時枝誠記「文学研究における言語学派の立場とその方法」

やまと歌はひとの心をたねとして、よろつの言の葉とそなれりける(古今和歌集序)。
こと葉にて心をよまむとすると、心のままに詞のにほひゆくとはかはれるところあるにこそ(為兼卿和歌抄)。


はしがき
 日本文学の研究に、もし、言語学派といふものがあるとするならば、その立場と方法とは、およそどのやうなものになるであらうかといふことを、ここに述べようとするのである。言語学派の立場と方法との根源は、文学とは、言語以外の何ものでもないといふ考方に出発する。従つて、あらゆる文学的現象を、言語の世界に引き下して、そこから考へて行かうとするのであるから、文学研究の最も基礎的な作業に関与することになるのである。ここに、文学研究と言語研究との領域の限界、及びその交渉が問題になる。
 文学研究の昏迷の一つは、文学と言語との関係が、正しく解明されてゐないところに起因するものではないかといふ考へに出発して、文学研究に、もし、言語学が寄与することが出来るとするならば、それは、どのやうな形でなされねばならないかを考へようとするのである。従つて、それは、言語学の立場から云へば、一つの発展的な問題に属するのであるから、言語学それ自体に対する厳しい反省が、同時に要求されることになるのである。ここに言語学といふのは、日本文学研究に即していふならば、日本言語学即ち国語学を意味することは当然である。
 本稿は、編集者の意図に従つて、立場の理論と、それに基づく業績とを、あはせて提示すべきであつたが、そのいづれもが、極めて不完全なものになつてしまつたことは申訳ない次第であるが、試みに次のやうな筋書に従つて問題を展開してみようと思ふのである。
一 国文学と国語学との関係
二 文学と言語との関係
三 言語の機能-実用性、社交性、鑑賞性1
四 言語の機能と文学の機能
五 文学史と国語生活史
六 文学的体験の分析
七 解釈における自由と制約
あとがき

一 国文学と国語学との関係

 本稿の主題は、日本文学と日本語との関係、交渉を論ずることが究極の目的であるが、その問題に入る前に、日本文学を研究対象とする国文学と、日本語を研究対象とする国語学との関係、交渉を一応辿つてみることが、主題を明かにする上に必要なことであると考へる。
 国文学と国語学とは、いはば、近世国学の生んだ双生児である。もちろん、今日の国文学も国語学も、明治における再建途上において、西洋の文学研究や言語研究の方法、課題を多分に取入れて来たために、今日においては、国文学と国語学とは、いはば赤の他人のやうに、その交渉を持たなくなつたと考へられてゐるが、近世においては、その関係、交渉は極めて密接であつて、国語学は、殆ど全く国文学のために存在してゐたといふことが云へるのである。富士谷成章の国語学は、彼自ら「脚結抄」の総論に述べてゐるやうに、和歌の制作と解釈とのためであつた。本居宣長の「詞玉緒」についても同じことが云へるのである。近世国語学の研究主題が、上代、中古の文法、語釈に限られてゐたのは、全く右のやうな事情に基づくのである。この事情は、明治以後に至つて全く一変した。国文学が、その研究領域を中世から現代にまで拡張し、その研究課題を、訓詁註釈から文学的評論、更にその歴史的社会的地盤の究明にまで手をのばすに至つて、国文学は、もはや昔のやうに国語学の援助を必要とすることが少なくなつた。最も国語学的操作を必要とするかに見える古代文学の研究においてすら、それは真の文学的理解や鑑賞に、有害とまでは云はれなくても、さまで効果あるものとは考へられなくなつた。一方、国語学の主題も、古典言語の研究から、口語の歴史的発展へと研究領域を拡張するにつれて、国文学研究への寄与といふことは、もはや国語学の主要な目標とは考へられなくなつたことは事実である。従つて、今日、国文学と国語学とが、並べ称へられ、大学の講座に一括されて居るにしても、それはもはや、一つの固定した伝統を継承してゐるに過ぎない。国文学と国語学といふ学問的枠の交渉を考へるかぎり、両者の関係は以上のやうに判断せざるを得ないのである。しかし以上のやうな学問的交渉を考へる場合でも、国文学は国語学を見捨てるべきではなく、国語学もまた国文学への寄与といふことを、その学問的目標の中から除外してはならないと思ふのである。近世国語学の志した国文学への寄与といふことは、その線に沿つて、今後も助長されねばならないことである。私のささやかな業績「古典解釈のための日本文法」(日本文学教養講座の中)は、右に述べた国学的理念に基づく国語学の使命を具体化したものである。
 以上述べたことは、国学の双生児としての国文学と国語学との関係であるが、両者の関係をただこの点において見るならば、その交渉は、極めて限られた一点において接触を保つてゐるに過ぎないのである。文学研究における言語学派の立場といふことは、ただ「古典解釈のための日本文法」を完成さすことを意味してゐるのではないのである。
 ここにおいて、私は問題の焦点を、学問的交渉の問題から、研究対象である文学及び言語の交渉の問題に移して見ようと思ふのである。

二 文学と言語との関係

 学者は、とかく学問の組織についてのみ苦労し、またその中に安住して、学問の地盤である研究対象自体に眼を注がうとする勇気と熱意を失ひがちである。このことは、外国で出来上つた学問の組織と方法の移植の上にのみ成立して来た明治以後の学問において特に著しいのではないかと思ふのであるが、学問の発達は、既成の学問の組織を、理論を以て修理、改造することにあるのではなく、対象そのものへの沈潜と凝視によるものであることは、余りに自明のことであるにもかかはらず、それが必しも実行されてゐるとは云へないやうである。私は、国文学と国語学との学問的関係を、文学と言語との関係の考察から、再編成してみようと思ふのである。
 文学において言語を考へることは、文学において美を考へたり、文学において思想を考へたりすることより、根本的でないとは、決して云ふことが出来ないのであるが、それが一般に軽く扱はれるのは、文学において言語を考へることが、余りに自明のことであり、また余りに卑近のことと考へられてゐるためではなからうか。
 しかしまた、考へやうによつては、現代の文学観の中に、文学において言語を考へることを阻む文学観が存在するとともに、言語において文学を考へるにふさはしくない言語観が存在するためではないかとも考へられるのである。
 詩や韻文が、文学の王座を占めてゐた時代から、散文が文学の王座を占めるやうになつた近代において、文学における思想といふことが特に強調されるやうになつた結果、文学の本質はその思想性にありと考へられ、少くとも文学を支へるものとして、その思想が重要なものと考へられるやうになつて来た。しかしこのことは、実は近代文学の特質を規定するものではあり得ても、文学そのものの本質を規定するものではあり得ない筈なのである。それは、文学の本質を感情情緒に求める文学本質観が内容主義であると同様に、これもまた内容主義に過ぎないのである。しかしながらこの文学観において、文学における言語といふことが、全く無視されてゐる訳ではないのであつて、そこでは、文学といふものと言語といふものが、一応切離されて考へられてゐるに過ぎないのである。言語は思想の衣装であるといふやうな考方に支配され、文学の本体を衣装の奥にひそむ思想において捉へようとするのである。
 以上のやうな文学観は、いはば、文学における構成観である。文学研究は、文学における諸々の構成要素を摘出し、その要素の有機的連関において文学を把握しようとするのである。久松潜一博士が、文学において、文学性、民族性、歴史性、風土性などとともに、言語を言語性として摘出された如きは、その代表的なものの一つである(国文学通論)。このやうな文学構成観は、また伝統的な言語観においても支へられてゐることも見易いことである。伝統的言語観においては、言語は、表現とは別個に存在する一つの体系である。文学的表現は、その表現に際して、それとは別の世界にある言語を借用して表現を成立させると考へるのであるから、文学を考へる場合に、借物であり、衣装である言語を一応除外して、その本体をつきとめようと考へるのもまた当然であると云はなければならない。
 以上のやうな文学観は、また、文学における言語を、絵画における絵具、建築における木材や石材等の類推において考へる考方に支へられてゐる。絵具、木材、石材等は、表現を成立させ、これを鑑賞する享受者に媒介するものとして、媒材と呼ぶにふさはしいものである。しかしながら、文学において、言語が媒材であるといふことは、全く比喩的にしか云ふことが出来ないことを知らなければならないのである。近世国学における解釈語学の立場も、言語研究を作品理解の手段であり、関鍵であるとするところに、上に述べて来た文学観に支へられるものがあるのである。国語学を以て、国文学の一領域として位置づけようとする説も必然的に生まれて来るわけである。
 以上のやうな文学観と、文学と言語との関係についての考方に対して、これとは全く別個の考方は、文学は、言語表現そのものであり、文学は言語以外の何ものでもないとする考方である。この提案こそ、本稿の主題である文学研究における言語学派の立場の表明であるが、この提案を支へるところの言語観は、伝統的言語観ではなくして、私が国語学原論に述べるところの、言語を、表現理解の行為そのものであるとする言語過程観である。もちろん、言語過程観そのものが、厳しく批判されなければならない今日、このやうな学説を前提として論を進めることに危険が感ぜられるにしても、言語過程観の適用或は具体化として、この学説の批判に一つの手がかりを与へるものであることは認めてよいことであらう。
 文学は言語そのものであることは、あたかも、芸術的な建築物──例へば、法隆寺、修学院の如き──が、その本質において、一般の住宅、店舗など以外の何ものでもないのと同じである。このことは、一般に工芸品といはれてゐるものについては、普く認められてゐることで、国宝として重要視される花瓶が、通常の家庭に日常用ゐられる花瓶と、本質において異なるものでないことは明かである。異なるところは、一方が美的享受の対象となるのに対して、一方がさまで関心をひきおこさないといふだけである。しかも、その美的享受の対象となる美そのものも、建築或は花瓶としての要素に、別に新しく加へられたものとしてあるのではなく、建築として、或は花瓶として美が存在するのである。文学として、美が欠くことの出来ない条件であるとするならば、それは、言語以外に加へられた美ではなくして、言語そのものの美において文学が成立すると云はなければならないのである。
 以上のやうな文学と言語との関係についての見解から、直に導かれて来る次の見解は、文学と言語との間に、これを截然と分つ明かな一線を引くことが出来ないといふことである。小学生が書くところの遠足の記録、感想の文章と、芭蕉の綴る奥の細道の紀行とが、その本質において全く異つてゐると見ることは出来ないので、言語表現として、全くその本質をひとしくするのである。文学研究の出発点を、このやうな点に置くところに、文学研究における言語学派の立場があるのである。もちろん、ここでは、文学研究の出発点を示したので、小学生の作文と、芭蕉の紀行文を等価値として見るべきであることを主張したのではないのである。しかしながら、以上のやうにして、文学と言語との本質を同一視することから、文学を言語から区別する価値の問題が生まれて来るのである。価値の問題こそ、文学研究を言語研究から区別する最も重要な点でなければならないのである。
 文学は、言語以外の何ものでもないといふ見解を持つことは、文学を以て、科学的論文や、新聞の三面記事や、商業上の通信や、異性間の恋文や、日常の挨拶などとは全く異つた次元にある、何か神秘的なものであるかのやうに考へてゐるものにとつては、右のやうな見解を持つことに、多分の勇気を必要とすることであらうが、最も素朴な態度を以て、しかも先入観を捨てて対する時、古今集中の一首が、日蓮上人遺文中の一節に対して、明かに一方が文学作品であることを主張する根拠を見出すことは恐らく困難であらう。文学が、言語において、ある価値を附与されたものであるといふことを、文学は、言語を地盤としてその上に築かれたものであるといふやうに云ひ表はすことは、なほ恐らく誤解を招くかも知れない。なぜならば、文学は、言語といふ地盤の上に建設される、言語とは別個の何ものかであるといふ風に受取られるからである。もし強ひていふならば、為兼卿とともに、文学は、「心のままに言葉の匂ひゆく」ものであるとでもいふべきであらう(為兼卿和歌抄)。文学は、言語にブラス或るものではなく、言語の展開して行く姿、もつと厳密に云ふならば、心が言語に表現されて行く姿において把握さるべきものであらう。川の流れには、淀もあり、渓流もあり、運河のやうなものもある。常にそれは川であるが、文学はこの川の流れの一つの姿である。
 文学が言語そのものであるといふ見解は、文学の尊厳を泥土に塗れさすやうなものであるかも知れない。しかしそのことが、日本文学の研究に、更に広大な視野を与へるものであることを明かにすることは、本稿の主題の第二の問題である。
 そのために、先づ、言語の機能が何であるかを明かにし、それが文学の問題とどのやうに関連するかを見て行きたいと思ふ。

三 言語の機能──実用性、社交性、鑑賞性──

 ここで機能といふ語は、次のやうな意味に用ゐられるのである。
 例へば、時計のゼンマイを例にとつて考へて見る。ゼンマイは、その力によつて、歯車を廻転せしめ、更に針を動かして時刻を示す仕組になつてゐる。ゼンマイの活動は、順次、他の機関を活動させるのであるが、この一連の機鬨には、相互連閧性があつて、ゼンマイが故障を起こすならば、自然、歯車の廻転も停止するのであるが、同時に、もし歯車に故障が起こつた場合は、ゼソマイの活動も停止することになる。このやうに各機関の間に相互連関性がある場合に、これらの関係を、機能的関係といひ、一機関の他の機関に及ぼす作用を、その機関の機能といふのである。機能といふ語の意味は、一般には大体右のやうな意味に用ゐられると私は解するのである。従つて、ある機関の機能といふ時は、その機関の活動だけを、拙象して考へるのでなく、常にその活動によつて作用される他の機関を予想するところの概念である。消化器の機能であるとか、交通機関の機能であるとかいはれることは大体以上のやうな意味であると考へて差支へないと思ふのである。
 さて、言語において機能といふ時、それは例へば次のやうな場合を考へることが出来る。煙草屋の店頭で、私が、「たばこを下さい」といふ時、私の言語行為は、煙草屋の娘が煙草をとつて、私に渡すといふ行為を起こすことになるし、またそのやうな行為を予想して、行為されるのである。更にそれによつて、私は喫煙の欲望を満足させることが出来るのである。言語はこのやうに、自他の行為や生活と機能的関係を持ち、言語には、このやうに自他の行為を促し、また制約する機能があるといふことが出来るのである。我々は、相手の言語的表現行為を、くしやみや嘔吐と同様には受取ることは出来ない。くしやみや嘔吐には、他人の行為を促す必然的な機能といふものは考へられないのである。言語における重要な機能として、次の三つを挙げることが出来ると思ふ。
 (一) 実用的機能(手段的機能)
 (二) 社交的機能
 (三) 鑑賞的機能
右の三つの機能について順次解説するならば、
 (一)の実用的機能といふのは、言語の最も基本的な機能であつて、我々があらゆる生活を達成するために、その手段として表現される言語行為である。言語はこの機能の故に存在すると云つてもよいのである。それが常に生活の手段であるところから、手段的機能とも云つてよいであらう。これに属するものは、日常衣食住に関して取り交はされる会話、「これはいくらですか。」「三時に開会します。」「早目に来て下さい。」「君は馬鹿だよ。」等は、相手の生活を左右し、自己の生活目的を達成する手段として行はれるもので、実用的機能の部類に入れることが出来るものであるが、なほこの外に、我々が知識を獲得するために読む科学の記述に属する論文、人生の指針、煩悶の解決、教養、修養のために読む宗教、哲学、文学の書物、社会や世界の動きを知るために読む新聞、雑誌の報告の文章等、これらはすべて、実用的機能を持つ言語的表現であると云はねばならない。人生教科書と云はれる近代文学の如きは、その根本的機能の点より見れば、最も高度な実用性を期したものである。特定の相手に向つて表現される恋愛の贈答歌の如き、それによつて相手の生活や行動を制約しようといふのであるから、これまた実用的機能以外のものでないことを知るのである。
 (二) 社交的機能
 一般に社交と云はれることは、行為それ自身が目的であると云ふよりも、そのことによつて、相互の感情の疎通と融和を図らうとするもので、例へば、主客が共にする会食の如きがそれである。食事の目的は、空腹を満し、栄養を摂ることにあるのであるが、会食は、食事そのことが目的であるよりも、食事によつて、主客の感情を和げ、その雰囲気を楽まうとするところに主要の目的がある。ダンス、スポーツ、遊戯等皆同じやうな意義を持つてゐる。言語について、これを云ふならば、例へば、朝夕の挨拶をはじめとして、「どちらへお出かけ?」「お寒うございます。」「おいくつ?」「御愁傷様です。」等の言葉は、実用的機能において表現される質問、報告といふよりは、そのやうな表現を通して、お互の感情を和げようとする社交的機能において表現されるものである。故に相手は、これらの質問や報告に対して、必しも厳密な答へを要求されるわけでもなく、また知識の獲得を求めてゐるわけでもない。人はただこのやうな表現が行はれることに満足と喜びを感ずるのである。
 (三) 鑑賞的機能
 ある事件の報告を聞いて、その解決を喜ぶとか丁重な挨拶に対して相手の温い心やりを感謝するとかいふこととは別に、ある表現が極めて適切であるとか、「なるほどうまく云へてゐる」と頷かせるやうな感情を起こさせるところの表現の機能であつて、それは、実用性、社交性と並立した機能であるよりも、実用性、社交性に相伴ふ機能であるといふべきである。それは、表現そのものに対する感銘である。「物も云ひやうで角が立つ」といふことは、我々は言語において、実用的機能においてこれを理解しながらも、絶えず表現そのものに対して鑑賞的機能を以て相対してゐることを知るのである。しかし、それは必ずしも文学と呼ばれるものに特に要求される機能ではなく、日常の会話においても、或は事務的報告においても、要求されてゐることは、少しく言語の実際を反省して見れば容易に頷けることである。
 以上、私は言語において、実用、社交、鑑賞の三つの機能を指摘して来た。なほ、これ以上のものが挙げられるかも分らないのであるが、暫く右の三つの機能をとりあげて、これらを識別することが、文学の理解にどのやうな意義をもたらすものであるかを明かにしようと思ふ。
 文学と言語との間に、一線を画すことが出来ないといふ事実は、これを機能の点からも云はれることである。文学と云はれてゐるものも、結局において実用的機能を脱することが出来ない。そればかりか、文学は、高度の実用的機能を持つ故に、これを文学として、一般言語表現から区別することが出来るともいひ得るのである。一般に文学研究は、その研究対象を、鑑賞せらるべきものとして規定するのであるが、そして勿論、文学として選ばれたものは、そこに高度の鑑賞性が要求されてゐることは当然であるが、作品が第一義的に持つ実用性を無視することは、実に鑑賞性をも正当に把握出来ないことになるのである。鑑賞性といふことは、実用性に伴つて始めて考へられることなのである。例へば、
  君が行きけ長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ(万葉集八五)
の歌は、本来、鑑賞されるべきものとしてあるのではなくして、恋慕に堪へない者が、相手に呼びかける言葉としてあるので、当然相手の反応を期待し予想するものとして制作されたと考へなければならない。この第一義的な機能を離れては、この歌の鑑賞は成立しないのである。また例へば、
  夕やみは道たづたづし月待ちていませ我が背子その間にも見む(万葉集七〇九)
も同様に、ある少女が相手である男を引き留めようとする懇願の表現であるからして、相手はこれに応ずるか、或はこれを拒むか、そのいづれかを、とることが促されてゐるのである。相手の心を捉へ、その行動を左右しようとする実用的機能は、この歌の鑑賞性の度合によつて、更に増大するわけであるが、この歌を受取つた相手が、もし、この歌をただ鑑賞さるべきものとして受取つたとしたならば、甚だ滑稽なことになるであらう。一般に文学作品が読まれる場合には、鑑賞性はただ実用性を支へるものとしてあるだけで、多くは実用的機能において受授されるのが、普通ではないであらうか。源氏物語の読者は、作中に出て来る源氏や姫君の運命に一喜一憂しながら、あはれにも、をかしくも感じながら、即ち、事件の興味にさそはれて、巻を追うて行くのが、最も自然であつて、鑑賞性といふことは、この読書の継続を支へるものとしてのみ価値があるのである。文学研究の第一歩は、文学作品の持つこのやうな実用的機能において作品が理解されることが重要である。
 文学と云はれるものが、言語と同様に、実用的機能を第一とするといふことは、文学と他の芸術作品、例へば、絵画や彫刻の類と、いちじるしく異なるところである。もちろん、宗教的絵画の如きは、多分に実用的機能を持ち、例へば、キリスト教における聖徒の奇蹟画の如き、それによつて信者の信行を高めることを意図してゐるのであらうが、今日の絵画は、恐らくこのやうな実用的機能においては受取られてゐないであらう。しかし、言語であるところの文学は、恐らく永久にその根本的性格である実用的機能を捨てないであらうし、また、文学がその実用的機能を放棄する時は、文学は言語芸術としての資格を喪失する時であらう。それはあたかも、人の住むことの出来ない建築芸術を想像するやうなものである。
 言語の機能を無視した文学研究の更に一つの迷路は、文学は鑑賞さるべきものであるといふ観点を、文学の制作態度そのものに投影して、文学の制作を、専ら作者の自然人事に対する観照的態度の表現に限定して考へることである。少くともそのやうな文学を、最も文学的な文学と考へる考方である。例へば、
  み吉野の象山のまの木ぬれにはここだも騒ぐ鳥の声かも(万葉集九二四)
  淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば心もしぬに古へ思ほゆ(同二六六)
の如き、自然人事に対する観照的態度の所産であり、近代文学に及ぶまで、文学作品が自然人事に対する作者の観照的態度の所産でないものはない。そこでは、文学の索材は、常に作者に対立した世界であり、作者は、何等かの態度で、或は人生観を以てこれを眺めてゐるのである。もしこれを「眺める文学」と名づけるならば、文学作品は多く眺める文学として制作されたものであるとは云ひ得るであらうが、文学をただこれに限定し、或はこれを以つて価値の基準とすることは危険であらう。文学は、言語とともに、常に眺める態度のみから制作されるとは限らないのである。
 ここで飜つて言語の世界を考へて見よう。我々は、ある事件や心境に関する記録や報告や感想についての文章を持つてゐる。しかし、言語の世界においては、表現は常に必しも、表現者に対立した客体的世界(作者の心境の推移をも含めて)を記述し、報告し、描写するものとしてだけ成立するとは限らない。我々は、それとは別に、相手に向つて、意志し、命令し、要求し、懇願し、求愛し、憎悪し、禁止し、勧誘する等の表現を持つてゐる。これを一括して、「呼びかける表現」と名づけるならば、それは、眺める態度から生まれる表現とは、明かに区別せられねばならない表現形態である。
 文学がもし言語そのものであるならば、文学の中にも、当然この表現形態に属するものが存在する筈であるし、事実それが存在し、かつ、我々が古来これを立派に文学と認めて来たことを見出すことは困難ではないのである。
  かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根し枕きて死なましものを(万葉集八六)
  熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな(同八)
  三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなむ隠さふべしや(同一八)
  大船をこぎの進みに岩に触り覆らば覆れ妹によりてば(同五五七)
 更に万葉集開巻第一の雄略天皇の御製の如きも、明かに菜摘む乙女に対する求愛の言葉である。岡崎義恵教授は、文学における感動といふことを、自然人事に対する眺める感動に限定された為に、この歌の中に、強ひて、求愛の前提となつた、作者の乙女に対する感動を求め、それをこの歌の鑑賞の対象とされたことは賛成出来ないことである(芸術論の探求一五五頁ー)。もしこの歌において鑑賞の対象を求めるならば、それは、この求愛の表現そのものに求められなければならない。
 文学において、呼びかける文学に対して、眺める文学が優位を占めるやうになつたのは、明治以後の西洋文学論の影響であらうが、それとは別に、既に支那詩論の影響によるものではないかと思ふ。古今集序に、
かくてぞ花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露をかなしぶ心ことばおほく、さまざまになれりける。
とあるのは、和歌において観照的態度の優位を主張したものであるが、この主張は、古来の和歌を通観して、そこから帰納的に齎された結論であるといふよりは、外来文学論から割出された演繹的な和歌の基準の設定であると云ふことが出来るのではないであらうか。この基準に照して見るならば、万葉集以来、その重要な部分を占める呼びかける歌は、「まめなるところには、花すすきほに出すべきことにもあらず」(古今集序)として却けられてしまはなければならなくなつたのである。ここに古今集以下の勅撰集的和歌の系列が生み出されることになつたのである。例へば古今集においては、恋愛歌は多くの場合に、恋情を眺める態度において製作されたものであつて、相手に求愛し、相手に嫉妬し、或はこれを恨み、或はこれを引き留めようとする呼びかけの歌といふものは稀である。
  ほととぎすなくや五月のあやめ草あやめもしらぬ恋もするかな(古今集四六九)
  行く水にかずかくよりもはかなきは思はぬ人をおもふなりけり(同五二二)
  風吹けば峯にわかるゝ白雲のたえてつれなき君が心か(同六〇一)
 右は、恋ふる心そのものを歌つたものではなく、恋ふる心を反省したり、或は相手の態度を観察するところから生まれた歌で、従つて、これらの歌には、特に呼びかけられてゐる相手といふものを考へる必要がない。いはば独白的な表現である。そこでは恋が自然の風景に対すると同じやうな観照的態度で眺められてゐるのである。極端に云ふならば、これらの恋愛歌は、恋愛の心理学的分析の記述に類するもので、同じく古今集における一連の自然に対する観察記録の歌に通ずるものなのである。
  み山には松の雪だにきえなくにみやこは野辺のわかなつみけり(古今集一八)
  とき葉なる松のみどりも春くれば今ひとしほの色まさりけり(同二四)
  わがせこが衣春雨降るごとに野辺のみどりぞ色まさりける(同二五)
  梅の花にほふ春べはくらぶ山やみに越ゆれどしるくそありける(同三九)
 右の歌は、全く自然に対する科学的観察から生まれたもので、これをしも日本における自然科学的記述の萌芽といふならば、余りに滑稽に、また牽強附会にも聞えるであらうが、さればとて、これらを特に文学として説明するために、自然科学的記述と峻別することも、一の牽強附会に導くものなのである。我々は、自然主義文学者が、自然科学の態度を以て人生を観察し、記述し、描写しようとしたことをここに思ひ浮べる必要があるのである。要するに、古今集は、「呼びかける歌」に対して、「眺める歌」の優位を主張した結果、恋愛は自然に対する観照的態度と同様な態度を以て表現され、自然もまた観照的態度より進んで、思惟の対象として取扱はれ、ここに自然科学的記述に近い歌を生み出したことは、万葉集の歌と比較して著しく相違する点である。
 以上述べたやうに、古今集以下の勅撰集は、その官撰的立場から、作歌の態度において、観照的態度の優位を主張した結果、万葉集において多数を占める「呼びかける歌」の価値を無視してしまつた。そればかりでなく、以後の文学論の方向を規定してしまつたことは見逃し得ない事実である。それにも拘はらず、我々が万葉集において愛誦する歌の多くに、「呼びかける歌」のあることは注意しなければならないことである。
  秋風の寒き朝けを佐畏の岡越ゆらむ君に衣借さましを(万葉集三六一)
  旅人の宿りせむ野に霜降らば吾が子羽ぐくめ天の鶴むら(同一七九一)
  石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか(同三二)
 勅撰集的立場から、或は歌論的立揚から拒否された「呼びかける歌」も、実際の作歌生活において、決して姿を没し去つたのではなかつた。例へば、大和物語第一五三話に見える女の歌、
  我もしかなきてぞ人に恋ひられし今こそよそに声をのみ聞け
に対して、男は、「かぎりなくめでて、この今の妻をば送りて、もとのごとなむ住みわたりける。」といふ結果になつたことが記されてゐる。歌が鑑賞の対象としてよりも、生活を左右する実用的機能において、言葉を換へて云へば、日常会話におけると同様な機能を果してゐたことが知られる。しかし、この歌がこれだけの実用的機能を発揮し得たのは、その表現における鑑賞的機能の故であることは勿論である。
  附記 これらの問題については、私は嘗て触れたことがあるので、ここでは簡略に止めた。
   韻文散文の混合形式の意義(古典解釈のための日本文法の中)
   源氏物語の文章と和歌(源氏物語講座下巻)

五 文学史と国語生活史

 文学は、その根本において言語であるとするならば、文学史は言語史の一部でなければならないことになる。ここに言語史といふのは、嘗て私が本誌に述べたやうに(註)、人間が音声や文字を以て、思想や感債を表現し理解する生活の歴史を意味する。朝夕の挨拶を交換したり、事件の報告をしたり、記録を作つたり噂話に耳を傾けたり、近況報告の手紙を読んだり、政治的な声明書を発表したり、新聞の雑報欄を読んだりする言語生活の歴史的記述を意味する。文学史は、このやうな言語生活史の一環として記述されなければならないのである。
  註 国語史研究の一構想(国語と国文学二六ノ一〇、一一)
 文学史が言語生活史の一環として記述されなければならないといふ提案は、どのやうなことを意味するかといふならば、文学史の重要な要素として、創作者の創作生活と同時に、読者の読書生活といふことが取上げられなければならないことを意味する。ここに読者といふのは、作者が制作に際して予想するところの読者ではなく、作品を読み、鑑賞するところの読者をいふのである。読者の読書生活といふことは、言語生活史の重要な部分であると同時に、そのことが、また、文学史の重要な記述の対象とならなければならない。ある時代の六十パーセントの大衆が、文学的基準より見れば比較的価値の低いある作品を愛読し・それを精神生活の糠としたといふ事実が明かにされるならば、そのことは、文学史上重要な事実として記述されなければならない。またある場合に、ある作者は、自己の制作した文学的労作を、篋底に深く蔵して、全然社会に発表することなく過ぎてしまつた。後の時代にこれが発見されて、その価値が認められたとしても、それが、この作者一個の創作活動に限られてゐて、他の人の読書生活に全く関係が無かつたとするならば、それは文学史上の問題としては、普及した大衆小説以上の歴史的価値をこれに附与することが出来ない。源氏物語の文学史的意義といふものは、その作品そのものの価値において見られるよりも、それが当代及び後の時代に、如何に多くの人によつて愛読されたかといふことによつて決せられなければならない。更に云へば愛読率によつて、源氏物語の歴史的価値が決定されるといふよりも、源氏物語を読むといふことそのことが文学史的事実として取上げられなければならないのである。古今集は、平安朝以後、宮廷を通じて多くの愛読者を持つてゐた。多くの人が古今集を読みかつ鑑賞したといふ事実は、著しい文学史的事実であり、そのやうな読書生活と、それに関連する作歌生活とが、後の時代の連歌俳諧の鑑賞生活や制作生活とどのやうに相違するか、またそのやうな相違は、何によつて齎されたものであるかといふやうなことが文学史の問題として追求されなければならない。前項に述べたやうに、もし平安朝時代に、勅撰集的或は歌合せ的作歌生活と、それとは全く異つた日常の実用的或は社交的作歌生活とが対立してゐたとするならば、これもまた文学的生活の二面として文学史上に考へられなければならないことである。
 日本においては、文学的鑑賞と制作の生活が、専門歌人の独占にゆだねられることなく、一般人の文学的生活の一部を占めて来た。このことは、日本文学と外国文学との質的相達を示すものとして注意されなければならないことであるが、このやうな問題も、文学史を読者の文学的生活といふことを考慮することによつて始めて可能となるのである。
 総じて、従来の文学史的記述は、創作者の制作経験の分析とその歴史的記述に終始して来た。これは文芸学的立場においても、歴史社会学的立場においても同様であつた。制作者個人の美的体験の追求、或は作家の人生観、世界観に対する歴史的社会的制約の考察といふことが主要な題目とされて来た。その結果、文学史は他の政治史と同様に、一種の天才史、英雄史として記述せざるを得ない結果になつてしまつたのである。文学が、優れて天才の所産であると同時に、他の一面、多くの読者が、それによつて人生について喜び、悲しみ、或は魂の昂揚と救済とを得て来たことを考へるならば、文学史は、天才の創作の歴史であると同時に、一般読者の鑑賞の歴史であり、それ故にこそ文学史は、その民族の文化史となり得るのである。
 文学史は常に現代的意義において書きかへられねばならないといふ主張には、二の危険をはらんでゐる。一は、ある作品のその時代における受容の実態を見失ふに至ること、二は、文学史を天才史に終らしてしまふことである。このやうな文学史は、民族の精神史とは全く遊離したものを形成してしまふことになる。文学史が読者の文学的受容史として、記述されなければならない根本的理由は、文学の本質的機能に根ざしてゐることであつて、建築とか絵画とかゞ、特定の限られた人の受容に限定されてゐるのと全く異なつた性質を持つてゐるところから来ることである。
 古代文学の作品が、数世紀を隔てた後の時代に再生されることがある。いはゆる文芸復興といはれる現象である。例へば、万葉集が明治時代に多くの読者を持ち、またその歌風が再興したことである。万葉集が多くの読者を持ち鑑賞されたことは、明治文学史上見逃すことが出来ない事実であるといふことは、それがその時代の精神生活の重要な部分を占めてゐるがためである。万葉集をただ奈良朝時代における文学史的事実であると考へるのは、文学史を創作史的に見るところから来る偏見と考へるのである。

六 文学的体験の分析

 ここに文学的体験といふことが、何を意味するかは後に述べることとする。
 和歌において、観照的態度を重じたことは、古今集序以来のことで、ここにおいて、文学論は創作者と表現せられる素材或は題材といふものを対立させて考へる道を開いた。「眺める歌」において、眺められる自然或は眺められる感情情緒といふものが考へられて来るのである。そして、作品の文学性を専らこの眺められる素材によつて規定しようといふ考方が出て来るのである。
  いは走る垂水の上のさ蕨の萌え出つる春になりにけるかも(万葉集四一八)
  ほととぎすなくや五月のあやめ草あやめもしらぬ恋もするかな(古今集四六九)
 前者は、自然に対して、後者は、我が恋情に対する観照的態度の所産として、この作品の文学性を、眺められた自然並に眺められた感情によつて説明しようとするのである。確かにこの作品の成立する動機は、自然、人事に対する観照であつたであらう。しかしそのことが、これら作品を文学であるとする根拠にはならない筈である。それは、自然主義文学において描かれてゐる人生或はそれに対する作者の人生観、世界観が、その作品の文学であることの支へにならないと同じである。私はこのやうな、作者の自然人事に対する観照的態度を文学的体験といふのではないのである。それは文学成立の契機或は条件として認むべきことなのである。
 次に、文学には、以上の如き観照の対象となる「眺められてゐるもの」の無い表現がある。例へば、「私はしかじかのことを要求する」とか、「私はしかじかのやうに思惟する」といふ表現がある。
  淡海の海夕浪千島汝が鳴けば心もしぬに古へおもほゆ(万葉集二六六)
  歎きつゝ一人ぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る(蜻蛉日記)
右の歌は、思考過程そのものの表現であつて、思考過程が反省の対象となつてゐる訳ではない。その点前の例歌とは余ほど趣を異にするのであるが、私が文学的体験といふ時、これらの思考過程そのものの美的価値を問題にしようといふのではない。
 文学が、作者の感情情緒を表現して、読者に共感を求めるのは、科学論文が科学的知識を伝へ、新聞が社会の出来事を報道すると同様に、文学の実用的機能に属することであつて、そのやうな素材の相違から、文学と非文学を区別することは出来ない。そしてまた、そこに文学的体験を求めることは出来ないのである。文学をして文学たらしめるものは、そのやうな作者の感情情緒を、表現に定着させること、そのことになければならない。表現に定着させる作者の体験において始めてこれを文学的体験といふことが出来るのである。これは文学研究において、極めて平凡な結論であるやうである。源氏物語を読んで、作者式部の人生に対する「物のあはれ」的感動を追体験出来たとしても、それは、平安朝的情緒を体験したことで、作者の文学的体験を追体験することとは全く別のことである。
 以上のやうに論じて来るならば、次のやうなことが結論されて来るのである。作者の文学的体験といふことは、作品を読むことの結果として把握されることではなくして、作品を読むことの刻々において読者の脳裏に印象づけられるところのものである。読むことの体験が即ち文学的体験と云はれるものでなければならない。従つてもし文学的体験を分析して示すとならば、そこには先づ語音の連続から来る韻律が体験されるであらう。更にそれぞれの語音がもたらす視覚表象、音響表象、或は触覚、圧覚といふものが知覚されるであらう。時には語の排列における均斉感流動感が感ぜられる。そして全体から受ける一つの世界が印象される。また屡々文字から受ける印象がこれに交錯する。文学的体験とは、以上のやうに、作品の表現面から、これを読むことによつて体験される一切の総和として成立するのである。古来和歌評論において、一首の姿といひ、調べといひ、「優」「つづけがら」などいふのは、表現における体験を問題にしたので、作者の「もの」に対する感情情緒の美的判断に基くものではないのである。従つて、呼びかける言葉でも、それが美的に表現されるならば、文学と呼ぶにふさはしいことは、万葉集の多くの歌がそれを証明してゐるであらう。
 以上述べたところによつて、文学的体験は、作者個人のものであるばかりでなく、これを読むことによつて、多くの読者がひとしく経験することが出来るものである。文学史が読者の読書史、鑑賞史でもなければならない理由はここにもあるのである。

    七 解釈における自由と制約

 文学作品の鑑賞は、これを読むことによつて成立する。換言すれば、作品は解釈を通して再生されるのである。解釈作業が厳密であるならば、従つて、原作者の体験をそのまゝに読者において体験することが出来ることとなるのである。しかしながら、鑑賞の対象となる作品と、鑑賞者との時間的距離と経験の相違によつて、解釈作業には、種々面倒な手続きを経過しなければならないことは、古典解釈の歴史がこれを示してゐるので、そのことは、ここには繰返さないつもりである。今ここで取上げようとする問題は、次のような事実についてである。例へば、
  み吉野の象山のまの木ぬれにはここだも騒ぐ鳥の声かも(万葉集九二四)
において、赤人の経験した「象山」とは、標高何米かの特定の形状を持つた山であり、「木ぬれ」とある「木」は、何等かの種類の樹木であり、「鳥」も特定の鳥であつたに違ひなく、その「声」も、その鳥の鳴声で、ある特定の鳴声をして居つたのであらうが、それらのことは、一切表現面からは汲取ることは出来ない。解釈は、一一それをつきとめて、赤人の経験した事物そのものの具体相を追求することが要求されているのであらうか。或は、今においてそれをつきとめることは殆ど不可能であるとして、ある程度に止めて満足するより致方ないと考へるべきであるのか。もしこのやうに考へるならば、古文学の解釈は、すべて不満足な段階に止まることを余儀なくせられてゐると考へざるを得ないし、文学的表現の不完全さをかこつより外ないこととなるのである。
 もし文学が、その表現の的確さにおいて到底絵画や彫刻に及ばないものであるならば、そこから鑑賞の限界といふものも考へられなければならない訳である。しかしながら、ここにおいて、文学において絵画を求め、彫刻を求めて、遂にその及ばないことを歎くといふことは、果して文学において、その正当なものを追求してゐることになるのであらうか。文学における表現とは何であるか。文学において描写といふことが云はれる時、その描写とは如何なることであるか、といふことがもう一度考へられなければならないと思ふ。
 文学的表現が、その根本において言語的表現以外のものでないとするならば、文学において表現が問題になり、描写が問題になつた場合、何よりも言語における表現と描写にこれを還元して考へることが必要であると思ふのである。例へば、表現者甲が、目前の「桜の花」を云ひ表はすのに、「桜の花」と表現したとする。この表現は、聞手乙が傍に居る場合には、それが直に具体的な目前の「桜の花」を理解さすことが出来る。そこで、この「桜の花」といふ語は、具体的な「桜の花」の表現と考へられるであらうが、実はこのことは、語が具体的な個物そのものを表現する証拠とはなり得ないのである。聞手乙が、具体的な個物を理解し得たのは、たまたまこの会話の環境に具体的な桜があつたがために、甲の表現しようとする個物を乙が理解することが出来たので、語がある事物を喚起さす機能といふものは、決して右のやうなものではないのである。一般に語が喚起さすことが出来るものは、概念に過ぎない。聞手乙が、表現者甲と離れてゐる場合を考へればよい。乙が甲から、「桜の花が咲いた。」といふ報告を受けた時、「桜の花」といふ語によつて喚起し得るものは、単なる概念にしか過ぎないのである。言語が常に概念の表現であるといふことは、科学的思考の表現において、言語が最も重要な手段であると考へられる所以であるが、同じ性格を以て、言語が文学的表現となり得るのはどのやうな理由に基づくのであらうか。
 言語は常に概念しか表現出来ず、また概念しか喚起出来ない。
 具体的なものを具体的なものとして指示することは、言語表現では不可能なのである。具体的なものを常に概念としてしか表現出来ないといふことは、言語の宿命的な性格である。表現者は、出来るだけ具体的な姿を表現するために、これに「美しい桜の花」とか、「咲きほこつてゐる桜の花」といふやうに、云はゆる限定修飾語をこれに冠するのであるが、修飾語として用ゐられる語そのものもまた、結局、概念の表現に過ぎないのであるから、具体的なものそのものを描出すことは出来ない。言語は以上のやうな性格のものであるから、これを受取るものは、決して表現者甲の表現しようとする事物そのものを理解することが出来ないのは当然である。一般に聞手乙は、どのやうにして理解するかと云ふならば、乙は、自己の経験に照して、この概念に肉付けをするのである。あるいは、自分の嘗て見た桜の花を思ひ浮べるといふ風に。それは表現者甲の見てゐるものとは異なつて居つても、それは言語においては許されなければならないし、それを許すところに言語表現の特質があるといふことが出来るのである。これを解釈における「自由」と名付けることにする。しかしながらまた一方、「桜の花」は、決して「椿の花」でもなく「菫の花」でもないといふ制約を持つてゐる。これを解釈における「制約」と名付けるならば、解釈は、右のやうな制約を限界としてその中で自由が認められるところの理解作業であると云ふことが出来る。言語が概念しか表現することが出来ず、その肉付けは、理解者の自由にまかされてゐるといふことは、音楽の演奏における楽譜の解釈と似てゐるといふことが出来はしないか。楽譜においては、音の高低、強弱、速度の一般的な指示はなされてゐる。しかしこれを具体化することは、演奏者の、また指揮者の自由にまかされてゐることである。
 言語が概念を表現するものであり、それの肉付けは、理解者の経験と想像にゆだねられてゐるといふことは、言語表現における最大の強味である。
 以上は、言語の受け渡しの実際を考察して来たのであるが、右の原則は、文学の描写機能の問題に、そのまま適用出来ることである。我々は源氏物語において、紫上についての多くの説明と描写を読む。しかしそれは結局において概念的表現であつて、紫上がさてどのやうな容貌と姿態の女性であるかといふことは、具体的には言語はこれを描き出すことが出来ない。それが絵画的に美しく描写されてゐると考へるのは、読者が銘々に自由に概念に肉付けすることによつてさう考へられるに過ぎない。しかもその自由は、我々に最大限にゆだねられた自由であつて、それを拘束する何ものもない。もしこれが絵画に描かれ、劇に登場して来た場合を考へるならば、紫上は既に固定されてしまつて、我々が自由に想像する余地といふものは与へられないことになる。言語表現とは、一定の埓の中で自由に遊ぶことが出来る運動場のやうなものである。紫上が、線と色彩によつて画布の上に固定され、俳優によつて舞台の上に現実に現れて来たとしたならば、我々は、物語が具体化されたことを喜ぶよりも、我々の想像の世界が、一挙に崩されてしまつたことを悲しむであらう。既に挙げた「みよしのの象山のまの」の歌についても同様で、その山、その木、その鳥がそれぞれに具体的に示されてゐないところに、これらの語の重要な機能が認められるので、我々はただ、山と木と鳥の声との総合から一つの世界を想像すればよいのである。解釈作業は、一語一語についてその制約の面を明かにすればよいので、それが具体的に如何なる個物を表現するかを追求することは、既に解釈の限界を越えたものであり、また言語的表現である文学の機能を無視したことにもなるのである。

あとがき

 以上数項に亘つて述べて来たことは、言語学的立場が、国文学に如何に寄与し得るかの概略を素描したので、各項目については、今後更に詳細に検討されなければならないことは勿論であるが、ここに説き及ぶことが出来なかつた問題も多々ある筈である。例へば、国文学と国語学との領域は、どのやうに区別せられるかの問題、詩歌と散文芸術とはいづれが言語芸術としての本領に近づいてゐるかの問題等は将来当然考へられなければならない問題である。
                                  昭和二十六(一九五一)年二月十三日



『国語と国文学』25巻4号 1948年

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最終更新:2022年03月24日 22:33