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哲学者Alvin Plantingaは言った「科学は超自然を排除するな」と


認識論・形而上学・宗教の原理で著名であると同時に、反進化論でも有名な哲学者Alvin Plantinga先生の一般人向け(といっても、むつかしい)記事を、Discovery Instituteが紹介している。

Alvin Plantinga: 1932年11月15日ミシガン州生まれ。認識論・形而上学・宗教の原理で知られるアメリカの哲学者で、現在はJohn A. O'Brien Professor of Philosophy at the University of Notre Dameである。職場はカトリック系大学だが、本人はカルバン主義である( wikipedia )。現在理解されているような自然選択では生物に外界を正しく認識できる能力は生まれないと主張している。ただし、それは哲学的議論の上での主張なので、簡単に手を出せるものではない。

で、そのAlvin Plantinga先生が、科学と宗教を扱うScience and Theology Newsに2006年3月7日付で「 Whether ID is Science isn't Semantics 」というインテリジェントデザインを支持する記事を書いた。

Science and Theology News は学術誌ではないので、そこそこ一般人でもわかる内容を書いているもよう。内容は、2005年12月20日に判決の出た Kitzmiller v. Dover Area School District (ドーバー校区のインテリジェントデザイン裁判)の 判決文 について。
論点は幾つか挙げられているが、最重要点は「インテリジェントデザインは科学か否か」である。

After a searching review of the record and applicable case law, we find that while ID arguments may be true, a proposition on which the court takes no position, ID is not science.

超自然に言及しても反証不可能とは限らない

記録と適用できる判例法の綿密なチェックをした結果、インテリジェントデザインについての議論は正しいかもしれないが、法廷がインテリジェントデザインを科学ではないとした命題は成り立たないことがわかった。

これから、Plantinga先生は、インテリジェントデザインが科学であることを明らかにしていく。

The judge gives at least two arguments for his conclusion that ID is not science. Both are unsound.
First, he said that ID is not science by virtue of its "invoking and permitting supernatural causation."
Second, and connected with the first, he said that ID isn't science because the claims IDers make are not testable --that is verifiable or falsifiable.
The connection between the two is the assertion, on the part of the judge and many others, that propositions about supernatural beings -- that life has been designed by a supernatural being -- are not verifiable or falsifiable.

裁判官は、インテリジェントデザインが科学ではないと結論する2つの論拠を提示した。しかし、それらはいずれも正しくない。
第1は、インテリジェントデザインが超自然の原因を使用・許容しているの科学ではない。
第2は第1とつながっていて、インテリジェントデザイン支持者が行う主張は試験不可能、すなわち検証不可能か反証不可能なので、インテリジェントデザインは科学ではない。
生物は超自然の存在によってデザインされたという超自然の存在について命題が検証不可能もしくは反証不可能であるというのは、判決における、この2つをつなげることは根拠のない断言である。

ここでPlantinga先生は、超自然への言及しても反証可能である例を示す。
For example, the statement "God has designed 800-pound rabbits that live in Cleveland" is clearly testable, clearly falsifiable and indeed clearly false. Testability can't be taken as a criterion for distinguishing scientific from nonscientific statements. That is because in the typical case individual statements are not verifiable or falsifiable.

たとえば、「神はクリーブランドに生息している800ポンド(363kg)のウサギをデザインした」は明らかに検証可能であり、反証可能であり、実際に反証される。検証可能性は、科学的記述と非科学記述を分離する基準としては使えない。何故なら、これは個々の文は検証不可能あるいは反証不可能である典型例だからだ。
[強調はKumicitによる]

神に言及したにもかかわらず、反証可能な文になっている。

  1. 「800ポンド(363kg)のウサギがクリーブランドに生息している」は反証可能
  2. 「神は存在している」は反証不可能
  3. 「神はそのウサギをデザインした」は反証不可能

だが、全部つなぐと「神はクリーブランドに生息している800ポンド(363kg)のウサギをデザインした」という反証可能な文になるのだと言っている。
そして、もう一例をあげる。

As another example, the statement "There is at least one electron" is surely scientific, but it isn't by itself verifiable or falsifiable.
What is verifiable or falsifiable are whole theories involving electrons. These theories make verifiable or falsifiable predictions, but the sole statement "There is at least one electron" does not.

「電子が最低1個存在する」は確かに科学的だが、これ自体は検証不可能もしくは反証不可能。
検証可能もしくは反証可能なことは電子にまつわる理論全体である。これは理論は検証可能もしくは反証可能な予言を作れるが、個々の文「電子が最低1個存在する」はそうではない。

電子については正しそうだが、超重量級ウサギの話はちょっと変。
「神はそのウサギをデザインした」は反証不可能なので、ウサギで勝負するしかない。ウサギの体重を減らして、「神はクリーブランドに生息している4ポンド(1.8kg)のウサギをデザインした」にすると、反証不可能になる。

この鮮やかなすり替えによって、Plantinga先生は:
In the same way, whole theories involving intelligent designers also make verifiable or falsifiable predictions, even if the bare statement that life has been intelligently designed does not.

Therefore, this reason for excluding the supernatural from science is clearly a mistake.

たとえ、「生命がインテリジェントにデザインされた」が反証不可能であっても、同様に、インテリジェントデザイン理論全体では反証可能な予測をつくれる。

従って、科学が超自然を除外するこの理由(反証可能性)は明らかに間違いだ。

と結論する。

少なくとも「体重1トンの人間をデザインした」は反証可能だが、「体重0.1トンの人間をデザイした」は反証不可能だと思うのだが。


方法論的自然主義は誤りである

自然科学は、自然哲学の取扱商品のうち目的・意義・価値などをはずして、機械論だけを取り扱う専門商店にしたもの。メカニズムの解明たる機械論が取り扱えない超自然もまた対象外。というのが普通の理解なのだが、Plantinga先生はこれを否定する。

Reference to the supernatural just can't be part of science. This idea is sometimes called "methodological naturalism."

超自然への言及は科学には含まれない。この超自然の除去は方法論的自然主義と呼ばれる

まず繰り出されるのは「科学」という言葉の定義に、「方法論的自然主義」はないという主張。

Michael Ruse, a philosopher of biology, said in his book Darwinism Defended: "The Creationists believe that the world started miraculously. But miracles lie outside of science, which by definition deals only with the natural, the repeatable, that which is governed by law."

生物哲学者Michael Ruseは"Darwinism Defended"という本で「創造論は奇跡による世界の始まりを信じている。しかし、自然の、再現可能な、自然法則に支配されるという科学の定義において、奇跡は科学の枠外である。

Do Ruse and the judge really mean to suggest that the dispute can be settled just by looking up the term "science" in the dictionary? If so, they should think again. Dictionaries do not propose definitions of "science" that imply methodological naturalism.

Ruseと判事はほんとうに辞書で"科学"という言葉を引けば論破できると意味するのか?そうなら、考え直すべきだ、辞書の科学の定義には方法論的自然主義を含むとは書かれていない。

So this definition of "science" the judge appeals to is incorrect as a matter of fact because that is not how the word is ordinarily used.

判事が主張する"科学"の定義が正しくないのは、普通の用法と違うからだ。

誰も、OEDの記載内容など始めから言っていないのだが。

ここはPlantinga先生もジャブを一発なだけで、本論はこれから。

続いての主張は「Newtonは超自然に言及した」:
Newton was perhaps the greatest of the founders of modern science. His theory of planetary motion is thought to be an early paradigm example of modern science. Yet, according to Newton's own understanding of his theory, the planetary motions had instabilities that God periodically corrected.
Shall we say that Newton wasn't doing science when he advanced that theory or that the theory really isn't a scientific theory at all?

Newtonはおそらく近代科学の最も偉大な創始者だろう。彼の惑星運動の理論は近代科学の初期のパラダイムの例と考えられる。しかし、Newton自身の彼の理論についての理解は、惑星運動の不安定性を神が定期的に補正しているというものだった。これで、Newtonが理論を発展させたときに科学をやっていない、あるいは理論はまったく科学的理論でないと言えるだろうか?

これも見事な例示だが、 wikipedia によれば:
これに対し、ニュートンは万有引力の法則を提示するに留め、それをもたらす原因について論じる必要はないとする、新しい科学的方法論を提示している。神の行いについて、人間の持つ理性では理解不能であるという思想を背景としたものであったが、このような方法論は合理的な近代科学の礎となるものであった。
理論を作った人が超自然を思っていようが、理論は記述されたかどうかがだけが問題。
そして、次は科学の定義を辞書ではなく、まじめに問う。まず、幾多の科学の定義を並べ立てる:
Jacques Monod, the author of Chance and Necessity, says that science precludes any form of teleology.

Other proposed constraints are that science can't involve moral judgments ? or value judgments, more generally ?
...
Scientific theories must in some sense be empirically verifiable and/or falsifiable; scientific experiments must be replicable; science can study only repeatable events; and science can't deal with the subjective but only with what is public and sharable.

"偶然と必然"の著者ジャック・モノーは、科学は目的論を排除すると言った。
また誰かは、科学は道徳判断や価値判断を含まめないと言った。
...
科学理論は経験的に検証・反証可能でなければならない。
科学事件は再現可能でなければならない。
科学は再現可能な現象しか対象にできない。
科学は主観を対象にできない
そして、いろいろあって完全な答えは誰も知らないだろうと主張して
the following seems sensible: The usual dictionary definitions suffice to give us the meaning of the term "science". They suggest that this term denotes any activity that is: (a) a systematic and disciplined enterprise aimed at finding out truth about our world, and (b) has significant empirical involvement. Any activity that meets these vague conditions counts as science.

以下が有意味だろう。通常の辞書の定義で"科学"の意味は十分だ。この言葉は次の活動を持つ:
(a) この世界の真理を見つけることを目指す系統的・規律的活動
(b)重要な経験的事実を持つ
これらのあいまいな定義に合うものは科学とみなされる
Now how does this work out with methodological naturalism? Well, there are some scientific activities that are indeed constrained by methodological naturalism. The partisans of methodological naturalism are endorsing or promoting those scientific activities and recommending them as superior to scientific activities not so constrained. But of course there are other scientific activities Newton’s, for example that are not so constrained.

方法論的自然主義でうまくいくのか?確かに、いくつかの科学的活動は実際に方法論的自然主義に制約されているだろう。方法論的自然主義の味方はこれらの科学的活動を宣伝し、それほど制約されていない科学に対して優位性を主張する。しかし、もちろんたとえばNewtonのように、制約されていないものもある。
さきほど「"Newtonの思い"を万有引力の法則に含めることで、万有引力の法則を超自然への言及あり」と主張したPlantinga先生。ここでそれを使う。

そして、これまでの主張がなくても成立する結論を、格調高く述べる:
For example, if you exclude the supernatural from science, then if the world or some phenomena within it are supernaturally caused -- as most of the world's people believe -- you won't be able to reach that truth scientifically.

Observing methodological naturalism thus hamstrings science by precluding science from reaching what would be an enormously important truth about the world.

It might be that, just as a result of this constraint, even the best science in the long run will wind up with false conclusions.

たとえば、科学から超自然を除外したら、世界の大半の人々が信じているような超自然の原因による世界あるいは現象があったら、科学的に真理に到達できなくなる。

方法論的自然主義を見ることは、従って、世界にとってきわめて重要な真理であるものに科学を到達できないものにしてしまう。

この制約の結果、長きにわたる最良の科学であっても、間違った結論にひずませるかもしれない。
そもそも機械論たる科学は、自然法則の外側である超自然を記述できない。言及しようがしまいが同じこと。どっちにしても科学的には"超自然の真理"に到達できない。そのときになったら、別な手段を作ればいいと思うのだが。