前段に於いて私は、ロ語體の文章が最も今日の時勢に適してゐると申しましたが、それなら文章體の文章は全然參考にならないかと云ふのに、決してさうではありません。口語體も文章體も、等しくわれ/\の話す日本語から發達したものでありますから、根本に於いては同じであり、精神に於いても同じであります。と云ふ意味は、ロ語體を上手に書くコツは、文章體を上手に書くコツと、變りはない。文章體の精神を無視したロ語體は、決して名文とは云はれない。ですから、われ/\は是非共文章體の文章を研究する必要があるのであります。
古典文學の文章は、すべて所謂文章體で書いてありますが、大體に於いて和文調と漢文調とに分けることが出來る。和文調と云ふのは、實は往古の口語體のことでありまして、土佐日記や源氏物語のやうな文體、あれはその當時に於いては口でしやべつた通りに書いたものであつた、即ちあの頃の言文一致體であつた、然るにその後口語の方が次第に變化して宋たので、あゝ云ふ云ひ方が一種の文章體として、文字の上だけに殘つた譯であります。漢文調と云ふのは、保元物語や平治物語等の軍記物から用ひられ始めた文體で、在來の和文に漢語を交へ、又漢文を日本流に讀み下す時の特別な言ひ廻しを交へたものでありまして、所謂和漢混交文のことであります。此の二つの文體のうち、和文調は最早全く廢れてしまつた。明治時代までは擬古文と稱して作文の時間に時々稽占をしたものですが、何分應用の方面がないので、今日ではそんな稽古をする者もゐなくなつた。それに比べると漢文調の方は、まだ幾分か使はれてをります。畏れ多い例でありますが、皆さんが御存じの教育勅語、あれは立派な和漢混交文のお手本と申してよい。その他折に觸れて下される詔勅の御文體は總べて見事な漢文調でありまして、民間に於いても、祝辭や式辭や弔辭等の儀式張つた文章は、漢文調の文章で書く。尤もこれとても以前に比べればずつと少くなりつゝある、近頃は告別式に列席しましても口語體の弔辭を聽くことが珍しくないのでありますから、追ひ/\漢文調も廢れてしまふことは明かであります。
私はさつき、現代の世相は複雜であるから到底昔の文章體の粗つぼい云ひ廻しでは用が足せない、現代人に「分らせる」やうにするには、是非とも口語體でなければならないと申しました。又現今の口語體に於いては、昔のやうに字面《じづら》や音調の美しさを氣にしてはゐられない、「分らせる」やうに、「理解させる」やうに書くことが精一杯であると申しました。いかにも、一應はその通りでありますが、こゝで皆さんの御注意を喚起したいのは、「分らせる」ことにも限度があると云ふ一事であります。
既に私は此の讀本の最初の段で、言語は決して萬能なものでないこと、その働きは思ひの外不自由であり、時には有害なものであることを斷つて置きましたが、現代の人は動《やゝ》ともすると此の事を忘れがちであります、そして、口語體の文章ならどんなことでも「分らせる」やうに書ける、と云ふ風に考へ易いのでありますが、さう考へたら大變な間違ひであることを、常に皆さんは念頭に置いて頂きたい。明治の末期から口語體と云ふ便利な文體が創められ、用語や文字の末に囚はれず、何でも口でしやべる通りに書けばよいことになつたので、いかなる微妙な事柄でも語彙を豐富に使ひさへすれば表現出來ないことはないと云ふ謬想が先入主になり、近頃の人々は無闇に多くの言葉を使ふ。されば明治になつてから言葉の數が殖えたことは非常なものでありまして、皆の人の思ひも及ばないさま/゛\な名詞や形容詞が出来、又外國語を飜譯したいろ/\な學術語や技術語が生れ、尚今日も續々と新語が造られつゝあります。で、人々は爭つてそれらの澤山な語彙を驅使し、何事を述べても微に入り細を穿たうとしますので、自然文章が冗長になり、文章體なら一行か二行で濟ますところを五行にも六行にも書く。しかしそんなに言葉數を費したら分らないことでも分らせることが出來るかと云ふのに、決してさう云ふものではありません。書く當人は痒い所へ手が屆くやうに云ひ廻し、剩さず述べ盡した積りでも、讀む方に取つてはくどいばかりで、何を云つてゐるのやら分らない場合がしば/\ある。實にロ語體の大いなる缺點は、表現法の自由に釣られて長たらしくなり、放漫に陷り易いことでありまして、徒らに言葉を積み重ねるために却つて意味が酌み取りにくゝなりつゝある。故に當今の急務は、此の口語體の放漫を引き締め、出來るだけ單純化することにあるのでありますが、それは結局古典文の精神に復《かへ》れと云ふことに外ならないのであります。
文章のコツ、即ち人に「分らせる」やうに書く秘訣は、言葉や文字で表現出來ることゝ出來ないことゝの限界を知り、その限界内に止まることが第一でありまして、古の名文家と云はれる人は皆その心得を持つてゐました。それと云ふのが、昔は言葉數が少い上にも前例や出典をやかましく云ひ、使ふ場所に制限がありましたので、一つの景を叙し、又は心事を述べるに方つて、さういろ/\な云ひ方がある譯ではなかつた。散る花を惜しみ、隈なき月の影を賞で、人の世の無常を恨むにも、時に依り人に依つてその心持に多少の違ひがあつたでありませうが、言葉の方は大體きまりきつてゐたので、その達ひに應ずるだけの種類がない。ですから古典の文章を見ますと、同じ言葉が幾度も繰り返されて使つてありますが、自然の必要から、それらの言葉が場合々々で或る獨特なひろがりを持ち、一つ/\に月の暈《かさ》のやうな蔭が出來、裏が出來てゐます。
足柄山といふは、四五日かねておそろしげにくらがりわたれり。やうやう入り立つ麓のほどだに、そらのけしき、はかばかしくも見えず。えもいはず茂りわたりて、いとおそろうしげなり。麓にやどりたるに、月もなく暗き夜の、闇にまどふやうなるに、女|三人《みたり》、いつくよりともなくいで來たり。五十ばかりなる一人、二十ばかりなる、十四五なるとあり。庵の前に傘《からかさ》をささせてすゑたり。男ども火をともして見れば、昔こはたといひけむが孫といふ。髮いと長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、さてもありぬべき下仕《しもづかヘ》などにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、聲すべて似るものなく、空にすみのぼりてめでたく歌をうたふ。人々いみじうあはれがりて、けちかくて、人々もて興ずるに、「西國《にしぐに》の女はえかからじ」などいふを聞きて、「なにはわたりにくらぶれば」とめでたく歌ひたり。見る日のいときたなげなきに、聲さへ似るものなく歌ひて、さばかり恐ろしげなる山中《やまなか》に立ちてゆくを、人々あかず思ひて皆泣くを、幼なきここちには、まして此のやどりをたたむ事さへあかずおぼゆ。
まだ曉より足柄をこゆ。まいて山の中のおそろしげなる事いはむかたなし。雲は足の下にふまる。山のなからばかりの、木の下の、わつかなるに、葵のたゞ三筋ばかりあるを、
世はなれてかかる山中にしも生ひけむよと、人々あはれがる。水はその山に三處ぞ流れたる。(更科日記)
この文章は今から九百年も前のものでありまして、上總介菅原|孝標《たかすゑ》の娘が十三歳の時に父に從つて都へ上つたことを、それより四十年を遏ぎた後に思ひ出して書いてゐるのですが、此の中には同じ言葉が幾度も繰り返し使つてあります。足柄山はどんな山かと云ふと、「おそろしげにくらがりわたつた」山であると云ふ。さうして、「えもいはず茂りわたりて、いとおそろしげ」であるとか、「まいて山の中のおそろしげなる事いはむかたなし」とか、山を述べるのに「おそろしげ」と云ふ言葉より外知らないかのやうである。又「あはれがる」と云ふ言葉も三度出て來る。田舍の女が巧みに歌をうたふのを聽いても、深山の大木の下に葵が三筋あるのを見つけても、人々は「あはれがる」のである。女の顔は「色白くきたなげなくて」と云ひ、「見る目のいときたなげなきに」とも云つてゐる。その歌聲は「すべて似るものなく、空にすみのぼりて」と云ひ、「聲さへ似るものなく歌ひて」とも云ふ。その他、「めでたく」と云ふ副詞、「あかずおもふ」と云ふ動詞も二度出て來る。これを見ても昔はどんなに言葉の數が少かつたかと云ふことが分るのでありますが、しかしその割に作者の云はんと欲することは大體明瞭に現はされてゐます。たゞ「おそろしげ」と云つたゞけでも、物凄く樹木の茂つた山の姿が、想像されないものでもない。「あはれがる」と云ふ一語のうちにも、一人の女を取り卷いて打ち興ずる男どもの樣子が見え、彼等が放の憂さを忘れて歌を褒めたり器量を賞でたりする話聲が聞えるやうにも感ぜられる。かうして見ると、こんな素朴な書き方でも略〻用が足せるのでありまして、此の時分の人は、「めでたし」とか、「おもしろし」とか、「をかし」とか云ふ簡單な形容詞をいろいろな意味に使ひ分けた。尚又、「月もなく暗き夜の、闇にまどふやうなるに」のところ、「男ども火をともして見れば、昔こはたといひけむが孫といふ。髪いと長く」のところは、僅五六行の短文でありますが、思ひがけなく夜の街道にさまよひ出た藝人の女のあやしい美しさと、それを見た族人の輕い驚きとが、おぼろげながら浮かんで來る。「火をともして」とありますので、燈明であるか松明《たいまつ》であるか篝火であるか分りまもんけれども、「庵の前に傘をささせてすゑた」のでありますから、女どもは庭か往來の地上に坐し、それへ一行の下男どもが多分紙燭か松明をかざしたのでありませう。はためく火影にあか/\と照らし出された女どもの、此のあたりには珍しい身なりやみめかたち、その後につゞく漆のやうな夜の闇、眞黒な空に聳え立つ足柄山の山容などが、朦朧と眼に見えて來ます。「聲すべて似るものなく、空にすみのぼりて」と云ふ「すみのぼりて」の一句もよい。此の旅行は九月三日に下總の國を立ちましたので、秋の末頃でありますから、冷え/゛\とした、冴えた夜空に、すゞしい歌ごゑが透き徹るやうに響きわたつた、その感じがよく此の一句に現はれてゐます。「なにはわたりにくらぶれば」と、歌の文句の冐頭だけを記したのは、後を忘れたのかも知れませんが、かう云ふ書き方には此れも餘情があつてよい。言葉數を知らないからこんな風に書いたのでもありませうが、しかしやさしい、分り易い文字を使つたからと云つて、人に與へる感銘の深さは、必ずしも饒舌な口語文に劣らないのであります。
次に私は、古典の持つ字面や音調の美しさも、或る程度迄、──いや、時には大いに、──參考とすべきであると思ひます。これは前に申し上げたことゝ矛盾するやうでありますけれども、一歩進んで考へてみますと、口語文と雖、文章の音樂的効果と視覺的効果とを全然無視してよい筈はありません。なぜなら、人に「分らせる」ためには、文字の形とか音の調子とか云ふことも、與《あづか》つて力があるからであります。讀者自身は或はそれらの關係を意識しないで讀んでゐるかも知れません、しかしながら、眼や耳から來る感覺的な快さが、いかに理解を助けるものであるかと云ふことは、名文家は皆よく知つてゐるのであります。既に言葉と云ふものが不完全なものである以上、われ/\は讚者の眼と耳とに訴へるあらゆる要素を利用して、表現の不足を補つて差支へない、たとへば昔、印刷術が發達しない時分には、文字の巧拙、紙質、墨色等までも、内容の理解に多大の關係を及ぼしたことゝ思はれますが、これはまことに當然のことで、苟くも眼で見て理解するものであるからには、眼を通して來る總べての官能的要素が、讀者の心に何等かの印象をとゞめない筈はありません。さうして多くの場合、それらの要素が文章の内容と切つても切れないやうに結びついて、全く一つのものとなつて頭に殘ります。私はしばしば、幼年の頃におぼえた百人一首の和歌を思ひ出すことがありますが、思ひ出す時はいつも必ず骨牌《かるた》に書いてあつた文字の形が眼に浮かびます。當時は今のやうな標準かるたでなく、草書や變態假名を使つて能筆に書いてあつたのですが、「久方の」なら「久方の」と云ふ歌と一緒に、その骨牌《かるた》に書いてあつた字體が浮かんで來る。恐らく皆さんにもさう云ふ經驗がおありになるでありませうが、取り分け和歌の場合には、定家卿や行成卿の書いた美しい一枚の色紙、もしくは短册として、記憶されると云ふやうなことが多いと思ひます。今日の文章は、殆ど總べて活字に印刷されてを.りますが、しかし活字だからと云つて、さう云ふ關係がないことはありません。或る文章の内容が讀者の腦裡に刻み込まれる時は、それを刷つてある活字の字體と一緒に刻み込まれ、思ひ出される時も一緒に思ひ出されます。故に今日でも、文字の巧拙は問題でなくなりましたが、文字の組み方、即ち一段に組むか二段に組むかと云ふやうなこと、それから活字の種類と大きさ、ゴシツクにするか、ポイントを使ふか、四號にするか、五號にするかと云ふやうなこと、並びに文字の宛て方、或る一つの言葉を漢字で書くか、平假名で書くか、片假名で書くかと云ふやうなことは、その文章が表現しようとする理論や事買や感情を理解させる上に、少からぬ手助けとなつたり妨げとなつたりするのであります。
文章の第一の條件は「分らせる」やうに書くことでありますが、第二の條件は「長く記憶させる」やうに書くことでありまして、口でしやべる言葉との違ひは、主として後者にあるのでありますから、役目としては或は此の方が大切かも知れません。で、そこまで考へを進めて來ますと、文字の體裁、即ち字面《じづら》と云ふものが、一層重大な要素となつて來るのであります。今の百人一首の例でも分るやうに、私が屡〻それらの和歌を思ひ出すのは、大半はその美しい字體のためである。私はその字體を思ひ出しながら、その和歌を思ひ出し、それが書いてあつた骨牌の手觸《てざは》りを思ひ出し、それを弄んだ幼年時代の正月の晩を思ひ出して、云ひやうのない懐しさを覺える。西洋の文章でもかう云ふことは有り得るでありませうが、われ/\はわれ/\に獨特なる形象文字を使つてゐるのでありますから、それが讀者の眼に訴へる感覺を利用することは、たとひ活字の世の中になりましても、或る程度まで有効でありまして、將來國字がローマ字に改まるやうな日が來ない限り、われ/\にのみ許された折角の利器を捨てゝおくと云ふ法はありません。斯樣に申しますと、それは文章の邪道だと申される方があるかも知れませんが、しかし字面と云ふものは、善かれ悪しかれ必ず内容に影響する、我が國の如く形象文字と音標文字とを混用する場合に於いて殊に然りである。さうだとすれば、その影響をその文章が書かれた目的と合致させるやうに考慮するのが當然であります。
但し、誤解のないやうにお斷りしておきますが、こゝに「字面」と申しますのは、必ずしもむづかしい文字を使ふことではありません。近頃はよく、漢語をわざと片假名で書いて、たとへば「憤慨」を「フンガイ」と書いて、一種の効果を舉げることが流行りますが、あれなぞが、矢張私の云ふ字面を考慮することに當ります。それと云ふのが、西洋では一定の言葉を綴るのには一定の文字しかない。たとへば「デスク」と云ふ語はdeskとしか書きやうがない。支那でもさうでありませうが、われ/\の國では、「机」、「つくゑ」、「ツクヱ」と、三通りに書けます。されば、ありふれた漢語を故意に假名で書いて讀者の注意を促し、記憶に資すると云ふ手段が、そこに成り立つ譯であります。それから、「眼に快い文字」と云ふのも決して漢字に限つたことはありません。漢字は一字々々を見ると美感が備はつてゐますけれども、文字と文字とのつながり工合が美しくない。假名の中へ交ぜて使ふと、ゴツゴツして汚く見えることがありますが、我が國の平假名は文字そのものに優しみがある上に、つながり工合が實に美しい、それに、漢字は字劃が複雜なため、今日のやうな小型の活字になつては固有の魅力が大半失はれてしまひましたが、平假名は字劃が簡單でありますから、今もなほ魅力を失ひません。字面を快くすると云ふのは、かう云ふことを總べて考慮に加へて書く、と云ふ意味であります。
しかしながら、現代の口語文に最も缺けてゐるものは、眼よりも耳に訴へる効果、即ち音調の美であります。今日の人は「讀む」と云へば普通「默讀する」意味に解し、又實際に聲を出して讀む習慣がすたれかけて來ましたので、自然文章の音樂的要素が閑却されるやうになつたのでありませうが、これは文章道のために甚だ嘆かはしいことであります。西洋、殊に佛蘭西あたりでは、詩や小説の朗讀法が大いに研究されてゐまして、しば/\各種の朗讀會が催される、さうして古典ばかりでなく、現代の作家のものも常に試みられると云ふことでありますが、かくてこそ文章の健全なる發達を期することが出來ますので、彼の國の文藝の盛んなのも偶然でありません。それに反して、我が國に於いては現に朗讀法と云ふものがなく、又それを研究してゐる人を聞いたことがない。近頃大阪のJOBKから富田碎花氏が詩の朗讀を放送され、ついでJOAKからも古川緑波氏が漱石の「坊つちやん」の一簡を放送されましたので、ラヂオに依つて追ひ/\さう云ふ方面が開拓されるかも知れませんが、富田氏のやうな朗讀の名人は、宜しく各學校に招聘されて然るべく、國漢文の先生たちは一と通りその方の技能を備へてをられるやうにしたい。私が何故これを力説するかと申しますのに、たとひ音讀の習慣がすたれかけた今日に於いても、全然聲と云ふものを想像しないで讀むことは出來ない。人々は心の中で聲を出し、さうしてその聲を心の耳に聽きながら讀む。默讀とは云ふものゝ、結局は音讀してゐるのである。既に音讀してゐる以上は、何かしら抑揚頓挫やアクセントを附けて讀みます。然るに朗讀法と云ふものが一般に研究されてゐませんから、その抑揚頓挫やアクセントの附け方は、各人各樣、まち/\であります。それでは折角リズムに苦心をして作つた文章も、間違つた節で讀まれると云ふ恐れがあるので、私のやうに小説を職業とする者には、取り分け重大な問題であります。私はいつも、自分の書くものを讀者がどう云ふ抑揚を附けて讀んでくれるかと云ふことが氣になりますが、それと云ふのも、かう云ふ種類の文章はかう云ふ風な節で讀むと云ふ、大凡その基準が示されてゐないからであります。
一體、現代の人はちよつとした事柄を書くのにも、多量の漢字を濫用し過ぎる弊があります。これは明治になつてから急にいろ/\の熟語が殖え、和製の漢語が増加した結果でありまして、その弊害につきましては後段「用語について」の項で詳しく述べる筈でありますが、しかし此の弊害の由つて來たる今一つの原因は、昨今音讀の習慣がすたれ、文章の音樂的効果と云ふことが、忽諸に附されてゐる所に存すると思ひます。つまり、文章は「眼で理解する」ばかりでなく、「耳で押解する」ものでもあるのに、當世の若い人達は見て分るやうに書きさへすればよいと思つて、語呂とか音調とかに頓着せず、「何々的何々的」と云ふ風に無數に漢字を積み上げて行く。然るにわれ/\は、見ると同時に聽いて理解するのである。眼と耳とが共同して物を讀むのである。ですから餘り澤山の漢字を一遍に並べられると、耳は眼の速力に追ひ付けなくなり、字形と音《おん》とが別々になつて頭へ這人る、從つて内容を理解するのに手問が懸るのであります。されば皆さんは、文章を綴る場合に、先づその文句を實際に聲を出して暗誦し、それがすら/\と云へるかどうかを試してみることが必要でありまして、もしすら/\と云へないやうなら、讀者の頭に這入りにくい悪文であると極めてしまつても、間違ひはありません。現に私は青年時代から今日に至る迄、常にこれを實行してゐるのでありますが、かう云ふ點から考へましても、朗讀法と云ふものは疎かに出來ないのでありまして、もし皆さんに音讀の習慣がありましたら、蕪雜な漢語を無闇に羅列するやうなこともなくなるであらうと信ずるのであります。
それで思ひ出しますのは、昔は寺子屋で漢文の讀み方を教へることを、「素讀を授ける」と云ひました。素讀とは、講義をしないで唯音讀することであります。私の少年の頃にはまだ寺子屋式の塾があつて、小學校へ通ふ傍そこへ漢文を習ひに行きましたが、先生は机の上に本を開き、棒を持つて文字の上を指しながら、朗々と讀んで聽かせます。生徒はそれを熱心に聽いてゐて、先生が一段讀み終ると、今度は自分が聲を張り上げて讀む。滿足に讀めれば次へ進む。さう云ふ風にして外史や論語を教はつたのでありまして、意味の解釋は、尋ねれば答へてくれますが、普通は説明してくれません。ですが、古典の文章は大體音調が快く出來てゐますから、譯が分らないながらも文句が耳に殘り、自然とそれが唇に上つて來、少年が青年になり老年になる迄の問には、折に觸れ機に臨んで繰り返し思ひ出されますので、そのうちには意味が分って來るやうになります。古の諺に、「讀書百遍、意自ら通ず」と云ふのは此處のことであります。講義を聽いて分つたのは意味だけが分つたのでありまして、言外の味までが酌み取れたのではありませんから、その場限りで忘れてしまふことが多いのであります。たとへば大學にかう云ふ言葉があります。
詩云。緡蠻黄鳥止2于丘隅1。子日於v止知2其所1v止。可2以v人而不v如v鳥乎。
これは「詩ニ云ク、緡蠻《めんばん》タル黄鳥《くわうてう》丘隅ニ止《とゞ》マルト。子|曰《のたまは》ク止マルニ於イテ其ノ止マル所ヲ知ル、人ヲ以テ鳥ニ如カザル可ケン乎」と讀むのでありまして、大學を習つた者なら誰でも覺えてゐる有名な文句でありますが、その癖その意味を現代語に譯してみよと云はれれば、漢學者でない限り、普通の者には一寸出來ません。が、それにも拘らず、われ/\は漠然と分つたやうな氣がしてゐる。「緡蠻タル黄鳥」の緡蠻と云ふ文字も、字引を引いてみなければ本當のことは分りませんが、それでも一羽の鶯が丘の上の樹の枝に止まつて美しい聲で啼いてゐることだらうと、いつからともなく獨りぎめにきめてしまつてゐる。詩歌や俳句にはさう云ふ例が多いのでありまして、自分では分つた積りでゐるものですから、一度も疑ひを挾んだことはありませんけれども、さて説明せよと云はれゝば出來ない。しかし、この漠然たる分り方が、實は本嘗なのかも知れません。なぜなら、原文の言葉を他の言葉に云ひ變へますと、意味がはつきりするやうではありますけれども、大概の場合、或る一部分の意味だけしか傳はらない。「緡蠻タル黄鳥」はたゞ「緡蠻タル黄鳥」でありまして、他の如何なる文字や言葉を持つて來ても、原文が含んでゐる深さと幅と韻《ひゞき》とを云ひ盡すことは出來ない。ですから、「分ってゐるなら現代語に譯せる」と云へる筈のものではないので、さう簡單に考へる人こそ分つてゐない證據であります。さうしてみると、講釋をせずに素讀だけを授ける寺子屋式の教授法が、眞の理解力を與へるのに最も適した方法であるかも知れません。
斯く申しましたならば、「分らせるやうに」書くことと「記憶させるやうに」書くことゝは、二にして一であることがお分りになつたでありませう。即ち眞に「分らせるやうに」書くためには「記憶させるやうに」書くことが必要なのであります。云ひ換へれば、字面の美と音調の美とは單に讀者の記憶を助けるのみでなく、實は理解を補ふのである。此の二條件を備へてゐなければ、意味が完全には傳はらないのである。現にわれ/\が上に引用した大學の一節を記憶してゐるのは何故でありませうか。云ふ迄もなく「緡蠻」と云ふ特異な字面とその文章全體の音調のためでありまして、これあるが故に此の句は長く記憶され、たび/\思ひ出され、その結果最初は漠然と、それから次第に明瞭に、本當の意味を會得するやうになるのであります。
前に擧げた太平記の一節などもさうでありまして、ああ云ふ現代に通用しないものを今も私が覺えてゐるのは、全く字面と音調のためであります。さうして、「一徑涙盡きて愁未盡きず」とか、「鼎湖の雲を瞻望して」とか、「別れを夢裏の花に慕ふ」とか云ふやうな文句も、記憶されてゐる限りはいつかその意味を悟る日が來る。要するに、言葉を多く使ひ過ぎるのは返す返すも間違でありまして、言葉の不完全なところを字面や音調で補つてこそ、立派な文章と云へるのであります。
字面と音調、これを私は文章の感覺的要素と呼びますが、これが備はつてゐない現代の口語文は、文章として不具の發達を途げたものでありまして、祝辭や弔辭等に今も和漢混交交が用ひられると云ふ事實は、口語文が朗讀に適しないことを雄辯に物語つてゐるのであります、然るに古典の文章は此の感覺的要素を多分に備へてゐるのでありますから、われ/\は大いに古典を研究して、その長所を學ばなければなりません。又和歌や俳句等も、此の意味に於いて非常に參考になるのであります。もと/\韻文と云ふものは字面と音調とに依つて生きてゐるのでありますから、これこそ國文の粹とも申すべきもので、散文を作る上にもその精神を取り入れることが肝要であります。
現代文に於いても、感覺的要素が如何に大切な役割を果たしてゐるかと云ふことを知るために、皆さんはもう一度第○○ペーヂを開いて志賀直哉氏の「城の崎にて」の文章を吟味して御覽なさい。あの中の「其處で」「丁度」「或朝の事」「一つ所」「如何にも」「仕舞つた」「然し」等の字面を、それ/゛\「そこで」「ちやうど」「或る朝のこと」「一つところ」「いかにも」「しまつた」「しかし」と云ふ風に書き變へたとしたならば、もうそれだけであの文章のカツキリとした、印象の鮮明な感じが減殺されるでありませう。これらは多く作者の筆癖で、無意識のうちに使つてゐるのでありませうが、しかし此の作者は決して字面に無頓着でない。かう云ふ引き締まつた文章には此の程度に漢字を交へ、假名を減らすのが有効であることを、承知してゐるのである。些細なことでありますが、「直ぐ細長い羽根を兩方ヘシツカリと張つてぶーんと飛び立つ。」の所で、「シツカリ」を片假名、「ぶーん」を平假名にしてゐるのも頷《うなづ》ける。此の場合、私が書いてもきつとかう書く。殊に「ぶーん」を「ブーン」と書いたのでは、「虎斑の大きな肥つた蜂」が空氣を震動させながら飛んで行く羽音の感じが出ない。又「ぶうん」でもいけない、「ぶーん」でなけれぱ眞直ぐに飛んで行く樣子が見えない。次に此の文章の終りの方を讀んでみますと、
それが又如何にも死んだものといふ感じを與へるのだ。それは三日程その儘になつてゐた。それは見てゐて如何にも靜かな感じを與へた。淋しかつた。他の蜂が皆集に人つて仕舞つた日暮、冷たい瓦の上に一つ殘つた死骸を見る事は淋しかつた、然しそれは如何にも靜かだつた。
とありまして、一語々々は別に何でもありませんが、「それが」「それは」「それは」と三度疊んで來て、「淋しかつた。」と云ふ句を二度重ね、更に又「然しそれは如何にも靜かだつた。」と結んであり、「與へるのだ」「なつてゐた」「かつた」「だつた」と、た止めのセンテンスのみを重ねてありますので、此の文章全體に一種の緊張した調子が出てゐる。「感じを與へる」「如何にも靜か」と云ふ句も二度繰り返し使つてある。即ち作者は、淋しい心境を説明するのに唯「淋しい」と云つてゐるだけで何等くど/\と餘計な言葉は費してゐない。さうして調子と繰り返しを以て、それをはつきり讀者の胸に傳へてゐるのであります。作者の如きは最も寫實的な傾向の人でありまして、その文章も專ら達意を主としてゐるのでありますが、而も「意を達する」がためには此れだけの用意が必要であることが知れるのであります。ですから、感覺的要素なるものは決して贅澤や虚飾の具ではありません。素朴な實用文に於いても、これを閑却しては屡〻用が足せないことが起るのであります。
尚又、別に古典文の一種として書簡文體と云ふものがあります。これは和文調とも漢文調とも云へない變態な文章、所謂|候文《さふらふぶん》のことでありまして、これも追ひ追ひすたれてしまふ運命にあるのでありませうが、まだ現在では諸官省を始め、懷古趣味の老人などの間に通信用として用ひられてゐます。ところで私はあの文體の大《おほ》まかな云ひ廻しが、矢張口語文を作るのに參考になると思ふのであります。と云ふのは、試みに今の若い人達に候文を書かせてみますと、滿足に書ける者は殆ど一人もゐない。文句の間へ「候」を挾むことだけは知ってゐるが、それが無理に取つて附けたやうで、ぴつたり格に篏まらない。なぜ篏まらないかと云ふと、昔の候文は一つのセンテンスと次のセンテンスとの間に相當の間隙がある、前に云つたことゝ後に云つたことゝが必ずしも論理的に繋がつてゐず、その間に意味の切れ目がある、そこが大いに餘情があつて面白いのでありますが、今の人にはそれが分らないので、「候て」とか「候が」とか「候ひしが」とか云ふ風にして、意味の繋がりを附け、間隙を填《うづ》めようとするからであります。然るに此の間隙が、美しい日本文を作るのには大切な要素でありまして、口語文には最もそれが缺けてをります。故にわれ/\は、候文は書かない迄も、候文のコツを學ぶことは必要であります。
最終更新:2016年01月05日 00:43