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リアリティ



TRPGに於けるリアリティとは?

 それは、その世界が一つの現実的世界として感じられるか否かであって、「ドラゴンは現実に存在しないから、ファンタジー世界には、リアリティが無い」…と言うのは大きな間違いで、単に「現実(リアル)」と、「現実性(リアリティ)」を混同しているに過ぎない。この現実性という単語は、「現実感」に置き換えても良いのだが、要するに、その空想世界、幻想、フィクションが、納得するに足るか否かである。

 ではリアリティが無いという批判の例えとして、「ドラゴンは身体の重量に比べて翼が小さ過ぎて、これでは飛行生物として不完全だから、リアリティが無いのでは?」と言った空想科学的な質問は、先述の指摘より少し妥当である。これに対して先ずは、竜は飛行生物である以前に魔法的な生物であり、魔法の力が宿っているからだと回答するとしよう、それは世界設定に既に魔法の存在が組み込まれているから成立する回答だ。魔法そのものは確かにリアルでは無い。だが、納得性という観点で言えば、その世界では十分に通じる内容である。

 しかし、ドラゴンはアンティ・マジックフィールドの様な魔法力が抑制される範囲内でも飛行する事が確認されている。こうなれば、魔法的な生物だからという理由が持つ納得性が薄らいでしまう。実際、その様に力説していた学者達も、現在では竜の飛行能力が魔法由来であるという点に関して否定的である。

 結局の所、ドラゴンの飛翔能力及び、そ飛行特性は竜特有の肉体構造や、代謝作用による所が大きい。ドラゴンの体重は、同サイズの完全に陸生であるクリーチャーに比べて軽い(実際にDATA上でもそう扱われている)ものであり、その筋肉、特に飛行を可能としている筋肉は特別に強力であり、ドラゴンの身体を宙に浮かび上がらせるだけの力を翼に与えている。ドラゴンが飛行する際の一番の問題は、離陸方法であって、ドラゴンは可能なら高い所から飛び立つのを好む。それが駄目な場合は、翼と同様に強力な尾を下方に叩き付け、そして後ろ足で体を押し出して空中に跳躍する事で、離陸しようとする。

 一旦、竜が浮かんだならば、一見した所ゆっくりで威厳ある羽ばたきによって空中に留まる。翼は羽ばたく毎に驚異的な揚力と推進力を生み出す為、ドラゴンはその惰性で暫くの間は進む事ができる。飛行する為のエネルギーを蓄える為、上昇気流があれば、それを利用する。適切な状況下であれば、竜は殆ど労力を使わずに数時間に渡って舞い上がる事ができる。

 ドラゴンは、その尾を方向舵として用いて、半径の大きいゆっくりとした旋回を好む。もっと急激な飛行動作が必要な時は、その頭と尾を旋回する為に用いて、翼の形状と羽ばたき方を変化させる。また、開口部が狭い谷の隙間等を越える際には、単に翼を折り畳んで勢いで通り抜ける事もする。

 一部のドラゴンは、ホバリング能力で、空中に留まり続ける事が可能である。その際に生まれる強烈な下降気流を武器として用いる竜も居る程だ。更には宙返りを行って現在の高度を変える事無く、180度の円弧を描いて旋回する者も居る。

 一方、竜の雛は大人に比べて筋肉の発達が未熟な為、それほど雄大に空を飛ぶ訳ではない。彼らの翼は小さく、宙に浮かぶ為には猛烈に羽ばたく必要があるのだ。その飛ぶ様子は蝙蝠に似ている。

 …以上の様な内容が、TRPGに於けるリアリティである(笑)


リアリティの必要性

 その世界が実在するであろう。実在するとしたら、きっとこうであろう。…という現実感、これは世界を楽しむ上で欠かせない要素であると同時に、世界設定に組み込まれたリアリティそれ自体が面白い。故にリアリティは必要である。

 また、リアリティは世界に用意したルールの一貫性を保証するものであり、例えば物理法則は皇國物語の世界でも、地球上でも等しいものとして扱っている。これは、リアリティを構築して行く上で、「リアル」そのものが基盤となる事が好ましいからである。自身がリアルとして認識している所から、少しずつ拡大して非現実世界に現実感を持たせて行くのである。この様な徹底的なリアリティ追及の姿勢は、TRPGの世界を彩り豊かに、より楽しく、面白く、実体験に近い感動を与えてくれる一助となる。


シンボライズとリアリティ

 しかし、TRPGは仮想現実を楽しむ側面の他に、ゲームとして機能する部分が存在する。それがシンボライズである。これは、リアリティとは無関係に存在するゲーム的要素である。例えば、ダガーによるダメージが1d4で、ロングソードが1d8というルール設定は、リアリティも何も無い。そもそも人間の初期筋力が、3~18という数値で表現される事も、HPという数値も、全てリアリティとは掛け離れている。

 これらは象徴化(シンボライズ)であり、ゲームを円滑に、且つダイナミックに進行させる為のゲーム的なルールに則った数値である。従って、これらの要素は登場PC達の会話に登場させては為らない。「そのロングソードなら1d8のダメージを与えられるから、HPが6しかないゴブリンを一撃で倒せるかも知れない」なんて台詞は完全にNGである。

 しかし、これらのゲーム的なルールは、象徴化であるに過ぎず、現実的な要素を簡略化したに過ぎない。従って表面的には、リアリティと掛け離れている様に見えるが、決してリアリティの真逆に位置する様な、相反する要素では無い。

 ちなみに、キャラの立ち絵もシンボライズの一環である。


リアリティの分類

 ルール:これはシンボライズ化が適切であるか否かである。ロングソードが1d8のダメージを与えるのに対して、ダガーが、5d6のダメージを与えるなんていうルール設定は、ルール的なリアリティを逸脱している。

 世界観:その世界に於ける物理法則、自然、社会、その様な設定の全てが、リアルを基盤とし、リアリティが上手に加味されているか否かである。基本的にゲーム本来の進行とは無関係な所で拘った方が、リアリティの演出としては上手に行く。例えば、学園の規則だとか、細かい街の地図だとか住所、家紋だとか、周辺要素である。

 行動と心理:その世界に於ける人物、PCとNPCが、納得できる行動原理に基づいて行動し、発言しているか否かである。如何にルールや世界観がリアリティを有していても、ここでリアリティに掛けると、途端に全てが嘘っぽくなってしまう。それは例えば、現実世界を舞台にした小説でも、登場人物の心理描写や行動が不自然で、作者の都合に合わせて作為的に動いていると感じた場合、その小説は一気にシラケてしまう事に似ている。現実世界を舞台にした小説ですらそうなのだから、幻想世界を舞台にした皇國物語では、より気を付けて行きたいものである。何より、この登場人物の意志決定と行動選択こそが、物語の根幹であり、最も楽しい部分なのだから。


ステレオタイプ

 余談として、キャラクターのステレオタイプについて少し言及する。いわゆる、典型的なキャラクター造形の事である。この類型化された観念は、時に使い易く、時にリアリティを欠落させる要素と成り得るので気を付けたい。このステレオタイプという考え方は、正確さに欠ける部分はあっても、高い正確性と合理性も有しており、それが人口統計学的特性、学業成績、性格、行動、性別、国籍、人種、社会階層、民族、政治的所属に基づいている場合は特に信憑性が高い。

 皇國物語においては、一般的なドワーフは守銭奴でケチで疑り深い、大抵のオークは好戦的、エルフの殆どは思慮深いが悠長が過ぎる。ハーフリングを見たら財布を確認しろ。この様な事例は、ステレオタイプを上手に取り込んだ例である。この様なステレオタイプは、唯一個性であるキャラクターを創造する時に、基準値として有効に機能し、世間一般がそうだけど、こいつはこう。と云った個性付けの目安になる。




 結論:「それでもリアル最優先。人生を楽しもうぜ」
















最終更新:2021年10月04日 21:31