正宗敦夫君は井上通泰博士の高足にして、又稀に見る篤實の士なり。大正七年はじめて森林太郎博士を介して相知るに至りし頃既に萬葉集の索引を編纂せられてありし由にきけり。爾來その編纂につきて屡意見を徴せられき。今その書成りて世に公にせられむとするに當り、一言を求めらる。余もとより辯を好む者にあらず。然れども、その勞苦を知れるものとしては否むこと能はずしてこの言をなす。
抑も萬葉集の歌の研究の困難なるはその文字とそのよみ方とを先づ考定せざるべからざる點にあり。而して、これを徴すべき古典は少きが爲に、多くは、萬葉集の内部にこれが例證を求めて決をとらざるべからざるなり。されば古來の學者いづれもこの點に心を惱まし、多少の研究を施さざるものなく、又用字格格字引などの編ありといへども、僅に一斑をあぐるに止まれり。この外には國歌大觀の索引を利用して多少の便を得ることありといへども、これとても全豹を知らむに由なし。多岐亡羊とは眞にかくの如きことをいふなるべし。この故にこれが研究に從事するもの往々その煩に堪へず、或は獨斷に走り、或は自棄に陷るに至る。さてかくの如き弊を杜絶せんには一面この集中のすべての文字を類聚してその用法と讀方とをあげ、他面この集中のすべての言語を網羅して、その字面と用法とをあげ盡し、一目瞭然たらしむる書を編せざるべからざるなり。されど、かくの如きは多大の年月と多大の勞力と多大の費用とを惜まざる好學篤實の士に非ずしては決して之を成し遂げうるものに非ざるなり。
今わが正宗君は多大の犧牲を忍び、孜々として倦まず、終にこの大事業を完成せられたり。これ豈に萬葉集研究史上の一大功績にあらずや。余が如き、もとよりかくの如き事をなすべき必要は奈良朝文法史の稿を草しはじめし時に痛感し、更に萬葉集の講義をなすに至りて、一層深く之を感じぬ。されど、これが爲に心を專にすること能はずして荏苒今日に至りぬ。而して今やこの書成りて世に出づ。これ吾人の喜たるのみならず、萬葉集研究者にとりては座右必須の書として學界を益すること多大なるものあらむ。この書や實にわが萬葉集の研究を促進する資料として研究史上特筆すべき好著述といふべきものなりと信ず。
然れども余は敢へてこの書を以て完全なりといふにあらず。萬葉集にはもとより不明の語少からぬが故に、正宗君のみならず、何人にても今日直ちに之を一々論斷して明確にしうるものにあらざるなり。この故に本書にはそれらに基づきて、讀者の異議を挾むべき點少からざるべし。然れどもこれを以て正宗君を責むべきにあらず。かくの如き異議を挾まむとする人は徒に他の短を訐かむより、直ちに研究して正しき見解を他に示さむことを努めよ、而して、かかる研究には即ち、この正宗君の努力が實地に利用せらるべきなり。本書は實にかかる不明の語を明確に論定せむとするものにとりて最初に用ゐる階梯となるべきものにして、この階梯よりして進みて眞理の堂奥にも入るを得べきなり。余はいづこまでも正宗君が多大の犠牲を忍びて、この何人も成さむと欲して成し得ざりし大事業を成し遂げられし功績をたたへ、併せて、本書が萬葉集研究者の第一階梯として必須の書たることを明かにして之を世に推薦するの光榮を得たるを喜ぶものなり。
昭和四年三月五日
最終更新:2015年10月05日 23:12