われ/\は、古典の研究と併せて歐米の言語文章を研究し、その長所を取り入れられるだけは取り入れた方かよいことは、申すまでもありません。しかしながら茲に考ふべきことは、言語學的に全く系統を異にする二つの國の文章の間には、永久に踰《こ》ゆべからざる垣がある、されば、折角の長所もその垣を踰えて持つて來ると、長所が最早長所としての役目をせず、却つて此方の固有の國語の機能をまで破壞してしまふことがある、と云ふ一事であります、而も私の見るところでは、明治以來、われ/\はもう西洋文の長所を取り入れるだけ取り入れたのでありまして、これ以上取り入れることは即ち垣を踰えることになり、我が國文の健全な發達のためには害を及ぼす、いや、既に及ぼしつゝあるのであります。ですから今日の場合は、彼の長所を取り入れることよりも、取リ入れ過ぎたゝめに生じた混亂を整理する方が、急務ではないかと思ふのであります。
昔、鎌倉時代のわれ/\の祖先は、漢文の語法を學んで和漢混交文と云ふ新體を作つた。ですが、これさへ、よく考へてみますと、決して古代の支那語の構造を取り入れたとは云へない。たとへば「子|曰《のたまは》ク止マルニ於イテ其ノ止マル所ヲ知ル、人ヲ以テ鳥ニ如カザル可ケン乎」と云ふ風な云ひ廻しは、漢文的ではありませうが、孔子樣はこんな工合に下から上へ逆に仰つしやつたのではない。實際は「於止知其所止。可以人而不如鳥乎。」の十四字を、當時の支那音で縱に眞直ぐに仰つしやつたのである。昔も今も支那語にはテニヲハがなく、動詞の次に目的格が來ることに變りはない。又「緡蠻タル」の「タル」に當るものは原文にはない。「タル」は「トアル」の略でありませうが、これがなければ日本語として讀みやうがなく、どうにも意味が通じないので、邊り假名をしたのでありませう。してみれば、斯くの如き云ひ廻しも結局日本語の範圍を出ないのでありまして、唯漢文を日本語の語法に當て篏めて讀み下すために、多少無理な、新奇な云ひ廻しを考へ出した、さうして最初は漢文を讀み下す時にのみ使つてゐたその云ひ廻しを、國文を作るのに應用をした、それが和漢混交交であります。ですから、漢文の影響で斯くの如き云ひ廻しが發明されたことは事實でありますが、此の云ひ廻しそのものが漢文の語法ではありません。左樣に、我が國と最も近しい支那の言葉ですら、千年以上も接觸しながら中々同化しないのでありますから、況や關係の淺い西洋の言葉が、さう易易《やすやす》と取り入れられる筈はないのであります。
元來、われ/\の國語の缺點の一つは、言葉の數が少いと云ふ點であります。たとへば獨樂《こま》や水車が轉るのも、地球が太陽の周圍を廻るのも、等しくわれ/\は「まはる」もしくは「めぐる」と云ひます。しかし前者は物それ自身が「まはる」のであり、後者は一物が他物の周りを「まはる」のでありまして、兩者は明かに違つてをりますが、日本語にはかう云ふ區別がない。が、英語は勿論、支那語でも立派に區別してゐる。支那で日本語の「まはる」もしくは「めぐる」に當る語を求めれば、轉、旋、繞、環、巡、周、運、囘、循等、實にその數が多いのでありまして、皆幾らかつつ意味が違ふ。獨樂や水車の「まはる」に當るものは旋と轉との二字であり、繞は物の周りを離れず纒ひめぐること、環は環《たまき》のやうに取り圍むこと、巡は巡囘して視察すること、周はグルリと一とまはりすること、運は移り變つて行くこと、囘は渦卷き流れること、循は物について行くことで、非常に細かい區別があります。又櫻の花の嘆いてゐる花やかな感じを云ふにも、日本語では「花やかな」と云ふ形容詞しか思ひ出せませんが、漢語を使つてよいとなれば、爛漫、燦爛、燦然、繚亂等、まだ幾らでもあるでありませう。さればわれ/\は「旋轉する」「運行す.る」等の如く漢語の下へ「爲《す》る」と云ふ言葉を結び着けて澤山の動詞を造り、「爛漫な」「爛漫たる」「爛漫として」等の如く「な」や「たる」や「として」と結び着けて無數の形容詞や副詞を作り、國語の語彙の乏しいのを補つて來たのでありまして、此の點で我等が漢語に負ふところは多大であります。然るに今日では、いかに漢語の語彙が豐富でも、もうそれだけでは間に合はなくなりました。そこでわれ/\は「タクシー」「タイヤ」「ガソリン」「シリンダー」「メーター」などの如く英語をそのまゝ日本語化し、或は「形容詞」「副詞」「語彙」「科學」「文明」などの如く漢字を借りて西洋の言葉を飜譯したものを、用ひるやうになりました。これは實際かうしなければ用が足せないのでありますから、それで少しも差支へありません。我等の祖先が嘗て漢語を取り入れた如く、我等も歐米の言葉を取り入れて國語を富ますのは、まことに結構なことであります。しかしながら、總べて物事は、よいことばかりはありません。漢語の上に西洋語、飜譯語までを加へて、われ/\の國語は俄かに語彙が蟹富になりましたが、既にたびたび申す如く、そのためにわれ/\は餘りにも言葉の力を頼り過ぎ、おしやべりになり過ぎて、沈默の効果を忘れるやうになりました。國語と云ふものは國民性と切つても切れない關係にあるのでありまして、日本語の語彙が乏しいことは、必ずしも我等の交化が西洋や支那に劣つてゐると云ふ意味ではありません。それよりも寧ろ、我等の國民性がおしやベリでない證據であります。我等日本人は戰爭には強いが、いつも外交の談到になると、訥辯のために引けを取ります。國際聯盟の會議でも、しば/\日本の外交官は支那の外交官に云ひまくられる。われわれの方に正當な理由が十二分にありながら、各國の代表は支那人の辯舌に迷はされて、彼の方へ同情する。古來支那や西洋には雄辯を以て聞えた偉人がありますが、日本の歴史には先づ見當らない。その反對に、我等は昔から能辯の人を輕蔑する風があつた。實際に又、第一流の人物には寡言沈默の人が多く、能辯家となると、二流三流に下る場合が多いのである。ですから我等は、支那人や西洋人ほど言語の力を頼みとしない。辯舌の効果を信用しない。これは何に原因するかと云ふのに、一つにはわれ/\が正直なせゐでありませう。つまりわれ/\は、實行するところを見て貰へれば、分る人は分つてくれる、自ら省みて天地神明に耻ぢなければ、別にくど/\と言譯したり吹聽したりするには及ばぬ、と云ふ氣があるのでありませう。孔子の言葉にも「巧言令色鮮矣仁」と云つてありまして、おしやべりだから嘘《うそ》つきであるとは限りませんけれども、西洋は知らず、東洋に於いては、おしやべりの人は兎角物事を修飾して實際以上に買ひ被らせる癖があり、信用されない傾きがありますので、君子は言葉を愼むことを美徳の一つに數へたのでありますが、取り分け日本人は、此の點に於いて潔癖が強い。われ/\の間には支那にもない「腹藝」と云ふ言葉があつて、沈默を藝術の上にまで持つて來てゐる。又「以心傳心」とか「肝膽相照らす」とか云ふ言葉もあつて、心に誠さへあれば、默つて向ひ合つてゐても自《おのづか》らそれが先方の胸に通じる、千萬言を費すよりもさう云ふ暗默の諒解の方が貴いのである、と云ふ信念を持つてをります。われ/\にかう云ふ氣風や信念があると云ふのは、一層深く考へてみますと、東洋人特有の内氣《うちき》な性質に由來するのでありまして、總べてわれ/\は、物事を内輪《うちわ》に見積ります、十の實力があるものなら七か八しかないやうに自分も思ひ、人にも見せかける、それが謙讓の徳にかなふとした。西洋人はその反對でありまして、十のものを十と云ふのに何の遠慮も氣がねもしません。彼等も謙讓の徳を知らないことはないでせうが、しかし東洋流の謙譲は、彼等に云はせると卑怯でもあり、因循でもあり、或る場合には不正直でさへあるかも知れません。かう云ふことは一長一短でありまして、何事に依らず西洋人が進取的であり、東洋人が退嬰的であるのを見れば、我等が彼等に學ぶべきところも多いのでありますが、優劣は暫く論じないとして、上に述べたやうな日本人の國民性を考へますと、われ/\の國語がおしやべりに適しないやうに發達したのも、偶然でないことが知れるのであります。尚もう一つ云ひたいことは、われ/\は島國人であるせゐか、西洋人や支那人に比べると、執拗《しつこ》くない。よく云へばアツサリしてゐてあきらめがよいのでありますが、惡く云へば氣短かで、執着力がないので、一つ事を餘りあくどく云ふのを嫌ふ。云つてみても始まらない、どうせこれ以上分りつこはないと思つたり、成るやうにしか成らないと思へば、好い加減に見切りをつけて、あきらめてしまふ。此の性質が矢張國語に影響してゐるに違ひないのであります。
國語の長所短所と云ふものは、斯くの如くその國民性に深い根ざしを置いてゐるのでありますから、國民性を變へないで、國語だけを改良しようとしても無理であります。ですからわれ/\は、漢語や西洋語の語彙を取り入れて國語の不足を補ふことは結構でありますが、それにも自ら程度があることを忘れてはなりません。なぜなら、われ/\の國語の構造は、少い言葉で多くの意味を傳へるやうに出來てゐるので、澤山の言葉を積み重ねて傳へるやうには、出來てゐないからであります。今試みに實例を擧げて此のことを説朋致しますが、先づ皆さんは次の英文を讀んで御覽なさい。
his troubled and then suddenly distorted and fulgurous, yet weak and even unbalanced face--- a face of a sudden, instead of angry, ferocious,demoniac --- confused and all but meaningless in its registration of a balanced combat between fear and a hurried and restless and yet self-repressed desire to do----to do----to do--- yet temporarily unbreakable here and here --- a static between a powerful compulsion to do and yet not to do.
これはアメリカの現代作家テオドール・ドライザー氏の長篇小説「アメリカの悲劇」の一節であります。此の小説は先年スタンバーグと云ふ有名な映畫監督が映畫化しまして日本にも輸入されたことがありますから、皆さんのうちには多分あの繪を御覽になつた方もあるでせう。さうして此處に描いてあるのは、篇中の主人公クライドと云ふ人物が殺人を行はうとして決しかねてゐる。刹那の顏の表情でありますが、この長い長い文句が、悉く「顔」と云ふ語に附隨する形容句でありまして、更に一層長いセンテンスの一部分なのでありますから、實に驚くべき精密さであります。今此の原文を、出來るだけ忠實に、逐字的に譯してみますと、次のやうなことになります。
彼の困惑した、さうしてそれから突然に歪められ、閃々と輝いてゐるところの、だが弱々しく、さうして平衡をさへ失つてゐる顔、……急に變つた或る一つの顏、憤怒に充ちた、猛惡な、惡魔的なと云ふのではなくて、……慌しい、胸騒がしい、だがじつと抑へつけられてゐる、──、だが時も時とて打ち克ち難いところの ──やつちまへ──やつちまへ、──やつちまへと云ふ欲望と恐怖との間の、決定し難い相剋を示しつゝ殆ど無表情になつた、さうして混亂した顏、……やらう、いや止さう、と云ふ意志が恐ろしい迫り持ちになつた靜止状態。
私はこれを、故意に分りにくゝ譯したのではありません。逐字的にとは云ひましたけれども、分り易くするために或る所では言葉の順序を變へ、或る所では原文にない言葉を補ひ、或る所では原文の言葉を多少歪めたり省略したりしてあります。私の考へでは、日本語としてこれが精一杯と云ふ程度にまで直譯したのでありまして、もうこれ以上原文に附けば日本語ではなくなつてしまふ。ところで皆さんは、此の句の中に如何に多くの語彙が積み重ねてあるかを調べて御覽なさい。先づ「困惑した」、「歪められた」、「閃々と輝いた」、「弱たしい」、「平衡を失つた」、「急に變つた」、「憤怒に充ちた」、「猛惡な」、「惡魔的な」、「殆ど無表情になつた」、「混亂した」等十一の形容詞が、顏"face"と云ふ一語にか曳つてゐる。それから、その「無表情になつた」と云ふ語を説明するところの「決定し難い相剋」と云ふ語を、更に説明するところの「欲望」と云ふ語に、「慌しい」、「胸騷がしい」、「じつと抑へつけられた」、「打ち克ち難いところの」と云ふ四つの形容詞が附いてゐる。さうしてそれらの形容詞を連ねるのに、"yet"──「だが」と云ふ言葉が四つ、"and"──「さうして」と云ふ言葉が九つある。──私の譯文では、此の九つが餘りうるさいので三つに減らしてありますが、日本文としては實は此の三つもない方がよい。──此の外にそれらの形容詞を制限する"suddenly" "temporarily"の如き副詞があり、尚原文には、"fear"の次に括弧をして、 (a chemic revulsion against death or murderous brutality that would bring death}と云ふ文句が附いてゐます。
評論家の小林秀雄氏はその著「續文藝評論」の中に此の英文を引用して、「これはドライザアの描いたクライドの顏である。精細な心理解析の見本を澤山みせられてゐる私達は、この文章を別段見事だとも感じない。.併し彼がもつと精細にクライドの顏を心理的に分析してみせてくれたとしても、讀む者は決してクライドのほんたうの顔を思ひ浮べる事は出來ぬのである。」と云つてゐます。出來るか出來ないか、それは皆さんの御意見に任せるとして、西洋人は顏一つにもこれだけ精密な描寫をしないと、氣が濟まないのであります。が、原文に於いては、羅列してある澤山の形容詞が順々に讀者の頭に這入り、作者の企圖した情景が或る程度には現はされてゐる。それは英文の構造が多くの形容詞を羅列するのに適するやうに出來てゐるからであり、且此の場合には、"yet self-repressed desire todo---to do---to do---yet emporarily unbreakable here and here -"と云ひ、"a powerful compulison to do and yet not to do."と云ふやうなリズムが大いに効果を助けてゐるので、かう云ふところに原作者の苦心が窺はれます。が、譯文の方は、辛じて原文の語句を追ひかけてゐるだけで、並べてある形容詞が一向頭に這入つて來ません。讀者は唯ごぢや/\した言語の堆積を感ずるに止まり、どう云ふ顏つきを云つてゐるのかよく分りません。第一、「慌しい」から「打ち克ち難いところの」までの形容詞は「欲望」にかゝり、その前後の形容詞だけが「顏」にかゝるのでありますが、日本文の構造ではさう云ふ區別がつきません。そこで、もう少し原文を離れて、言葉の順序を日本文らしく取り換へてみますと、次のやうになります。
彼の、最初は困惑の色を浮かべてゐたが、やがて突然歪んで、怪しい輝きを帶び出した、弱々しい、不安さうな顔、──急に變つた或る一つの顔、それは憤怒に充ちた、猛惡な、悪魔的なと云ふのではなくて、──慌しい、胸騷がしい、だがじつと抑へつけられてゐる欲望と、──さうして又、やつちまへ、──やつちまへ、──やつちまへと唆かしてゐるところの、此の場合打ち克ち難い欲望と恐怖との相剋を示しつゝ殆ど無表情になつた、混亂した、顏、──やらう、いや止さう、と云ふ二つの意志が恐ろしい迫り持ちになつた靜止状態。
これなら、どの形容詞がどの名詞にかゝるかと云ふことは分ります。しかし漸く意味が辿れるだけのことでありまして、決してすら/\と頭に這入つて來るのではなく、況やこれらの形容詞に當て篏まる複雑な表情の顏つきが淨かんで來るなどは、思ひも寄りません。われ/\の國語の構造では、あまり言葉を重ねると重ねたゞけの効果がなく、却つて意味が不明瞭になることは、此の例を見ても明かであります.
尚もう一つ、今度は日本語の原文と、その英譯とを對照してみませう。次に掲げるものは源氏物語の須磨の卷の一節と、英人アーサー・ウエーレー氏の英譯であります。
かの須磨は、昔こそ人のすみかなどもありけれ、今はいと里ばなれ、心すごくて、海人《あま》の家だに稀になむと聞き給へど、人しげく、ひたたけたらむ住ひは、いと本意なかるべし。さりとて都を遠ざからむも、古里覺束なかるべきを、人わろくぞ思し亂るゝ。よろづの事、きし方行末思ひつゞけ給ふに、悲しき事いとさま/゛\なり。
これを、ウエーレー氏はどんな風に譯したかと云ふと、
There was Suma. It might not be such a bad place to choose. There had indeed once been some houses there ; but it was now a long way to the nearest village and the coast wore a very deserted aspect. Apart from a few fishermen's huts there was not anywhere a sign of life. This did not matter, for a thickly populated, noisy place was not at all what he wanted ; but even Suma was a terribly long way from the Capital, and the prospect of being separated from all those whose society he liked best was not at all inviting. His life hitherto had been one long series of disasters. As for the future, it did not bear thinking of !
(須磨と云ふ所があつた。それは往むのにさう悪い場所でないかも知れなかつた。寔にそこには嘗て若干の人家があつたこともあるのである、が、今は最も近い村からも遠く隔たつてゐて、その海岸は非常にさびれた光景を呈してゐた。ほんの僅かな漁夫の小屋の外には、何處も人煙の跡を絶つてゐた。それは差支へのないことであつた、なぜなら、多く人家のたてこんだ騷々しい場所は、決して彼の欲するところではなかつたのであるから。が、その須磨さへも都からは恐ろしく遠い道のりなのであつた。さうして彼が最も好んだ社交界の人々の總べてと別れることになるのは、決して有難いものではなかつた。彼のこれまでの生涯は不幸の數々の一つの長い連續であつた。行く末のことについては、心に思ふさへ堪へ難かつた!)
と、かうであります。
ウエーレー氏の源氏の英譯は、近頃の名譯であると云ふ評判が高いのでありまして、日本人が讀んでさへ中々理解しにくい古典を流暢な英文に譲譯し、而も原作を貫く精神とリズムとを或る程度に生かし得てゐることは、大いに感謝してよいのであります。此處に引用した一節なども、英文としてみれば恐らく立派なものでありませう。されば私も、此の文章を批難する氣はありませんが、唯、同じことを書いても英語にすると如何に言葉數が多くなるかと云ふ實例として、お目にかけるのであります。御覽の通り、原文で六行のものが、英文では十三行(その直譯で十三行)に伸びてゐます。それもその筈、英文には原文にない言葉が澤山補つてあるのであります、たとへば「それは住むのにさう悪い場所でないかも知れなかつた。」"lt might not be such a bad pace to cboose,"と云ふ文句は原文にはない。「今はいと里ばなれ、心すごくて、海人の家だに稀になむと聞き給へど、人しげく、ひたたけたらむ佳ひは、いと本意なかるべし。」と、さう云ってゐるだけである。然るに英文では此の原文の文句を又引き伸ばして、「今は最も近い村からも遠く隔たつてゐて、その海岸は非常にさびれた光景を呈してゐた、ほんの僅かな漁夫の小屋の外には云々」から「決して彼の欲するところではなかつたのであるから。」まで、五六行を費してゐます。一方では「古里覺束なかるべきを」と云つてゐるのが、一方では「彼が最も好んだ社交界の人々の總べてと別れることになるのは、」となつてをり、「よろづの事、きし方行末思ひつづけ給ふに、悲しき事いとさま/゛\なり。」が、「彼のこれまでの生涯は不幸の數々の一つの長い連續であつた。行く末のことについては、心に思ふさへ堪へ難かつた!」となつてをります。つまり、英文の方が原文よりも精密であつて、意味の不鮮明なところがない。原文の方は、云はないでも分つてゐることは成るべく云はないで濟ませるやうにし、英文の方は、分り切つてゐることでも尚一層分らせるやうにしてゐます。
しかし原文も、必ずしも不鮮明なのではない。成る程「古里覺束なかるべし」と云ふよりは「彼が最も好んだ社交界の總べての人々と別れること」と云つた方がはつきりはしますけれども、都を遠く離れて行く源氏の君の悲しみは、此の人々と別れることばかりではない。そこにはいろ/\の心細さ、淋しさ、遣る瀬なさが感ぜられるでありませう。さればそれらの取り集めた心持を「古里覺束なかるべし」の一語に籠めたのでありまして、英文のやうに云つてしまつては、はつきりはしますけれどもそれだけ意味が限られて、淺いものになります。さうかと云つて、その取り集めた心持を細かに分析して剩すところなく云はうとすれば、かのドライザー氏の文章の飜譯の如きものになり、却つて分りにくゝなるばかりでなく、恐らくはどんなに言葉を積み重ねても、これで云ひ足りたと云ふ時はないでありませう。全體、かう云ふ場合の悲しみは、分析し出したら際限のないもので、自分にもその輪廓がはつきり突き止められないのが常であります。ですからわれ/\の國の文學者は、さう云ふ無駄な努力をしないで、わざとおほまかに、いろ/\の意味が含まれるやうなユトリのある言葉を使ひ、あとは感覺的要素、即ち調子や字面やリズムを以て補ひます。前に、古典の文章には一語々々に月の暈《かさ》のやうな蔭があり裏があると云つたのは此處のことでありまして、云ひ換へれば、僅かな言葉が暗示となつて讀者の想像力が働き出し、足りないところを讀者自らが補ふやうにさせる。作者の筆は、唯その讀者の想像を誘ひ出すやうにするだけである。さう云ふのが古典文の精神でありますが、西洋の書き方は、出來るだけ意味を狹く細かく限つて行き、少しでも蔭のあることを許さず、讀者に想像の餘地を剩さない。われ/\からみれば、「彼が最も好んだ社交界の云々」では極まり切つてしまつて餘情がなさ過ぎますけれども、彼等からみれば、「古里覺束なかるべし」では何のことか分らない、何故覺束ないのであるかその理由を明示しなければ、得心が行きません。
西洋の言葉は、支那の言葉と同じやうに動詞が先に來て、次に目的格が來る。又テンスの規則があつて、時間的に細かい區別をつけることが出來、前の動作と後の動作とがはつきり見分けられる。又、關係代名詞と云ふ重寶な品詞があつて、混雜を起すことなしに、一つのセンテンスに他のセンテンスを幾らでも繋げて行くことが出來る。その他、單數複數、性の差別等、いろいろな文法上の規定がある。さう云ふ構造なればこそ、多くの語彙を積み重ねても意味が通じるのでありますが、全然構造を異にする國語の文章に彼等のおしやべりな云ひ方を取り入れることは、酒を盛る器に飯を盛るやうなものであります。然るに現代の人々は深く此の事實に留意しないで、兎角言葉を濫費する癖があります。彼等の書く文章は、孰方かと云ふと、古典文よりは飜譯文の方に近い。小説家、評論家、新聞記者等、文筆を業とする人の文章ほど、尚さう云ふ傾きがある。西洋人は、上に舉げた英文を見ても分るやうに「總べて」"all"とか「最も」"most"とか云ふ言葉を惜しげもなく並べ立てますが、現代の日本人もいつかその眞似をして、その必要のないところに最上級の形容詞を使ふ。かくてわれ/\は、われ/\の祖先が誇りとしてゐた奧床しさや愼しみ深さを、日に/\失ひつゝあるのであります。唯茲に困難を感ずるのは、西洋から輸入された科學、哲學、法律等の、學問に關する記述であります。これはその事柄の性質上、緻密で、正確で、隅から隅まではつきりと書くやうにしなければならない。然るに日本語の文章では、どうしても巧く行き屆きかねる憾みがあります。從來私は、しば/\獨逸の哲學書を日本語の譯で讀んだことがありますが、多くの場合、問題が少し込み入つて來ると、分らなくなるのが常でありました。さうしてその分らなさが、哲理そのものゝ深奧さよりも、日本語の構造の不備に原因してゐることが明かでありますので、中途で本を投げ捨てゝしまつたことも、一再ではありません。蓋し、東洋にも昔から學問や技術のことを書いた著述がないことはありませんけれども、われ/\の方は「曰く云ひ難し」的の境地を貴んで、餘り露はに書くことを嫌つた。これも一つには、われ/\が言語の力を頼りとしない習性に因るのでありませうが、徒弟教育時代には弟子が直接先生の口傳を受け、又は先生の人格に陶冶されて自然と會得するところがあつたので、それで差支へなかつたのでありませう。斯く考へて來ますならば、われわれの國の文章が科學的の著述に適しないことは當然でありますが、これは何とかしてその缺陷を補はなければなりません、今日、我が國の科學者達は如何にしてその不便を凌いでゐるかと云ふのに、讀むにも書くにも、大概原語で間に合はせてゐるらしいのであります。彼等は講義をするのにも、日本語の問へ非常に多くの原語を挾む。論文を發表するのにも、日本文でも書くが、同時に外國文で發表し、さうして外國文の方を標準とする。日本文の方は、專門の知識と外國語の素養のある者には分りますけれども、しろうとが讀んだのでは、分りツこはない。私はよく、中央公論や改造等の一流雜誌に經濟學者の論文などが載つてゐるのを見かけますが、あゝ云ふものを讀んで理解する讀者が何人ゐるであらうかと、いつも疑問に打たれます。それもその筈、彼等の文章は讀者に外國語の素養のあることを前提として書かれたものでありまして、體裁は日本文でありますけれども、實は外國文の化け物であります。さうして化け物であるだけに、分らなさ加減は外國文以上でありまして、あゝ云ふのこそ惡文の標本と云ふべきであります。實際、飜譯文と云ふものは外國語の素養のない者に必要なのでありますが、我が國の飜譯文は、多少とも外國語の素養のない者には分りにくい。ところが多くの人々は此の事實に氣が付かないで、化け物的文章でも立派に用が足せるものと思つてゐる、考へると寔に滑稽であります。
然らば此の缺陷を如何にして補つたらよいかと申しますと、これはわれ/\の物の考へ方、長い間に培はれた習慣や、傳統や、氣質等に由來するのでありますから、文章だけの問題ではなくなつて來ます。唯、さしあたり考へられますことは、自分の國の國語を以て發表するのに不向きなやうな學問は、結局借り物の學問であつて、ほんたうに自分の國のものとは云へない。されば、早晩われ/\はわれ/\自身の國民性や歴史にかなふ交化の樣式を創造すべきでありませう。われわれは今日迄に、泰西のあらゆる思想、技術、學問等を一と通り吸收し、消化しました。さうして種々なる不利な條件を課せられながら、或る部門に於いては先進國を追ひ越して、彼等を指導せんとしてゐる。時代は最早我等が交化の先頭に立つて獨創力を働かすべき機運に達してゐるのである。故に今後は徒らに彼等の模倣をせず、彼等から學び得たことを、何とかして東洋の傳統的精神に融合させつゝ、新しい道を切り開かねばなりますまい。が、それは此の讀本の範圍外に屬することでありますから、此處では深く論じますまい。此の讀本で取り扱ふのは、專門の學術的な文章でなく、我等が日常眼に觸れるところの、一般的、實用的な文章でありますが、而も今日は科學教育萬能の餘弊を受けて、さう云ふ一般の實用的な文章までが、專門の熟語を使つたり學術的な云ひ廻しを眞似たりして、不必要に記述の精密を衒《てら》ひ、實用の目的から離れつゝある。何よりもわれ/\は、此の惡い癖を改めなければなりません。私に云はせれば、實用の文章のみならず、學術的な文章の或るもの、たとへば法律書や哲學書の如きものでも、その或るものは緻密に書けば緻密に書く程疑義が生じて來ますので、論理的遊戯に耽るのでない限り、古い東洋の諸子百家や佛家の語録の形式等を借りた方が、われ/\には理解し易く、讀んだものが眞に身に着くと思ひます。兎に角、語彙が貧弱で構造が不完全な國語には、一方に於いてその缺陷を補ふに足る充分な長所があることを知り、それを生かすやうにしなければなりません。
最終更新:2016年01月05日 21:27