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谷崎潤一郎『文章讀本』「二 文章の上達法」(1)文法に囚はれないこと

文章の上達法に就いては、既に述べたところで自《おのづか》ら明かになつてゐる點が多いと思ひますから、此處にくだくだしくは申しますまい。で、出來るだけ簡單に説いて、御注意を促すに止めて置きます。

第一に申し上げたいのは、

文法的に正確なのが、必ずしも名文ではない、だから、文法に囚はれるな

と云ふことであります。

全體、日本語には、西洋語にあるやうなむづかしい文法と云ふものはありません。テニヲハの使ひ方とか、數の數へ方とか、動詞助動詞の活用とか、假名遣ひとか、いろ/\日本語に特有な規則はありますけれども、專門の國學者でゝもない限り、文法的に誤りのない文章を書いてゐる人は、一人もないでありませう。又、間違へても實際には差支へなく通用してゐる。私がしばしば奇異に感ずるのは、電車に乘ると、車掌がやつて來て「誰か切符の切つてない方はありませんか」と云つて廻ります。此の車掌の言葉などは、文法的に解剖すると、餘程をかしい。しかし實際にはこれで通用してゐるので、もし此の言葉を文法的に間違ひなく云はうとすると、どんな風に云ったらよいか、餘程長たらしい、聞き取りにくいものになるでありませう。かう云ふ例は幾らもあるのでありまして、われ/\の國の言葉にもテンスの規則などがないことはありませんけれども、誰も正確には使つてゐませんし、一々そんなことを氣にしてゐては用が足りません。「した」と云へば過去、「する」と云へば現在、「しよう」と云へば未來でありますが、その時の都合でいろ/\になる。一つの連續した動作を叙するにも、「した」「する」「しよう」を同時に使つたり前後して使つたり、全く規則がないのにも等しい。だがそれでゐて實際には何の不便もなく、現在のことか過去のことかはその場その場で自《おのづか》ら到別がつく。又日本語のセンテンスは必ずしも主格のあることを必要としない。「お暑うございます。」「お寒うございます。」「御機嫌は如何でいらつしやいます。」などゝ云ふ時に、一々「今日のお天氣は」とか「あなたは」とか斷る者は誰もゐない。「暑い。」「寒い。」「淋しかつた。」でも、立派に一つのセンテンスになり得る。つまり日本語には英文法に於けるセンテンスの構成と云ふやうなものが存在しない。どんな句でも、たつた一つの單語でも、隨時隨所に獨立したセンテンスになり得るのでありますから、われわれは特にセンテンスなどゝ云ふものを考へる迄もない。で、かう申しては少し極端かも知れませんが、日本語の文法と云ふものは、動詞助動詞の活用とか、假名遣ひとか、係り結びとかの規則を除いたら、その大部分が西洋の模倣でありまして、習つても實際には役に立たないものか、習はずとも自然に覺えられるものか、孰方かであります,

しかしながら、左樣に日本語には明確な文法がありませんから、從つてそれを習得するのが甚だ困難な譯であります。一般に、外國人に取つて日本語程むづかしい國語はないと云はれる。又歐羅巴の國語のうちでは、英語が一番習ふのにむづかしく、獨逸語が一番やさしいと云はれる。それはなぜかなら、獨逸語には實に細かい規則がありますので、最初に一と通りその規則を覺え込んでしまへば、あとは一々の場合にそれを當て篏めて行けばよい。然るに英語は、獨逸語ほど規則が綿密でなく、又、規則に當て篏まらない例外の場合がある。たとへば文字の讀み方にしても、獨逸語の方は整然たる規則があるので、それに從へば知らない文字でも讀むことだけは出來ますのに、英語の方は、aの字一つでもいろ/\に發音する。況や日本語になると、讀み方などは日本人の間でもまち/\であり、その他總べての場合の規則が、あると云へばあるやうなものの、外國人にも分るやうに説明せよと云はれると、出來ないものが澤山ある。西洋人が最も困難を感ずるのは、主格を現はすテニヲハの「ハ」と「ガ」の區別ださうでありますが、成る程、「花は散る」と云ふのと「花が散る」と云ふのと、明かに使ひ道が違つてをりまして、われ/\ならその場に臨んで迷ふことはありませんけれども、さてそれを、一般に當て篏まる規則として、抽象的に云へと云へば出來ない。文法學者は何とか彼とか説明を與へて、一應の體裁は取り繕《つくろ》ふでありませうが、そんな説明は實際の役に立たない。「でございます」「であります」「です」などの區別も、甚だ微妙でありまして、理窟では何とも片附けられない。さう云ふ次第でありますから、日本語を習ひますのには、實地に當つて何遍でも繰り返すうちに自然と會得するより外、他に方法はないと云ふのが眞實であります。

ところが、今日は何處の中學校へ行きましても、日本文法の科目があるのでありまして、皆さんもそれをお習ひになつたに違ひない。これは如何なる必要があつてさう云ふものを教へるかと申しますのに、われ/\同胞は、外國人と違ひまして、生れ落ちた時から國語に親しんでをりますが故に、口でしやべる場合にはさしたる困難を感じませぬけれども、ひとたびそれを文字で現はす、文章で書く、と云ふ段になりますと、外國人と同じやうに、據るべき規則のないことに惱まされます。殊に今日の學生は小學校の幼童と雖も科學的に教育されてをりますので、昔の寺子屋のやうな非科學的な教へ方、理窟なしに暗誦させたり朗讀させたりするのでは、承服しない。第一頭が演繹や歸納に馴らされてをりますので、さう云ふ方法で教へないと、覺え込まない。生徒がさうであるのみならず、先生の方も、昔のやうに優長な教へ方をしてはゐられませんから、何かしら、基準となるべき法則を設け、秩序を立てゝ教へた方が都合がよい。で、今日學校で教へてゐる國文法と云ふものは、つまり双方の便宜上、非科學的な國語の構造を出來るだけ科學的に、西洋流に僞装しまして、彊ひて「かうでなければならぬ」と云ふ法則を作つたのであると、さう申しても先づ差支へなからうかと思ひます。たとへば主格のないセンテンスは誤りであると教へてをりますのは、さう定めた方が教へ易く、覺え易いからでありまして、實際には一向その規則が行はれてゐない。又、今日の人の書く文章には「彼は」「私は」「彼等の」「彼女等の」等の人稱代名詞が頻繁に用ひられてをりますけれども、その使ひ方が歐文のやうに必然的でない。歐文では、使ふべき時には必ず使つてありますので、勝手にそれを省く譯には行かないのでありますが、日本文では、同じ人の書いた同じ文章の中でも、使はれたり略されたりしてゐまして、合理的でない。それと云ふのが、もともとさう云ふものを必要としない構造なのでありますから、氣紛れに使つてみることはありましても、長續きがしないのであります。

服部は何よりも自分の體の臭ひを嗅ぐ時に、自分が馬だの豚だのと大して違ひはない状態に居ることを感じた。此の臭ひが附いて居る自分は、高尚な人間の一人ではなく、虎や熊と一緒に動物園へ入れられる仲間であるやうな心地がした。けれども彼が其の臭ひを氣にする間はまだ人間だつたかも知れないのだが、貧乏が彼を墮落させるにつれて、彼は次第に其れを忘れるやうに努め、成るべく獸《けだもの》の仲間になる修行をした。もう此の頃では一と月に一度か二度も湯へ這入ればせい/゛\であつた。それに、不養生の結果いつの間にか心臓を惡くして居て、とてもたび/\入浴する事は出來なかつた。こんなになつて居ても、彼はやつばり死ぬのが恐《こは》かつたのであらう。風呂の中でふらふらと眩暈《めまひ》がしたり、動悸が激しく搏ち出したりすると、今にも氣が違ひさうに狼狽して、「助けてくれ!」と云ひながら矢庭に誰にでもしがみ着きたい氣持になるのである。全く、死ぬよりは獸《けだもの》で父も生きて居る方が増しかも知れない! だから服部は此の死の恐怖を逃れる爲めにも、不潔を忍ばなければならなかつた。さうして今では、彼の周圍のあらゆる物に附き纒《まつ》はつて居る悪臭を、まるきり感じない迄になつて居た。のみならず、意地穢なの場合と同じに、その不潔の底に沈湎する事を秘密な樂しみにもした。(中略)で、彼が今、南から貰つた葉卷を持ちながら、その手元を不思議さうに眺めて居るのも、大分それに似た心持からであらう。やがて葉卷を左の手に持ち換へると、垢とやにとでべたべもたになつた右手の人差指と親指とを何か面白い事がありさうにぬるぬる擦《こす》り合つて居たが、暫くすると、今度はその二本の指を鼻先で開いて脂汗《あぶらあせ》の爲めに指紋がギラギラ光つて居る指の腹をじつと視詰めた、──相變らずどんよりした睡さうな眼をしながら。それから、指紋のギラギラから、ふと或る事を思ひ付いたらしく首を擧げて南を見た。


此の文章は、私が十數年前に書いた「鮫人」と云ふ小説の一節でありまして、代名詞の使ひ方が如何に氣紛れであるかを示すために、此處に引用したのであります。當時私は、今でも多くの青年たちがさうであるやうに、努めて西洋文臭い國文を書くことを理想としてをりました。されば此の文章の中にも、「彼は」「彼を」「彼の」等の代名詞が夥しく使つてありますが、御覽の如くその使ひ方に必然さがありません。「彼が其の臭ひを氣にする間はまだ人間だつたかも知れないのだが、貧乏が彼を墮落させるにつれて、彼は次第にそれを忘れるやうに努め」と云ふあたりは、「彼」と云ふ言葉がうるさく出て來ますけれども、「やがて葉卷を左の手に持ち換へると」から以下、「首を舉げて南を見た」までには、一つも使つてない。これが英文でありましたならば、「やがて」から以下にも當然三人稱代名詞が二つや三つは使はれる筈でありますが、日本文だと、どんなに英文の眞似がしたくても、さう頻繁に使ふことは文章の體裁が許さない。最初は正確に使ふ積りでゐましても、いつの間にか國文の本來の性質に引き擦られて、眞似が續かなくなるのであります。

次に皆さんは、これと比較するために左の古典文を讀んで御覽なさい。

あふ坂の關守にゆるされてより、秋こし山の黄葉《もみぢ》みすごしがたく、濱千鳥の跡ふみつくる鳴海《なるみ》がた、不盡《ふじ》の高嶺の煙、浮島がはら、清見が關、大磯小いその浦々、むらさき艶《にほ》ふ武藏野の原、鹽竈の和《な》ぎたる朝げしき、象潟《きさがた》の蜒《あま》が笘屋《とまや》、佐野の舟梁《ふなはし》、木曾の棧橋《かけはし》、心のと父まらぬかたぞなきに、獪西の國の歌枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葭《あし》がちる難波を經て、須磨明石の浦吹く風を身にしめつも、行く/\讃岐の眞尾坂の林といふにしばらく笻《つゑ》をと父む。草枕はるけき族路の勞《いたはり》にもあらで、觀念修行の便《たより》せし庵なりけり。この里ちかき白峰といふ所にこそ、新院の陵《みさゝぎ》ありと聞いて、拜みたてまつらばやと、十月《かんなづき》はじめつかたかの山に登る。松柏《まつかしは》は奥ふかく茂りあひて、青雲《あをぐも》の輕靡《たなび》く日すら小雨そぼふるが如し。兒《ちご》ケ嶽といふ嶮しき嶽|背《うしろ》に聳だちて、千仭の谷底より雲霧おひのぼれば、咫尺《まのあたり》をも鬱悒《おぼつかな》きこゝちせらる。木立わつかにすきたる所に、土|〓《たか》く積みたるが上に、石を三つかさねて疊みなしたるが、荊棘葛蘿《うばらかつら》にうづもれて、うらがなしきを、これなん御墓にやと心もかきくらまされて、さらに夢現《ゆめうつゝ》をわきがたし。現《げ》にまのあたり見奉りしは紫宸清凉の御座《みくら》に朝政《あさまつりごと》きこしめさせ給ふを、百《もゝ》の官人《つかさ》は、かく賢《さかし》き君ぞとて、詔恐《みことかしこ》みてつかへまつりし。近衞院に禪《ゆづ》りましても、藐姑射《はこや》の山の瓊《たま》の林に禁《し》めさせ給ふを、思ひきや麋鹿《びろく》のかよふ路のみ見えて、詣でつかふる人もなき深山の荊《おどろ》の下に聯がくれたまはんとは。萬乘の君にてわたらせ給ふさへ、宿世《すぐせ》の業《ごふ》といふものゝ、おそろしくもそひたてまつりて、罪をのがれさせ給はざりしよと、世のはかなさに思ひつ虻けて、涙わき出つるが如し。終夜《よもすがら》供養したてまつらばやと、御墓の石の土に座をしめて、經文徐かに誦《ず》しつゝも、かつ歌よみてたてまつる。


これは徳川時代の國文學者、上田秋成の短篇小説集「雨月物語」の開卷第一に收めてある「白峰」の書き出しでありまして、物語の主人公は西行法師であり、こゝに掲げた十のセンテンスのうちの五つまでは西行が主格になつてゐるのでありますが、「西行は」とも「彼は」とも、主格と見倣すべき言辭は何處にも發見されません。且、「仁安三年の秋」とあり「近衞院に禪りまして云々」とありますので、歴史を知つてゐる者には時代を推測することが出來、「新院」と云ふ語が誰方のことを指してゐるのか分りますけれども、昔の事を記すのに「節をとゞむ」「山に登る」「こゝちせらる」「よみてたてまつる」等、現在止めの文章で一貫してゐるのかと思へば、「昂をとゞむ」の直ぐ後へ持つて來て、「觀念修行の庵なりけり」と、過去止めが挿んである。されば英文法に於ける歴史的在、"Historical Present"の用法とも違つてゐるのでありまして、結局、「時」の關係などは無視されてゐるのであります。私は此の秋成の文章を古典的名文の一つに數へたいのでありますが、これが何故名文であるかは追つて説明いたしますから、今は別に申しますまい。唯皆さんは、かう云ふ時間の關係も主人公の存在も分らないやうな文章こそ、われ/\の國語の特長を利用した模範的な日本文であることを、記憶して頂きたいのであります。

斯樣に申しましても、私は文法の必要を全然否定するのではありません。初學者に取つては、一應日本文を西洋流に組み立てた方が覺え易いと云ふのであつたら、それも一時の便法として已むを得ないでありませう。ですが、そんな風にして、曲りなりにも文章が書けるやうになりましたならば、今度は餘り文法のことを考へずに、文法のために措かれた煩瑣な言葉を省くことに努め、國文の持つ簡素な形式に還元するやうに心がけるのが、名文を書く秘訣の一つなのであります。

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最終更新:2016年01月08日 00:34