東條操『全国方言辞典』「方言概説」

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方言概説


 地方語の研究は、その目的に従つてこれを方言の研究と俚言の研究との二つに分ける。方言の研究とは、一地方言語社会の言語体系の記述と説明とをその目的とする。たとえば九州方言を音韻・語法・語彙に亘つてその組織・構造を記述し、この方言の成立を立証し、進んで国語内に占むべきその位置を論定するが如きは、方言の研究である。ここに方言とは、一地域における全言語体系の総括的称呼である。
 俚言の研究とは、一々の言語形式について、各地における変異と分布とを調査し、語史の再構を目的とする。たとえば、蝸牛の各地の俚言を比較し、これを系統に分類し、その発生、消長を説明するが如きは俚言の研究である。ここに俚言とは、地方におけるある言語形式の個別的称呼である。
 前者が一地方を単位とし、その言語体系の解明を主眼とするのに対して、後者はむしろ個別の語形式の変化を通じて、一般の言語変遷の理法の発見にその重点をおく。前者は共時的研究で一時代における地方の言語体系を究めんとし、後者は一時代の言語分布を手がかりとして過去における変遷の相をうかがわんとするものである。
 方言の研究も、俚言の研究も、東西共に古代にその端を発しているが、方言学とも名つくべき学問の成立したのは、十九世紀以後の事で、特に俚言の研究が言語地理学の名で学界に出現したのは二十世紀以後の事である。
 言語地理学はGillieronの創始にかかる。俚言の分布を地図上に記入し、これを解読して新古の言語層を鑑別する方法は、従来の言語研究の方法を更新したと言われている。不朽の名著、フランス言語図巻が一九一二年に現われてから、これに倣つて今日までに作られた言語地図は多数に上り、欧米はいうまでもなく、アジア、アフリカの各国までこの言語地理学の洗礼を受けている。今日では、方言学即ち言語地理学と一般に考えられている。(Sever Pop:La Dialectologie. Louvain. 1950 参照)
 しかし、言語地理学は所詮、俚言の研究である。地方の言語体系を総合的に研究する学問は方言学で、これが今日忘却されている事は喜ぶべきことではない。
 地方語の言語学的研究は、方言・俚言の両方面の研究を具えて始めて完全となるものである。


 わが国に言語地理学の方法を具体的に紹介したのは、昭和三年民族第三年第三号に載せられた小林英夫氏の「方智学、その理論と実際」という論文である。もつとも言語地理学の名は早く明治四十三年に渡仏中の新村博士によつて伝えられていた。その後昭和十年に江実氏の言語地理学が出て、次いで十三年Dauzatの言語地理学が松原秀治氏の訳で出版されその内容がだん??明らかにされてきた。
 同じ昭和三年、柳田国男氏は「蝸牛考」を草して、人類学雑誌に発表した。これは蝸牛の俚言を集めて言語地理学的に扱つたもので、後に言語誌叢刊の一冊として刊行した時には巻末に一枚の蝸牛異称分布図が添えられた。
 この蝸牛考を黎明の光として、その後、言語地理学的研究の業績が、柳田氏以下民俗研究者・方言研究者によつて続々と発表された。ただし、地図を添付した発表が極めて少數だつたのは甚だ遺憾であるが、これはその調査方法が多くは方言集を中心とした文獻調査であつて製図するには資料が不十分であつた事と、一つは出版費図版費の負担に堪えなかつた事情があつたためである。爾来、通信調査も文献調査と共に盛に利用され、特に動植物の俚言が多く調査された。その中には辛川十歩氏の「めだか」の調査の如き全国各町村にわたる数千の俚言を網羅したものもあつたが、全国的な言語地図の公刊は、明治年聞の国語調査委員会の音韻分布図・口語法分布図を別にすれば、皆無というのが現状である。以下、若干の業績について述べてみたい。
 諸家の業績中、最も出色なのは柳田国男氏のもので、資料の博捜というよりは論証の卓越している点で他人の追随を許さない。氏には名著、蝸牛考を初とし、風位考資料・方言覚書・小さきものの声・西は何方等の単行本があり、「音訛事象の考察」(雑誌方言)以下多数の論文がある。蝸牛考中に述べられた方言周圏論は言語伝播の法則を説いたもので、改めてここに紹介する必要はあるまい。
 「方言学概論」の著者、橘正一氏も熱心な研究者で、十三万枚のカードを作成したという。試論の一部は同氏の「方言読本」に掲げてある。
 小林好日氏には「方言語彙学的研究」がある、わが国の言語地理学的研究としては最も注意すべき良書である。ただし、主要な資料が東北の俚言である点から見て、全国的な研究とはいえない。巻末に言語地図一枚を添付してある。
 なお特殊な部門の研究者では、動植物名の佐藤清明、星座名の内田武志の諸氏の名を逸することは出来ない。
 次に一地方関係の著述で、言語地理学的研究の名を称するものと、俚言の地理的分布を記したものと、言語地図を添付したものの中から主要なものを挙げてみよう。
 北海道南部地区に於ける言語地理学的研究 石垣福雄
 東北の方言(図一枚) 小林好日
 青森県方言集(図二枚) 菅沼貴一
 福島県方言辞典(図七枚) 児玉卯一郎
 (栃木県)芳賀郡方言地図 高橋勝利
 言語地理学の方法ー赤城南麓方言分布 上野勇
 埼玉県に於ける蝸牛の称呼 杉山正世
 蟷螂と蜥蜴との称呼
 千葉方言山武郡篇(図三枚) 塚田芳太郎
 山梨県方言の諸相、資料篇(図五枚) 山田正紀
 静岡県方言誌、第一-第三輯(図一〇枚) 内田武志
 愛知県方言調査報告、第一輯(図六枚) 加賀治雄
 言語地理学-日本語の歴史地理的研究(長野) 土川正男
 岐阜県における方言分布 船津生国男
 淡路方言資料 玉岡松一郎
 香川県の方言 村上唯雄
 讃岐方言の研究(分布図一冊) 脇田順一
 いよのことば(第一-第五冊) 杉山正世
 因伯方言考(図六枚) 生田彌範
 島根県に於ける方言分布 島根女子師範
 広島県方言の研究(図一八枚) 広島師範
 広島愛媛両県方言分布図(図二八枚) 藤原与一
 肥前島原語彙稿 山本靖民
 長野県西彼杵東彼杵両郡方言分布調査 本山桂川
 熊本県方言分布考 田中正行
 方言の性格と分布相(熊本) 同人
 豊後方言集、一-三 県立第一高女
 この中で静岡県方言誌の分布図は最も精密な着彩図である。讃岐方言の研究の別冊、広島県方言の研究の附図も着彩図でこれに次ぐものである。以上はとにかく公刊されたものであるが、大部なるがために出版費の関係で刊行されないものは少からずある。この種の未刊行分布図は恐らく全府県に及んでいると思われる。青森・宮城・群馬・新潟.島根・山口・香川・福岡・熊本の各県の分布図は現に余の見聞するところであり、何れも数十枚に及ぶものである。その他小林好日氏、藤原与一氏、吉町義雄氏などは夫々東北・中国・九州について分布図を製作していたのではなかろうか。東条も関東地方・山陽山陰地方について分布図を作成した事がある。
 わが国の地方語の研究は、言語地理学方面ではかくの如く世界に比べて著しく遅れており、まだ一枚の全国的な言語地図をも公刊していないのだが、一方、方言の研究においても、地方方言集こそ五百部以上刊行されているが、資料として統一のない事が、音韻・語法面の調査の不十分な事と共に、方言の体系酌記述を困難なものとしている。次に国語の方言区劃の大体と、各方言の特質についてその一斑を記す事とする。


 一つの国語がいくつかの方言に分れるには、それだけの原因がなけれぱならない。江戸時代のように各藩がその藩域を閉ざして他藩との交通を喜ぱない時代には、各地の地方語は独自の変化を重ねて方言を形成する。岩手県の南部藩と一関藩との方言の対立はその一つの例である。また、ごつの地方が高山や大河で妨げられ交通が不便となれば、やがて別々な方言が発達する。富山方言が隣接している新潟方言と著しく相違した特色をもつているのは有名な親不知の嶮が両県を隔てた結果である。ことばの交流が十分に行われない限り同一の国語もいくつかの方言に分裂する運命にある。
 方言というのは、既に述べた通り、ある一地方の言語体系を指す称呼である。甲の方言と乙の方言との相違はその体系の相違にある。体系を形づくる要素が悉く別物である必要はない。─もし全部の要素が違うなら、この二つは方言の関係に立つものとは言えない─違つた要素と共に、共通した要素がある事が必要である。A+B+CとA+B+Dのような関係にあるのが方言である。
 要素の組合せ方が違うと、方言の意識が起る.、従つて方言では、この相違している要素がまず注意をひく。例えば、東北方言でいえば、音韻の特色が注意をひく。ただし、方言というのは全体系の称呼である事は常に忘れてはならない。
 国語の方言意識は古代から発生していたと思われる。奈良時代の文献には諸国の俚言が記載されている。隼人や国樔《クズ》や飛騨や能登などの俚言が特に異風なものとして感じられたらしいが、最も強く印象されたのは訛の多い東国語であつた。東国語が大和に対する一方言としてはつきり意識されていた事は、万葉集中に東歌の一巻が加えられている事からも考えられる。
 東歌には、陸奥・上野・下野・常陸・上総・下総・武蔵・相模・伊豆・駿河・遠江・(甲斐)・信濃の国々の歌を収めてある。これらの歌には訛音を多く含んでいる外に、打消を表わす「なふ」、命令を表わす「ろ」の如き注意すぺき特異な形式を含んだものもあつた。
 平安、鎌倉期を通じて中央語に対する方言として常に強く意識されたのは東国語で、平安初期に既に東国方言の文宇が使用されており、東声・坂東訛の語も度々現われている。
 この東西の対立は、室町時代まで続いたが、室町末期の戦乱によつて、中央の言語に甚しい変動が起つた結果、従来あまり注意されなかつた九州語が、前代の俤を保存している点から都の言葉と区別され、一方言として意識に上つて来た。都・阪東・筑紫が国語の三大方言と考えられた事は「京へ筑紫に阪東さ」という俚諺が流行した事からも分る。これはまた、当時の方言の記述をしたRodriguezの文典中にも記すところである。
 江戸時代は全国が大小の藩域に分割され無数の小方言の発達を見た時代であるが、大観すれば、なお三大方言の鼎立には変りなく明治時代に及んでいる。
 明治三十九年国語調査委員会が発行した口語法調査報告書の概観中には、東西方言の対峙を認め「大略、越中・飛騨・美濃・三河ノ東境ニ沿ヒテ其境界線ヲ引キ此線以東ヲ東部方言トシ、以西ヲ西部方言トスルコトヲ得ルガ如シ」と記すとともに「九州ニハ概シテ、古キ形残リ他ノ地方ニ普ク行ハルル新シキ形ナキ事多シ」と記してその特異性を認めている。
 本書の巻頭に掲げた日本方言区画図は現代の方言区画を示したもので、青の縦線を施した地方は本州東部方言に属する区域、赤の縦線は本州西部方言、赤の横線は九州方言に属する地方である。なお、東北・関東等の漢字で示したのは小方言区画であるが、その区域は必ずしも地誌上の区域と一致するものではない。


 本州東部方言は東北方言・関東方言・東海東山方言の三方言に細分することができる。北海道方言も本系統に属する方言である。
 東北方言はほゞ東北六県に分布しているが、外に新潟県の北部は本方言の区域内に入れるのが言語の性質から考えると適当と思われる。
 東北方言は、その発音の不明瞭なことで有名である。顕著な音韻的特質をあげるなら、中舌母音の存在、「カ」行・「タ」行音の濁音化、鼻音化の三つを数えることができよう。東北地方でし・す・ち・つを四つ仮名と言い、発音の困難なものとするのは、東北では、東京音の「イ」「ウ」の代りに中舌母音の「イ」「ウ」が存在するためである。鮨や地図は、北奥特に青森県では、スィスィ、ツィヅィに近く響き、南奥ではスス、ツヅに近く響いてしとす、ちとつとの区別がむずかしい。この中舌母音は他の子音との結合でも、東京音と違う発音をする。特に「キ」の発音は特殊なものとして知られている。「カ」行「タ」行の濁音化はマド(的)カギ(柿)のように、語頭以外の音節に多く起るもので、東北人の発音が重濁だといわれるのはこのためである。ただし、促音・鼻音・無声母音の次ではミッカ(三日)・バンチャ(番茶)・キタ(北)のように発音し濁音化は起らない。
 鼻音化の現象は、本来の濁音音節の前の母音が鼻母音的に発音されるもので、マド(窓)はマンドと響き、カギ(鍵)はカンギと響く。(東北でも本来の「カ」行濁音は東京語と同じで鼻濁音〔ŋ〕である。濁音化の場合には[g]である。「行く」だけは北奥ではエグと本濁でいうのに、南奥でエグと鼻濁にいう、従つて南奥のものは「往ぬ」の転音だろうという説もある。)
 以上は東北方言の音韻上の特質の主要なもので、古代音の俤の残りかとも考えられているものであるが、この外に「ハ」行唇音Fの存在、「クワ」音(kwa)の存在、「シェ」音[ʃe]の存在など、明らかに前代の音の遺つたものと見るべきものがある。
 なお、ズーズー辯の名の起りとなつた、ジュー(十)をズーと発音する現象が南奥にある。ところが、この現象は北奥には無く、北奥ではジューはやはりジューである。(ジューをズーと発音するのは、ギューニュー(牛乳)をギーニーに近く発音するのと同じ現象で、ジューがジーとなり、ズーと訛るのである。北奥にはかかる現象がない。)ただし荘内では北陸地方のように十はジョーという。この点、荘内は南奥的でない。
 音韻から見ると、北奥と南奥とは種々な点で相違している。特にアクセントについては、全く別系のものが行われている。南奥では、花も鼻もアクセントの型は一つであつて区別がない。いわゆる一型アクセントの地方である。これに反して北奥は東京語に類似したアクセントをもつていて型の区別がある。
 これらの理由によつて、東北方言を北奥と南奥との小方言に分けることが、多くの学者によつて提案されている。小林好日氏は、その著「東北の方言」でこれを主張され、その境界を東部では岩手県の南部領と伊達領との境界線、西部では秋田県界と山形県界(但し荘内地方は北奥方言に入れる)とする事を述べられた。山形の荘内地方の外に、新潟北部も北奥的な傾向がある。巻頭の区画図には、点線を以て、この境界線を示しておいた。
 金田一京助氏は南奥は北関東方言の延長で、北奥は裏日本方言の延長かという見方をされている。即ち、奥羽の拓植が、一方は北関東から陸中に進み、一方は裏日本から南部地方に進んだ結果かと見ているようで、この奥羽を色分けする南奥・北奥の色彩はやがて全日本の古い二大方言に関係するかも知れないとして、東北方言の重要性に言及されている。これは大体において承認すべき説と思われる。
 語法面でも、見ルの命令を見レと四段化したり(秋田、荘内)、為ルをサ行五段化する傾向が北奥に発見される。また、善ケレパをエエパ、善イケレドモをエエドモと、形容詞の終止形に助詞バ・ドモをつけて条件を表わす言い方や、静カナ晩を静カダ晩、静カナラを静カダラと形容動詞をダ系で活用させるのも北奥に見られる表現法である。
 関東ベイといわれるベイは関東の外、東北一帯に行われているが、ただ荘内と、これに接する秋田の由利地方には無い。一段動詞や変格動詞と続く時は、福島・宮城ではオギッペ(起)クッペ(来)スッペ(為)で、山形県ではオギンベ、クンベ、スンベ、北奥ではオギルべ(オギベ)、クルベ、シペなどとなる。
 動詞では理由を表わす接続動詞に北奥にサカイのある事は注意すべき事である。岩手・青森の南部領にサカイ・サカイニがあり、山形の荘内と村山地方にサゲ・サガエ・サカエデがあり北陸の同系に続いている。
 このほかに「ほどに」の訛形と思われるハデ・ハンテ系も秋田・青森・岩手の各県にある。
 東北方言で注意すべき助詞に、敬意を表わす「シ」(ス)の終助詞がある。エーオテンキダ(ン)シナ。エーテンキダ(ン)スナ(秋田)、キノドクダナッス、ホントダッス(山形)等用法の相違はあるが北奥にも南奥にも使われる。青森の書グベシのシも同じ終助詞であろう。
 東北の語彙に古語があることは、よく引かれるアゲヅ(蜻蛉)エボムシ(蟷螂)を始め、オドログ(目が覚める)メンコイ、メゴイ(愛ぐし)などでもわかるが、それよりは北奥と南奥とで別な俚言が使われる事実は注意を引く。例えば蜻蛉は南奥ではアゲヅ系で、北奥ではダンブリ系であらわす事や、蝶では南奥はチョーマ系であるが、北奥では、テグラ、テビラなど別系の語が使われている。有名なオチル(下りる)なども南奥で多く使われるものである。ただし、俚言の分布は極めて複雑でマエネー・ワガラネー(駄目だ)、ツボ・ロジ(庭)のことく東西を分つものもあり、コワイ(大儀だ、疲れた)などは東北全域にあり、ネマル(坐る)は福島県以外の五県に行われている。
 東北方言については東北の方言(小林好日)、秋田方言の国語学的研究(北条忠雄)、荘内語及語釈(三矢電松)、仙台方言音韻考(小倉進平)の外に、方言集に津軽語彙(北山長雄)、青森県方言集(菅沼貴一)、秋田方言(秋田県庁)、山形県方言集(山形師範)、遠野方言誌(伊能嘉矩)、仙台の方言(土井八枝)、福島県方言辞典(児玉卯一郎)等がある。
 関東方言の行われる地域はいわゆる関東地方であるが、山梨の郡内(都留郡)地方がこれに入る。
 関東六県の中で栃木・茨城の両県は南奥的な色彩が強く他の諸県と著しく違つている。この境界は北部では栃木の都賀郡の西境、南部はだいたい茨城と千葉の県界の線である。区画図では点線で示しておいた。
 栃木・茨城では、南奥と同様に一型アクセントが行われ、語中の「カ」行「タ」行の濁音化も存在する。阪東サと言われる方向を表わす助詞の「サ」や、見タッタのような一種の過去表現が行われているのも東北的である。ベコ一(牛)のような指小辞の「コ」の使用は稍衰えるがその代り動物名の下にはウシメ(牛)のように「メ」という接尾語をつける。(八丈島にもこの「メ」がある)
 栃木・茨城以外の地方では、千葉が稍東北的のところもあるが、特殊な地帯である。また東京都の方言は方言臭の少い特殊なもので──例えばベイを使わない──共通語的な性質がある。西関東の代表的な方言は群馬・埼玉両県の方言であろう。
 音韻では語頭の「イ」を「エ」に近く発音する傾向は東北的なものであるが、アイの連母音はデーコン(大根)のようにエー[e:]の長音となり、東北のように開いた[ɛ:][æ:]または[ɛ][æ]となる事は稀である。アクセントはもちろん東京アクセントである(埼玉の一部を除く)。千葉・埼玉・群馬一帯の地域に「ガ」行鼻濁音[ŋ]が無く、語間音でもgを発音することは有名である。
 語法面ではベイは全関東に行われている。(ペイの西限は富士川である)。著しい現象としては「来る」「為る」の変格動詞が上一段化する傾向の強いことが注意される。キナイ、シナイはもちろん、キル、シルの形も行われている。
 語彙でも、やはり東関東と西関東とで相違するものが少くない。例えば霜柱は東ではオリギ系であるのが、西ではタチヒ系である。また蟇蛙は、だいたい、栃木・茨城はオカマガエル系、群馬・埼玉・神奈川はオーヒキ系、千葉はアンゴー系である。
 東京都下の伊豆七島の方言は、関東的であるが、ひとり八丈島は異色ある方言をもつている。アクセントは一系アクセントであるが、音韻・語法・語彙いずれも特殊なものがあり、その系統はにわかに決定しにくい。仮に東部方言中に摂しておくが、国語史のためにも、今後研究さるべき方・言である。
 関東方言に関する方言集等には茨城方言集覧(茨城教育協会)、本県に於ける方言及訛言(栃木師範)、上州館林町方言集(宮本勢助)、埼玉県幸手方言集(上野勇)、千葉県郡別方言集(本山桂川)、東京方言集(斎藤秀一)、伊豆大島方言集(柳田国男)、八丈島の言語調査(国立国語研究所)などがある。
 東海東山方言は静岡・愛知・長野・岐阜の諸県と山梨県の大部、新潟県の中越以西とを含める事とする。この地域は東部方言と西部方言との緩衝地帯とも称すべきものであるが、静岡・山梨と長野の北信地方及び新潟とは関東的色彩が濃い。いわゆる東西方言境界線は新潟西境と、静岡西境とを連ねる線だと言われている。命令の「ロ」や、打消のナイの西限はほゞ、この線である。断定の「ダ」の西限は北は新潟の西境で岐阜県を中断し南は西進して愛知の西境である。「ハ」行の促音便払ッタの西限は新潟・岐阜・愛知各県の西境線である。
 また東京式アクセントと近畿式アクセントの接触線も新潟・岐阜・愛知の西境線であるから、ここにいう東海東山方言地域は全部、東京式アクセントの行われている地域である。従つて東海東山方言はこれを本州東部方言の中に加えるのが至当である。たゞし長野の南信と岐阜・愛知両県との方言には近畿的なものもあることを知らなければならない。地図には赤線を加えて、その意味を表わしておいた。これらの事実は、東部方言が東海東山では日本アルプスの連嶺を凌いで、西進した事を示すものである。
 静岡から愛知に入ると、オ出デツ、オ行キルの地方であり、終助詞ナモの地帯である。名古屋を中心とするナモは愛知全県と隣接の地方に分布している。この東海東山方言の語法の特徴としては「ズ」「ズラ」「ラ」を数える事ができる。「ズ」は行カーズ、行カズ、行カスカなどと意志を表わす。ズラは、行クズラ、雨ズラ、のように推量を表わす。「ラ」は名詞の下にはつかないが行クラ、高イラのように用言につづく。なお、過去の推量を表わすものに行ッツラ、寒カッツラのッラがある。これらの言い方は新潟を除いて全地域に行われている。
 長野と山梨とに散在するナナ行ット、ナナ行ッチョの禁止の表現も珍しいものである。
 東海東山地方の方言文献には、山梨県方言の諸相、資料編(山田正紀)、信州方言読本、語法篇音韻篇(青木千代吉)、名古屋方言の語法(鈴木規夫)、の外、方言集として山梨県方言辞典(羽田一成)、信州上田附近方言集(上田中学校)、岐阜県方言集成(瀬戸重次郎)、北飛騨の方言(荒垣秀雄)、静岡県方言辞典(静岡師範)、愛知県方言集(愛知女子師範)、南知多方言集(鈴木規夫)、越後方言考(小林存)等がある。
 北海道方言は、元来各地の方言が集まつた中から生まれたものだが、その基礎となつたのは東北方言である。明治以後、開拓のために渡道したのは東北の地方人が大多数で、北陸地方からの移民がこれに次ぐ。中には他の地方から一村挙つて渡道したものもあるが、これは少数である。この結果、北海道方言は東北方言の特色をもつているが、札幌・旭川のような都会地の方言は、それが洗練されたために、東北方言に比べて遙かに東京語に近い事は人の知る通りである。これは成立の事情から理解することができる。新十津川村のような一地方人だけの部落は言語の島をなしているが、全道を通じて既に一つの北海道方言が成立した。平山輝男氏によれば、アクセントについても、青年層の間には東北的な統一した型が使用されているそうである。
 北海道方言については、道南地方については、南方北海道方言の概観(小笠原文次郎)、北海道南部地区における言語地理学的研究(石垣福雄)が発表され、小樽方面には北海邁西海岸地方方言(朝枝文裕)がある。


 本州西部方霄は近畿方言・北陸方言・中国方言・雲伯方言と四国方言とに分ける。
 近畿方言は西部方言の中心をなすもので、北陸方言・四国方言と特に類似しているのは、近畿文化の流動の傾向を示すものである。近畿アクセントは、これらの三方言の地域に行われている。
 ここに北陸方言というのは、福井・石川・富山の三県に行われているものである。福井県の中で若狭方言は近畿方言と見るべきもの、新潟県は前に述べた通り、東部方言の行われる地域であるが、佐渡は近畿田な要素が多くアクセントなども近畿的である。これは京都との関係の深かつた影響であろう。
 北陸方言は語法の面やアクセントから見ると近畿的であるが、音韻の面では東北的な中舌母音も各地に残つている。
 理由を表わす助詞のサカイは種々に転音して使われている。サカイ・サカエ・サケは北陸方言にも佐渡にもあるが、富山にサカラエという形がある。サカイは新潟でシカエ・シケ・スカエ・スケ、荘内でサガエ・サゲ・スケ、秋田の由利郡でハゲ、青森・岩手の南部領でシケァ・スケアなどとなって、京都文化の進んだ跡を示している。これは助詞「ニ」または「デ」と共に使われるが、富山県にあるケニ・ケネ・ケデがサカイと関係があるかどうかは、中国のケニ・ケン・ケーとともに問題である。
 北陸方言は近畿的ではあるが自ら、また異なるものがある。例えば、金沢には行キミシタ、行キミセンのミスがあり、行キマサル、行キマハルのマサルがある。命令は行キマッシ、行キマッシマである。疑問の「カ」は富山では、「ケ」であるが、金沢ではゴザリミスキのように「キ」という。富山には、雨コソ降レカ風ハ吹カン、アンタカラコサ聞カンネカ、ヨウ知ットルのように係結法の俤の忍ばれる表現もある。
 方言文献では富山県方言(富山教育会)、石川県方言彙集(石川県教育会)、福井県方言集(福井師範)があり、佐渡には、佐渡方言集(矢田求)、佐渡海府方言集(倉田一郎)等がある。

 近畿方言は近畿地方と福井県の若狭とに行われている。その中心をなすものは京阪の方言である。滋賀・福井は京都に類し兵庫・奈良は大阪に近く、和歌山・三重はこれより古い特殊な表現を持つている。
 音韻面から観察すると東京方言に比べて、母音の無声化が少い。また連母音アイ、オイがエーに変化する傾向はきわめて稀で、アテ(私)、サケ(さかい)、エー(善い)などは例外である。京都語に訛音がないといわれるのは、かかる消息を語るものと患われる。エイは長音エーとなり、時にはソーレン(葬礼)ユーレン(幽霊)のように撥音化が起る。一音節名詞はカー(蚊)メー(目)のように必ず長呼される。この事は特徴の一つであるが、その反対にアホ(阿房)、センセ(先生)のように語尾音がよく短呼される。
 子音では「ザ」「ダ」「ラ」三行聞の交替が顕著である。メレタイ(めでたい)、リシン(地震)、ミル(水)、ムカゼ(百足)、ダシキ(座敷)、ミド(溝)、リンリキ(人力)、ダイネン(来年)。ズス(留守)、ジクツ(理窟)など。京阪方言にも時にシタイ(額)オシト(お人)のような訛音もあるが、ヒタ(舌)、ヒチ(七)、ヒツコイ(執拗)、ヒカツ(叱る)、ヒク(敷く)など、「シ」を「ヒ」に発音する事が江戸時代から知られている。
 近畿のアクセントは東京アクセントと著しく違う。特に二音節では反対の場合が多い。この事も古くからよく知られていた。東京のウミ(海)、イヌ(犬)は京都ではウミ、引ヌである。
 近畿方言の語法上の特質としては前にも述べたが、打消・命令・断定の形式が東部方言と相違する。東部方言の行カナイ、行カナカッタ、行カナイデに対して近畿方言では行カン、行カナンダ、行カイデである。命令・禁止では見ロ、見シナに対しで、見イ、見ナである。花ダ、花ダローに当るものは花ヤ、花ヤロである。
 京阪方言といつても、京都と大阪とはかなり相違がある。これは大阪と神戸との方言についてもいえる事である。一応は京言葉は悠長で優雅、大阪辯は急促で粗野、一は保守的、一は進歩的といえよう。デスに相当するドスとダス、ゴザイマスに相当するオスとオマスの対立はその標識とされている。ダス、オマスがしばくスを脱落するのも大阪方言の特質であろう。ソウドスカとソウダッカ、ソウドスエとソウダッセのように、大阪には促音が多いが、ソウダンガナ、ソウダンナアのように撥音もよく使われる。
 打消を表わす時オスはオヘン、オマスはオマヘンとなる。京阪方言では今日は書カンというよりは書カヘン、見《ミ》ヤヘン・来《キ》ヤヘン(京都)・または書ケヘン、メーヘン、ケーヘン(大阪)という。この上にも対立がある。
 敬語表現に関する助動詞にナサル(ナハル)とハルがあり、ハルが優勢であるが、これにも見ヤハル、出ヤハル(京都)と見イハル、出エハル(大阪)の対立がある。また、ナハルの命令形は京都はナハイで大阪はナハレである。
 なお、京都には動詞の上にオをつけて、オ書キタ(エ)、オ書キナ(禁止)、オ書キヤスの表現がある。大阪にはこの言い方がない。語彙の上にも小異がある。例えば京都のコンナ、ソンナに対するものは大阪ではコナイナ、ソナイナである。
 京阪の方言は都会だけにきわめて新しい発達のものと思われる、ドス、ダスの二つも明治以前の文献には見当らないようである。和歌山の方言はこれに比べて古い方言である。和歌山にはオス、オマスもなく、ドス、ダスもない。ゴザンス、ゴアンスを使い、デス、デンスを使う。京阪でヨー読マンというところをエエ読マンという。特に日高郡を中心とし、その隣接地帯に文語の二段動詞の活用が、終止形が連体形に摂せられただけでそのまま残つているのは珍しい。アルとオルとの使い方にも特色がある。
 奈良県の十津川の上流地方は言語島ともいうべきもので、東京アクセントがこの一画にだけ行われている。セマー(狭い)カータ(書いた)のようにアイの連音を長音アーに発音したり、ノーダ(飲んだ)、ヨーダ(読んだ)のような「ウ」音便の長音が行われるなど中国方言に似ていて研究すぺき地方である。
 方言文献では、京言葉(楳垣実)、大阪弁の研究(前田勇)、方言と大阪(猪飼九兵衛)、京阪方言比較考(楳垣実)、兵庫県方言集成(河本正義)、淡路方言研究(田中万兵衛)、滋賀県方言集(太田栄太郎)、地方方言集(度会郡教育会)、大和方言集(新藤正雄)、和歌山方言集(杉村広太郎)、和歌山県方言(女子師範)などがある。

 四国方言はだいたい近畿的であるが、いくぶん中国の影響をうけている。例えば、理由を表わす助詞はサカイよりは中国に行われているケン、ケニを使いまたはその転音キン、キニを使う。クダサイという場合にはツカーサイ、ツカイを使う。京都のクレヤス、大阪のクナハレに当る中国方言の表現である。過去の打消は近畿と同じナンダがかなり広く行われているが中国的なザツタも各地で使用される。
 高知は、山脈で他の三県と隔てられているために特別な方言を発達させている。地図には区画を点線で示しておいた。だいたいにおいて古形を保存しているといえよう。音韻においては、ジとヂ、ズとヅとを区別することは古来有名である。また、「カ」行「タ」行の本来の濁音の前に鼻音が入るのも前代の遺音と愚われる。他方、近畿と違つて一音節語を長呼することはなく、クヮ音を保存していない。下サイの意味では教エテオーセ、教エトーセのようにオーセを使う。過去の打消はザツタを専用する。またジャローに相当するローがあつて読メルロー、渋イローなどという。ある点で九州に似ているといえよう。なお、県の西部に東京式アクセントの行われている事も見のがせない。
 方言文献としては、四国の方言(奥里将建)、阿波方言集 (森本安平)、讃岐方言の研究(脇田順一)、伊豫松山方言集(岡野久胤)、伊豫大三島北部方言集(藤原与一)、宇和島語法大略(国村三郎)、士佐の方言(土井八枝)、土佐方言の研究(女子師範)などがある。

 山陰、山陽両道の方言は、これを雲伯方言と中国方言とに分ける。雲伯方言というのは出雲、隠岐のこ国と伯髱の大部の地方に行われるもので、中国方言というのは両道から雲伯方言地域を除いた地域に行われるものである。
 中国方言は近畿方言に隣接しながら、そのアクセントが東京式アクセントである点が著しく違う。雲伯方言のアクセントも中国アクセントとは違うけれど、系統はやはり東京式アクセントに準ずべきものである。
 近畿方言と山陰山陽方言との第二の相違点は、ガ行鼻濁音〔ŋ〕の存在せぬ事であり、第三の相違点は連母音アイが種々な転訛を起すことである。
 中国方言はこれを小分すれば因幡を中心とし、但馬・伯書の一部を合せた東山陰の方言と、岡山・広島・山口の三県を合せた山陽の方言とに分れ、山陽の方言は東の三備の方言と、西の芸・防・長・石の四州の方言に分れる。
 連母音アイの変化は全国各地の方言によつて、さまざまであるが、中国では三備で開いたエー音〔æ:〕となる。これは岡山訛りとして有名である。(名古屋のオキャーセといわれる訛りと似てはいるが小異がある)。また、広島・山口両県を中心として備中・石見にわたつて、アイはアーの長音となる傾向があり、特にアカー(赤い)、クマー(来まい)、カーテ(書いて)など音便で生じたアイの場合に特に顕著である。
 これに似た現象は、東山陰方言にもある。但馬ではアイは北部の美方・城崎・出石の三郡で〔æ:〕となり、南部で〔e:〕となるが、外に語によつてはアーとなる地方も散在している。鳥取県では岩美郡に〔æ:〕が行われ、八頭郡では〔e:〕である。
 語法について見る。兵庫県を去つて岡山県へ入ると断定、の「ヤ」は「ジャ」に変じ従ってヤローはジャローとなり、理由を表わす助詞サカイは衰えて、ケン・ケーが之に代る。敬語のナハル・ハシの使用も減じてオ行キンサルが現われる。クダサイの意味はツカーサイ、ツカイで表わされる。
 広島の「ト」抜けといわれる行コー思う、山田言ウ人の類は広島ばかりでなく岡山にもあり近畿にもある。広島ガンスは広島を中心として行われ、この方言の一特色となつている。
 過去の打消の助動詞、ナンダは岡山・広島の両県にあるが、安芸に入るとザッタ・ダッタが現われて行カザッタ、行カダッタという。山口県に入れば行カラッタともいう。ここにも「ザ」「ダ」「ラ」の交替が見られる。
 動詞の音便形ではコーテ(買つて)、カッテ(借りて)は近畿方言と共通するが、トーデ(飛んで)、ヨーデ(読んで)の「ウ」音便は安芸以西に多くなる。広島・山口両県でアリマス言葉を使う事は有名なもので、山口県を中心として石見にも及んでいる。石見では「桜デアリマス」を「桜ダリマス」ともいう。
 石見では下サイをツカーサイともいうが、むしろヤンサイ・ヤンナイ・ゴセーを使い、見テヤンサイ・見テゴセーなどともいう。ゴセーは出雲の影響である。
 東山陰方言で山陽方言と違う最も著しいものは断定の助動詞の「ジャ」の代りに「ダ」を使う事で、従つてジャローはダローまたはダラーとなる。但馬では北の美方・城崎・出石の三郡が「ダ」系、中の養父が「ジャ」系、南の朝来郡は近畿的で「ヤ」系である。(この「ダ」は鳥取・島根両県に分布.しているから山陰の特色とみるべきものである。鳥取と隠岐ではダローは普通ダラーとして使われる。出雲はダラと短呼し、石見ではダローを使う。石見西部ではジャロー、またはローという。)鳥取県では、「買はむ」に相当する言い方はカワーである。アウをアーと長音化するこの傾向は出雲で強く現われる。「買ひて」は鳥取県と出雲では、カッテまたはカーテという。石見ではコーテである。ただし鳥取では「借りて」はカレテと言い下一段に活用し、出雲はカリテで上一段に活用する。石見はカッテで近畿と同じく、四段の活用である。
 鳥取方言で注意すべき特殊の助詞にカラがある。(原カラ遊ゾ、学校カラ運動会ガアルなど)文語の「にて」に相当し場所を示すものである。これは但馬にも広く使われ、鳥取全県にある。中国方言の資料としては、中国地方語彙(川崎甫」)、因伯方言考、(生田彌範)、岡山方言(島村知章)、広島県方言の研究(広島節範)、広島方言の性格(原田英雄)、山口県方言調査(山口高女)、周防大島方言集(原安雄)、長門方言集(重本多喜津)等がある。
 雲伯方言は出雲を中心とする。伯耆では東伯・日野両郡は語法から見て因幡と出雲との中間地帯ともいうべきところであり、アクセントからみても出雲アクセントと中国アクセントとの混合地帯である。ただし出雲に存在する中舌母音は東伯郡ではまだ聞かれない。従つて伯耆の西伯・日野両郡、出雲・隠岐二国を雲伯方言地域と見るべきであろう。この中、隠岐はアクセントには近畿的な色彩が多く、中舌母音も存在しないが、他の多くの言語現象から見て出雲と同系と考えられる。
 東山陰方言には、東部方言形式と見られるものが若干、発見されたが、雲伯方言は一層、東部方言的要素が多い。音韻方面では、「ハ」行唇音の存在、「クヮ」音の存在、「シェ」音の存在、特に中舌母音の存在は注意すぺきもので、「シ」「ス」が「スィ」に、「チ」「ツ」が「ツィ」の音で発音される事や、「キ」の音の特殊な事など北奥の現象に類似している。また牛乳をギーニーに近く発見する点はズーズー弁を思わせる。ただし、東北方言にある濁音化と鼻音化はここには存在しない。
 使役助動詞も東部方言のセル、サセルを使い近畿、中国両方言のようなス、サスは使わない。(行カシェーのように聞えるのはラ行音の弱いためである。)
 敬語助動詞は行キナハル、見ナハルも使うが、更に敬意の深い言い方として、行カッシャー、見サッシャー、見ラッシャーのようにシャー(シャル)を使う。鳥坂や石見では行キンサル、見ンサルである。
 助詞の使い方にも東北方言に類似したものがある。例えば鳥ヲ、酒ヲはトリー、サケーといつて助詞を使わない。中国方言ではトリュー、サキョーと助詞との融合形を使う。
 逆接条伴を表わす時に、出雲で雨ガフーダドモ(降るけれども)、フッタドモ(降つたけれども)というのも、東北方言に似た言い方である。
 しかし、雲伯方言には西部方言的要素ももちろん多い。
 打消が「ナイ」でなく「ン」であり、不可能はヨー読マンのような形で表わされる。過去の打消はザツタまたはダツタで表わす(因幡はナンダ。)
 命令は起キー、見《ミ》ー、またはオキーヤ、ミーヤである。(たゞし簸川郡にはオキレ、ミレの形がある)。隠岐の島後には多人数に命令する時に起キャータレ、見ヤタレ、見アタレという特殊な表現がある。 (隠岐には変った言い方があるが、「釣がすきだ」をツリニスキダ、 「猟がきらいだ」を猟ニスカンというのは珍しいものである。)「起きむ」に相当するものはオキョー、またはオキョである(因幡はオキュー)。
 理由を表わす接続助詞はケンである(因幡はケー)。
 語彙面でも中国方言と共通のものもあるが中国方言には無く出雲にだけ発見されるもの。例えばコデ(枯松葉)、コゲナ(こんな)、オゾイ(恐しい)、ネマル(坐る)の類も少くない。東部方言の要素を多くもつものとして雲伯方言は特殊の存在である。
 方言文献としては、出雲方言考(後藤蔵四郎)、島根県に於ける方言分布(女子師範・石田春昭)、隠岐島方言の研究(同上)、山陰方言の研究(広戸惇)等がある。


 九州方言は豊日方言・肥筑方言・薩隅方言の三方言に分ける。鹿児島県下の奄美大島諸島の言語は琉球語の一方言に属するもので、九州方言とは別である。
 前にも述べた通り、九州方言には、前代の言語の俤を存するものがあり、それがこの方言を特立させる標識となる。
 例えば、文語の下二段動詞は、終止形が連体形と同形となつた事を除けば、ほとんど文語と同じ活用で全九州に行われている。(ただし「ハ」行「ワ」行は「ヤ」行に活用している。教ユル、植ユル)。下二段潅用の文語助動詞「る」「す」等も同様である。
 また文語一段動詞は見ランのように一般に四段化する傾向がある。
 音韻上の九州方言の特色はオウ〔ou〕の連音がウーに転音する現象である。ウーカゼ(大風)、クー(来《コ》ウ)、ヌーダ(飲うだ)。九州では、アウ〔au〕の連音はオーには転じるが、ウーにはならない。前田勇氏はこれを以て室町時代の開音、合音の名残なりとした。
 また字音のエイは本州や四国では長音エーに転じているが、九州では、なおエイを保存し、「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」の区別も漸く薄くはなつてきたが各地に残っている。「クヮ」もまた同様である。「ガ」行は鼻濁音〔ŋ〕はなく、〔g〕ばかりが使われる。
 アクセントの種類には東京式アクセント・準近畿式アクセント・一型アクセントの三種の系統がある。東京式アクセント(中国アクセント)は豊前・豊後に多く聞かれ、準近畿式アクセントは鹿児島県、一型アクセントは宮崎・熊本の両県を中心とした連続地帯で聞かれるが、分布状態は複雑である。

 豊日方言は豊前・豊後及び日向の大部に行われるものである。日向の中で旧島津領は鹿児島辯の行われる地方で薩隅方言の領域である。豊日方言は北部に中国アクセントが行われる事からも察せられる通り、中国方言の影響の多いもので、あまり九州臭の強くない方言といえる。例えば、有名なバッテンはほとんど使用されず、逆接の助詞はケンドが使われている。理由を表わす助詞は、ケンの外にキーが多く使われている。 (肥筑方言はケン)。
 豊日方言の最大の特色と見られるものは、上二段活用の動詞が文語に近い活用で行われていることである。
 音韻面では「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」との区別が特に宮崎県ではよく保存されている。アイの連母音は〔e:〕に転じる。これは薩隅では〔e〕の短音となり、肥筑では〔a:〕となる。
 豊日方言の文献としては、大分県方言の研究(三ケ尻浩)大分県方言類聚(土肥健之助)、日向の言葉(若山甲蔵)などがある。

 肥筑方雷は筑前・筑後・肥前・肥後及びその属島に行われている方言である。ただし、筑前の福岡・博多及びその周辺地帯の言語は、その都市的性格から方言に変質が起つて、特別な区域を作つているようである、
 音韻では「シェ」、「ジェ」が保存され、「ヤ」行の「エ」〔je〕も語頭に保存される。「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」も長崎県その他で区別され、「ワ」行の「ヲ」も時に聞く事ができる。
 転音現象では「ダ」行「ラ」行の交替は有名である。カロ(角)ノウロンヤ(うどんや)など。「ラ」行音は微弱で「リ」「ツ」は語尾で「イ」となる。ハイ(針)、ホタイ(螢)。
 語法現象ではバッテンと、「カ」型形容詞の存在が有名である。バッテンは「ぱとても」の訛形でパヅテム・バッテー、バッテ、バッテンガなどの形で行われている。 (東北方言でも北奥にバッテがある)。
 「カ」型形容詞の「善カ」「無力」は九州にかなり広く行われているが、肥筑地方では形容詞はもちろん「徒然ダ」「奇麗ダ」のような本来の形容動詞までが、トゼンナカ、キレイカの形で、終止・連体に使われる。薩隅地方でも使われているが肥筑地方が中心と思われる。(八丈島では、「善い」は終止形をヨキャといい、連体形をヨケという)
 上二段動詞には起キル、落チルのように上一段化する傾向が多い。(薩隅では「起く」は起キランのように「ラ」行四段化する)。
 助動詞には書クロー・読ミツローのようなロー・ツローが「らむ」「つらむ」の訛形として残つている。(中国西部や土佐にもある)。また「如し」と関係のあるゴタルが、火のゴタル・菓子食オーゴタルのように比況と希望の表現に使われる。
 断定は「ジャ」であるが、熊本県でダが使われている事は同県で命令に「ロ」「レ」を使う事と併せて考えると面白い。助詞には特殊なものが多い。主格の「ノ」(鳥ノ鳴ク)、四格の「パ」(酒バ飲ム)、方向のサネ、サメ(ドッチサネ行ク)、目的の「ゲ」(花見ゲ行ク)、準体助詞の「ト」(白カトガヨカ)、接続助詞のトイ、テー(折角行タテー、オラッサンジャッタ、のに)強意のパシ(猫パシ居タカ)、並立のテロン(アルテロンコルテロン、あれや、これや)終助詞のパイ、タイ(ヨカ天気バイ、ヨカ天気タイ)などは、その主なものである。(四格のパや、方向のサネなどは東北に類形がある)。
 方言文献では、九州の方言(吉町義雄)、福岡県内方詈集(県教育会)、佐賀県方言語典一斑(清水平一郎)、佐賀県方言辞典(県教育会)、分類長崎方言語彙(本山佳川)、熊本県方言音韻語法(池辺用太郎)、肥後葦南方言考(斎藤俊三)、壱岐島方言集・続壱岐島方言集(山口麻太郎)、対馬南部方言集(滝山政太郎)等がある。

 薩隅方言は鹿児島県と宮崎県の旧島津領の諸県《モロカタ》地方に行われるものである。属島中では、前に述べた奄美大島の諸島を除く。種子島の方言には異色がある。アイがダーコン(大根)のようにアーに転音するのもその一例である。なお、薩摩の南部には中舌母音、濁音化、「カ」行鼻濁音の発見される地点も散在するようで、今後精査する必要がある。
 丁寧の意を表わす助動詞マスは、豊日方言はそのままのマスで、肥筑方言ではマッスとして使われるが、薩隅方言ではモスである、甑島にはマッスの前身とも見るべきマラスル、メーラスルが使われている。(隠岐にも、これに類似したマースルがある)。離島の方言の研究の大切な一例である。
 音韻では、東北の北奥方言のように長音がホソ(疱瘡)サト(砂糖)のように短呼される傾向があるが、最も特異なのはオッ(帯)、イソッ(急ぐ)のように語尾に入声音の存在する事であろう。「ラ」行音の弱いためにクイマ(車)ユイ(百合)のごとき語例のあることや、ヅス(留守)、ヂッパ(立派)のごとき「ラ」行と「ダ」行の交替のある事は肥筑方言と同じである。「シ」の下でハシタ(柱)、ウシト(後)のごとく「タ」行となるのはこの方言の特色である。
 語法面では、出ラン、起キランなどの四段化の現象があり、「カ」型形容詞も少くない。
 助動詞には敬意を表わすヤス、ヤルがある。オ上《ア》ガイヤシ、今日ワ来《キ》ヤランなど。オヂャスはオ出デヤスの略形である。丁寧を表わすモスのある事は既に述ぺた。オ目イカケモス、ゴザイモスはゴザス、ゴアス・ゴワスともいう。
 クダサイに相当するものにタモンセがあつて、オサイヂャッタモンセ(お出で下さい)などという。
 九州では可能を表わすのにヨミキル(読める)の形が行われているが、薩隅にはヨミガナルという表現が行われる。
 知ラザッタ(知ラダッタ)のザッタ(ダッタ)、降ッツロのツロ、コマッド(困ルロ)のド(ロ)は、ここにも行われる。
 助詞では理由を表わすものは「デ」で、サミデ(寒いので)のように使われる。バッテンは薩隅の南部や甑島、種子島・屋久島などに散在しているが、広くはドン、ドンカラが使われる。
 助詞に四格のパ(茶オバノダ)、目的のケ(見ケ来ンカ)、方向のサメ(アツチサメ行ケ)、疑問のナ(ドシコナ、いくらか)、強意のパシ(見バシシタカ)のあることは肥筑方言と似ているが、外に舟カラ行コ(舟にて)、谷山ヅイ(谷山まで)、散歩ダツレ(散歩ながら)などが行われる。
 方言文献には鹿児島語法(村林孫治郎)、鹿児島方言辞典(島戸貞良)、大隅肝属郡方言集(野村伝四)等がある。


 琉球語は日本語と同じ祖語から分れた唯一つの姉妹語である。日本語の一方言と見て南島方言という事もある。伊波普猷氏はこれを沖繩・宮古・八重山・大島・徳之島・喜界。沖之永良部の七方言とするが、これを摂して沖繩方言・先島方言・奄美大島方言とすることができる。標準語と見るべきは首里方言で最も新しい。
 母音は首里では「ア」「イ」「ウ」の三母音であるが、宮古・八重山・大島・徳の島には中舌母音〔ï〕があり、大島・徳の島には中舌母音〔ë〕がある。子音では宮古島に歯脣音の〔f〕〔v〕があり、〔r〕の外に一種の側音がある・首里では動詞の多数は下のように活用する。即ち「書く」は沖繩では「カカ・カチ・カチュン・カチュル・カキ・カキ」と活用し文語の「ナ」行変格活用に似ている。カチュンが終止形である。形容詞の活用も動詞に似ている。「善い」に相当するものはユタサンである。形容詞は常に語幹にサン・シャンをつける。ユタサンの連体形はユタサルである。助動詞・助詞にも特別なものもあるが。語法で注意すべき事は一種の係結法が行われていて助詞duの下では連体形で結ぶ事である。首里語についてはChamberlain, Grammar and Dictionary of the Luchuan Language (1895)がある。
 ここには同文典に譲つて委細の説明を省略するが、同語史の資料の宝庫とも見るべきものは、実に琉球諸島の方言である。外国人には早くからここに着眼して琉球語研究に没頭する学者が少くない。例えば.近くはEder博士がある。邦人では田島利三郎氏を先覚とし金沢庄三郎氏、伊波普猷氏、宮良当壮氏が南島方言研究者として知られている。
 方言文献では康熈四十七年の内裏言葉混効鹸集を初めとし、チャムブレンの琉球語文典、琉球の方言(伊波普猷)、那覇方言概説(金城朝永)等がある。その他、奄美大島方言には奄美大島語案内(北村力馬)、えらぶ語の研究(安藤佳翠)、喜界島方言集(岩倉市郎)があり、先島方言については八重山語彙(宮良当壮)がある。なお、南島の諸島語に関しては、採訪南島語彙稿(宮良当壮)、南島方言資料(東条操)がある。
最終更新:2017年01月03日 12:14