御大切といふ言葉
ーー国語の史的観察ーー
最近にわが国上下の人心を最も深く感動せしめた第一報道の文句に御大切といふ文字がつかはれたとき、私は家庭に於て幼少な者から、御大切とはどういふ意味かと問はれた。私はその文句によれば恐れ多くもかうかういふ意味に拝察されるとのことを申しきかせた後、序でにその語の意義にまで立入つて分解的な説明をしておいた。それから暫時心の余裕を得たときあの御場合を離れて一般的にこの大切といふ語義の由来と歴史とについて一応考察を試みた。元来の字義になづんで論ずれば、切の字にはセマルといふ訓義があり、切迫といふ熟語にあらはれてゐるが如く、大切とは大に迫るの意味、切迫甚だしきの意味とも解し得るに位相違ないけれども、国語の史的観察の上から見るときは、必ずしも字義から直接に出たところの意味ではなく、我国旧来の俗語の意味から脱化したものと見なすべきであらう。あの御場合に於て仮りに大切といふ文字を大願といふ文字にかへてみたならば、感じは大に古典的にはなるけれども、人心への響きすなはち其語の与へる直接の語感はいくらかちがつたかも知れない。大原といふ成語は『書経』から出てゐるといふが、大切といふ熟語も漢土の古典にないとは限るまいけれども、この方は平安朝以来の日本の俗語を転用したと見るのが自然である。大切といふ語の同意語に大事といふ語が別に存じヽ大事にすると云ひ又大切にするとも云つて、物事の重要さ尊重さをあらはすに使つてゐる。動的に事柄の切迫と静的に物事の切要とは意味相通ずるけれども、国語にあつては、大切は切要重要の意より尊重の意に発達し来つてゐる。
大切は中古文学にはタイセチとよまれ、鎌倉期の軍記物その他の文学書に出てゐるが、なほこれらの時代にあつては、物事の切迫せるありさまの表現とも見られる場合がないではない。『宇治拾遺』に「門をおびたゝしくたゝきければ、下司出できて、ほそめにあけでいれ給へ大切の事なりといはすれば」とある場合の大切の如き、また『盛衰記』に、「大切に申合奉るべき事侍り、時の程だちより給へとて使者をつかはされたり」とある場合の大切の如き、むしろ緊急といふ意味に解すべきであらう。『盛衰記』の「甲斐なき命こそ大切なれ」の場合や、『平家物語』の「土産糧料ごとき物も大切にさふらふ」の場合とはいさゝか趣が違ふ。これらの語はむしろ緊要の意味と解すべきである。『著聞集』に「大納言家にも大切の者におぼして」とあるが如きは尊重の意味とみなすべきである。かくの如くして次第次第にこの語は重要また重要視といふ意味をもつ様になつて来た。但しこゝではそれらの意味上の推移を詳細にたどることは省くが、この語が足利氏中期以降徳川氏初期に至るまでの通俗字書すなばち節用集の類には登載せられてゐながら、語義に至つては指示されてゐないのは致し方がない。
然るに慶長八年の長崎吉利支丹版の『日葡辞典』を見るとタイセツといふ語に対して愛といふ意味の解釈を施してある。ポルトガル語でアモールといふ訳をあてた。ラテン語でもやはりアモールである。この辞典は明治の初年ごろにあたつて仏蘭西の伴天運レオン・パジェスが仏訳して出版した本があるから、私は以下仏蘭西語に重訳された方の訳語を挙げて説明しようと思ふ。仏語の方が現代人の耳にはなれてゐるからである。辞典原本には、成句として、大切ニ燃ユル大切ヲ作ル大切ニ存ズル又大切ニ思フといふ三つ四つの句を慣用句に挙げてをる。仏訳本にはこれらの語句に対して、名詞アムール又動詞エーメーなどといふ訳語を施した外、別に何等の訳を挙げてゐないのは不思議なくらゐである。原本にも無論同様である。即ち重要といふ意義のアンポルタントといふ訳を挙げてゐない。然し同じ辞典のダイジ(大事)といふ語を見ると、そこには、シヨーズ、グランドまたアンポルタントの訳の外に、シヨーズ、ペリユーズ即ち危急な事柄といふ訳を施してある。大切の方にも、少くともシヨーズ、アンポルタントといふ意はあるのだが、編者はそれを見逃してしまつた。慶長頃の刊本節用集を調べると、饅頭屋本でも易林本でもこの語を収めてあるのだが、愛といふ意味ばかりではあるまいと推察される。必ずやアンポルタントの意味をはじめ、またエッサンシェルの意味などが尚ほ存在したらうと考へられる。
慶長八年の長崎版『日葡辞典』よりも八年以前の文禄四年に出版された天草版の『拉丁辞書』を見ると、ラテン語のアモールに対して大切といふ語と、思ひといふ語とがあてられてゐる。又動詞のアモー即ち吾愛すに対して、大切に思ふといふ訳がついてゐる。この『拉丁辞書』よりも一年まへに同じく天草で出版した拉丁語典応用の『日本文典』にも動詞の第一活用形のアモーを、われ大切に思ふと訳して以下煩はしきまでに活用形を列挙してゐるのを見受ける。
慶長版に由つてパジェスは、思ひといふ国語に対してパンセー、サンチマン、ペイヌ、即ち思考、感情、苦痛といふ訳の外に、スーシーダムール即ち恋の心配などといふ訳や、デジール(欲望)、バンシャン又アンクリナション(意向)、ヴォロンテ(意欲)、等の解釈をも加へた。パジェスは恋といふ国語にはアムールの訳に添へて、モーヴェとアジール即ち邪念の意味の語を与へた。さればアムールの第一義たる愛、その高尚な聖愛とか神愛とか稍内わの慈愛とかいふ意味に当時の吉利支丹教徒がタイセツといふ語を充てたのは注目すべきである。
パジェスは国語の愛スルといふ動詞に、愛撫して愛情のしるしを与へることといふ訳を施し、その上に、自分の好む物を愛する場合の趣味の意のあることをも指示した。花を愛すとか酒を愛すとかいふ場合である。慶長版の『倭玉篇』などを見ると、愛の字の訓にはヲシムとかメグムとかいふ動詞とナツカシとかイツクシとかいふ形容詞が挙がつてゐる。中古以来の多くの用例に徴すると、愛好愛撫愛用愛弄などの場合に、愛するといふ動詞はつかはれてゐる。されば愛は感覚的の意味を別にしても上より下に対して云ひ、目下や物件についていふ場合が多いやうに見える。慈愛などもさうであるが要するに対等や尊上の用語ではなく、その内容に至つても、倫理的宗数的観念は乏しかつた。博愛とか清愛とか、また神聖といふやうな意味は欠けてをつたらしい。所謂カハイガルの意味が最もきはだつてゐたのである。されば基督数のアモール即ちラヴにあたる洋語を訳する場合に、吉利支丹教徒は必ず当惑したにちがひない。当時の日本の俗語中からは、愛といふ語では表現し得なかつた。願つて儒教や仏教の言語から直接に求めたならば、愛といふ語もアモールの内容をもたせるために亦適当な表現のーつであつたと思ふが、日本の俗語中から求めようとしてならば、この語は連想上不適当として棄てなければならなかつた。況んやその他の類語に至つては更に資格が少かつたのである。それならば、ラテン語またはポルトガル語のアモールを原語のまま取つたらよからうにと一応思はれるのであるが、しかし動詞形にすると、それでは不便である。霊魂といふ意義のアニマの如きは、当時の西教徒は直接それをラテン語から取つた。この方は動詞形を要しない。
されば天文以降天正文禄慶長時代に、吉利支丹の師徒が、現在はかまはず使つてゐるカミ(神)といふ語をも避けてラテン語のデウス(ゴッド)を用ゐた其の吉利支丹の師徒が、愛といふ語を棄てて、別に大切といふ語を取つたのも無理ではなかつた。大切といふ用語はアモールの内容をもたせ、西教思想上最も重大な意味を与へる語としては、感服の出来ない語である。語感から考へても語音から云つても、響きはよろしくない。愛といふ文字、愛といふ音響の方が、現代人にはどの位よいかも知れない。然し三百五十年前にはそれが容るされずして、大切といふ文字が今日の愛といふ文字のかはりに用ゐられてゐた。文禄慶長時代の吉利支丹文学書を読むと、読者は到るところに、御大切といふ名詞、大切に思ふとか、大切に存ずるとか大切に燃ゆるとかいふ文句に出合ふであらうが、それらはみなアモール、即ち英語のラヴ、仏語のアムールに当る語の訳語である。なほこの訳語がひろく当時の教徒間の通用語になつてゐたことは言ふまでもない。デウスの御大切の言葉とは、今日の語では、神の愛の言葉といふことである。デウスの御大切の火とか、キリストの御大切とか、燃立つ大切とか、量りなき御大切とかいふ文句は応接にいとかなきほどに頻繁に出てくる。
日本では原名のまゝ『コンテムツスムンヂ』(訳して云はげ即ち浮世の軽視)でつたはり、近頃では『基督に倣ひて』と訳されてゐる『イミテイション・オヴ・クライスト』は古く慶長元年版のローマ字訳本と慶長十五年版の日本字訳本との二種が存するが、モれらの旧訳本第一巻第一章のうちに、
諸々の学匠の語を皆知りてもデウスの御大切とその御合力なくんばこれ皆何の益あらん
といふ文がある。それを新訳本の文章と対照して見ると、旧本の御大切と御合力とに対して、神の愛と恵みとの文字があてられてゐることを知る。今は明治以来数種の訳書の訳例を一々こゝに挙げないが、西紀一六四〇、明末の崇禎十三年すなはち日本の寛永十七年に出来た漢訳本の『経世全書』には、右の文句に愛主と聖寵との二語をあててゐることだけを附記するにとゞめておく。この漢訳本は陽瑪諾すなはちエンマヌエル・デイアスといふ葡萄牙出身の宣教師の訳出にかゝり、日本訳本よりは半世紀後れてあらはれてゐるのである。
次に大切といふ語は、必ずしも聖愛霊愛の意のみならず情愛肉愛の義にも用ゐられたこともあつた。例へば同じ『基督模倣』第一巻第一章中に、国字本に
はやくはつる事を大切におもひはつる事なきたのしみをいそぎもとめむも、みもなき事也
とある文句は、ローマ字本の方には
早く過去る事に愛著して長き楽のあるところへ急がざる事は実もなき事也
となつてゐる。この場合は愛著といふ訳語の方が適当であるが、元来大切といふ訳語を、故意に神聖の意義に用ゐようとした以上は、こゝは当然ローマ字本のやうであらねばならぬ所である。
漢訳では前述の一例でも知られるとほり、初めからアモール即ちラヴを愛と訳した。それによつて幕末明初に復活した日本の公教会にしろ、新来の基督新教にしろ、すべて愛といふ漢語で押通して今日に至つたのである。されば過渡期の公教会の書物には、『愛徳経』とかいてそれにゴタイセツノオラショとよませたやうな場合があり、その経文の一節に、天主、御身は限りなき御善徳御大切の源にましますにより、御身を心の底より万事に越えて深く御大切に存じ奉る、又御身に対して他人を我が如くに愛し奉る、といふ文句があつて、大切と愛との二語を区別して用ゐた例が存する。色々の用例は新聞紙上に尽くせないから他日別に発表してみようと思ふ。
之を要するに大切といふ俗語が切迫緊急といふ意や、緊要重要といふ意があつた所からして、その重要の義より尊重愛重の義に移りそれが往時の吉利支丹によつて神の愛、霊的愛、神聖なる愛といふ内容をもたせられたことは、国語史上注目すべき一事実だと思ふ。よしや用語の時代も範囲も共に局限せられてゐるとは云へ、語意変化の一例として見逃してはならないと思ふ。この篇は前述の如き童蒙の訓草として由来し私の専門学の立場からしていさゝか考証を試みた次第であるが、引例を十分にすることが出来なかつたのは私の遺憾とする所である。
最終更新:2023年01月22日 14:16