巌谷小波「言文一致に関する余の経験」

    予(よ)が御伽話(おとぎばな)しの言文一致 巌谷小波 

以上は所謂普通の小説に對する時である、が其後子供(こども)に向つてのものを書くのに矢張り此言文一致が宜いと云ふことを知つて、さうして此文躰を用ひるやうになりましてからは、少しく用意及び自分の考も變つて來たのであります。

是より前私は大いなる失敗をして居る、それはどう云ふ事であるかと云ふと、一方に於て斯う云ふ作物を言文一致で書いて居りながら、一番初めて私が子供の爲に書いたものはどう云ふ文躰を用ひたかと云ふと、却つて言文一致を用ひずに、昔流行つた即ち馬琴(ばきん)口調の文躰を以て書いたのである、其當時大に批評家に撃たれました、然る後に眼が覺めた次第でありますが、其時は私は斯う考へて居った、言文一致と云ふものは寧ろ分りにくい、それよりは却つて口調の宜い七五調であるとか、或は七七でも宜い、詰り口調の宜い文章を作つた方が子供には覺え易からう、目にも入り易からう斯う考へた、其爲に殊更に子供に讀ませるものに限つて他の文躰で作つたことは、今日考へて見ると頗る愚の至りであつた、併ながら其當時はさうでない、輿論も亦言文一致を迎へず、書いて居る者も言文一致と云ふものは中々是はむづかしいものである、餘程ひねくれたものであるから、どうも子供には分り悪くからう、斯う考へた、前に申したやうな山田君の擬人法擬物法、或は私の拵へました元祿文學を加味したやうなものならば分り惡いに違ない、是であつたならば言文一致ぐらゐ愚なものはない、それが分りましたから私は成るべく今度は分り易いやうに書かうと思つた、それで一番初めに私は桃太郎を書いて見た、是は即ち言文一致の分り易いと云ふ方法から書いた、所がそれすらも今日讀んで見ると一向分り宜(よ)くない、此桃太郎は後に少しく直しました桃太郎でありますけれども、それでも斯う云ふ事がある、

 「すると或日のことで、桃太郎は父に向ひ「さて阿父(おとつ)さん不圖(ふと)した御縁で親子となり、長の年月の御養育、御恩は草刈る山よりも高く又洗濯の川よりも深く、何と御禮の申様もござりません」と改まつて申しますと、爺は却て迷惑頗「是はしたり苟(かりそめ)にも親子となれば」云々、

とある、是は矢張り子供の言ふ言葉でない、まだ私の頭には阿だか芝居であるとか小説であるとか云ふ事が入り込んで居つて、ついさう書きたかつた、それで此時は私は大得意の積りで、草苅(くさか)る山よりも高く、洗濯(せんたく)の川よりも深くと言つたのであるが、子供は之を見て少しも面白く思はなかつたらうと思ふ、是は私の失敗の一つである、一番分り易く書くべき桃太郎をさう云ふ風に書いて仕舞った、それから更に筆を付けて追々あとの者を書直す譯になつたのであります。即ちどうかして子供に直ぐに分るやうにしやう、子供に讀ませるものは讀んで聽かせさへすれば直ぐに子供に分るやうにしやうと考へた、それには子供の言葉を研究する必要があると斯う思ひましたから、先づ手近に居る自分の姪(めい)であるとか甥(をゐ)であるとか云ふ者を集めて來て、書きながら私が讀む、分(わか)るか、分(わか)りました、分つたか、分つた、と云ふやうな返辭を聞きながら書いて居つた、

所がそれでも時々困ることが出來た、言文一致と云ふ即ち口語で書くと云ふと、唯さへ日本語は言葉が缺乏して居る、不足して居る上に口語で書くと更に缺乏する又子供の口語となつて來ると殆ど言葉が無い、自分が書かうと思つた意思を現はすことの出來ないことがある、其時分に斯う云ふ事がある、例へば書きながら行く中に「やがて」と云ふ言葉が出て來た、さうすると伯父さん「やがて」とは何だと來る、「やがて」は「やがて」だ、「やがて」では分らぬ、之を解釋して見ると「直(す)ぐに」とか「直(じ)きに」とか云へば宜いかも知れぬが、「直ぐに」でも「直きに」でもいかぬ、矢張り「やがて」でなければいかぬ、それで何しろ「やがて」だと思つて居れば宜い、或は「兎に角」と云ふ言葉が出て來る、是も重寳な言葉である、日本語の中では「成程」と「兎に角」が宜い、「成程は分らぬときの言葉なり」と云ふ川柳(せんりゅう)がありますが、成程其通り、此位暖眛な言葉はない、併ながら塲合に依つては瞹眛な言葉を殘して置くのが必要である、何しろ兎に角覺えて居ると云ふより仕方がない、それから「其儘(そのまま)」と云ふ言葉も子供の中では言はない、けれども書いて居る中には「其儘」が必要である、こんな様な事が屡々打付(ぶツつ)かつて來るそこで私は考へて見て、どうも是は困る、困るけれども此言文一致で書く、口語で書くとは云ひながら、矢張り文章である以上は、何もさう言葉の通り直寫にならなくとも宜い、其間に口調も必要であり響きも必要であるから、さうどうも子供の言葉に服從するやうなことはないと已むを得ず悟った、そこで成るたけ分るやうにと思つて書いたものがありますから,それを一つ讀んで見ませう、例へば私はイソツプ物語の眞似をして書いたものがある、是は私が子供に向って話をする通り書いた積りなのです、其中を一つ讀んで見ませう、是は「經師屋(きようじや)と風の神」と云ふ話で

「ある経師屋の亭主が、頻りに仕事をして居ましたが、どうも暑くつて/\耐(たま)りませんから方々の障紙を明け放して、是なら宜(よ)いだらうと思つても、生憎風がちつともありませんから、少しも凉しくなりません」

是は分る積りです「頻りに」と云ふ言葉は事に依ると分らぬかも知れぬ。

 そこで亭主にプツ/\怒つて「ほんとに何と云ふ暑い日なんだー、風ツたらちつともありやしねえ、ほんとに風の神の腰拔奴(め)、何かして居やがるんだなア」と大きな聲をして悪口を云ひますと、急に戸外(をもて)が暗くなつて、變に空が曇つて來ましたから、是わ妙だと思って居ますと、やがて誰だか大きな聲で「さア經師屋ー、風の神の腰が立つたぞ」と、云うが早いか、仕事塲の眞中え、大きな旋風(つむじかぜ)が舞込んでアレヨ/\と云う中に、これから張らうと思う紙をみんなチリ/\バラ/\にして、遙の空え巻き揚げてしまいましたから、經師屋わもうぼんやりしてしまつて「アゝア是ぢア矢張(やっぱ)り風の無い方が宜(よ)い」       

と斯う云ふ話です、是は隨分直寫であつて「ありやアしねえ」とか「何をして居やがるんだ」と云ふやうな事を思ひきつて使つた積りです、是ならば大抵分るだらうと思つた。

そこで今度は餘り分らせやうと思ふと、所謂修辭(レトリック)と云ふものを其間に使ふことが出來なくなつて、遂には無味乾燥になる、私は地理を言文一致で書いた、所が此位無味乾燥なものはない、それを讀んで見ると

「其次は伯嘗國で此處には大山(たいせん)と云ふ中國一の高い山がありますこの中國とは山陰山陽の兩道を云ふのです、又|船上山(ふながみやま)と云ふ山は昔時(むかし)醍醐天皇が隠岐の國から御還りの時名和長年と云ふ忠臣が御迎ひに出た所です。

 市街には米子と云ふ所があります、それからずつと突き出した小さな半島の先には境と云ふ港がありまして、其處から隱岐へ渡れるやうになつて居ります」

私は知りませぬが、行つたやうな顔をして斯う書いて置きました、どうも「あります」とか「です」とか「居ります」とか云ふ事がむやみと續いて面白くない、所が歴史の方になつて來ると、事柄だけに幾らか樂(らく)であります、是は日本の歴史を書いたのであります。

「一体蒙古と云ふとまづ現今(いま)の支那のことで、日本に比べて見ますと十層倍も大きな國です、ですからこの日本が小さな國なのを馬鹿にして、屬國(てした)にしやうと思ひまして、そこで度々手紙を寄越して、種々(いろ/\)に説き付けましたが、時宗は日蓮上人と云ふ名高い坊さんと相談しまして、なか/\其手に乘りません」

この「其手に乘りません」と云ふ言葉も困つたが、外に言ひやうが爲(ママ)かつた、

「すると蒙古の方では威喝(おどかし)に兵隊を出して來て對島や壱岐を攻め初め、そして罪も無い日本人を酷(ひど)い目に遭はせましたから、時宗は尚更怒つて、其返報に蒙古の使者(つかひ)を片端から斬って仕舞ひました、すると蒙古でも大層怒つてとう/\十万人と云ふ大軍を繰り出し、何十艘と云ふ軍艦でもって九州から攻め込んで參りました」

是もどうも一向力も何も無い、有躰にズラ/\言つて居るので、譯は分るか知らぬが少しも面白くない、此時に私は「軍艦」と云ふ言葉をチョット考へた、日本風で言へば「いくさ舩」と言はなければならぬ、又昔風の言葉で言ふと、或は兵船であるかも知れぬが、今の子供は寧ろ軍艦の方が分る、「いくさ船」などと廻りくどく言ふよりは軍艦と云つた方が強さうに聞える。私共が子供の時分に使つた言葉も、既に今は無くなつて居るのがありまして、今の小學生徒は進んで居つて高慢なことを言ふから、是では分りにくからうと云ふ斟酌は寧ろ要らぬことと此頃氣付きました、例へば昔私共の子供の時分に、獨樂當(こまあて)をしても一番えらくなると天下(てんか)樣だと威張つた、頼朝が天下を取つた、秀吉が天下を取つたと云ふが、此天下と云ふ言葉が今の子供には分らなくなつた天下とは天の下だ、それでは世界中ではないかと云ふやうなことで、世界と云ふことは能く知つて居る、天皇陛下のことも天子様などと云ふよりは天皇陛下の方が分つて居る、天皇陛下萬歳まで分つて居る、字は知らないかも知れぬが、斯う云ふ漢語のむつかしい事まで分つて居る、勝鬨(かちどき)と云ふよりは凱旋(がいせん)と云ふ方が分つて居る、さう云ふ事がありますから子供の言葉をやさしくしやうと思つて居ると、存外やさしくなくて鐵道と云ひ、世界と云ひ、天皇陛下萬歳と云つた方が分るのであります。

 

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最終更新:2016年06月15日 12:52