一、文選と活字
(一) 文選とは
活版印刷作業のうちで、第一に着手するのは文選である.文選はちょっと見ると単純な作業であるけれども、印刷物のまちがい(いわゆる誤植)の大部分は、じつに文選のまちがいに基づくものであることを思えば、活版印刷の基本作業として、最も重要なものであると言わなくてはならないり
漢字はその数がひじょうに多い。従来わが国でつくられた漢字活字は、字母帳に載っているのが八千五百を越え、ふつうの印刷物に用いられていた漢字だけでも五千字以上ある。この文字の数の多いことが、わが国の文化の発達を遅らせた原因のひとつであることから、長い間にいくたびか企てられた漢字制限がようやく軌道にのって、当用漢字千八百五十字(ほかに人名用九十二字、補正二十六字)の設定に成功し、さらに進んで略字が普及され、今ではそれが正字として使用されることになったのは、印刷作業にたずさわるものにとってまことに喜ばしいことである。しかし、いまでも、小説や随華などで「歴史的かなつかいでなくては文章の味が出ない、新送りがなにいたっては言語道.断、絶対反対」などとがんばっているあまのじゃく先生もあるので、印刷所にとっては略字や新字体の使用がそれだけ漢字の増加となり、かえって職場を煩雑にする結果をしばしば見せている。まことに困ったことである。
文選とは、この五千余種の活字の中から、熟練者ならば一時間に千二百字以上の速度で、原稿のとおりに文選箱(←12㌻)の中へ、活字をあつめよせる作業である。これを「ひろう」あるいは「採字」と言う。
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それには、この五千余種の活字が、活字ケースの中に、どのように配列されているかということを、よく知っていなくてはならない。すぐれた作業者は、じつに、五千余種の活字の配列をことごとくそらんじている。なんという字のつぎにはなんという字があるか、たとえば、卩(ふしづくり)の「印」のつぎは「危」であるとか、〓(立刀)の「刷」のつぎは「刹」であるというように、ほとんど全部にわたって暗記している。したがって、「出張字」(←7㌻)などは、見なくても手が自然にそこへゆくのである。このすぐれた文選作業者も、使用漢字の制限とモノタイプの発達普及につれて、だんだんへってゆく傾向がある。やむを得ないことではあるが、喜ばしいこととは言えない。
(二) 活字の大きさと書体
文選でも植字でも、活字をあつかう作業の基礎知識として、活字の大きさとその書体についてひととおり知っている必要がある。
活字についてのくわしい記述は、別に書物があるからそれによることとして、ここでは必要限度に説明するにとどめる。
活字の大きさ
活字の大きさを表わすのに、これまで二つの標準があった。そのひとつはポイント系である。一インチの約七十二分の一を単位として、これを一ポイントと言い、十ポイント・九ポイント・八ポイントなどと言って、大きさを表わしている。他のひとつは号数系で、初号・一号・二号……七号・八号と言った。しかし、昭和三十七年に制定された規格では、その号数呼称を廃してポイント呼称のみとし、旧・新号数系の活字は、大きさをポイントに換算して、たとえば五号は一〇・五ポイントとよぶことになっている。
ポイント系と号数系 ポイント系の大きさと、号数系の大きさとの比較は、つぎのべージの表に示すとおりである。すなわち、初号は四十二ポイントにほほひとしく、六号は八ポイントにほぼひとしい。
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初号=42ポイント
36ポイント
一号
24ポイント
二号=21ポイント
18ポイント
三号=16ポイント
四号
12ポイント
五号=10.5ポイント
10ポイント
9ポイント
六号=8ポイント
7ポイント
6ポイント
七号=5.25ポイント
4.5ポイント
八号=4ポイント
活字の大きさ比較表
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和文の活字は、前ページの表に示したように、ふつうの活字としては初号(四十二ポイント)が最も大きく、八号(四ポイント)が最も小さい。八号には、かなと数字のほかにわずかの漢字があるだけである。
このほか、六号の中に、新六号というのがあって、かなり多く用いられている。これは八ポイント格のなかに字づらだけを小さく鋳こんだものであるから、つぎの例のように字間がすいて見える。
[例] この行は新六号で組んだものである。
このポイント系と号数系の大きさは、それぞれその単位を異にする。したがって、たとえば、本文を九ポイントで組み、見出しを五号ゴシックで組むと、五号は一〇・五ポイントだから、その差一・五ポイントを調節するのに困る。このような不便に、いく十年もの長い間なやみながら、ポイント系にふみきることもできない印刷所が多かった。そこで、このなやみを解決するために、印刷業界の一部で考えついたのが、つぎの新号系活字である。
新号系活字 これば五号活字の八分の一の厚さ(○・四六一二八五ミリ㍍)を単位として、これを一Sと呼ぶ。すなわち、四Sは七号と等しく、六Sは六号(八ポイント弱)とほぼ等しい。
これによれば、ひとつのぺージの中に大きい活字や小さい活字を用いたために生じる各行間の差を調節する場合に、いまの五号標準のインテルで支障なく行な
新号系活字の大きさ
(略)
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われる。したがって、植字技術の面から見れば、まことに能率的であると言うことができる。ただ、現在用いられている活字の大部分、ことに市販の欧文活字の大部分が混植できなくなるのが難点であろう。
活字の書体
活字の書体には、上段に示すようにいろいろ異なる種類のものがある。そしてつぎに述べるように、それぞれ用途に応じて適当な書体が選ばれるのである。
みん(明)朝体 活版印刷物のほとんど全部に用いられているのがこのみん朝体である。長い年月の間に次第に改善され、洗練された現在のみん朝体は、特殊な美しさをもち、太い縦の線と細い横の線とがよく調和して、画〈かく〉の多い漢字を読みやすくしている。これがその地位を決定的ならしめた埋由であろう。また、横線の終わりにあるセリフ(三角づめ)が、字形を判別する上に効果的であることも、見のがすことのできない特徴である。なお、近来みん朝体の細形のものが現われているが、あまり細いものは横線にきずがつきやす
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く、そして視力を書するおそれがある.また、欧文活字とまぜて組む場合にも、釣りあいがとりにくい。
ゴシック体 この書体は、横線と縦線との太さがほぼ同じで、強く印象的である。見出しあるいは特に目立たせる必要のある部分に用いられる。ゴシック体はゴジックまたはゴチックとも呼ばれる。
清朝体 毛筆がきのかい(楷)書体で、よい書体である。かつて教科書に用いられたこともある。そのはじめ、発売元の弘道軒が他の模倣を恐れてか、号数活字の大きさに合わない特別な大きさに作ったので、普及性に乏しく、現在では手紙とか名刺などのはものに用いられる程度にとどまっている。
教科書体 検定教科書用として、第二次大戦後につくられたものである。清朝体よりもいっそう洗練されて、すっきりした書体である。清朝体にかわって、手紙や名刺その他のはもの用として多く用いられるようになった。
隷書体 かつては漢籍の序文などに用いられたものであるが、いまは用いる範囲もせまく、まれに名刺に用いられるくらいなものである。したがって、隷書体の活字を備えてある印刷所もごく少ない。
そう(宋)朝体 この書体は、昭和六年、名古屋の津田三省堂が、シャンハイから輸入、改刻して売り出し、はものの印刷や雑誌の見出しなどに多く用いられるようになった。戦争によってしばらく延びなやんだが、現在復旧しつつある。この書体は縦長のものと真四角のものと二種類ある。
太がな みん朝体の平がな・片かなを肉ぶとにした書体である。ゴシック体よりいくらか柔らかい感じがするので、子供のよみ物などに多く用いられる。またときにはゴシック体漢字の間に交えて用いられる。この書体はアンチックとも呼ばれているが、それは適当な名称ではない。
活字の書体には、以上のほか、丸ゴシック・行書・草書・てん(篆)書などもあり、また、謹賀新年、暑中御見舞、大売出しなど、特殊な装飾文字もあるが、古
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めかしい感じもするし、使用範囲はきわめてせまい。
(三)活字の配列
当用漢字が制定されて、漢字の制限と略字の使用とが一般に普及された今日、文選場の活字の配列は、相当に改善する必要がある。これはすでに発表されている二、三の改革案によってもわかるし、また筆者も一私案を発表し、かつて実行したこともある。しかし、いまなお大部分の印刷所が旧来の配列法のままで、文選見習い工を戸まどいさせている。
本室
文選場の活字の配列は、本室と出張との二とおりに分類されている。本室というのは、漢和字典にしたがって、約五千種の文字が、画数の少ない「一、|、ゝ」からはじまって、画の最も多い「龍、龜、龠」に終わる二百二十あまりの部首別のうちに、それぞれ画数の順に並べて、縦二八・八センチ㍍(九寸五分)、横三九セソチ㍍(一尺三寸)、深さ二センチ㍍(六分)の、第1図のような三段または四段のケースに、字づらを外にむけて収めて置くものである。
本室のケースは、九ポイント十六字詰めならば六十五行四段である。このケースに使用度の少ない字は一行、使用度の多い「上、下、中、人、事」などは十行くらいずつ入れてある。平均すると三行ずつくらいで、それが五千種で約一万五千行になる。これを前記のケースに収めると六十枚弱となるが、これは印刷所の規模と設備の大小によって差鑑があるのはもちろんである。
大出張と小出張
活字の数は、前に述べたように、八千五百字以上あるが、ふつうの文章に用いられる数は三千字を越えない。最も
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多く使用される字は二千字内外である。これは漢字制限の行なわれるよりずっと前からのことである。この事実に基づいて、印刷所では文選の作業を能率的にするために、使用度の多い文字だけを特別に集めたケースを用いている。これを出張〈しゅっちょう〉と言う。その中で特に使用度の多い
上下不主中(之)事(云)人今以付代
何来例入内(其)出分前(又)及受取
可同名各合間国場大外多如子学
定家実対小少居度彼後得御必思
意成我所政教数文新方(於)是時書
最会有本業様(此)氏民法無然為物
理現生産用田当発的相知社私種
立者義(而)能自至若英処行要書
記話説論語諸議通道部郎長間関
附非面題余体高
などのうちから、適当に取捨して収めた一枚のケースを「大出張」と言い、つぎに使用度の多い八百字くらいを収めた四枚を「小出張」と言う。そのほか、そこの印刷所特有のしごと、たとえば語学・医学・化学・数学などのために特別の「出張」もつくられる。
〔注〕 括弧をつけた之・云・其・於・此・而は当用漢字以外の表外漢字である。これらは当然大出張から省くべきであろう。出張のケースは印刷所によって多少ちがいがある。
また、出張字であっても、外字(出張字以外の、使用度の少ない字)であっても、あるいは画数がちがっても、部首が異なっていても、つねに連続して用いられることが多い字は、それをまとめて並べて置くほうが能率的である。たとえば
受取、喧嘩、姉妹、徘徊、慚愧、憤慨、慇懃、挨拶、桎梏、沙汰、矛盾、袈裟
のような語である。
そでケースとかなケース
平がなの濁音や半濁音、数字あるいは「昭・和・年・月・日・東・京・都・市・区・町・村・丁・目・
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番・地」とか、「第・条・章・号・等・節」など、特にまとまって多く使用される文字を収めたケースをそで(袖)ケースと言う。第2図のようなものであるが、実際はもっと多くの行数の文字がはいっている。ことに「が」と「で」は、ひじょうに多く用いられるから十行くらいずつはいっている。
平がなケースには、第3図に示すように、三段のケースに右から「い・ろ・は」の順で「ん」までの清音がはいっている。しかし、現在でもケースの終わりへ「〓(こと)」を入れているところもある。
片かなのケースは、四段のケースの上三段へ平がなと同じように「イ」から「ン」までを入れ、下の一段へ濁音と「ー」を入れることになっている。
ケースの並べかたとケース台
文選場のケースの並ベかたは、その工場の広さや設備の大小によってだいぶちがう。しかし、前に述べた木室六十枚を例にとると、六人から八人が作業できるようになっている。文選の作業は、一組の
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出張ケースによって二人が作業できるようにケースをならべる。これを「二人立ち」と言って、第4図に示す配列がそれである。この配列から、左右どちらかの出張二列を省いたものが「一人立ち」である。
〔注〕 小出張の1と2との順をちがえて置くのは、1のほうが2よりも多く使用されるから、いくらかでも手近かに置く意味である。
大出張二枚、小出張五枚、平がな二枚、片かな二枚、そで二枚、特別出張七枚、以上二十枚一組が二人立ちである。そしてこれの三組または四組を、本室の間へ適当に配置するのである。しかし、これを縦に四枚ずつ並べると約十五メートル幅の面積を要し、作業能率の上からもよろしくない。そこで、文選場の面積を縮小するとともに、作業能率を高めるために、本室から出張字を省いて、外字(使用度の少ない字)だけを収めておくのが、近ごろはふつうになっている。そうすることによって、実に、本室のケースば十五、六枚でたりることとなり、したがって文選工が作業する場合
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第4図 二人立ち出張ケースの並べかた
第5図 馬
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に動く範囲がせまくなるので、能率の点からも好結果を来たしている。
このケースを並べる台を、俗に「馬」と言って、高さ約一四六センチ㍍(四尺八寸三分)、横幅一六五センチ㍍(五尺五寸)、ケースをのせる斜面一二〇センチ㍍〈四尺)につくってある。縦四枚、横四枚、つごう十六枚のケースを並べることができて、どこへでも移動させることができるから便利である。しかし、地震などで転覆した例もあるので、近ごろは工場設備の充実にともない、鉄筋でつくって、がんじょうに建て物に取りつける向きが多い。
文選箱とセッテン
文選箱は、内のり七三×一四六ミリ㍍(二寸四分×四寸八分)、深さ一八ミリ㍍(六分)の木製の箱で、この中へ、九ポイント活字ならば二十三字×四十六行が、また八ポイント活字ならば二十六字×五十二行がはいるようになっている。
この文選箱は用途がすこぶる広い。文選場ばかりでなく、植字場でも、解版場でも、活字鋳造部でも、およそ活字をあつかうところではすべて文選箱を必要としている、、
セッテンは、亜鉛けいまたは黄銅けい(←37㌻)を切ってつくった薄い板で、文選箱へ活字をそろえて入れるときに、すべりをよくするために用いるものである。
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最終更新:2017年01月18日 16:55