文法學は、言語の事實全般を研究對象とする言語學の一分科として成立するものであることは明かであるが、それならば、言語の如何なる事實を研究するものであるか。言語の學問としては、文字を研究する文字學、音聲を研究する音聲學、意味を研究する意味學、或は言語の方言的分裂の事實を研究する方言學、歴史的變遷の事實を研究する言語史學等等を數へることが出來るが、それらの種々な分科に對して、文法學は如何なる言語の事實を研究するものであるのか。文法學の對象が、文法であるとするならば、文法とは、言語に於ける如何なる事實であるのか。先づこの點を明かにしなければならない。
文法を以て、言語構成に關するすべての法式、または通則と解する考方がある。橋本進吉博士は、次のやうに述べて居られる。
すべて言語構威の法式又は通則を論ずるのが文法又は語法であるとすれば(筆者註、ここでは文法、語法といふことを、文法學、語法學の意味に用ゐてゐる。)、右に擧げた音聲上の種々の構成法や、單語の構成法や、文の構成法は、すべて文法(語法)に屬する事項といふことが出來る。(一)
事實、文法研究の中に、音聲組織の研究や語源研究をも含めてゐる多くの文法書もあるが、それは、言語についての一切の法則的なものを文法とする考方に基づくものであらうが、さうすれば、結局、文法學は言語についての一切の法則的なものを研究對象とする言語學と同意語となつてしまつて、文法學の眞の對象を決定することが困難になるおそれがある。
右のやうな説に對して、山田孝雄博士は、文法學の概念を限定して次のやうに述べて居られる。
これ(筆者註、文法學を指す)は語の性質、遐用等を研究する部門なり。(二)
即ち文法學は、語の研・究に限定されることになるのである。博士に從へば、語は言語に於ける材料であるから、常然その静止態の研究と同時に、その活動態の研究も含まれるが故に、いはゆる文の研究もこれに含まれると見るのである。安藤正次氏が語法を定義して、
語の相互間の關係を規定する法則をさして語法といふ。(三)
といはれたのは、山田博士の意味するところと大體同じであると考へて差支へないのであつて、かくして文法學に於いて、一般に語を研究する語論或は品詞論、及び語の運用或は語の相互的關係を論ずる文論、文章論或は措辭論に大別されることになるのである。
このやうな語及び語の相互關係の研究に對して、文字或は音聲の研究の如きは、語の分析された個々の要素についての研究を意味するのであつて、文法研究が、常に言語を一體と見て、それら一體である語の相互關係を研究對象とする點に於いて著しく相違するのである。
以上述べたところによつて、文法研究の對象が、言語の要素に關する研究である文字論、音聲論、意味論などと異なり、言語自身を一體として、それの體系を問題とし、研究する學問であることが、明かにされたと思ふのであるが、一體としての言語とは如何なるものであるかについて、それが語であるか、文であるかといふことになれば、今日までのところ、まだ明確な理論の基礎が築かれてはゐないやうである。一體としての言語が如何なるものであり、その體系が如何なるものであるかを明かにしようとするならば、先づ何よりも言語とは如何なるものであるかといふこと、即ち言語の本質が何であるかといふことが問はれなければならないのである。次に私はこの點を明かにしようと思ふ。
(一) 『國語學概論』(橋本進吉博士著作集 第一巻 二九頁)
(二) 『日本文法學概論』一五頁
(三) 『國語學通考』二九五頁
最終更新:2020年01月27日 11:12