一 私は少年の頃、当時最も世に行はれて居つた中等教育日本文典【落合小中村両先生合著】とスヰントンの英文典の二書を読んで其の体系の優劣の甚しいのに驚いた。英文典は之を一読すれば和英辞典さへ有れば曲りなりにも英文が作れる。然らば英米人に日本文典と英和辞典とを与へれば日本の文が作れるかといふと、そうは行かない。これ実に日本文典の不備からである。そう思った私は僣越ながら自分が日本文典の完成に任じようといふ志を立て、明治二十六年の夏飄然として東都遊學の途に上ったのてあった。
二 私は考へた、人間の思想の構成上に絶對不變の根本法則が有るならば思想を表す言語にも其の構成に世界に一般なる根本法則が無ければならないと。勿論各國語には各特殊の法則が存するが、其れは皆一般的なる根本法則に支配される所の特殊法則である。故に一國語の文法は一般理論文法學の基礎の上に行はれなければならない。私の日本文法研究の主義は專らこれであった。
三 されば私の過去三十餘年間の研究は最も多く文法學の體系に注がれた。かくして漸く今日此の書に見る樣な状態に到逹したのである。此の書の體系は他人から見れば約らないものと見えもしよう。勿論完全なものではない。しかし一朝一夕に得たものでなく、徒勞も多かったであらうが、背後に多年の努力が潜んでゐるのである。
四 私の研究に於て最も早く氣附いたことは、助辭を品詞の一つとすると所謂る單語論と文章論とで詞の概念が一致しないといふことであつた。明治三十年に中學教程日本文典といふ一書を刊行したが、其れにも助辭が品詞外になつてゐる。當時は誰一人賛成する人がなかった。その後故三矢重松博士は助辭を品詞外にして高等日本文典を書かれた。今日では賛成者が非常に多い樣である。
五 日本の接續詞は副詞であるとは山田孝雄氏の高論てある。私は之を繼承し更に之を徹底せしめて世界の接續詞は皆副詞の一種であるといふことを主張するものである。自著「漢譯日本口語文典」も第五版からこの主義で訂正した。
六 口語の動詞の終止格は第三活段ではなくて第四活段であるとは三矢重松博士の發見である。この主義でなければ國語の沿革が説けないし、この主義ならば文語と口語と活用圖が略一致する。私は博士の説を取つて「漢譯日本ロ語文典」を訂正した。しかし博士の「高等日本文法」は此の主義で書かれて居ないから人は博士の功を知らないであらうと思ふ。特にこゝに一言する所以である。
七 之の書の前身たる「標準日本文法」は大正十三年の十一月の初刊である。今から見ゐと、わかり憎い處煩雜な處などが有る樣に思はれるから、今回全部書き直した。それがこの「改撰標準日本文法」である。
八 此の書には私の始めて考へ出した事柄が非常に澤山有る。そういふ處へはなるべく落ちない樣にその項の始めへ□印を附けて置いた。一家言のしるしだと解すれば謙遜の意になるが、亦勿論著者の得意な所である。
九 私は明治三十二年に「日本俗語文典」を發表した。邦人の著としては日本口語文典の嚆矢である。その所説の中には今日から見れば不満足な點が澤山有る。それらは一切この「改撰標準日本文法」で訂正する。
十 私は昨年十月「標準漢文法」を發表した。本書の姉妹編ともいふべきものである。若し幸に私の漢文法に對する意見を徴せられるならば一覽を賜はりたいと思ふ。
著者識
最終更新:2015年07月19日 11:58