それは実態であるには違ひない。しかしそれが言語表現として基本的形式であるか、理想的形式であるかといふことになれば問題であらうと思ふのである。国語教育の理念は、そのやうな実態を実態として肯定するだけでは出て来ないのであつて、それにはどうしても言語といふものは如何なるものであるかを考へて来なければならないのである。
七
私に於いては、人格的活動の異つた表現様相として考へたものを、氏は音声言語を地盤として、それの発展段階として考へられた。私に於いては、国語教育の任とするところのことは、異つた表現様相に応ずる夫々別個の訓練であると考へたのに対して、氏は、音声言語を地盤とするそれの発展段階と考へるところから、国語教育の出発点は音声言語の教育になければならないと考へられた。ここに音声言語の重視といふ氏の意図は充分に認められたにも拘はらず、文字言語や芸術的言語の特殊な意義といふものは、それらが、ただ音声言語の発展にあるといふことだけが明かにされた以上のことは見出されなかつた。問題はむしろ、人格的活動の種々相としての文字言語や芸術的言語の特殊相が明かにされねばならないことではなかつたかと思ふ。それこそ正しく言語の実態の認識なのである。もし言語の実態といふことを右のやうな意味にとるならば、音声言語が、文字言語の地盤となるよりも、むしろ逆に文字言語が音声言語の地盤となる場合すらあることを見逃してはならないのである。氏に従へば、話手聞手から成立する話し言葉は、更に講義、講話、講演等の独話形態を、又聞答、対談等の対話形態を、更に討義、討論、協議、鼎談等の会話形態を、その特殊形態として発達させてゐると云はれる(言語とその文化二二頁)。しかしながら、少し深く考へて見るならば、これらの特殊形態は、文字言語の特質を加味しなければ、或は文字言語に於ける表現態度や、蓑現技法に基かずしては、到底それを完成さすことが出来ないのを知るのである。文字言語の態度とか技法とか云へば、例へば、表現に於いて論理的脈絡を整へるとか、感情や主観的判断を出来るだけ避けるとか、相手の理解を考慮して、説明に委曲を尽すとかいふことであつて、音声言語に於いては、表情や身振りや動作に訴へたものを、ここでは出来る限り言語によつて表現しようとする態度である。これらの話し言葉の特殊形態は、文字言語に於ける修練によつてのみ完成されるのである。講義や問答や討議に於いては予め草稿や覚書を作つてこれに臨むといふ実情を見てもそのことがうかがはれると思ふのである。今日ラジオを通じてなされる音声言語についても同様なことが云へるのであつて、文字言語が常に音声言語の地盤の上にのみ発展するといふことは単純には云ひ切ることが出来ないことを知る必要があるのではなからうか。文化の発展に対する文字言語の特殊な機能を明かにし、それによつて、音声言語を整へて行くといふ面も重要なこととして見逃してはならないことであらうと思ふ。
八
以上、私は西尾氏の「ことばの実態」の説を吟味して国語学の立場から、これにお答へして来た。そして氏が「ことばの実態」を国語教育の出発点としようとされる真意がどこにあるかを忖度することによつて、氏の説に訂正を加へることを試みた。それによつて国語教育の体系を方法的に合理化することが出来るのではなからうか、又それによつて国語学を国語教育の基礎学とすることも出来るのではなからうかと考へたのである。私は西尾氏が国語教育を文学教育としての偏向から救ひ、又国語教育に於いて、話し言葉の指導が軽んぜられて来たことを指摘せられて、常に国語教育の欠陥に対して適切な指導をせられて来たことに対して全幅の敬意を捧げる一面、氏がそれの裏付けとして示された言語理論が、或は国語教育の将来に氏の意図に反した結果を生みはしないかを恐れるあまり、この一文を草して来た。もとよりそれは私の言語観から割出されたことであり、それには、氏の所説に対する私の見当違ひもあることであらう。それらに対しては、西尾氏並に大方の御叱正を乞ふ次第である。 (昭和二十二年九月三十日)
『国語と国文学』24巻12号
最終更新:2019年12月05日 18:56