今は震火で跡形なくなつた東京帝國大學文科大學の物寂びた赤煉瓦の建物の一隅にあつた國語研究室で、偶來訪された正宗敦夫君から、同君が萬葉集辭典を作る志のある事を聞き、それよりも寧萬葉集索引を作られるやうに勸めたのは、二十年に近い昔の事である。それが動機となつて、同君はいよいよ索引編纂を決意せられ、その方法や組織體裁などについて意見を徴せられたので、之に對する私案を書き送つたのは、その年の夏中暑を避けて居た房州の客舍からであつたと記憶する。爾來同君は歌文珍書保存會や萬葉集新考其他有益な典籍の印行頒布に從事せられる傍、まづ索引編纂の爲の種々の面倒な準備作業を完成し、ついで集中の語を一々カードに取られたのであつて、その間、一身上の事情で一時中絶せられた事もあつたやうであるが、倦まず撓まず繼續せられて次第に進行し、殊にこの數年間に頓に進捗して途に全部脱稿し、今や刊行せられるまでに運んだ事は、私としては、人事ならず誠に悦ばしい。
併しながら、この悦びは、ただ私情のみではない。學問の爲には更に大きな慶でなければならない。萬葉集が上代日本研究の資料として掬めども絶えぬ泉であり、取れども盡きぬ寶庫である事は今更言ふを須ゐないが、その卷册の浩瀚である爲に、時に當つて所要の資料を索める事は、かなり同書に通じたものにとつても容易でない。之を何人にも思ふまゝに探り得させるものは索引を措いて外にない。されば、この種の書の作られたものも、古來二三にとどまらないのであつて、萬葉集類林、萬葉集一句類聚、記紀萬葉總類語集其他のものがあるけれども、或は收むる所博からず、或は句によつて語によらず、且ついづれも歌のみを採つて、題詞左註には及ばない。その上、印行せられたものが少く、座右に備へて随時用に供する事が困難である。この正宗君の索引は、歌は勿論、題詞左註人名地名其他にいたるまで、集中に在るものは一字一語を剩さず、ことごとく、語詞と交字との兩方面から之を檢索する事が出來るのであつて、集中のあらゆる語言と事物とは嚢中のものを探る如く、索めるに隨つて得られるのである。この點に於て實に空前の著といふべきである。
何事によらず、便利な有益なものを始めて作るには一方ならぬ苦勞を要するが、辭書索引の類に於ては殊に然るを覺える。編者の少しの手ぬきでも、使用者に不便を與へ、その書の價値を損ずる場合が少くない。正宗君がこの書を編せらるゝや、ひたすら學問の爲に有用なる書となさんとして、勞苦を厭はず獻身的の努力をせられた事は、私の親しく見聞した所であつて、私がこの書を信じ之を學界の至寶として何人にも推薦するを憚らざる所以は實に竝に存する。
私は、曩に先進並に同學の諸氏と共に校本萬葉集を編して、今後起るべき同集の新研究の基礎を築く事業に微力を致したのを私に光榮として居るが、今また、甞て私が正宗君に勸めた萬葉集の索引が、同君の十數年に亙る苦心と勞力の結果完成して、萬葉集の根本的研究は勿論、苟も資材を同集に仰ぐあらゆる部門の學問は向後格段の進歩を期待し得べく、私は、私の發案によつてこの良著を得たのを、私自身の學界に對する一の寄與として私に誇を感ずるものである。
昭和四年三月十日
最終更新:2015年10月05日 23:26