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難易度



 マスタリングを行う上で頭を悩ませる事の1つに、難易度の設定がある。本項では、難易度の設定に関する具体的なコツや手法について述べるよりも先に、難易度そのものに対する考え方と、それに向かい合う姿勢について述べて行こうと思う。

 そもそもTRPGの難易度とは、ゲームを遊ぶ上で行う手応えの事です。これが高ければ高い程、PCが払うべき努力は大きくなり、その分だけ成功した時の喜びが大きくなる。しかし、それでは常に不安が付き纏う。これはダイスを振る際の固定修正値が如何に大きくなろうとも、それでもダイスを振ってみるまでは結果は分からない部分(=未来が予測できないドキドキ感)を味わう事が、TRPGを行う大きな楽しみの一つとして存在するので、逃れようのない構図であり、変える事のできない宿命だ。

 この宿命に少しでも抗う為に、ダイスロールによる不確定要素を無くしてトランプカードによる固定値を用いたルールを採用したシステムもあるが、それは一か八かに賭けるという試みを行う事が難しく、ゲームは偶然的要素によるドラマ性を失い、全てはプレイヤーが選択肢を選ぶだけの確認的作業になります。更に、成否が既に分かって居る状態でPCに行動をさせる事になるので、シンクロ率は著しく下がって茶番に成り下がりる。(例:絶対成功するとPLが分かっている状態で、PCに「この攻撃を放てば俺は死ぬかも知れない」…なんて台詞を吐かせる。等) 従って皇国物語ではダイスを振る要素は残しつつ、PLがここぞと思う所でPCに成功させやすいように名声値ルール(ヒーロー・ポイント制)を導入している。だが、それでもTRPGを行う事、その中で冒険に出たり数々の危険に立ち向かう事は、やはり大きな不安が付き纏う。難易度が高い程に、その不安は大きくなるだろう。PLにとって最も恐ろしい事は、通常はPCロストであり、そのPCへの感情移入が大きい(シンクロ率が高い)程に喪失感も比例して大きくなる事は容易に想像できる。

 そこで希望を抱き、冒険意欲に満ちてガンガン活動できるPL(及びPC)であった場合は何の問題も無いが、そうで無かった場合は引き篭もって家から出ない事をPCに選択させたくなるかも知れない。だがTRPGに於いて求められるのは「無関心」や「ことなかれ主義」ではなく、「お節介」や「チャレンジ精神」である。そもそも、現実世界では味わえない非日常を味わおうとするTRPGに於いて、PLが本当に「普通の日常世界がしたい」だけならば、それは一般人のNPCコモナーで遊べば良く、遭遇する難易度も、せいぜいが台所に出るゴキブリや、ネズミと戦う程度の事で良く、巻き起こる事件もお祖母ちゃんのメガネが紛失した程度の事で構わない。この時、PLとしては「ガンガン冒険をさせたい」と思っていても、PCが「普通の日常世界がしたい」と強く願っている倍もあるだろう。だが、それはGMがPCの意志に反して(PLの意に沿って)事件に巻き込んでくれるので何の問題も無い。

 勿論、日常の中の非日常を扱う事もあるし、冒険三昧の日々で合間に日常パートを挟み込むという事も、世界観を満喫し、PC達に守るべき大切な何かを認識させる為に重要である。それと戦闘特化で性格設定に問題がある様なキャラクターにとっては、日常パートに於ける平和な日常生活を無難に過ごしたり、誰かの誕生日プレゼントを選ぶ、等の些細な行動の方がプレイ難度として逆に高くなる場合もあるので、プレイスタイルに偏りがある場合にも処方箋的に、或いは単に気分転換として用いる事もある。

 いずれにせよ、世界に散らばった様々な問題の一つを解決するのはPCであり、他にNPCの英雄が居たとしても、その歴史の焦点とも言える転換的ポイントで真に重要な役割を果たすのはPC達であるべきだ。仮にその挑戦が失敗に終わったとしても良い。何故ならば、立ち向かったという事実は残るので、次に続く者達(ロスト後の新キャラ含む)に何かしらの影響を与えるのだから。


 神は真実な方です。あなた方を耐えられない試練に会わせる事はなさいません。(コリント人への手紙第一 10章13節)


 こんな聖句があるが、TRPGの世界でGMは神以上の存在(なにせ神格もコントロールする)なので、PCには解決不可能な状況を遭遇させたりもするだろう。しかし、一時撤退や再挑戦、挫折からのリベンジも含めた長期的視野で見る事をお勧めする。PLにとって成功すると分かっている挑戦(そもそも挑戦と言わない)が面白くも何とも無いように、GMにとっても失敗すると分かって居る試練(それは試練ですらない単なる苛め)もまた面白くもなんとも無いのだ。




 結論:「難易度の高さは、GMがPLに対して抱く期待値の大きさである」




















最終更新:2021年08月28日 04:17