東條操『全国方言辞典』「序」

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 一国の言語の研究は共通語現象と共に全国の方言現象についてこれを行わなければならない。語彙については、共通語を内容とするいわゆる標準語辞典乃至国語辞典と共に、俚言を採録した方言辞典の編纂が必要である。国語の理会はこの両面を具えて完全となる。
 欧州において十九世紀以来、頓に方言採集の機運が起り、現代に及んで、一地方の外に一国を範囲とする大辞典が刊行された。
 J. Wrightの The English Dialect Dictionary(1905)が有名な大著なることはいうまでもないが、近くはK. Jaberg等のGlossaire des patois de la Suisse Romande(1924) のごとき大冊がある。
 翻つてわが国を見れば、明治以後多くの方言集の刊行を見たが、諸国の方言を集録した江戸の「物類称呼」(安永四。一七七五)一部を除いては、未だ全国方言辞典の出版された事を知らない。これは学界のためにも社会のためにも遺憾なことである。けだし、全国方言辞典の編纂出版の容易ならざるためであろう。
 方言の調査には、臨地調査、通信調査、文献調査の三つの方法があり夫々長短がある。言語地理学では臨地調査若しくは通信調査による事が多く、Gillieronは臨地調査により、Wenkerは通信調査によつた。俚言採集の理想としては一々現地に臨んで地方人の言語を親しく聴く事が上乗の法であるが、臨地の採訪となれば自然、調査地点に制限ができるために調査網が粗大となる虞がある。通信調査は調査地点を思うままに細密に配置できるのは便利であるが、多数の報告中には正しからぬもののある事を予想しなければならない。文献調査は言語地理学的研究にはあまり適当でない。

 全国方言辞典編纂の場合においてはまたこれとは事情の異なるものがある。通信調査によつて全国の俚言を網羅する事はまず絶望といつてよい。通信調査は元来質問書の語彙の範囲内で報告を求めるものであるからである。理想としては臨地調査であろうが、一地方ならいざ知らず、全国各地の俚言を漏れなく一人の手で操集する事は個人の能力に限界がある以上、これまた不可能に近い。幸にして、各地に適格のよき調査者を得て、広く全国に調査網を張る事に成功し、これに一定の調査方針を与え、一斉調査を行うことができれば、これは完全な方法である。恨むらくはわが国の現状はまだこれを許さない実情にある。今日、わが国において実行の望ある方法はといえぱ、文献調査こそ唯一のものであろう。
 わが国には現在、五百部に余る方言集と、俚言を掲載した多くの地方誌とがあり、これを集成すればほゞ全国の俚言を網羅する事ができる。一方言集の編纂にも、方言に関心をもつ地方人の多年の採集の苦心が籠つているわけであるから、その集成は実に数百数千の地方人の業績の結集と見る事ができよう。特に若干の江戸の方言文献によつて前代の俚言を知り、比較研究にこれを利用し得る事は、文献調査のみのもつ長所である。
 本辞典はこの文献調査の方法により編纂したものである。
 いわゆる訛語(音訛語)は、別にこれを集録して一篇の方言音韻論として整理すべきものと考えたので、採録を見合せた。本辞典の主なる内容は共通語と系統を異にする俚言である。
 たゞし、資料とした方言集が、玉石混淆であつた結果、その資料価値を考え、比較考量して補正を加え編纂したが、もとより完璧を以て称すべきものではない。
 次にこれらの方言集の持つ欠陥を述べて読者の参考に供したい。
 (一)表記法。 方言集の中には、音標文字を使用したり、アクセントを示したものもあるが、その多数は仮名表記で、それも発音表記としては不完全なものが多かつた。表音仮名遣の中に歴史的仮名遣を混じたものさえ少くない。
 (二)品詞。 方言集には多く品詞別が記入してあるが、品詞を誤つたと思われるものも少くない。用例が示してない場合が多いので、正否の判断はなかなか困難である。活用語の活用の種類は調べにくいものではあるが、これを記入したものはほとんど無い。
 (三)解釈。 解釈は方言集で精粗さまざまである。単に対照的に標準語を掲げただけのものもあり、挿図を加え用例を示し、委曲に説明を施したものもあるが、一般に説明が不十分で、用例をあげないものが多い。特に類似の標準語や地方の類語との語義や用法の相違を説いたものは稀である。
 (四)語源。 方言集には語源に言及したり、古語、外来語との関係を説いたものは相当に多い。参考とはなるが附会の説が多い恨がある。
 (五)分布。 一県を区域とした方言集で使用郡町村の註記の全く無いものもある。またその反対に若干の俚言について言語地図を挿入したものもあり、一様でない。
 (六)位層其他。 使用者の位層(男女、老幼、漁農等)に関する註記や、待遇(尊敬、丁寧、卑罵)の別、語の新古盛衰などの別について注意したものが少い。特に古語、廃語、新語、流行語の別の記入は稀である。
 (七)排列。 方言集には、方言を五十音順、いろは順で排列したものと、部門別で排列したものとある。使用目的によつてどちらがよいとは定めにくいが、部門別だと分類に困るものができて来る。理想をいえぱ五十音順で排列し、部門別索引、慾をいえぱ地域別索引、標準語による方言索引を附載するがよい。かかる索引を具えたものは少い。
 (八)附図。 調査区域の地勢、交通路等を示した地図、広い地方ならば必要に応じて方言区劃図、旧藩領地図も必要である。地図の無いため分布が示してあつてもその地点が不明な場合もある。
 (九)附録。 地方方言概説、方言文献解題、方言音韻論、方言矯正法の類を附載したものはあまり無い。
 (一〇)調査法。 如何なる方法で、何時俚言を採集し編纂したか、この記載を欠いた方言集が多い。方言集の中には既刊のものから奪胎したと思われるものさえある。
 以上のような多くの欠陥を含む方言集を集成した場合、これを台帳としその欠陥を完全に補正するためには各地方言の実際について一々照合する必要がある、然らざる限り、如何に注意しても悉くその欠陥を除く事は困難である。

 次に、本書の刊行に至るまでの経過を略記して、やや異例なこの序文を終える事とする。
 編者が、はじめて方言集から俚言をぬき出しカードの作成に志したのは大正二年、国語調査委員会が廃止となり、その嘱託を解かれた頃の事である。当時貪るように市中に方言集を漁つてカードの量の増加を見て喜んだ記憶はまだ昨日の如く鮮やかである。方言書の蒐集には今日と違つて相当の苦心がいつたが、十年の集書の結果各地の方言集や俚言の資料が架上に加わるにつけ、方言辞書編纂の望も漸く成長していつた。
大正十二年八月、老父が死去した。その下旬、計画中の日本方言資料の第一冊なる「南島方言資料」が出来、悲喜交々至るの感を禁じ得なかつた。越えて九月一日、東京に起つた震火災はこの新刊の三部を除いて方言集、カード、言語地図等、家蔵の一切の資料を一夜に灰燼と化し去つた。編者が東京をすてたのは、その翌年の春である。
 その後の空白の数年を静岡、広島の地に送りながら、流石になお方言は棄てかねて、ひたすら資料の蒐集を日々の業とした。
 方言辞書編纂の前途に再び微光を認めたのは昭和七年、帰京後の事である。その直接の動機となつたのは同八年平凡社が新に計画した「大辞典」に方言採録の方針を立てその寄稿について編集長格の沼波守氏から交渉をうけた事であつた。大辞典は毎月一冊の刊行を励行したので、一冊分の原稿はやはり一ケ月で脱稿する必要があつた。大辞典に「方言百万これは集められた語彙の数である。この中から最も意義あるもの約四万」と記してあるが、カード作成を急いだために、当時使用した方言集はほとんど五十音引のものに限つた。これを本辞典に使用した文献の量に比べれば約四分の一に過ぎない。
 当時、方言辞典を単行本として刊行する事を平凡社に勧めてみたが、これはついに容れられなかつた。しかし、この大辞典の余材として十数万枚のカードができ、これが本辞典の最初の土台となつたのである。その後春風秋雨二十年、辞典編纂の業の上にも種々な事件が起つたが、太平洋戦争の進行はいよいよ、辞典の刊行を絶望的なものとした。
 編者と前後して全国方言辞典の編纂を計画した人に橘正一氏と宮艮当壮氏とある。橘氏は文献調査を志し昭和三年以来、既刊の方言集から十三万のカードを作り、これを部門別にして昭和十四年に謄写版で「分類全国方言辞典」を出版し、植物(上、中、下)助詞(一)の四冊を出した。氏の早世によつてこの事業は中絶したが、惜しむべき事であつた。氏のカードは今、仙台市のK氏の所蔵に帰したと聞いている。宮良氏は臨地採集の方法をとり、大正十三年から昭和十五年まで南島、九州、裏日本、東北の各地方を始め単身、全国に方言採訪の旅を継続した。その収穫たる音標文字表記の十四万の俚言は、これを部門別とし「日本方言彙編」二十巻に収める計画で昭和二十四年、まずその第一巻を謄写版で公刊した。
 橘氏も宮良氏も具さに経験されたように、全国方言辞典刊行の途は常に荊棘に閉ざされていた。英米語ならいざ知らず、国語の方言の場合、収支計算の見込の立たぬ事業として業者から一顧されなかつたのである。この間編者も同じ経験を重ねていた。たま〳〵特志の書肆があつて、これと契約を結んだ場合も、不思議に種々な故障が続出して中止となる運命を悲んだものである。本辞典の刊行も岩淵悦太郎氏の斡旋と東京堂の特別な厚意がなかつたら恐らく実現の日は無かつたかも知れない。
 本辞典の材料は、前述の大辞典のカードとこれに数倍する増補カードで、その大部分は戦争中に採録を了つていた。このカードが焼亡もせずに、終戦の日を迎え得た事はまことに非常な幸であつた。昭和二十一年、久松潜一博士の推薦で日本方言語彙研究の題名で帝国学士院から研究補助をうけ、続いて文部省から人文科学研究費を交付された。かくてカード整理も順調に進行し、ついに約五十万の台帳力ード整理の完了を見たのは昭和二十四年の春である。このカードは約五百部の方言集と約三百五十部の地誌を中心とした方言文献から、重要と考えた俚言を選んで作成したもので、単純な訛語の類は最初から採録しなかつた。若し全資料に含まれる単語数を通算するなら、恐らくは百万をはるかに超える数に違いない。資料とした方言集、地誌の書名は小著「方言と方言学」にあげた刊行書目とほゞ一致するので、ここには省略する。方言集はほとんど家蔵のものであるが、カード採録後その半数は学習院で職災にかかつて焼亡した。
 本辞典は、この台帳力ードを基礎として編纂したが、B6八五〇頁に盛り得る俚言の数は自ら制限がある。
辞典編纂者の多くが経験するカードの放棄という苦汁を編者は数十倍にして飲まざるを得なかつた。
割愛した主なものは動植物語彙と民俗語彙との二類で、これらは代表的な俚言を掲げるに止め、その大都分を削除した。動植物名が方言辞典中で、多くの紙幅を占める事は「物類称呼」に徴しても明かであり、これを簡略にすることが辞典を縮約する捷径である。動植物名に大半のべージを割く事が果して辞典の性質上、妥当なりや否やを疑つたからでもある。更に大きな理由は動植物語彙、民俗語彙は専門家の手で結集さるべきものであり、その要求に適する良書の出版が期待されていたためでもある。
 一方、努めて削除を避けたものに南島語彙がある。琉球語が国語研究特に国語史研究に対して最も貴重な資料であることは改めて繰り返すまでもない。
これらのカードの多くが宮良氏の採集に拠つたものであることをここに明記して同氏に感謝の意を表したい。
 前代の俚言については、一々所載の書名を明かにしてなるべく多数これを存置した。元来、わずかな分量でもあり、俚言の変遷を研究する好資料と思つたためである。
 とかく方言集で虐待されがちの名詞以外の語彙については、なるべく多くこれを採録することに努めた。
 上記の方針の下に、一々のカードの選択を慎重に良心的に行つたが、これは個人によつて意見の相違も考えられる。正しき批判があれば、改めるに吝かでない。
 補正の手は加えたが、本辞典にも前に述べたような資料の欠陥の反映は免れない。解釈、用例の不足もあるが、特に部門別索引を欠いたのは諸種の事情から止むを得なかつたとはいえ残念である。これは機会が与えられたら、まず補いたいものの一つである。
 最後に、昭和八年の「大辞典」以来、編者に協力された現千葉大学助教授大岩正仲氏の功労を特記したい。カード採録のために戦時中、前後十五人の助手諸君の手を煩わしたことはあるが、終始二十年に近く一貫して辞典編纂に誠実と熱意とを以て尽瘁されたのは氏一人である。戦時中力ードが戦火を免れたのも、本力ードはこれを埼玉県越生の長谷部病院に疎開し、副力ードは警報毎に防空壕に移した氏の周到なる処置の賜物である。特に本年六月以後、既に完成せる原稿を全巻にわかつて再閲し、疑わしきは原本に正し、組版の進行につれ、加筆と校正とのために、文字通り不眠不休の努力を続けたその献身的な辛労に対しては、ここに深き敬意と感謝とをささげざるを得ない。
 本書の刊行については、岩淵悦太郎、高藤武馬、平井四郎、和田利彦、増山新一、石井良介の諸氏の厚意と援助とに負うところが多い。深厚の謝意を表明する。
昭和二十六年初冬
学習院大学国語研究室にて
東條操


最終更新:2020年07月18日 01:34