アットウィキロゴ

有川武彦『増註源氏物語湖月抄』自序

自序
 源氏物語の価値ーそれは本邦文学の誇であり、世界文学の驚異であるなどと万人承知の事実を今更喋々する愚は学ぶまい。まことに家国の宝物である。昔者伝家の宝物はこれを筐底深く蔵して漫に之を開かず子々孫々よく之を伝承し保持したのである。然るに世を去り代を替へて其遠孫に至っては或は只之が伝来の宝物たることのみを知って、宝物夫自体の真価値を知らず真理解を有たないものも出来るといふ風であった。知識の低級であった昔時はそれでも済んだのであらう。併し、然らば何も其の宝物ならずとも、極端に云へば、密に瓦礫を以てそれと入れかへて置いても其の伝寥の宝物たることに於ては全然かはりないわけである。いかに伝家の宝物であっても吾々は宝物夫自体の真価値を認め真理解を有たなくては承知が出来ない。
 源氏物語は伝国の宝物である。我が帝国の亡びざる限り国に伝ふべき宝物である。否々、我が帝国が海中に埋没して消え失せるか但は火山の噴煙となって飛び去るやうな天変地妖の為めに消滅するやうなことがあっても恐らく世界文学の宝庫に残存すべき宝物である。斯の如き至宝の真価値を知らず真理解を有たずして、国民は、吾々は済まされない筈である。
 源氏物語は之を用ひて尽きず之を味うて厭くことを知らない宝物である。然るに万人尽く此の宝物を理解し賞美してゐるかといふに必ずしもさうではないやうである。早い話が、国文学の研究者、否、国文学の中でも特に平安朝文学の研究者に於てでも之を読むに現代文学に対するそれの如くにすら〳〵と了解し賞翫することは可成り難鰹なことである。
 源氏物語も製作された当時にあっては勿論吾々が現代文学を読むと同じことであったであらうけれども其後一千年に近い時間の間隔が出来た。空間上にも著しい変化があった。言語風俗を始め凡百の変遷は遂に、国語国文学の特殊な修養と準備とがないで、卒爾として之に臨めば更に全然了解できないものとなってしまった。否、平安朝末、鎌倉初期に於て既に了解に苦しむやうになってゐたことは当時に表れた註釈書が尤も雄弁にそれを証明してゐる。
 註釈書は爾来戦国末期に至る間、源氏奥入、水源抄、紫明抄、源中最秘抄、河海抄、花鳥余情、哢花抄、細流抄、明星抄、孟津抄等の諸書が表れた。然るに慶長年間、以上の諸書を集大成して岷江入楚が出た。其後凡そ七十年延宝元年に至って我が此の湖月抄が出版された。著者は延宝元禄期に於ける註釈の第一人者拾穂軒北村季吟翁である。翁の湖月抄を作るや従来の古註を悉く網羅して之を本文に按配し或は之を傍註とし或は之を頭註として之を繙くものをして最も便利なる最も平明なる註釈書としたのである。
 湖月抄は其著者の名声と註釈の平明とによって直に世に普く用ひられて実に徳川時代における源語流布本中第一位を占めたのである。然るに惜しい哉、誤字、句読の不正等幾多の欠点があって未だ以て全く遺憾なしといふ域にまで到達しなかったのである。よって明治二十三年、猪熊夏樹翁、之を校訂して妥当ならざる句読、仮名遣等を改め更に湖月抄以後の名著玉小櫛(本居宣長翁著)、玉小櫛補遺(鈴木朖著)から増註して出版された。併し今にして之を見るに誤植と思はるるものも多々あり兔も角其校訂今少しく厳密ならざるかの嫌あって旧態を出づること僅に数歩に過ぎず、時に却って改悪とさへ思はせらるることのなきを保せずである。
 然るに爾来、更に改訂せられたる湖月抄は現れて出ない。猪熊氏校訂の湖月抄も出版部数多からざりしものか、目下、極めて一部の蔵書家の書庫に蔵せられてゐるか或は又散逸して、坊間之を求むるに其所在を知らない有様である。然るに曩日欧州文芸に陶酔してゐた悪夢から覚醒しかけた国民は頃日俄に自国の文学を顧みるやうになった。すなはち古書の覆刻等可成りに盛行してゐるやうである。しかも猶湖月抄が前記の如き状態にあるのは真に遺憾至極ではないか。すなはち本書編纂出版の動機は実に茲に存するのであって、古註の殿堂たる湖月抄をして庶幾くば現代及将来の湖月抄たらしめんとするものである。
 本書は前記猪熊本を底本として其の誤謬を正し句読を改め送仮名の不備を補ふ等、只管読易からんことを旨とし、更に源氏物語評釈(萩原広道著)及源註余滴(石川雅望著)より適宜増註を施した。但し、なるべく本文を其侭にして、別に漢字を左側に添へ以て通読の便を計ってゐる。是は云ふまでもなく出来うるかぎり旧態を保存したい微意にほかならぬ。
 終りに臨み本書の為めに序文を賜ひたる恩師藤井乙男先生並に季吟伝を寄せられたる畏友樋口功君に特に感謝の意を表す。
 有川武彦


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2022年11月03日 11:46