一 「昨日は今日の昔」の諺をふまえ、「今昔物語集」のごとき説話集の意を表わす。↓補一。
二 説話風な話のはじめの言葉。実際は戦国時代のことであろう。↓補二。
三 室町幕府の将軍であろう。
四 家来。
五 勝手気ままにふるまうこと。傍若無人の略。
六 皇居。
七 戦の陣地として使用する。応仁乱後、京都の町はしばしば戦場になっていた。
八 槍の柄の端をつつんだ金具。
九 宮中の女官の敬称。
一〇 出て応待する。
一一 天子の御住居である宮殿で、下々の者が気やすく来る所ではない。
一二 どこかへ行ってしまいなさい。
一三 もっともな理由。
一四 家の主人。天皇をさえ知らず、亭主と言い、じきじきに出て挨拶せよといった。
一五 はっきりと。
一六 謝絶する。申開きする。
一七 この話、天正元年(蓋七三)から同十年までの間のことか。↓補三。
一八 気に入って。
一九 召上る。
二〇 京都の人たち。「わらんべ」と言っても別に少年の意はなく、連中くらいの意。
二一 ひときわ。狂言などにも見え、当時よく使われた語。
二二 小姓。貴人に近侍して雑用をする役。多くは少年。
二三 家来が、主君から咎めをうけること。
二四 曲直瀬(まなせ)道三。当時第一の名医。↓補四。
二五 他本いずれも「御登城ありて」。↓補五。
二六 糯米(もちこめ)・葛粉などで作った餅を、長円錐形にかためて、笹などで包んだもの。なお、「内裏ちまき」を禁中に買いに行った笑話が後にも載る。上拾遺47話(九九頁)参照。
一 気をつける。
二 諺。意外な結果が事実となってあらわれること。また、とうていあり得ぬこと。中世以来しばしば画題にもなっている。↓補六。
三 どういう由緒・因縁があるのか。
四 こんなことさえ。
五 そもそも。
六 底本「さき」に誤る。他の古活字本、整版いずれも「ま」。牧↓蒔き。
七 珍重すべきもの。
八 かまわぬ。
九 是非とも。狂言その他に見え、中世から一般に使われていた語。山本では「別なく」。
一〇 十石は約一・八キロリットル。大げさな誇張。しかも、山椒は小粒で小量しか使わないものなので尚更おかしい。
一一 正しくは「おそい」。この類は多いので、読みにくい場合のほか、以下いちいち注意しない。
一二 例の友人。「くだんの人」(山・金)、「件の人」(刈)。
一三 「生えぬ」(ヤ行下二段)が正しい。また次には「生へぬ」とあって不統一。
一四 陰陽道で、天や地に火気が甚しく、種蒔その他を忌むという日。↓補七。
一五 たねもの。
一六 当然だ。
一七 理由。
一八 当時の暦には、種蒔、棟上、旅行などによい日とか、忌むべき日だとか、種々の注記があった。
一九 おつけになる。「醒」に類話。↓補八。
二〇 以下すべて天正から寛永初年ごろまであった公家。↓補八。
二一 藤宰相。藤原氏の出で参議の官にある者をされければ、|信長≪のぶなが≫御きげんなをり、右の御小性御|赦免≪しやめん≫なさる。御そばにこれあらむ人は、萬事にきつかひいたさう事ぢや。いう。宰相は参議の唐名。宰相↓山椒。↓補九。
二二 織豊期から徳川初期にかけて文化界の一中心をなし、公家や医師、連歌師などの出入も多かったので、当時の説話類に五摂家のうちでも特にしばしば出てくる。
二三 しゃくなげ科の灌木。当時既に観賞用に栽培されていた。
二四 「よい」。
二五 京都市左京区南禅寺町にある臨済宗の大本山。
二六 この話、他には刈本のみ。訓は、刈本による。
二七 でかした。うまくいった。
二八 やらかした。
二九 京都市北区大徳寺付近一帯。ここでは大徳寺をさす。千利休・小堀遠州等、山内に庵を結び、織豊期以降殊に茶道で名高い寺。
三〇 夜話に招待。夜、茶などを飲んでゆっくり雑談すること。「夜話の茶会」などもあった。
三一 豆腐を長方形に切って串にさし、味をつけた味噌をつけて火にあぶる料理。
三二 正しくは「テッキュウ」。細い鉄条を格子状にし、火の上にかけ、田楽豆腐などをあぶる。
三三 学の上に出しゃばり者。
三四 威張った言いよう。漢語を多く用いる禅僧の前なので、わざと気取って漢語を使ったと思ったのである。
三五 としておきたい。
三六 底本「り」脱。「醒」に類話。↓補一〇。
三七 雇い入れる。
三八 京都市中京区六角堂通り東洞院の西の天台宗頂法寺の俗称。↓補一一。
三九 南の方の町にある(京都では南を下(さがる)という)奈良屋。下↓腰から下。奈良屋↓を(お)ならや。
一 馬鹿にするか。
二 居所↓尻(いどころ)。
三 寺の、ことに禅宗の住職をよぶ敬称。この話、「醒」(広・狭)に類話。↓補一二。
四 感心な。心がけのよい。「キドクナ」(パ)。
五 迎え入れる。
六 抹茶をたてる。
七 わけがわからない。了解できない。
八 諺。「問ふは一旦の恥、問はぬは末代の恥」(毛吹草・世話尽)。
九 紅葉の音「コウヨウ」に、「濃く能く」の音便「濃う能う」をかける。
一〇 感心して。
一一 底本「にて」と誤る。、
一二 貴人の近くで雑用する人。衆は一人でも用い、丁寧な感じを添える。
一三 お茶を飲む回数をあらわす語。
一四 御心づかい下さい。宜しくお願いします。
一五 意味。わけ。
一六 わかるはずがあろうか。
一七 蒸し風呂。浴湯と混同されるようになったのは江戸時代中期以降という(坂本太郎編「風俗辞典」等)。「醒」に類話。↓補一三。
一八 不孝↓吹かう。「吹くに及ぼぬ」の洒落。「吹く」は普通、蒸し風呂に入って熱く濡れた体に息を吹きかけて垢をかくことをいうが、ここでは下例のごとく熱い蒸気が十分ありよく温まるので、吹いて熱くする必要がないという意であろう。「伊勢風呂と申子細は、伊勢の国衆ほど熱風呂を好て、能吹申さるるに付て、…夫荒仕子(ぶあらしこ)までも風呂ふくすべを存候」(甲陽軍鑑、九)。「吹けば熱(あつ)風呂、ふくは傾城」(望一後度千句)。
一九 寺にいる少年。僧侶たちの男色の対象であった。「醒」に類話。↓補一四。
二〇 縁をたどって、意中をうったえた。
二一 優にやさしい容貌に似た。
二二 こっそり山寺の僧のもとへ。
二三 夢中になってあわてる。
二四 御馳走のしようもない。
二五 外来種なのでこの名がある。粳(うるち)に似てねばりけなく、粒が小さく細長い。味はうすくまずいが、早生種で収穫量も多く、かつ炊くとふえる。質は悪いが経済的な米。また粒が赤いので赤米ともいう(当時は米をよく精白しなかった)。
二六 「さま」の誤であろう。「様」(刈・山・金)。「たち」なし(多・整)。
二七 相手の貧僧の語のようにとれるが、他本や「醒」に載る話からして、三位は稚児の後見役であろう。稚児の後見役と思われるものに三位、治部卿などの名がしばしば出てくる。徳川時代宮門跡などの真言・天台宗の大寺の坊官や勢力のある神社の神官などは、治部卿法印・宮内卿法眼などと名乗り、諸太夫は出羽守・近江守などと名乗っていた(国花万葉記等)風習などから、やがて一般の僧の一種の受領名のごときかかる呼名が生じたものか。↓補一五。
二八 気がつく。気がまわる。「戯」「醒」に類話。↓補一六。
二九 禁令がない。
三〇 根からほる。
三一「マツダケ」(パ)。
三二 惜しげもなく。わけもなく。
一 田舎。「醒」に類話。また広く民話化している。↓補一七。
二 京都市賀茂川の東に連なる丘陵。東山三十六峰といわれ、風光がすぐれ、かつ古くからの名所旧跡が多い。京都見物の名所の一。
三 家のつくり方。
四 うけ合って。
五 汚れた足を湯水で洗う、その準備をさせる.「センソク」(バ)。
六 つかわす。一人で先にやる。
七 以てのほか。あきれかえる。
八 不断光院清誉か。和歌・連歌に巧みで、ことに連歌に長じた。天正十年(一五八二)没。すれば、この話、天正十年以前に成立。不断光院は桜御所(近衛邸)内にあった同家の持仏堂的な寺。↓補一八。
九 東求院近衛前久(一五三六1一六一二)か。或いはその子信尹(一五六五ー一六一四)か。この類話、醒睡笑に見え、三藐院信尹とする。太閤は、摂政または太政大臣の敬称だが、のち関白を辞し内覧の宣旨をうけた人、或いは関白を子に譲った人。↓補一九。
一〇 長老としての格式。
一一 足打折敷(あしうちおしき)の略。四方に折りまわしたふちをつけたへぎ製の角盆、または角切盆で、食器をのせる。足は板製で折敷の左右につく。諸事作法故例のやかましい五摂家として、客によって出す折敷・食器にも、一々格式を重んじていた。
一二 しばしば。
一三 公卿衝重(くぎようついがさ訟)の略。公卿用の衝重。檜の白木で作っだ方形の折敷で、檜のへぎを折りまげた台をつける。こちらの方が格がよく、従って料理も何汁何菜とふえる。
一四 いつも。
一五 膳につく。正しくは「すわる」。
一六 不断食わう↓不断光院。
一七 文録三年(一五九四)のこと。↓補二〇。
一八 近衛信尹。逸話に富んだ人物。↓補二一。
一九 どういうわけがあったか。はばかってわざと漠然とした言い方をしたのであろう。
二〇 鹿児島県枕崎の西にある良港。
二一 島津氏の本拠で、近衛家と島津家とは縁が深かったので、島津氏の配慮を得ていたらしい。
二二 大臣だから、普通なら牛車にのるのだが。
二三 駕籠↓鹿児島。駕籠の棒↓坊の津。この歌「戴恩記」では建仁寺の雄長老の詠とする。これもはばかって作者をふせたのか。補二〇参照。
二四 織豊期連歌界の第一人者(一五二四-一六〇二)。粗野剛愎な人柄であった。里村氏。その子孫は連歌の宗家として幕末までつづいた。
二五 光が明かなのは。
二六 この付句は、謡曲「采女」中の文句をそのままとったもの。↓補二二。
二七 たいへん。
二八 名誉。名誉(めいよう、めんよう)には、おかしな、変なの意があり、これをきかすか。「これは名誉なことを覚えておりやる」(狂、人馬)。謡曲の文句を盗んだので、わざと皮肉に、小鼓に拍手喝采すると言った。
二九 底本のママ。多くは暁月坊、又は教月坊凶藤原定家の子とされていたが、中世以来の伝説的な狂歌作者。なお、「醒」に類話。↓補二三。
三〇 貧乏。
三一 印地打(いんじうち)の略。小石を投げ合う民俗から石合戦の遊戯となる。平安時代から公家や殿上人にも行われた(年中行事絵巻・平家物語)。のち専ら子供の遊戯となる。五月五日に二手に別れて石投げ斬り合いのまねをした。「から印地」は、あてなしにうつ空礫(そらつぶて)と同意。
三二 越える。年を越すに、石を目標を越して投げるの意をかける。 三三石合戦の石と、米一石(十斗)をかける。「たべ」は、賜え。
一 石をわると、一石の半分五斗をかける。一斗は約一八リットル。
二 一俵は四斗でなく、古くは五斗入り。籾俵では今でも五斗入りを用いる。「四国は海の中にこそあれ 漕ぎいだす舟に俵を八つ積みて」(新撰犬筑波集、刊本)。
三 たくみにいいかけた洒落。地口、口合。「醒」に類話。↓補二四。
四 菊科の多年生草本。秋、白や淡紅色の花が咲く。若根をとり外皮をはいで乾燥し、胃薬、屠蘇散、蚊やりなどに用いた。
五 白朮の異名。「白朮乎介良」(字鏡)。「置け」にかけた秀句。
六 よい頃あいを見計らって。
七 日蓮宗。専ら法華経に依拠する宗派。室町時代から徳川初期にかけて京都に盛んで、松永久秀などの有力武将や、本阿弥光悦などの芸術家・学者の帰依する老が多かった。激しく戦闘的なのが特色。「醒」に類話。↓補二五。
八 日蓮宗の二大流派で、室町末ことにその対立が激化していた。↓補二六。
九 教理についての論争。
一〇 陰嚢中の核。転じて睾丸。「陰核篇乃古」(和名抄)。
一一 大へん苦しむ。
一二 優劣。勝劣派をかける。
一三 きんたまの略。陰嚢の俗称。
一四 いっち(甚だ、非常に)↓一致派。
一五 茶の湯の会。「戯」に類話。↓補二七。
一六 さかやきを剃ること。注二〇参照。
一七 さわぐ。
一八 檀那寺の坊さん。
一九 恐縮のいたり。
二〇 頭上の髪の中央部を円形に剃り去ること。平安時代末期におこるといい、この頃には男子一般の結髪様式の常習であった。
二一 剃りつけているので。
二二 片方の小鬢(こびん)。小鬢は頭の左右側面の髪。
二三 どうしようもない。
二四 もっての外のこと。
二五 顔を真赤にして。
二六 わざとでなく、うっかりしてしまった過失。
二七 少年。卑下の意がある。
二八 普通の男子。
二九 身だしなみを整える。沐は髪をきよめ、浴は身をきよめること。
三〇 素直にあやまらず、つべこべ弁解、理窟を言って、おさえようとするのか。仏語で、悪魔や相手を降伏させること。相手が僧なので仏語を用いた。「チョウブク」(パ)。
三一 これではどうしようもない。
三二 いやいやながら。仕方がないから。
三三 髪を剃り僧衣を着て僧形となる。だが必ずしも僧となったり寺に入るとは限らず、僧形をしたまま、町中で在俗の生活をする場合も多い。
三四 一層よいこと。「それく、一だんの事じや」(狂、猿座頭)。
三五 僧が死者につける法号。ついまた言い損いをしたのである。
三六 以下、多く危い事のたとえ、諺となっている。尤の双紙、あぶなき物の品々参照。
三七 脚気になると末稍神経が侵され、ことに下肢が痲痺し歩行が困難。それで脚気・乱脚病・脚疾・脚病などという。焙烙は食物を炒るふちの浅い土鍋で、素焼だからこわれやすい。
三八 荷物をたかだかと積んだ馬。「岸」は川岸、海岸とかぎらず、がけ。「かたそばの細みち」(尤の双紙、あぶなき物の品々)。
三九 盲人が下り坂を歩けば、つんのめりやすい。
四〇 夫に後れた婦人。「後家(ごけ)を、ごけい」(片言、三)。
四一 これだけ。これくらい。
四二 とたんに口をおさえた。口をすべらしてしまったと思ってのしぐさ。
一 「戯」に類話。↓補二八。
二 残念。
三 立ちさらずにぐずぐずしている。
四 四、五月のもの。寺の裏手などには竹藪が多い。
五 雁は御馳走として当時珍重されていた。だが、僧侶は殺生戒として、魚鳥を食べるのを禁ぜられていた。
六 御挨拶。
七 痛風。関節やその周囲の組織に急性または慢性の炎症を起こし、痛み、腫れ、赤くなる病。
八 相手の坊主の方へさし出し。
九 鳥の身の方は、坊さんのあなたには。
一〇 そのまま。
一一 おいしく食べる。
一二 「戯」「醒」に類話。↓補二九。
一三 ばたばたとあわてる。
一四 鮭の腸をとり、しらぽしにしたもの。
一五 うろたえる。びっくり仰天する。「ハイマウ」(パ)。
一六 「食(た)ぶ」は下二段に活用。
一七 女房。魚鳥の肉を食べるどころか、更に妻帯の禁を犯していたのがぼれた。
一八 身体に栄養をつけるため、薬として、特に獣肉などを食べること。薬食い。
一九 皇族または公卿貴紳出身の尼。ここでは、どこか尼寺の住職となっているのであろう。比丘尼は出家して具足戒をうけた女子。御所は貴人の敬称。「戯」「醒」(広・狭)に類話。↓補三〇。
二〇 寺の所領となっている地方の土地へ。
二一 気ばらしに外出すること。
二二 土地の百姓は領主が来たので、もてなしする。
二三 接待。
二四 石を焼いて水を注ぎ湯気をたて、これを穴ぐらや岩屋、あるいは密室に導き、その中に入る蒸風呂。古く枕草子・今昔物語集にも見える。
二五 出家して日の浅い尼僧。蔵主はもと禅宗で重い僧職の一だが、ここでは出家一般の称。
二六 今の石鹸。洗粉。「てうつの粉には、もみちまちかねよりは、赤小豆の粉、緑豆のこを使ひ給ふべし」(女重宝記、一)。「チョウヅノコ」(パ)。
二七 相談の集まり。
二八 彼の人此の人。
二九 遅くなる。「ヲソナワリ、ル、ワッタ」(パ)。
三〇 たしかに。ちゃんと。「きつと案じ出したる事有」(猫の草子)。
三一 戦乱。「イチラソ」(パ)。
三二 退失流転の略。なくなること。「タイテン」(パ)。
三三 あきれたことだ。
三四 足利十三代将軍義輝。永禄八年(蓋瓷)没。「戯」に類話、「醒」に似た話。↓X1111°
三五 御気に入る。
三六 御前に出る。
三七 あまり親しいので、つい我儘に。
三八 僧が戒を破って還俗する。
三九 貴人の命令、仰せ。
四〇 僧位の名。法橋上人位の略。綸旨によって授けられる。
四一 御辞退。
四二 僧でなく俗人の方がつき合い易いので。
四三 諺「立仏も居仏も旦那ばからひ」。相手の意に迎合して、どんな無理なことでもすること。「立居さへ檀那まかせの釈迦阿弥陀人をぽいかで送り迎へん」(光広卿職人歌仙)。
四四 人聞き。世間の評判。
一 「うずる」は「むずる」の変化したもの。
二 そういうわけでございましたら。
三 「十六からは表役」(譬喩尽)の諺があるように、男子は普通十六歳前後に元服し、一人前になる。袈裟がけは、今まで髪をのばした稚児・喝食が剃髪して正式の僧侶となること。
四 宮中や貴人の家で、婦人のいる部屋には、外から見えないように簾や几帳を立てておいた。従ってここでは将軍の妻妾やその侍女たち。
五 貴人の乳母、または貴人の児女の養育係。
六 お腹の調子。腹具合。
七 あのような具合に薬を調合して下さい。
八 調合する。
九 お乳の人の意。↓補三二。
一〇 着物がはだけて、大事な所が見えた。
一一 薬調合用の匙。
一二 夢中でさがされる。
一三「戯」「醒」に類話。↓補三三。
一四 月夜で気がとがめるので、顔が見えないように。
一五 泥鰌をとる。「蜆、蛤ふむ」(三日太平記)。
一六 本堂の次の碓物。行者(あんじや)の居る所。「行堂鍔禅家使」(運歩色葉)。行者は禅宗で、有髪のまま寺にあって修行する者。また、寺院の諸種の用務を弁ずる給仕。
一七 刈・多本・整版いずれも「ゑんさい」とあるが、伝不詳。なお「戯」では加賀国伝灯寺での話で、「其所の奉行めいたる人」とする。
一八 仏教で、鳥・獣・魚などの狩猟を禁ずること。寺内は殺生禁断。
一九 理不尽な乱暴。
二〇 塗らない白木のままの弓。
二一 弓に矢をつがえる。「ヤヲバグル」(葡)。
二二 本ものの俗人。僧かと問われたのではないのに、禁を犯して気が咎めているので、思わずこう答えたのである。
二三 ここでは禅宗で寺院の居所。転じて長老、住持を言う。
二四 「戯」では「久蔵主」、刈本では「一臈(修行年限最長の僧)のけんてゐ」。
二五 秀吉の養子となり、天正十九年(一五九一)関白となったが、文禄四年自殺(蓋六八i蓋九五)。「戯」「醒」に類話。↓補三四。
二六 漆工。千利休の塗師。↓補三五。
二七 政治の要路にあり、君側に座して政務をとる者。「戯」には実名が出ている。
二八 茶の湯の会に招待。
二九 書院の訛。客間。「書院シヨエン」(易林本節用)。
三〇 当時、食物を出すのに重箱に入れて出す習慣があった。「重の内」(狂、焼栗)。
三一 招待した者として。
三二 昼時分なのに「夜食」といったのがおかしい。
三三 砂糖と茶道(さど)をかけるか。
三四 こびた風をする。「こばす」はサ行四段で、「こびる」(バ行上一段)の他動詞。「コバシ、ス、バイタ」(パ)。整版「こぼしだて」。「戯」「醒」(広・狭)に類話。「片言」にも似た話が載る。↓補三六。
三五 一流の人の列座した。
三六 瀟湘八景の一の煙寺の晩鐘。わが国では室町期から「遠寺の晩鐘」と書く。夜中なのに、晩鐘(夕方の鐘)といったのがおかしい。「聞こうる」は聞こゆるの訛。
三七 九州地方。「戯」「寒」に類話。↓補三七。
三八 たいへん御苦労なこと。
三九 自費路(旅費自分持)か。整版には「じぶんに」、「戯」「寒」には「自筆に」。
四〇 あるいは相手方の旅費負担か。
四一 京都市南部の一区。ここから淀川を下って大阪へ出る。京・大阪舟路の起点。当時九州へは大阪から舟で行くのが普通。
四二 「戯」では「車力」。舟なのに車力と言ったのがおかしい。
四三 はやく。
四四 外国から帰国。九州からではおかしい。
一 学本「四方はい」の見物人の歌として、歌のみあげる。「戯」に類話。↓補三八。
二 蕎麦粉を熱湯でこね、つゆをつけて食べる。
三 常に主君の側近に侍して、一緒に食事をしたりする重臣。
四 細川幽斎(蓋三四i一六δ)。大名であり当代歌壇の第一人者。
五 膳につき。
六 女房詞で蕎麦がきを、その色から薄墨という。なお、眉は墨で描く。
七 横顔。「そばがほのみすにすぎて見ゆる」(狭衣物語)。かつ蕎麦がきをかけている。「ソバカヲ」(パ)
八 帝↓三角(みかど)、蕎麦の女詞。
九 六、七、八歳くらいのごく幼い稚児。「戯」「醒」に類話。↓補三九。
一〇 親里。
一一 気の毒そうな顔。
一二 帰る途中(の家)で。
一三 貰い火をして延焼する。胸がやける(棟が焼ける)の縁で類火という。稚児たちはいずれも食いしん坊。
一四 餅を振舞ってくれた家。これも胸やけの縁語。
一五 修行をつんだ偉い僧の説教、法談。
一六 謡曲「卒都婆小町」などにも見える、中世に行われた四句偈。一度卒塔婆を見ただけでも、その功徳で三悪道を離れる。まして、これを造り立てた者は死後極楽に生れるの意。↓補四〇。
一七 意味。
一八 もと仏舎利奉安などのために建てた塔だが、のち供養として墓の後に立てる細長い板。上部が塔形をし、梵字や経文などが書いてある。
一九 現世の悪行によって、死後到るという、餓鬼道・畜生道・地獄道。「道」は世界。
二〇 呼びかけの言葉。「いかに鬼神もたしかに聞け」(謡、田村)。
二一 安楽浄土。極楽。
二二 「もし」の宛字。
二三 一見を同音の幅コ間」ととりなしてごまかした。諸本に多少異同があるが、ことに金本では「かしこまつて候とてかへりける。此人の心こそまことのほとけにて候へ、上人らいしたまふとそ」が加えられている。
二四 底本「かくもにん」と誤る。この話、笑草に転載。
二五 励めよ。
二六 いっこうに。
二七 けしからぬこと。
二八 素質。
二九 強情である。日蓮宗は強情で有名。↓補四一。
三〇 気持がいい。心の慰めになる。「食ふよりもきの薬かな鹿の声」(犬子集)。
三一 「秉」はとるの意。禅宗で一寺の住職に代り、他の僧が払子(鯰っ)をとり法座に上って諸衆を開示すること(勅修百丈清規)。いわば討論会の議長。「戯」に類話。↓補四二。
三二 「上野」は今の群馬県、「下野」は栃木県。
三三 「筑前」は福岡県北部、「筑後」は同県南部。
三四 非常に重く。
三五 助かるかどうかわからないほど重態の時。
三六 ああ。感動の語で当時は男も使った。
三七 もしものこと。死ぬこと。
三八 現世を捨て、ひたすらあの世のことばかり考えて。
一 諺にも「髪は一年物」という。
二 家督権と家名・財産の相続。
三 全快。「ホンブク」(パ)。
四 わいわい言ってさわぐ。
五 どうしても我慢出来ない。
六 まことに申訳ない。甚だ恥ずかしい。
七 とにかく、申しにくいことですが。
八 あなた。もと女房詞で、「そなた」の「そ」に「もじ(文字)」をつけた語だが、男女一般に使われた。
九 身をひく。妻の座をはなれる。
一〇 今まで長い間つれ添った情。
一一 あなた。対等の者に使う二人称の代名詞。
一二 たいへん不機嫌である。「ブケウ」(パ)。
一三 たしかに、道理は明かで、その通りです。
一四 これまでつれ添ってきたお情で。董守護はもと鎌倉・室町時代の職名。徴税権・警察権・裁判権を有した者だが、ここではその地管轄の代官。
一六 「ども」は単数でも使い、謙遜の意をそえる。
一七 「ら」は単数でも使い、卑下の意味をそえる。
一八 考える。思案する。
一九 ひどく驚きあわてる。「ケデン」(パ)。
二〇 すっぱりと。たやすく物を切るさま。「物をきり侍るを、ちよんときる、すかときる、つんときる、ずんときる、すつかりこときるなどいふは、いつれまされるにや」(片言、五)。
二一 この有様の顔になっては。
二二 娶る。妻として迎え取る。
二三 諺。もとの妻と復縁するのは仲人もなく簡単なことだ。狂言、法師物狂や毛吹草・吾吟我集等に見える。
二四 末長い年月を祝う言葉。「五百八十年七廻り」「五百八十年万々年」などともいう。五百八十年は、七廻り、即ち干支の七廻りで、六十年の七倍の四百二十年を加えると、ちょうど千年になる。そういうわけで、長く縁起を祝う数とされていた。↓補四三。
二五 第一のこと。この話、上拾遺67話(一〇七頁)に似る。また笑草に転載。
二六 京都のほぼ三条あたり以南をいい、上京が山手に対し、庶民的な下町であった。
二七 眼医者。当時眼医者はすでに分科していた(日本医学史)。眼医者で目薬を売っていたのであろう。
二八 のれん。商家の軒先に張って日除けとする布。多くは紺地に屋号を染めぬき、または無地の茶木綿に墨で屋号を書く。
二九 金・米・薬の三種。
一 園城寺。滋賀県大津市にある天台宗寺門派の総本山。古くから栄えた大寺。「戯」「醒」(広・狭)に類話。↓補四四。
二 法印大和尚の略で、学徳兼備の僧に与えられる高位。三井寺など大寺の坊官や幹部級の僧には、法印号を許されていた。のちに「醍醐の法印」など、山伏などを呼ぶ称ともなった。
三 退屈をまぎらそうと。
四 年ごろなので、優雅風流を気取っているのである。「醒」では公家の子になっている。
五 幼少の児は食べざかりで、食欲一本槍である。「醒」は歌に異同がある。
六 撥音。三つ「ん」のついた言葉。「戯」「醒」に類話。↓補四五。
七 賞味する。
八 京都市北区紫野大徳寺の南にあった天台宗の寺。一般には「ウリンヰン」「ウジヰ」などとよんでいたらしい。「うち井、雲林院也。此所はむかし寺也。其寺号則所の名とするなり」(浮世鏡)。
九 足利末期、南洋諸島を根拠地として来たポルトガル人、続いてイスパニヤ人をいい、インドを根拠地として来たオランダ人などを紅毛人といったが、一般に西洋人をもいう。
一〇 煎茶瓶を撥音便風に「せんさんびん」といった。「煎茶瓶顕サ」(運歩色葉)。
一一 「シンセンエン」の訛。京都市中京区御池通神泉苑東入にある名苑の跡。
一二 「コンゲンタン(血が頭に上った時に用いる薬)」(パ)。練薬。「昆元丹薬名」(古写本節用)。
一三 昆元丹に田楽の味噌の「こげた」をかけた秀句の褒美として。
一四 発心して新たに仏門に入った人。ここでは幼少の僧。
一五 「え食はず」。食べられない。
一六 煎茶瓶から茶臼を連想し、小児が「こげた」を撥音化したのをまねて、こう言ったか。
一七 とたんに。
一八 平清盛が厳島大明神から長刀を授かった話(平家物語)により、厳島を出し五串。なお、「戯」「醒」(広・狭)に類話。↓補四六・四七。
一九 「つぶり」は頭。これを敬語で御首(みぐし)↓三串。
二〇 なんだの意の「何ぞ」を重ねた語。名詞化して「謎」となる。
二一 ある職業の人を守ってくれるとして、特に信仰する仏。医者の本尊は薬師如来。
二二 薬師↓八串。薬師は衆病を除く願をたて、衆生に薬を施す仏。
二三 平清盛の俗な言い方。晩年出家したので、入道という。
二四 平家物語、巻五「物怪之沙汰」にある不思議な話。↓補四八。
二五 ということだが。
二六 櫛でとかし洗い清めても。澡浴(そうよく)の転じた「そうやく」の訛。洗い清めること。
二七 僅かの間に。
二八 虱の卵。
二九 縁起かつぎ。「戯」「醒」に類話。↓補四九。
三〇 若水を汲むことを「迎える」という。若水は、立春の朝、後世は元旦の早朝、新しく水を汲み入れる行事。↓補五〇。
三一 若水を汲むときのまじないの文句。前補注参照。
三二 早朝。
三三 考える意のほかに、愁いに沈むという不吉な意味があるので、物忌みにさわる。
三四 木を投げるの「投木」が「嘆き」に通ずる。石や陶器の枕もあったが、古来から黄楊・朴・桑・沈の木など、木の枕が普通。
三五 酒量のきわめて大な人。また酒の大好きな人。「戯」に類話。↓補五一。
一 乳母。お乳の人の小児なまり(片言、三)。
二 学徳を備えた名僧。宗派により多少意味が異なるが、禅宗では師僧を尊んでいう。この話、笑草に転載。
三 仏門に入ってまだ日の浅い修行未熟の僧。禅宗・律宗で多く用いる。
四 ここの禅宗では住職または先輩の僧。「今禅宗住持之者必呼二長老一」(祖庭事苑)。諺「沙弥から長老にはなれぬ」「沙弥から長老にとぶ」。
五 不平や希望を人に述べること。
六 示教。悟りへの導き、教え。
七 残念至極。
八「畏れながら」を「大それ」の語の類推から訛ったもの。無学な沙弥らしい語。
九 一つの古則公案。禅宗用語。「則」は、もとすじみち、法則、手本の意。古人の説話は後世の人の修行の法則となるので、則という。
一〇 殊勝なこと。よい心がけ。
一一 おそばに召しよせられて。
一二 最も大きい迷いである生死の問題を悟りひらくべき公案。
一三 奥義に到達する。
一四 弘法大師が入唐の時、生死一大事を問われて、「味噌よ味噌よ」と答えた逸話が「醒」に見える。↓補五二。
一五 精進料理。「しょうじ」と訛って「生死」にかける。精進を「しょうじ」と訛る癖が、この頃の京都にあったらしい。↓補五三。
一六 御名答。
一七 禅宗の始祖。インドより来り、中国で禅宗を開く。
一八 親の命日。
一九 僧の敬称。
二〇 七堂の一で、食事の準備などの雑事をする所。
二一 仏家で寝室・納戸をいう。
二二 腸を肉と一緒にして、和え物にした料理。鮑は美味で珍重されたが、魚鳥の類として僧侶には禁じられていた。
二三 動かさずにしっかりと。じっと。
二四 殊勝な。感心な。
二五 精進料理では酒の肴にならない。
二六 特につてを求めて手に入れたの意(普段は縁がないの意をほのめかしていう)。刈・多本・整版では底本のごとくだが、山・金本では「をためはかりに是をとゝのへたる」とある。
二七 身に余って忝けない。
二八 忘れておりました。
二九 行き届かぬことで。申し訳のないことで。
三〇 一般に子持の女。ここでは、自分の妻をいう。妻帯し、子まで持っていることがばれる。
三一 南無阿弥陀仏の略。
三二 鮑は古くから目の薬(和名抄)。↓補五四。
三三 「さして」の音便「さいて」。
三四 鮑は酢と塩とで味をつけ、腸も一緒に膾にして食べるのがうまい。
三五 目薬などの薬類は蛤の貝に入れた。
三六 非常に痛いこと。
三七 成語。七転八倒すること。「五体」は全身。
三八 わめき騒ぐ。
三九 ふさわしい。「ふさひた」がウ音便になった語。
四〇 みな食べてしまった。「しまひた」のウ音便。
四一 錫製の容器。
四二 鮑・蛤・魚肉など生魚物を用いた膾は僧が食べてはならない。
四三 しっかと頭の上に載せて。
四四 この型に。頭巾にもいろいろ型があった。
四五 いかがでしょう。似合いますか。
一 浄土宗西山深草派総本山。京都市下京区新京極桜ノ町。古くから栄えた寺だが、数度火災にあい、天正十三年(一五金)、秀吉の命で現在の地へ移転。当時秀吉の側室松丸殿の帰依をうけ、本堂・阿弥陀堂等の大伽藍が再建、寺勢が盛んであった。
二 当時の寺額は「誓願寺」ではなく「南無阿弥陀仏」と書いてあった。↓補五五。
三 文盲なので、南無阿弥陀仏の額の字が読めず、多分誓願寺と書いてあると思ってこうほめた。また大仰なほめ方なのが、落ちの滑稽味を増す。
四 趙子昂(三裔ー;三ご)。元初期の文人。詩文に巧みでまた書画の大家。
五 額は筆で書くものだから石摺りのはずがない。石摺りは、石や木の文字や絵を、油墨などで地は黒く字は白く摺りとったもの。名筆の石摺りは、当時珍重された。↓補五六。
六 東国の人。
七 今の長野県。
八 長野県伊那郡、岐阜県よりにある歌枕。今小野川の谷で、古駅路にあたり、旅人を泊め休ませる布施屋があった。遠くからは見えるが、近寄ると見えなくなる帚木(まよ.きき)があったので有名。
九 わらじ。藁沓(おらんず)の転。「草鞋鰐」(運歩色葉)。
一〇 六〇センチほどの多年生草本。山野に自生。茎で木材や角などを磨く。
一一 ひたすら。
一二 筑前太宰府にあった。中世には頗る盛大、諸国に寺領多く、天満宮も寺内で、安楽寺の菅公廟といわれた。明治維新後、神仏混淆禁止で廃寺。
一三 中国福建省泉州府建安産。堅い焼物で上品なもの。
一四 もと中国浙江省杭州府臨安県の天目山産の茶碗。五山僧が持来り、茶道で珍重された。「茶具者建盞天目」(庭訓往来)。浅く開いた摺鉢型の茶碗。のちこの形の茶碗の汎称となり、ここでもその意。また、四国・九州地方の方言(和訓栞)となった。
一五 かじる。
一六 日吉空庵か。「戯」「醒」に類話。↓補五七。
一七 社寺への寄付勧進のための興行の能だったが、のち見物料を取る能。↓補五八。
一八 人さらいに連れられた梅若丸をさがして、母が関東の隅田川に尋ねて来、その死を知って気が狂う悲劇的な能。
一九 野天の見物席。
二〇 千歳舞。能のはじめに行う式三番のうちで、翁が地謡と連吟で「とうとうたらりたらりら」と謡い、「所千代までおはしませ」と今様を謡った次、侍烏帽子に素襖をつけ、小刀を帯びた千歳が今様を謡って舞う。
二一 式三番で千歳の次に再び翁が謡い、天下泰平を祈り、神楽を舞い、三番叟に続く。
二二 翁の次に出て、黒色の老人の面をつけ扇と神楽鈴とをもって舞う。
二三 この人。
二四 三番叟を隅田川と思い、三番叟の面が黒色なので、「すみだ顔殿」といった。
二五 実家が貧乏なので。「醒」に類話。↓補五九。
二六 表だった会や儀式の時。かかる折には稚児は衣などを美々しく飾る。
二七 指似。陰茎。多く子供にいう。
二八 ああ気の毒だ。
二九 稚児の後見役。
三〇 見る人はみな。
三一 特に大きいものをいう。
三二 言うので。
三三 吉野は修験道の聖地大峰山があり、山伏が多く、また山中で山芋も名物。なお、この話「阿奈遠加志」にとられる。
三四 山芋は根が地中深く入っている。
三五 山伏が修行を終って霊地の山から出ること。特にこの時は気力・体力が充実しているという。「此度大峰かづらきの役をつとめ、只今がかけいでゞござる」(狂、蟹山伏)。
三六 苦しめる。無理に男色の交わりをする。
三七 ぎいぎいとわめく。擬声語。「ギギメク。鳥を殺いてぎぎとする」(ロドリゲス)。
三八 子供の山伏。
三九 山伏の持つ代表的な道具。法螺貝の殻の頭に穴をあけて吹き、ぶうぶうと低いが大きい音を出す。古くは軍器で、中国や朝鮮で使われた。我国では山伏が狼狸の害をさけるために使い出したという。
四〇 京都市右京区嵯峨町にある臨済宗天竜寺派本山。
四一 室町末期屈指の学僧。信長の諮問に答える。詩人・文章家として傑出。なお「戯」では、前半は貞安と信長が天正八年(蓋八〇)にした話となっている。↓補六〇。
四二 心の鈍いこと。愚か。
四三 かしこいこと。
四四 成長して一人前になること。
一 家にいた時の気持。一般世間の気風。
二 戦国乱世を自らの力で生きぬいてゆく武家らしい智恵才覚。当時町人などよりも武家の家から寺に入って稚児になる者が多かった。
三 寺の気風に染まる。
四 丈の長い袖。転じて鎧を着るため長袖を使用しない武士に対し、公家・医者・神主・僧侶・学者などをいう。公家や僧侶など武事に携わらず、軟弱でのんびりしているのを嘲っていう。
五 にぶい。のんびりした。
六 精神・心が劣ってしまう。
七 たいへんもっともな。
八 お供。「はやす」は、もてはやすなどと同じく主人を飾りたてる、映えあらしめる意から添えられた語か。従って単に一人の供でなく、「供ぞろえ」などのごとく、何人かのお供をいうか。「供ばやし、能、舟遊びにもめしつれられ」(日本永代蔵)。「当分は供はやしに出ず、着類のいらぬ飯たき奉公でもして下され」(当世銀持気質)。
九 なぜいるのか、いらないではないか。
一〇 武家で主人の草履を持って供をする下僕。
一一 わかる。理解できる.
一二 声を出し歌曲の調子をとる囃しの意にとった。
一三 夫婦が互いに呼びあう称。
一四 智徳の亠咼い僧。
一五 古くからの諺。「あふはわかれ」(毛吹草)。
一六 底本「躰」。整版・多本などに「ありさま」とあるので、「てい」と読んだ。身体でなく、様子。
一七 情欲などが身を悩ますこと。
一八 重病。難病。
一九 房事。
二〇 そのようなことは思ってもみない。
二一 薬がきいたか否かの返事。「左右」は報告。
二二 女房。「ども」は謙遜の意をあらわす接尾辞。
二三 見ていただけの意か。「おそれ」の語は他の用例や辞書類の解説も見えないが、古活字本.写本・整版等、現存諸本いずれも「おそれ」になっている。おそれ承る意の「おそる」か。
二四 かまわないが。「おりなひ」は、「ある」の尊敬語「おりやる」の打消。
二五 容態。
二六 容易には。
二七 京都の下町。
二八 経歴不詳。山・金本は「ふべんなるものゝよきむすめをもちける」だが、刈・多本・整版は底本と同じく「むかし下京に道無」。
二九 縁談を世話する。
三〇 相手はどれほどの財産があるか。
三一 以前(狂言・捷解新語・パジェス等)。
三二 領有する。
三三 年収十石。一石は米百升。いかにも貧乏人らしく、四国を四石にとり違えたのである。
三四 結婚後、夫が初めて妻の生家にゆくこと、またその式。↓補六一。
三五 通知。
三六 用意する。準備する。「コシラエ、ユル、エタ」(「拵コシラヘル」(運歩色葉)。
三七 お前の婿は。夫は。
三八 敲鉦の略。ふせがね。ひらがね。
一 感心な。
二 一緒に太鼓合奏の役をする人。「ヤクシャ(ツトムルモノ)」(パ)。「あつべる」は「集める」。
三 酒盛り。「コソく(盃を何度も献ずる)」(パ)。献はもと饗応の時、肴の膳に盃・銚子を出し、三杯飲まして膳盃を下げるのが一献。のちに盃の度数をいい、更に盃事をいう。
四 飲んで酔う。「たぶ」は飲む。「タベエイ、タベヨイ、ヨウ、ヨウタ」(パ)。
五 無礼。
六 ちょっと。「ソト、ソット」(パ)。
七 上衣をぬいで、身がるにいでたつ肩ぬぎの語を、大げさにした語。大肌ぬぎに同じ。
八 「おつとつて」の誤か。山・刈・多本・整版いずれも「かたばちおつとつて」。
九 六斎日(八・十四・十五・二十三・二十九.晦日)に行う空也念仏。↓補六二。優雅な遊芸のたしなみかと思ったら念仏。また婚礼と念仏との取合わせもおかしい。
一〇 若衆の御訪問。若衆は元服前の前髪姿の若者。当時盛んだった男色の対象。
一一 「サケノミ(米を発酵させて酒にし、しぼらぬ前のもの)」(パ)。古活字本など諸本多く「さけのみ」とあるが、整版「さゝのみ」、学本「さけのかす」。酒より下品で、若衆にふさわしくない。
一二 うちこんで。惚れこんで。夢中になって。「醒」(広・狭)に類話。↓補六三。
一三 恋文を数多く送り。
一四 藤原定家自筆の色紙。当時珍重され、最も高価なものの一(尤の双紙、高き物の品々)。
一五 習字の手本。稚児・若衆は習字が主要な勉強。
一六 弘法大師はまた書の名人。三筆の一人。
一七 般若心経の三行ほどの断簡。古写経の断簡を珍重する風が当時すでにあった。
一八 方々さがして手に入れ。
一九 昔は鍔がなく柄もまかず、八、九寸(二五センチ前後)ほどの匕首(あいくち)のごときもので懐中したが、室町末から小刀のごとく鍔をつけ柄をまき、長さも長くなった(貞丈雑記)。
二〇 飾りの金銀金具を。
二一 立派な。「こしらへ」は、柄や鍔の作り。
二二 金の力と黄金作りの太刀をかけ、また「手をつく」に手を突き傷つけると、手をついてあやまるの意をかける。
二三 習字の清書。当時学校がなかったので、寺へ行って僧侶に習字などを習った。
二四 字が上手になるだろう。
二五 字ばかりでなく心も大人に。
二六 手紙の末尾に書く文句。恐惶謹言と同じく男の手紙にも用いる。当時、手習の手本には、庭訓往来・尺素往来など往来物と称する書簡文体の教科書を用いていた。
二七 母親は「穴かし、くじらふ」とよんだのである。「くじる」は穴の中に手や物を入れてかきまわす。なお、山・金・多本では、子の名が二郎でなく千松となっているので、「あなかしく」を穴が畏れおおい、かたじけないと母親が誤解したことになる。この方が古い形か。
二八 もと出家して間もない修業未熟の僧の意だが、転じて一般に身分の低い僧をいう。「戯」に類話。↓補六四。
二九 お願い。無理な頼み。
三〇 恋心を受入れて情をかけよとの望み。
三一 今でもいい、貴方の都合のよい時に。
三二 法印さまがお留守になったらいつでも。
三三 やってくる。
三四 寺の納戸。
一 種。「醒」に類話。↓補六五。
二 御馳走として珍重する。「奔走」は馳走と同意(パ)。
三 鈍い。おろか。
四 他流で、ちがう仕方・流儀の意か。古活字諸本多く「たりう」。ただ金本では「たうり」とあり、整版では「それもさうちやか」とあるよりすれば、「たうり」(道理)を誤ったか。
五 古活字本の祖本に「実」(さね)とあったものを、「まこと」と誤り読んだか。諸本「さね」。
六 召上る。「戯」「醒」に類話。↓補六六。
七 数多く食べようと思って。
八 あわてて。
九 気の毒がって。
一〇 織豊期には全国統一の世情を反映し、天下一の言葉が流行、筆師・鏡師まで天下一号を名乗った。
一一 つかえた餅が竜虎が組み争ったような恰好での意か。或いは輪鼓(りうこ)か。↓補六七。
一二 やはり天下一だけのことはある。
一三 おしい物。せっかくの御馳走を。
一四 いかにも幼い言い方。
一五 ニ人が男色関係にある時、稚児・若衆に対し、年上の方をいう。「戯」「醒」に類話。↓補六八。
一六 金銀類を薄く打延べて、刀剣の鞘にはりつけること。金熨斗付・銀熨斗付・裏熨斗付などがある。「熨付膨」(運歩色葉)。安土日記・豊太閤御事書等に、熨斗付の太刀・槍・長刀などが見えるから、この飾りつけが織豊期に流行したらしい。
一七 「あふ」は、夢に見たことが、正しく現実に生じること。春の夢ははかないものの譬。だからあてにならないという諺があったか。なお、夢によって吉凶禍福を判断することは、日本書紀・源氏物語にすでに見え、安倍晴明の夢占書をはじめ近世まで幾多の夢占の書が作られている。のち俗化し、神巫などは夢判じを渡世の職業とした。
一八 今の愛知県で、信長の根拠地。信長は永禄十一年(蓋一ハ八)上洛、天下の実権を握ってのちもここを本拠とし、のち京都、更に安土城へ移った。この話は京都・安土へ移る前のことであろう。
一九 九州。
二〇 挨拶。
二一 大名の下々のお供たちへの馳走。
二二 町人たちが自分たちで作り出して。
二三 正式の膳立てで、飯・汁・肴が付き、最初に正面に据えられる。人参汁は、大根と一塩の鯛とを実にした味噌汁。
二四 膾には普通貝や魚を用いる。
二五 わが国に渡来の時期は明かでないが、近世初期の林羅山の多識篇に初めてその名が見えるというから、信長の時代にはなお珍しく高価なものだったのであろう。人参汁を、人参を入れた汁と誤解。
二六 一斤は一六〇匁。一匁は三・七五グラム。古くは十六両を一斤、四十八両を大一斤とよび、又物によって一斤の量が異なる。人参は高価なので一貫二貫といわず、斤と数えたのであろう。
二七 謝って辞退させてもらう。
二八 直接事務を扱う役人。
二九 事情を述べて裁断や許可を得ること。
三〇 理非を考えてお聞き入れ下さった。
三一 結局同じこと。
三二 訴え申上げてよかった。
三三 疲れはてた様子。「らうらうとつかれ侘びたる如くなり」(傾城反魂香)。「戯」「醒」に類話。↓補六九。
三四 室町後期の医の名家。太政大臣公経の子昌慶が入明し、医家として顕われ、その三子直慶・善慶・昭慶以下いずれも法印または法眼に進む(「戯」には一渓(曲直瀬)道三)。↓補七〇。
三五 底本「きりく」。多本等により改む。精力の減退する。或いは「きりく」は「きりよく」(気力)の誤か。
一 いわゆる望診。名医らしい返事。
二 仰せのように。
三 私めが用いるのでは。
四 女房。
五 「戯」に類話。↓補七一。
六 一生懸命。出来るだけ熱心に。「セッカク」(パ)。
七 日蓮上人の忌日。御命講といい、日蓮宗寺院で法会がある。
八 布施を出して寺の斎(料理)を食べることを百文の安料理と嘲笑していう。「はたご」はもと食物・雑品を入れる旅行用具で、転じて食物を調理して売る安料理屋。「瓜や茄子や夕顔の汁 立ちよるは五条あたりのやす旅籠」(望一後度千句)。
九 大御影供(おみえjV)の訛。一向宗や法華宗で宗祖の命日に行う法会。
一〇 招待の通知。
一一 必ず出席して下さい。
一二 きちんと坐り。
一三 各自の席に正しく坐る(児教訓)。
一四 寺の料理を戯れ嘲っていう語だから、困って。
一五 謡曲「老松」中の上歌。「歩みを運ぶ宮寺の、光のどけき春の日に、松がねの岩間を伝ふ苔莚、岩間を伝ふ苔莚、敷島の道までも…」。いかにも寺の法会に歌うのにふさわしい謡曲の一節。
一六 底本に用いた大東急文庫本にない話を、他の諸本から拾って、拾遺の部として、上下各巻の末尾に付した。
一七 この底本の前に公家の名前に植物の名がついている者が多いという話に続いているので、「又」と書き出す。「醒」に類話。↓補七二。
一八 朝廷に仕える人々の称。公家。「衆」は他の語に添えて多くの人を丁寧に言い表わす語。
一九 いずれも当時実在の公家の称呼。なお、底本の清濁「たかつかさ」。↓補七三。
二〇 万里小路(ま弯のこうじ)を、文盲故、「馬での小牛」と考えた。↓補七三。
二一 京都市右京区嵯峨にある古義真言宗の大本山。もと嵯峨天皇の離宮であったが、平安時代の貞観十八年(八七六)仏寺となり、親王門跡寺として大いに栄えた。
二二 遠い国の人、即ち田舎者。
二三 寺院の格の一で、皇族・摂関家・清華家の僧の入室する寺院。宮門跡・摂関門跡以下の区別がある。
二四 五文の通行税をとる関。中世では土地の大名・豪族、或いは勢力のある社寺などが勝手に関を設け、人や物資の通行に税をかけた。織田信長の天下統一後、廃止を命じたが、かかる関の通行税の慣行が、この笑話にも反映している。
二五 中ごろの昔。「書き物を見たが、大昔、中昔、当世様と言うて三流あるが」(狂、庖丁聟)。「醒」に類話。↓補七四。
二六 主人を招待する。馳走に招く。
二七 名古屋市の近くにある海岸町。信濃は山国なので、わざわざ遠く嶮しい山路を南下、尾張の国へ出て、海岸の熱田まで来たのである。
二八 調達する。なお、中世の料理秘伝書類によれば、鯛はすでに料理、殊に祝儀の料理として珍重されている。
二九 都市が十分発達してない時代でも、買い手の便利のため、同じ商品を売る店は町や市の一ヵ所に集まっていた。
三〇 左旋の縦筋のある巻貝の総称。アカニシ・タニシの類。今日では一般にあまり料理に使わないが、中世以降、元禄の「男重宝記」の料理献立の魚類の部にまで、「辛螺」としてしばしば出てくる。
一 主人の殿様。主人は大名・小名か武士であろう。
二 買出しに行った使が。
三 螺は、窓の戸を閉めるように口の蓋をしめているので、「窓引き」といったのか。
四 料理人。
五 「鬼の拳」の意か。巻貝で形は握拳に似、また殻の表面が固くざらざらしているので、「鬼の拳」を連想したか。「さざえ」に古くから「拳螺」の字を宛てる例がある。また「おにこぶし」という巻貝の一種もある。
六 ばかばかしくて、あきれかえる。
七 でたらめな名をいったのだが、屁、睾丸(ふぐり)の連想があっておかしい。
八 衆人の評議がわかれて決しないところへ。
九 招待主。その家の主人。
一〇 膠(にかわ)を溶かす容器。当時、膠を溶かす時の容器に、螺の殻を使うことが多かったらしい。「にしのからには膠をとき」(狂、金岡)。
一一 医書は漢文で書かれているし、まだ初学なので、ゆっくりとしか読めない。
一二 理解できない。
一三 付箋。しるしのため付けておく紙。
一四 夫。
一五 不審の箇所に目じるしとして付けておく紙。
一六 なるほど、もっとも。「ナカナカ(然り、本当に等)」((パ))。
一七 ぴったりと。「身共が膠加減をとくと仕済まして置いて、片はしからひたくと着けて廻るに依つて」(狂、六地蔵)。
一八 世間に言い習わすこと。以下の二つの俗説、現在でも行われている。
一九 頬のさき。頬のあたり。
二〇 女陰。「ヘへ」(葡・パ)。「ベベ」とも。
二一 中世以来代表的な古典文学作品とされ、中世小説などでも文学の教養といえば必ずこの三種をこの順序であげる。一種の成語。ことに当時の女の人の教養は低かったので、かかる古典を読んでいたのは稀で、いかにも奥床しい感じがしたようである。たとえば浄瑠璃姫物語(十二段草子)に、浄瑠璃姫の教養の深いのをほめたたえて、「かなのうち、読みける草子はどれどれぞ、古今、万葉、伊勢物語、しらら、落窪、京太郎」。
二二 優雅な。
二三 お里はたいした財産のある家でなかったが。
二四 昔は身分のよかった人。
一 過失ということにして。
二 知人。懇意な人。
三 「べつに」に同じ。「ベチ、ベチナ、ベチノ」(パ)。
四 小さい杵。「古今」を文盲らしく誤る。
五 窓にかける菰。布製の帳でないところ、いかにも貧乏世帯らしい。「万葉」を誤る。
六 伊勢の国から産出する摺鉢。どこにでもある安物の世帯道具。「伊勢物語」を誤る。
七 出家した女子。尼僧。
八 悪ふざけ。もと無法・非道のことだが、悪ふざけ、冗談ずき、腕白などの意にも用いられる。「ワヤク、ワヤクジン」(パ)。
九 私有物から秘蔵物に転じ、更に転じて陰茎。「松茸のおゆるをかくす吉田殿わたくし物と人やいふらん」(上拾遺21話、八九頁)。
一〇 わざと太く勃起させて。
一一 寄り合った庵の主。
一二 何だかしらないが、虫のやつが。とぼけたのである。
一三 そこにある。
一四 よこしなさい。
一五 あわてたので、とぼけていたのを忘れて。
一六 もと仏語で障礙、魔の意だが、転じて僧侶の隠語で陰茎。更に一般語になった。「マラ」(パ)。
一七 勃起させる。
一八 そしらぬ顔。
一九 おのおの。各人で。
二〇 気がついた。
二一 うまいかどうかわかりませんが。
二二 九献は尼にふさわしく当時まだ女房詞。のち一般に酒の異名となる。「一、さけ、くこん」(大上臈御名事)。「クコン、酒(女詞)」(パ)。「婦人愛呼二九献こ(醒、五)。
二三 そのわけは。
二四 献盃の儀式に、三つ組の盃で三度ずつ三回やりとりすること。今も婚礼などではこの作法が行われている。
二五 盃の度数。
二六 本当。正式。
二七 相手の気持次第。献と同音の気根をかける。気根はもと仏語。相手の気持と共に精力の両意があり、これもきかせているのであろう。
二八 梅干の訛。当時既に一般語だが、尼だからわざと「梅法師」といった。「梅干をうめぽうしとはいふまじきことなれど、是等はくるしかるまじくや」(片言、四)。
二九 つぼ・涎が垂れる。
三〇 毛抜に同じ。古くから小間物として使われていた。「鑷子波奈介沼岐抜二取毛髪唱也」(和名抄)。
三一 明治以降も最近まで濁音。「センダク」「キルモノヲセンダクスル」(葡・パ)。
三二 陰核。
三三 困って。
三四 「はくらん」の気。霍乱(駛)の訛。「バクラン」(パ)。「霍乱(雛く)をはくらん」(片言、四)。だが、訛の「はくらん」の方が普通に行われていたようである。パジェスにも「カクラン」はない。霍乱は日射病、または炎暑の頃急激な吐瀉をおこす病。
三五 強く猛々しい。
三六 ここが大事とばかり必死になって。「専と」とも「先途」ともとれる。
三七 工夫をめぐらす。
一 ゆるめない。
二 蟹だから穴を望む。穴は女陰の隠語でもあるのをきかしている。
三 生きている人の怨霊で、祟りをするもの。死霊に対する語。
四 王朝時代から生霊などを調伏するのには祈祷が一般的な方法。
五 近所の山伏。山伏は、ことに祈祷の術を得意とする。
六 僧や修験道の山伏のもつ杖。上は錫、中は木、下は牙または角。頭は塔婆の形をなし、数個の環がついていて地を打つと音が出る。もと山伏が、山野で毒蛇・猛獣を恐れさすために用いたという。
七 とにかく。
八 片っ方の。
九 小便。多く女・子供にいう。
一〇 ひどく。
一一 まったく。
一二 誇張の面白みに加えて、山伏が滝にうたれる修行の連想をきかせている。
一三 祈祷師だから丁寧に敬語「お」を添えた。
一四 恐縮いたしました。「いたいた」は「致した」の音便。
一五 人妻の敬称。
一六 もげてしまう。「いぬ」は「行く」から、遂に…となる意の助動詞的役割をする。
一七 再三。しぼしば。この話、笑草に転載。
一八 鍼医。鍼は灸と共に漢方医学で重要な治療法とし、平安時代から行われていた。ことに織豊時代には入江・吉田の各流の鍼術がおこり、次いで御園意斎が各種の鍼を創案したりして、盛んになり、専門的に行われていた。
一九 あおむけに同じ。「アヲノケ」(パ)。
二〇 帯しばりの略。腰・腹の左右で、帯のあたるところ。よわこし。「ヲビシ」(パ)。
二一 夫。
二二 「ゆり」はもとは四段に活用。「醒」(広・狭)に類話。笑草に転載。↓補七五。
二三 門跡寺の住職だが、ここでは准門跡たる本願寺の法主をさすか。補一六〇参照。門跡寺は皇族や摂家以下公家の子弟の入室する格の高い寺院。
二四 まちがった言い方や訛の多い言葉を使う人。言葉の調わない人。「カタコト」(パ)。
二五 地震のかたこと。また地震がゆれるは重言になる。「ヂガユル」(葡)。
二六 「なゐ」のかたこと。「なゐ」は地、転じて地震。「ナエ、ナエガユル」(葡)。「なゐのゆるといふべきを、なへのいるといふは如何。地震のゆるとは有べし。ゆくといふはいかゞ。但ゆりもてゆく物なれば、ゆくとも云べし」(片言、五)。
二七 僧侶らしく、世が滅する(滅亡する)を、わざとふざけてかたことで言った。
二八 「醒」(広・狭)に類話。「醒」では三上山。笑草にも転載。↓補七六。
二九 食べきれるだろうか。「なる」は出来るの意から、食べきれる、飲み得るの意に用いられる。「聟殿はなると見えた。も一つ進じませい」(狂、岡太夫)。
三〇 どうであろうか。
三一 「とろろで麦飯を食うよう」など諺にもあるように、食べよいしうまいので食がすすむ。「醒」にも、とろろ汁だとよく食がすすむので、「よく飯(言)やる」から「ことつて汁」とするこじつけの話が載る。
三二 試みる。めざす。もと敵をつけぬらう意。「其儀成らばねらふても見ませうか」(狂、鱸庖丁)°
一 諺。子供は元気で寒風をいとわず戸外で遊ぶからいう。「醒」(広・狭)に類話。笑草にも転載。↓補七七。
二 理由がわからないと質問する。
三 利口ぶる。小生意気な。「コザカシイ」(パ)。
四 風がフゥフゥ吹くとしてもよいが、夫婦を同音の風々にかけたとするのが自然であろう。
五 文の終りにつけて感動の意を表わす終助詞。「鈍な奴の」(狂、吟じ婿)。
六 第五十二代の天皇(七八六-八豐)。桓武天皇の皇子。その治世は弘仁の治と称せられた名君。この話、宇治拾遺によるか。近松の浄瑠璃以下、しばしば近世文学の題材となっている。笑草に転載。↓補七八。
七 政治社会の事件や個人の言行に対する諷刺または嘲弄の意をこめた匿名の文。中世にはことにはやった。狂歌の形で行われたものが多い。「落書(らくかき)などゝ云は湯桶(控)こと葉にてもよしと云り」(片言、五)。
八 物識りをすべてみな集め寄せて。
九 解読する。意味を解きあかす。
一〇 平安前期の文官ですぐれた歌人、博学の漢学者として著名。参議岑守の子。遣唐副使の勅命にそむき隠岐に流されたが、召還され参議に進む。令義解の撰に加わる。太白星の子だとか、伝説の多い人物(;91-八垂)。
一一 天皇の名をかけ、嵯峨天皇がいなければいいの意。日本書紀・祝詞等の「不良」「性悪」「不祥」の古訓には、「さがなし」があててある。
一二 天皇。
一三 天子の怒り(韓非子)。
一四 落書を門前・戸外などに貼ったりして、人目にふれさせること。「ラクショヲタツル」(パ)。
一五 罪人を遠隔の地に送りその地に居させる刑。死刑より軽く徒刑より重い。
一六 かえって。「ケック(更に、または、かえって)」(パ)。
一七 物を知ってる、博学だというのならぽ。
一八 当時清音。パジェスにも「ムツカシイ」はあるが、「ムズカシイ」はない。
一九 工夫して。
二〇 猫の子の子猫。獅子の子の子獅子。この謎はその後も諸書に引かれている。
二一 愚かな。ぼんやり者の。「寒」に類話。笑草にも転載。↓補七九。
二二 もと譜代の家臣の若侍だが、一般に若い侍の意にも使われる。
二三 報告。
二四 御馳走。
二五 料理の品。
二六 汁物。当時のよい饗応では、二汁三菜、三汁五菜などと、汁物が二種以上出た。
二七 憚りがございますので。
二八 ふるえふるえ。畏る畏る。「ふるふ」は当時四段活用なので「ふるひ」。
二九 若様。子供を敬い、かつ親しんで呼ぶ語。
三〇 魔羅(まら)の上略。「玉茎麻良」(和名抄)。
三一 奥様のつび。上様は身分の高い入の妻。「つび」は「玉門 女陰名也、屎通鼻」(和名抄)。
三二 豊臣秀次(一五六八ー蓋九五)。関白在位は天正十九年(蓋九一)十二月-文禄四年(蓋九五)七月。
三三 将軍・大名などに近侍して話相手となる学識や経験の豊かな者、または頓智の才のある者。
三四 本姓は杉本、通称は新左衛門、甚右衛門、また彦右衛門という。もと泉州堺に住した刀の鞘師で、のち豊臣秀吉・秀次の咄衆となった。実在の人物だが、その頓智頓才を語る笑話が多い。仮託の話も多く、伝不詳。↓補八〇。
三五 夢で見た話を、さめてのち物語ること。「夢物語申すなり」(謡、八島)。
三六 もう少しで。
一 糞。多く小児が用いる。「ハコ(人糞)」(パ)。
二 たくさん。この話、他書には見えないが、雄長老狂歌百首には、「夢」の題で、「かねひろふゆめは夢にてゆめのうちにはこすると見しゆめはまさ夢」の歌があげてある。一般に行われていた話が、曾呂利新左衛門に仮託されたか。
三 大金持。「ブゲソ、ブソゲソ」(パ)。
四 当時、安産・長寿・病気平癒・火除・戦勝など、あらゆるものが祈祷された。戴恩記に、織豊期連歌界の第一人者紹巴の言として「われらが連歌にも奇特は有と覚る也。そのしるしあればこそ、人のおしむ金銀を給はりて、祈祷連歌をあつらへ給ふ方おほし」とある。
五 祈祷の連歌会などには、宗匠のほか特に何人か専門の連歌師をよぶのが普通。
六 金など使い果すこと。一文なしとなる。「上中下共に、金子を不レ持、すり切りては」(武辺談)。「スリキリ、ル、キッタ。スリキッタヒト」(パ)。
七 連歌の一座に参加する人員。
八 師匠の連歌師。これが付合などを考え、一座を指導して一巻をまとめ上げる。
九 主催者。一般に発句は主賓または宗匠、亭主が脇を付けるのが普通だが、ここでは祈祷連歌なので、願主であるその家の亭主が特に発句をよむ。
一〇 連歌の最初の句。
一一 旬意不明。底本「と」に濁点。九行整版「しこでうとて」。
一二 あまり下手で、句になっていないので。
一三 向い隣に住む連歌師が気の毒に思って。
一四 無学だが金持の優越感。
一五 たいへんな腹立ちのことだ。
一六 夫婦の交わり。
一七 味がわるいとされている。
一八 我に同じ。単数の時も用い、謙遜の意が加わる。
一九 非常に喜び。
二〇 私の夫。妻が夫を呼ぶ称。「是の人」の略。「これのは今夜、出雲の大社へ年籠りに行れて」(狂、節分)。
二一 閨房技巧の一。小枕は布畠に蕎麦がらなどを包んだ細長い袋。木枕の上に載せ、頭を受けるもの。
二二 やってしまった。
二三 出来ないので。
二四 一思案めぐらして。
二五 金属製の輪、または今日いう五徳で、鉄製の輪に角を三つたてたもの。なお、「かなわ」は、九行整版も「かなわ」だが、「かなへ」の誤か。「かなへ」なら釜で無理がなくなる。
二六 兄弟または姉妹。「おととえ」の転。「ヲト・イ」(パ)。
二七 荷物を中にして両方からかつぐ。「いざなかになふてまいらう」(狂、文荷)。
二八 佳境に入る。
二九 「帰った」の音便化しない形。
三〇 昼間行う男女の交わり。
一 女の子の名、かめ。「女」は女の名または女をあらわす語につけ、親愛の情をあらわす接尾辞。この話、笑草に転載。
二 目をさまそう。
三 どのようにして来た。
四 なぜ来たか。
五 母親は同じ言葉を父親と違った意味で使ったのだが、子供は実は起きていて、両親の会話を聞いていたので、こう答えた。
六 それぞれの家で頼む祈祷師は定っていたらしい。
七 京都市東北方、山城・近江両国の間に餐える山。東の中腹に天台宗の総本山延暦寺がある。天台宗は密教的で祈濤がさかん。
八 一山の寺務を総理する主席の僧侶で、特に延暦寺の長をいう。ここでは、比叡山には延暦寺の支配下に多くの寺院・宿坊があったから、その長をいうか。
九 僧侶を尊んでいう敬称。
一〇 男の子。「ヲノコぐ(男の子)」(パ)。
一一 法華経、提婆品第十二。
一二 女子が男に生れ変わること。法華経に、女は罪深くて成仏しがたいものだが、竜女が釈迦の教えにより男子となり、悟りを開いたとある。これを「変成男子」という。↓補八一。
一三 有力な大寺は多くの坊舎をもち、その場所にょって、上の坊・中の坊・下の坊とか、或いは萩の坊・宝蔵坊などとよぶ。ここでは山上の本寺から離れた下の方にある坊舎。
一四 お寄こし下さい。
一五 姉妹二人のうち、素質・能力の豊かな方を。「器用」は、素質・能力。
一六 「ななめならず」に同じ。たいへん。
一七 別々に。「ベチ〳〵ニ」(パ)。
一八 思う存分自分のものとして。「たくる」は奪いとる意か、或いは欲ぽってみな取る意の「たぐりこむ」の「たぐる」か。
一九 運命。仏語で、前世に犯した罪科の結果、現世でうける不幸。
二〇 どのように。
二一 それほど熱心に祈らなかったか。
二二 努力して。
二三 陰茎。多く子供が使う。
二四 植えつかなかった。
二五 京都市左京区吉田神楽岡町にある吉田神社の祠官を代々していた吉田家。神道の家柄として有名。ここでは兼見をさすか。兼見は兼右の子で、幽斎と従兄弟の間柄。
二六 わずらわしい。
二七 秘密。
二八 細川幽斎。一時長岡に住んでいたので、この氏を名乗る。
二九 はえる。
三〇 松茸の形をふまえている。新撰狂歌集に、長岡幽斎でなく、「ある人」とし、ほぼ同趣の詞書と狂歌が載る。「吉田殿より我山の初松だけをさるかたへをくり給ふとて、上様へもいまだあげさふらはず、御おんみつあれと申されければ まつだけのおゆるをかくす吉田殿わたくし物と人のいはまし」。
三一 はえると勃起するをかける。
三二 私有物、秘蔵物の意と、陰茎の意をかける。
三三 新撰狂歌集に類話。↓補八二。
三四 脈をみて。
三五 病気の時、服薬・治療の妨げとなる飲食物または行為を遠ざけること。
三六 この毒断の書付けを、親類の人が見ることもあるかと、医者が憚って。
一 かまわない。
二 たいへん重く。
三 病気が再発。「サイホッ」(パ)。
四 あきれた。何ともいいようがない。
五 女陰の異名。
六 相応の年齢の。
七 まったく。
八 女遊び。
九 手淫。「センズリ、センズリヲカク」(パ)。
一〇 旦那、若旦那に対して大旦那というごとく、若いかみさんに対し、その母である方を「大かみ」と言ったか。「おかみ」は人の妻、他家の老母の敬称。
一一 疑問に思って。
一二 貧乏なこと。
一三 三行前では「太」。
一四 豊かではないが人並みには。「トモカウモ」(パ)。
一五 主人が死んでからは。「これの」は夫。房事の意をきかせるか。「すぎる」には、死ぬと、し過ぎるの両意がある。
一六 御馳走が「ゴッソゥ」とつまった語か。
一七 夫に後れた婦人。「後家(Y)け)を、ごけい」(片言、三)。
一八 争う。
一九 争いが高じて奉行の所まで訴え出る。
二〇 語頭の「わ」を「は」と表記したもの。
二一 女の家に入ってその女の婿となる人。
二二 近所の人達。
二三 遠慮される。
二四 夫をもつ。「つま」は夫婦が互いに相手をいう称。
二五 淫奔な者。「イタヅラモノ」(パ)。
二六 わが夫。
二七 事の理非を御裁決下さい。
二八 いい年をしながら、一人前の分別のない。
二九 お恥ずかしい。女房詞(文字詞)。
三〇 正直に。
三一 夫婦にする。
三二 …から、こんな問題がおこったのです、の意か。
三三 親子を取調べても仕方がない。
三四 二行前は「太郎」。不統一。
三五 状況によっては敵方にも味方にも付く者を嘲っていう語だが、ここでは文字通り母親と娘との二股の意をかける。
三六 滋賀県大津市石山の真言宗の寺。王朝時代以来、最も尊崇された観音の霊所。天正のころ荒廃したが、秀吉の室淀君が寺領を寄付、堂宇を再修、徳川氏も寺領を寄付。豊臣時代・徳川初期に復興。「醒匚に類話。↓補八三。
三七 寺の起りやその霊験などを説いたもの。尊崇されかつ由緒ある寺だから、それぞれの堂塔仏閣に、いろいろの縁起がある。有名な「石山寺縁起」とは別。
三八 文章中の言葉。「モンゴン」(パ)。
三九 前に琵琶湖、後には奇巌のある峰を負い風景絶佳、石山の秋月は近江八景の一。
四〇 鎌倉時代の建造物で、わが国の代表的多宝塔以下、由緒のある堂や塔が多くある。
四一 仏の守護神である二王の像を安置した社寺の門。
四二 難波頼経の子雅経を祖とする公家の家で、代々和歌・蹴鞠・書道で有名だが、ここでは蹴鞠。↓補八四。
四三 蹴鞠の時、「あり、あり」と
互いにかけ声をかける。
四四 金持。前出はブンゲン。「ブゲン、ブンゲン」(パ)。
四五 最近作られた陶器。したがって由緒もなければ特に高価でもない。
四六 底本のママ。
四七 もと文学を好み風流な人を言ったが、織豊期ごろから、特に茶道を好む人、茶人を言うことが多くなった。
四八 表に格子を設けた、当時京都の商家一般の造り。
四九 お茶人だから一風変った壷に気をひかれた。
五〇 金本「ひろいか」。この方が意味が通り易い。
一 茶道で用いる台壷か。
二 困って。「代」は値段。
三 弱みにつけこむ意の手もとを見るをかける。
四 銭一千文を貫という。この頃では千貫は甚だ大金。
五 非常に驚いて。
六 そんなに値段がする物。
七 「いや、そんなら、こちらへ」と店の者が奥の方へ壷を引っぱる。
八 無理に抜こうとして引っぱるので腫れあがる。
九 「い」誤入。
一〇 万一、抜けてしまう前に。
一一 相手の数寄者は。
一二 遮られて。
一三 底本「わくん」。
一四 今成金。長者は金持。
一五 転宅。当時転宅を祝い、連歌の会などを行う風習があった。「これは先月わたましが有つたが、其時の発句であらう」(狂、連歌盗人)。「醒」(広・狭)に類話。↓補八五。
一六 「日」は同音の火に通じるから、わたましの連歌では禁忌。ところが祈祷連歌なので、亭主が発句をよむが、素人なのでこの禁忌を知らぬぽかりか、日(火)が軒端についてまわると詠んだのである。
一七 一座の指導者で、句を訂正する義務がある。
一八 「どうだ、うまく書き直せないか」と執筆の者に言ったのである。
一九 下手なため、すでに何回も訂正して、懐紙が「もう墨でまっ黒になった」と答えたが、これは、もう焼けてしまって炭になったと、不吉な意にもなる。
二〇 大したことはない。それでは、訂正の紙を脇につけるよりほかはない↓わき(隣家)に(火を)つける。執筆のみか宗匠まであわてて、禁忌の「つける」の語をつい言ってしまった。なお、「はやまつ黒…」が七七で、脇の句の形になっていることもきかせる。
二一 愚か者たちが会合し。「醒」(広・狭)に類話。↓補八六。
二二 助詞の「は」。
二三 糠のように空に散らばっている小さい星。
二四 「戯」「醒」に類話。↓補八七。
二五 気が短いので、値段と、脇差の寸法を合わせて言った。
二六 値段の三百と、長さの八寸とを、これも気が短いので一緒に言った。脇差は長さ八、九寸から一尺七寸くらいが普通。一寸は約三セソチ。↓補八八。
二七 京都東山にある大寺。↓補八九。
二八 おちぶれたやくざな僧。やくざな子、不孝の子を「敗子」というのと同じ。
二九 法衣は宗派により多少異なるが、ことに禅宗は中国風で特異。
三〇 禅宗の僧侶たち。
三一 いずれも歴々の寺の僧。「ゐ」は「い」。
三二 座席の順序。
三三 席に着く。
三四 各自の席が決っていることを。
三五 うろうろする。
三六 会場の世話役。
三七 へどもどして。
三八 治部卿は大徳寺のごとき禅宗の僧の名乗る名でない。
三九 すぐに引立て、追出された。仏事に加わって御馳走や布施を受けたかったのである。
四〇 浄土宗の分派、一遍上人が開祖。やや似た話が「醒」にある。
四一 中国。大国なので大をつけていう。
四二 「りう」は「りやう」の誤。金本「両きんさん寺」、学本「きんさん寺」。↓補九〇。
四三 「きん」はどの字を宛ててもいいが、「寒」「醒」に金蔵主の名が見える。↓補九一。
四四 衍か。金・学本になし。或いは「しゆきん」の誤で手巾か。
四五 あなた方は。
四六 南無阿弥陀仏と念仏ばかり唱える。
四七 念仏踊。時宗でははねたり踊ったり、また鉦を叩いて踊りをはやしたりして、念仏を唱える。
四八 何やら(女犯)したり。時宗の僧には妻帯が許されているので。学本「びくにをもつつ」。「つ」はもと完了の助動詞だが、動作の反復や並列の意を表わす。
四九 京都堀川通の東、西洞院通の西で、賀茂川から分れた小川からの地名。
五〇 五十嵐か。金・学本「いがらしとて」。「醒」にやや似た話。↓補九二。
五一 春屋宗園か。↓補九三。
一 伊勢の大神宮その他の大社に属する格の低い神職。家々により定った御師があった。なお神仏混淆の時代なので、御師でも日蓮宗の信者であり、禅宗の高僧も御師から伊勢の御札などを受けたりした。
二 諌言。
三 日蓮宗の根本法典たる法華経を敬いその信者となる。「いただく」は奉戴する。
四 私としても、特別満足致します。国師号を賜わるほどの高僧へ、御師風情がこんなもっともらしい言い方をしたのが滑稽。
五 「又」「右のごとく」というのは、底本で前に似た話(上41話、六五ページ)があるため。「戯」に類話。↓補九四。
六 元日の物忌(ものいまい)の作法の仕方や手順。
七 決して。
八 仏事をするという意味があるので忌む。「世俗、仏事をなすことを茶を立つると云ふ」(貞徳独吟自注)。
九 大服茶。元旦茶の湯に梅干・山椒を入れて飲む。
一〇 念入りに。
一一 丁寧に「お」をつけたが、「お茶湯」という場合にば殊に仏前の茶と湯との意になる。
一二 御枕。重病で起き上がれない意となるので、縁起がわるい。
一三 慈悲のある行いは、亡き人への回向。
一四 仏事供養。
一五 料理。
一六 寺の台所。
一七 金本「うを」。
一八 七一頁注三四参照。
一九 祝儀の礼儀作法。
二〇 山家なので、魚に乏しいから沢蟹や川蟹が出るだろう。
二一 必ず褌をはずして食べよ。
二二 底本「と」誤脱。
二三 細かい所まで。
二四 褌。蟹を食べる時に腹部の副甲を外して食べるが、これを俗に「ふんどし」という。聟は自分の褌と誤解。
二五 底本のママ。
二六 座中みな田舎者なので、作法を知らず、聟の作法を真似ていたので。
二七 主人であった人の未亡人。後室は身分のある人の未亡人。
二八 殿様がなくなられたので。
二九 身分ある人の宿所または邸宅。室町時代には大名などに一種の格式として屋形号なるものも与えられていた。
三〇 修理しなければなりません。お気の毒に。
三一 下に「ば」脱か。金本には「ば」とある。
三二 夫が。
三三 むちゃに。
三四 家邸を拡げたの意だが、未亡人の言なので、変な意味にもとれて滑稽。
三五 すぼめよう。「すぶ」は、すぼめる。
三六 前の旬の季が秋のときの付句として。
三七 内親王が斎宮または斎院に立つとき、斎戒のため籠る仮の宮殿。斎宮は嵯峨の有栖川、斎院は紫野の東。↓補九五。
三八 旬末を「ぬ」で止めること。発句以外では調子が切れて次の句がつけにくくなるから嫌う。
三九 いっそのこと。この付句、ぬ止りの誤に加え、謡曲「野宮」の文句をそのまま用いているので、さすがに宗匠があきれてしまったのである。
四〇 錠をかける。下手な句を再三直すから、出し入れしないように、という皮肉。「錠がおりた」(譬喩尽)は、万事終ったの意。
四一 「醒」に類話。↓補九六。
四二 居所(住居に縁のあるもの)・水辺(池・川・井戸など水に縁のあるもの)・人倫(人事に関係のあるもの).生類(動物)は、連歌で用いる言葉を分類する時用いる連歌専門用語。連歌師らしい言い方をたくむ。
四三 「醒」に類話。↓補九七。
四四 小穴。稚児の持物よりのあだ名か。「すばり」は窄りで、狭まるの意。一般化し男色の若衆をいう。「すばりのしり、付うひあな、たたぬ風呂」(尤の双紙、せばき物の品々)。
一 酒の飲めぬ人。
二 親が一緒に寺へ。
三 稚児の後見、世話役の場合が多いが、ここでは寺の坊官など上位の僧か。
四 わざわざ出迎え。
五 「松千代よ、早く帰って来たね。兵衛殿にはわざわざ付添って来て下さるとは、奇特なことで」。松千代は稚児、兵衛は父親の名であろう。
六 全く、私めも。
七 頂けません。「くださる」は進んで受ける。「酒…是非とも飲うでくされさしませ。夫れ程に仰せらるるほどに、下されても見ませうか」(狂、鱸庖丁)。
八 冗談。父親が、「すばり」を下戸のことと誤解していることが、法印にはわからないから。大人だが、小穴なので下されぬ(酒が飲めぬ意をかける)と、下手な洒落を言ったと思った。
九 あなた御一家の方は。
一〇 酒が飲める。
一一 或いは。
一二 記憶力。
一三 「すばり」は女にはいわないし、かつ元来穴が小さいの意なので滑稽。
一四 人の妻の敬称。
一五 非常に。
一六 とにかく御祈祷がいいだろうと。
一七 比叡山延暦寺の略称。天台宗も祈祷が得意。
一八 延暦寺の法印号を名乗る僧か。法印は山伏などの俗称にもなっているので、単に山門派系統の祈祷師を言ったのか。
一九 とても乗れない。
二〇 馬の口取り。「トネリ(馬の口を取る人)」(し丶ノ)。
二一 ひたすら。
二二 この話のころ、褌を手綱と言ったので(殿中日記等)、法印は手綱をしめよといわれたので、下帯をしめたのである。「手綱をばかかず袴はほころびて」(守武千句)。
二三 胸がどきどきする。
二四 馬は依然早く馳けて。
二五 「あゆむ」の訛。「アユミ、アユム、アヨウダ」(パ)。
二六 犬筑波集に殆んど同文が見える。↓補九八。
二七 連歌の時、宗匠や正客、亭主以下一座の者が最初に一句ずつ順次旬を連ねること。
二八 調合する。
二九 薬に名前や文章をつけ、その効能・使用法などを示すこと。
三〇 浅くて開いた摺鉢形の茶碗だが、また茶碗の汎称。
三一 三きれ°
三二 崑山集に、「しやうが三へぎといふ文字か帰る雁 貞徳」とある。↓補九九。
三三 無芸。とりえがない°
三四 御相談し、貴方の意見通りに。「ダンカウ」(パ)。 .
三五 紹巴の所へ相談に来た人の屋号であろう。「無心」はその号。伝不詳(無才の人の擬人名か)。紹巴は五三頁注二四参照。
三六 相当の年輩の相手を尊んで呼ぶ語。
三七 紹巴。連歌の懐紙などでは、二度目からは、ただ「巴」と書くのが普通。
三八 無才。不器用。
三九 人間が絶えてしまう。
四〇 「戯」に似た話。↓補一〇〇。
四一 平曲・謡曲を源流にした音曲語り物の一種で、室町末期から民衆の問に流行した新音曲。中で浄瑠璃姫物語(十二段草子)が好評だったので、浄瑠璃かこの種語り物の総名となった。「戯」に類話。↓補一〇一
四二 浄瑠璃姫物語の中で浄瑠璃姫の美しさをえがいた語。次の「迦陵頻伽の御声」と共に、中世小説以来の美人の形容の常套句。
四三 浄瑠璃姫の声の美しさの形容。迦陵頻伽は、極楽にいる声のよい鳥。
四四 いろいろとほめて語るのを。
四五 ひとえ物。
四六 「ほころび」の訛。「フクロビ、ホコロビ」(パ)。
四七 矢矧長者の娘で、東国へ下る途中の牛若丸と恋仲となった姫。「め」は名の下に加えて、罵しる語。
一 五百年以前。義経の少年時代の恋人だから、当時からすれば約五百年も前のことになる。
二 余計な嫉妬。わけのわからない嫉妬。
三 言う理窟があるなら、言わないでは我慢しない。
四 男色の方。
五 「デンブヤジン(身分卑しく粗野な人、田舎者)」(パ)Q
六 衆道のしかた。
七 いまもって。
八 夢中でとって食べたが。指先に唾をつけて何度も相手の物にさわるのを、食べているのかと誤解。↓X1011°
九 わけがわからない。「がてん」(狂、繩綯等)。パジェスには「ガテソ」はなく、「ガッテン」。
一〇 書物。絵本などに対して、正式な書物をいうこともあるが、ここでは書物一般。
一一 枕絵。春画。
一二 春画なのだから、文字は問題はないが、文盲のくせにしったかぶりをしてこう言った。
一三 この間。
一四 日蓮宗本門派の大本山。文禄年間から宝永年間まで、京都二条寺町にあった。
一五 世雄坊円智日性。要法寺の本地院にいた学問僧で、彼が中心となって多くの古活字版を出版した。これが要法寺版。↓補一〇三。
一六 書物の文字その他の誤を、てらし合わせて正すこと。学僧世雄坊が、春画など校合するはずがない。
一七 仕える。この話、多本の末尾に残るだけだが、この話のみ殊更滑稽味の全くない教訓話。
一八 絶えず緊張していること。
一九 仮病。「ツクリヤマイ」「サクビャウ」(パ)。
二〇 山里など静かな所に隠遁して住む家。
二一 隠遁し一人住みだから自炊。
二二 一日のうち、立ったり坐ったりした回数が。
二三 わが身を働かすのは。
二四 結局自分の身のため、つまりわが身に奉公するものだったのに。
二五 考えて。理解できて。
二六 気をゆるめず、精を入れて。
二七 主君の近くに侍して、重要な政務・仕事に参与する重臣。「シュットウシャ、シュットウニン」((パ))。
二八 「シッチンマンボウ」(パ)。珍しく高価な宝物が豊かなことの成語。もと仏語で、七珍は、金・銀・瑠璃・玻璃・碑礫・珊瑚・瑪瑙。
二九 もと自然の意だが、偶然の意となり、さらにここでは思いがけずの意。
三〇 全く。
三一 悪行の報いで餓鬼道におちた亡者。痩せていながら飲食できず、常に饑渇に苦しむ浅ましい姿。
三二 仏や阿弥陀仏の顔。極楽の主は阿弥陀仏。寂光は寂光土の略。仏のみが住む浄土。
三三 上2話(四七頁)参照。
三四 禁中。
三五 門番の人々。
三六 一千文。
三七 この立派な家の構えでは。
三八 住居、即ち主人の家。
三九 これこれだったと委細を報告した。
四〇 様子・勝手のわからぬこと。「ブアンナイ」(フアンナイはなし)(パ)。「ぶあんない」(狂、薬水等)。
四一 天子や貴人の病をいう。
四二 禁中の女房詞で、ほしわらび(禁中女房詞、大上臈御名之事)だが、パジェスにも、ほしわらびの意の「クロトリ」が載っているから、かなり一般に行われていた語らしい。
一 「笑いごと」をかけた洒落。
二 底本には、前に紹巴が九州の客を同道して行った話(下66話、一四二頁参照)がある。「醒」・犬子集・雑話抄等に類話があるが、旬や人名に異同。↓補一〇四
三 実隆以降、代々公家文人として栄えた三条西家。
四 俳諧の名人。↓補一〇五。
五 中世末期の代表的連歌師。↓補一〇六。
六 挨拶。伺候は貴人を訪れること。
七 愛知県東部。当時勢力のあった今川氏の根拠地。三条西家は今川氏と親しい。
八 伊勢物語で業平がここの杜若を詠んで以来、三河八橋の名物。紹巴も東国旅行の折に、わざわざ杜若を見に立寄っている(富士見道記)。
九 貧弱な。
一〇 「フバコ」(パ)。「ふみばこ」の略。書状などを入れて往復する細長い箱。
一一 貧弱なかきつばた↓痩せた餓鬼。
一二 実隆の号。実隆は当時公卿第一の歌人、源氏学者(一四至ー蓋三七)。
一三 餓鬼は飢渇に苦しむが、水を飲もうとしても飲めない。餓鬼と飲むと付合。また夏の沢水も杜若の付合だが、更に夏は水枯れになるので、餓鬼の水飲みの付合となる。
一四 蛇は飲む(呑む)、沢水の付合。餓鬼が地獄の獄卒に追われて逃げるの連想がある。帰る↓蛇に追われる蛙。
一五 発句・脇・第三を連歌・俳諧では特に重んずる。
一六 連歌や俳諧で百句連ねること。もっとも一般的な連歌の形式。
一七 俗語(俳言)が使ってあるし、内容にも滑稽味があるので、俳諧(滑稽な連歌、俳諧之連歌の略)となる。
一八 この話、後半やや異るが新撰狂歌集に載る。↓補一〇七。
一九 三好長慶(蓋二三i茎ハ四)か。↓補一〇八。
二〇 天皇が践祚後、帝位についたことを万民に告げる儀式で、中古より践祚と即位の別が定められた。年代からして正親町天皇の即位か。↓補一〇九。
二一 「シュギャウ(トリヲコナウ)」(パ)。当時三好家が天下の実権を握っていたので、即位の儀式の費用を調える勅命を受けたのである。↓補一一○。
二二 貧乏でみすぼらしい公家。「の」一字誤入。
二三 米粒を練って作る強い糊。同音の即位にかける。
二四 役にたたぬ。麦飯では続飯ができぬ。諺「麦そくいで役に立たぬ」。
二五 公家も、一般地下の人にも。「タウシャウトカニナミイル(内裏の御殿の上と下に座す)」(パ)。
二六 命、皇位、更に物をつなぎ合わせるの三つの意をかける。
二七 役にたたぬと、貧しいの両意をかける。
二八 ずっと放ったままにしてきた。「ねやす」は、続飯などを、練ってねばるようにする。「粘・黏跡ヤ」(運歩色葉)。「ソクイヲヲシ、ネヤス」(パ)。これに放って置くの意の「ねかす」をかける。
二九 無理して行うの意と、続飯を練る意の「おす」という語をかける。
三〇 かたちぼかり。底本「かたぎ」。
三一 などの幅(よをま`)と、威光・威勢(「時のはばにまかせて」甲陽軍鑑)をかける。
三二 上の「はぽ」の両意をうけ、即位に触衣(嗜下帯)をかける。
三三 これという才学や地位のない人が世間への見栄で。↓補一一一°
三四 茜各界で一流の人々。
三五 その歌会の様子は。
三六 論語の書始めの文辞。「のたふまく」は「のたまはく」の音便。「謂儲.ゝ名義抄)。
三七 字が読めなかったのである。
三八 後々までの。且九室町後期の禅宗の高僧。↓補一一二。
四〇 蘇東坡の詩の御前講義。↓補一一三
四一 長くなるの意か。或いは「なかば(途中)」の誤写か。学本にのみ載るが、この本は誤写が多い。
四二 霜腹気の宛字。霜などの降りる寒い夜におこる腹痛。
四三 腹具合。
一 体を折り曲げる。
二 御前の白い砂の敷いてある庭で放屁した。
三 気の毒に思って。
四 滑稽な発句。
五 月舟の名を和歌・連歌風にくずし、舟の縁で舳を出し、屁にかけ、更に【、うらみLに舟の出る浦見(海岸見物)、ならびに浦廻(蒐浦と同意)と、屁の出た恨み(残念さ)をかける。
六 和漢聯句のかたち。この句、「花、九重」と聯句としての姿が整い、月舟の号、一華に一過(放屁)、花と鼻、薫るに、花の香と屁、九重に、禁中と甚だ臭うとをかけた。各語すべて掛詞になり、意味にも無理がないすぐれた脇句(発旬につぐ句。これは、なるべくよくついた方がよい)である。かかる句が咄嗟に出たのだから、その才気に感嘆、名句として喧伝されたのであろう。↓補一一四。
七 道号の誤写か。道号は僧侶などが字のほかにつける号。月舟は一華。
八 質問。
九 おそれながら。
一〇 極めて上手の意で、和歌や連歌で最も一般的に用いるほめ言葉。
一一 秋の発句に春の脇をつけてはいけないのが常識。或いは何か故実か秘伝があって、これでよいのですか、と問うた。
一二 わかり易い事例で。「ミ・チカイ」(パ)。
一三 巻四、鵄にある有名な鵄退治の話。鵄は、「かしらは猿、むくろは狸、尾はくちなは、手足は虎の姿なり」(平家)という怖ろしい怪鳥。連歌もそのまま。↓補一一五。
一四 頼政の誤。源氏で三位の位に上ったので源三位という(=〇四1=八〇)。
一五 藤原頼長(一三〇
ー二五六)。平家では「宇治の左大臣」。保元の乱の張本人。宇治に別荘があった。
一六 ほととぎすの季は夏。雲井は、空と禁中とをかける。
一七 弓形をしている月。秋の季。弓で鵄を射たことをかける。なお、天正十八年本節用集には、「強月軆猷」とあるから、強弓の意もぎかせてあるのか。
一八 脇句は発句と同じ季語を入れるのが普通だが、脇句で季がなくてもいいという証拠になる実例。当時、古歌・古旬の実例の有無が、可否決定の議論の上で甚だ重んぜられた。
一九 同じく、平家に鵄の末尾にそのまま載る。
二〇 左大臣実能の男、後徳大寺左大臣実定の父。歌人でもあった。永暦二年(二六一)没。
二一 陰暦五月、梅雨のころの夜、月が出ない真暗な夜の闇。連歌用語では夏の季。
二二 薄暮。またさかりの年頃をすぎた頼政の境界をいう。
二三 感心、尊敬のあまり、仏神のごとく頭をたれて礼拝した。
二四 姓藤原。中御門家の一流。ここでは宗綱か。「醒」に類話。↓補一一六。
二五 「り」誤入。
二六 はじめは太政大臣と左右大臣、のち左右大臣と内大臣。
二七 准大臣。礼遇・格式が三大臣と同じの意。儀同三司(三大臣)の略。
二八 勢力家。堯松は松木の名をかける。引くは松にかけ、正月のめでたい初子の日に「子松ひく」の成語となると共に、引き廻される茶臼と同音の「上手」(取入りのうまい意)をかけるか。
三〇 表面上の歌意のほか、特別の意味。
三一 詩歌における作者の意図、趣向。
三二 将軍。
三三 足利十二代将軍足利義晴(一五一一-一五五〇)。大永元年(一五二一)より天文十五年(蓋四六)まで将軍。だが、或いは十代義稙(在位蓋〇八ー蓋三)、恵林院の誤か。↓補=七。
三四 南北朝の時。南朝方は足利将軍の擁する北朝方に追われ、吉野に行在所があった。
三五 室町幕府の職名。「くわんりやう」とも。「クワンレイ」(運歩色葉)。将軍を輔佐し幕政を掌る。
三六 底本「ふたたり」。
三七 六人と、秩序のないの意の「むったと」を形容詞的に用いて「むたり」にかける。「ムッタト(無雑作、不完全、秩序なく)」(パ)。
三八 誠仁親王。一〇六代正親町天皇の皇子。一〇七代後陽成帝・智仁親王の御父。天正十四年(一五八六)七月二十日没、三十五歳。
三九 半井瑞策か。↓補一一八。
一 将棋用語で、王の駒が取られて負けるのを「つむ」という。これと帝の崩御とをかける。
二 平安末期歌壇の第一人者(111四-三〇四)。
三 「鶴の林」は釈迦の入滅をいう。釈迦入滅の時、臥していた沙羅双樹の林が、忽ち鶴のごとくなったという(涅槃経)。釈迦は八十一歳(二月十三日)で死んだので、八十一歳の俊成が、「たちおくれぬる」と述懐したのである。なお、この歌、ほかに「寒」に載るが出典不詳(俊成の家集「長秋詠藻」以下に見えず、また、俊成の作品とすべき証を知らない)。↓補一一九。
四 他の諸本には、かかる小題なし。学本にもここ一ヵ所にしかない。
五 病気になることの古典的表現。
六 思いがけず。
七 身に覚えて折々したが。
八 死後成仏するように、善行をしたり、仏道に励むべきだったのに。菩提は悟り、つまり悟って仏となって極楽へ行く。
九 「後の後悔、先に立たず」(今昔物語集他)の古くからの諺をふまえる。
一〇 生前、深く信頼・帰依していた僧。
一一 地獄には釜があり、これで罪人を煮るという。すれば、この僧は破戒僧だったのか。
一二 極楽は光明かがやく明るい世界だが、地獄は真暗闇だとされていた。
一三 田舎でのことであろう。
一四 尼。
一五 熱いかぬるいか加減をみようと。
一六 庄屋の長男。庄屋は、土地の者で、その領主の命により村方の行政事務を統べるもの。
一七 かがむ。うずくまる。倨は踞に通じる。「倨、箕座也、通作/踞」(正字通)。
一八 風呂焚を命じた尼。尼寺の住職なので方丈様といったのである。方丈はもと禅宗で長老の住居の部屋だが、転じて住職、また師の尊称。
一九 自分が先に入ったので。
二〇 住職の尼に仕えている尼。恐らく若い尼なのであろう。蔵主はもと禅宗で経蔵を司る重い僧職、または首席に次ぐ僧の称だが、一般に僧侶をいい、またこの場合のごとく僧の名の下につけて用いる。
二一 陰茎。
二二 寺の門前に住む庄屋の長男の名。
二三 仏宗の一派。一遍上人が開祖。
二四 交わりをしようと。
二五 ただ一人使っている下男。
二六 すぐに。
二七 比丘尼を比丘ということもある。
二八 文末にあって感動をあらわす。「お留めやれいのう」(狂、入間川)。
二九 もと仏語で、法会などで、僧が教理について討論すること。転じて一般に議論する。ここでは交互に声を出すかけ合いを、わざと仏語を用いて論議と言った。
三〇 お比丘尼の略に「ん」を添えた、敬愛の意をこめた呼び方。「おびんおりやるか」(狂、泣尼)。
三一 酒の代を誰が払うか。「サカテ」(パ)。「ナシ、ス、ナイタ(払う)」(パ)。
三二 三重県南部の巨流。三重・奈良の県境に発し、宇治山田市の北を貫き、伊勢海に注ぐ。流程約八〇キロ。昔は宮川といい、下流に柳の渡、桜の渡、磯の渡という三渡があった。
三三 橋も舟もない川で、浅瀬をえらび、旅人などを背負って渡すことを職業とする男。
一 心のけがらわしい老か。
二 美しいので、尼僧かと。
三 びっくり仰天して。「うろたへ」の訛。
四 あなたの女陰。
五 まらの誤写か。「大にら」はらっきょう。
六 笑いながら、軽くたたきあった。
七 年少の尼。
八 お願いしたいことがある。
九 全然わからない。
一〇 この頃まだ清音か。
一一 「キョゥコツ、キョウコツナ(不埓な、ばかげた、軽卒な)」((パ))。
一二 腰巻。
一三 地面の上で。
一四 はじめに。
一五 甚だしく。「いかし」の連用形「いかく」の音便。
一六 南無阿弥陀仏の名号を唱え、往生を願う宗門の人々。融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・時宗など。
一七 なまぬるい。僧としての修行がなまぬるい。
一八 京都市左京区岡崎町、もと栗原丘と呼ばれた地にあった新黒谷。ここに源空が浄土宗を開いた。
一九 熊谷次郎直実(二璽i三〇八)。頼朝の将で剛勇で鳴ったが、のち新黒谷の源空の門に入り、蓮生坊となった。その荒い修行は有名。
二〇 法華経を根本とし、禅定と智慧の調和を宗義とする。
二一 累(「る」の万葉仮名)の草字の誤写か。とすれば「ぬるい」。
二二 天台宗の本山比叡山延暦寺の三塔の一。円澄の創建にかかる転法輪堂を中心に、椿堂・常行堂・法華堂・恵亮堂・元黒谷青竜寺などの総称。
二三 義経に従うまで叡山西塔にいて、武事を好んだ。
二四 ということだぞ。「す」は「ぞ」の誤写か。言い切りの助詞。
二五 天台・真言の二宗をいう。
二六 日本真言宗の開祖(七七四-八三五)。能筆かつ学問のあるのでも有名。
二七 栃木県南部の都市。鎌倉初期に学問所が創設され、のち永享年間上杉憲実が儒書と領田を寄付して再興、慶長年間までさかん。戦乱の当時、金沢文庫と共に唯一の学校。
二八 新たに発心して僧になった者。ここでは、少年の僧であろう。
二九 教義について問答・討論すること。
三〇 あまること。「過剰」などという漢語を動詞化して使ったところ、いかにも若い学生らしい。「クワジャウ」(パ)。
三一 機智。頓はすみやかの意,作は工夫・思案。
三二 ここでは教授・学者の意か。或いは学監の誤か。
三三 悪いいたずら者。「アクダウ(アシイ、ミチ)」「アクタウ(アシイトモガラ)」(パ)。
三四 気絶。
三五 気付け薬。
三六 柄杓つくり。檜の薄板で作り、水を汲む。これも当時専門の一職であった(職人尽絵合等)。
三七 滋賀県の首都大津市。東西交通の要衝で早くから栄えていたが、豊臣氏以来舟運船株の制を許され、湖上の支配権を握り、京都へも浜大津から舟運があり、ここから京都へ進出。
三八 商家で屋号などを染め、店頭に垂らす幕。もと禅宗で簾の面を覆い、日光をふせいだ布帛なので、「のうれん」とよむ。「ノレン」(パ)。「暖簾〃ご(饅頭屋本節用)。
三九 「天下一(の名人で)大津(出身の)柄杓屋」の意。なお当時、職人が天下一の名をつけるのが流行。↓補一二〇。
四〇 京の者ども。
四一 天下一大きい女陰の借屋。
四二 よんだ。当時一般的な訛らしく、パジェスにも「ヨミ、ム、ヨウダ」とある。
四三 自慢すべき。「テガラヲツクル(傑作を作り高名を得る)」(パ)。
一 成語。上下こぞって多く集まる。「クンジュ、クンジュスル」(パ)。「群集いたいた」(狂、泣尼)。大げさな表現。
二 「〓」は「莖」の略字。陰茎。「白馬茎 アヲキウマノマラ」(醫心方)。「玉茎麻良」(和名抄)。茎物(中国語)。
三 我慢し易い(男色の交わりの時に)。
四 誤写があるか、意味不明。
玉 後世の笠付のごとく、「のぼらぼや」の上五句に各々が七五をつけ発句に仕立てるあそび。木のぼりして山桜を手折る。
六 幼い稚児らしく、広い原でかけまわり遊びたい。若紫は紫草の異称。夏白色の小花を開く。
七 新しく僧侶になった者らしく、里が恋しいので、里の風情を連想。
八 詩歌文章を作ること。古くは「さくもん」とよんだが、この頃は一般には既に文字面のごとく、「さくぶん」とよんだのか。
九 大盛の飯。「醒」に類話。↓補一二一。
一〇 食べる。「マイリ、ル、マイッタ(高貴の人が食べる、飲む)」(パ)。稚児は恋愛の対称だったためか、謡曲はじめ、その動作には敬語が使われることが多い。
一一 稚児に付添って世話をする係の人。多く三位、治部卿などと称す。
一二 汁。飯に添えて出すので「おつけ」という。
一三 「にらめよ」の訛。
一四 むしゃむしゃ。無作法にぽくばく食べるさま。「なぎ…三十筋ばかり、むずむずと折り食ふ」(宇治拾遺、二)。「ムズ〳〵ト」(パ)。
一五 嫉妬する。やきもちやき。
一六 男色の対象の少年。男色の交わりは痛い。
一七 自分の身にひきつけて、誤解したのである。
一八 寺入りする。寺は多く山にあったので、寺入りを登山という。この意、一般の辞書類には見えぬが、パジェスには、当時の世相、初等教育の実態を反映し、次の説明がある。「トウザン(ヤマニノボル、子供に読み書きを習わせるため寺へ入れること)」。
一九 男色をうけすぎると痔を患う。
二〇 正気がないほどふらふらである。
二一 総取締役の坊官であろう。真言・天台などの大寺では、坊官たちは大てい法印号を有していた。
二二 稚児の後見役、係の者。
二三 ひどく叱責する。「折檻鑛」(運歩色葉)。
二四 普通には、なめる、しゃぶるの意だが、取りついて離れぬことを「しゃぶりつく」というごとく、「骨までしゃぶり尽す」意か。
二五 けしからんこと。
二六 誓いをたてる時のきまり文句。照覧は明かに見る意から、神仏が御覧になること。
二七 特に山王大士。山王の神。滋賀県坂本の日吉(ひえ)神社の別神。
二八 ぬく時に。「さま」は、当時清音。
二九 肛門のあたりに生える毛。「尻毛を抜く」(他人の油断に乗じ、事をなしておどろかせる意)をきかせるか。
三〇 「シ・(子供の小便、女詞)」(パ)。ここでは尻から出た液体をいうか。
三一 衆道で珍重された。「つび」はもと女陰だが、ここでは稚児の尻。
三二 余計な事。
一 この話、犬筑波集・「醒」などに類話。↓補一二二。
二 「さる」(例の)を猿にかけ、だから木に上るとかけた。
三 猿といわれたので、その縁で仲の悪い犬。また犬には、犬蓼・犬桜・犬侍など、似ていて非なるものを卑めていう意をきかせている。
四 句の仕立て方になお工夫の余地がある。
五 「醒」にやや似た話。↓補=一三。
六 餅は丸くまるめてあるから、その形と、また音が通うことから望月(満月)にかけた。
七 畳の下に隠したので。
八 禅家で大衆に食事を報ずる役僧。のち有髪の侍童の称。髻を結び、残りを後に垂らし、美服をまとい、お白粉を粧う。僧の恋の対象。↓補一二四。
九 甚だ深く。
一〇 あれやこれやと、さまざま品を変え。
一一 喝食は少年だから、可愛らしい玩具。
一二 ろくに見もしない。
一三 源信上人自筆の。横川は滋賀県坂本町にある。比叡山四谷の一。根本中堂から約四キロの横川谷の奥にある。古く天台座主第四代円仁が居たところ。源信上人がここに住み、横川の僧都とよばれた。
一四 不詳。三体詩か。三体詩は、唐代の詩人の作を七言絶句・七言律・五言律の三体に分けて編纂した書。
一五 「と」誤入か。
一六 不明。装幀か。
一七 或いは。
一八 心がひかれる。「此僧なつかし」(芭蕉書簡)。
一九 急いで。はやく。或いは「とりに」の誤写か。
二〇 生れ故郷は和泉国(大阪府の管轄地)。
二一 暦の上でめでたい日。辰は朝。婚儀はじめ元服・剃髪などの儀式にはめでたい日を選ぶ。
二二 有髪の喝食姿を改め、髪をそり、受戒し、僧となる。俗間の元服のごときもの。
二三 後に若衆歌舞伎の禁で、前髪を落し野郎頭にしたように、髪が魅力だったので、これを剃った姿には魅力を感じなくなった。
二四 この間の。
二五 いやいや。生返事の語。
二六 不明。仮りの本、つまり立派な真跡本でなく装幀もしてない粗末な写本の意か。
二七 仏道を修行する人。ここでは廻国修行中の旅の僧であろう。「醒」に類話。↓補一二五。
二八 道の途中で。「ロシ」(パ)。
二九 鷹狩に出た大名が。中世には将軍・大名の鷹狩が流行。「鷹野からすぐに参つたとおしやれ」(狂、引敷聟)。「タカノ、タカノヲスル」(パ)。
三〇 気に入った。
三一 食事を差上げよう。斎は僧侶の食事。
三二 そこそこにあるあの家。「そんぢやう」は下につく語を強める。「そんじやうそこへうつくしひおちこさまのやどをとらせられた」(狂、老武者)。
三三 お召上れ。
三四 どうでしょうか(相手が信用しないかもしれませんが)。
三五 小柄(こづか)。腰刀にさしそえた小刀。
三六 証拠の品。
一 殿様が自分のお屋形(貴人の住宅の称)に帰って。
二 細く切った紙に字を書き、物の標などにする。これより和歌など書く細長い料紙。寸法は歌道の家により異るが、幅一寸八分(約五・五センチ)、長さ一尺二寸(約三六センチ)くらい。また、ひねりぶみをもいう。「タンジャク」(パ)。「片言」にも「たんじゃく」をよしとする。
三 意味。
四 歌の種々の体のうちに。
五 一つの言葉を、一字ずつ歌の各句の最初において読むのを冠、各句の末尾に読みこむのを沓といい、両者を併せたのを、沓冠という。右の歌の各句の最初の字と、末尾の字を順次にならべると、「こがたなたしかにをく」の意になる。沓冠という技巧を用い、証拠として預った裏差(小刀)をたしかに返しておくの意を沓冠によみこんでいながら歌として無理がないところ、甚だ才智に富んだ歌である。
六 趣。
(以上、「きのふはけふの物語」上)
最終更新:2017年01月09日 22:52