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Luskinは語る「インテリジェントデザインは神の議論ではない」と


大学にインテリジェントデザインを広めるためのサイト IDEA CENTER に、現在はインテリジェントデザインの本山たるDiscovery InstituteのスタッフをつとめるCasey Luskinが「インテリジェントデザインは神についての議論ではない」という記事を載せている ( Is Intelligent Design Theory Really an Argument for "God"? )。

Casey Luskinの主張というよりは、インテリジェントデザインの主要メンバーの執筆物からの引用が主な記事である。 有神論"の復活を語るStephen Meyer など神を議論する人々が多いなかで、Casey Luskinは何を提示したか?


インテリジェントデザインの教科書「Of Pandas and People) 」

創造科学の教科書として執筆された後に、全置換でインテリジェントデザインの教科書になった本" Of Pandas and People "からの引用:

"If science is based upon experience, then science tells us the message encoded in DNA must have originated from an intelligent cause. But what kind of intelligent agent was it? On its own, science cannot answer this question; it must leave it to religion and philosophy. But that should not prevent science from acknowledging evidences for an intelligent cause origin wherever they may exist. This is no different, really, than if we discovered life did result from natural causes. We still would not know, from science, if the natural cause was all that was involved, or if the ultimate explanation was beyond nature, and using the natural cause." (Of Pandas and People (2nd ed, 1993), pg. 7, emphasis added)

科学が経験に基づいたものであるなら、DNAにエンコードされたメッセージがインテリジェントな原因であると、科学は我々に語る。しかし、それはどのようなインテリジェントエージェントだろうか?これについては、単独では科学は答えられない。科学を離れて哲学と宗教に移らなければならない}。しかし、そのことは、インテリジェントな原因起源の証拠が存在すると思われるところならどこでも科学が探求することを阻むものではない。それは、生命が自然の起源であると発見すること、まったく違いがない。自然の原因がすべてであったのか、超自然の究極の説明があって、自然の原因を使っていたのかは、科学ではいまだわかっていない。}

Casey LuskinはこれでOKだと考えていうようだが、もちろん間違い。


  • 科学は機械論であって、自然法則というメカニズムの解明のみを取り扱う。超自然は取り扱い対象外。「まだわかっていない」ではなく、永遠に関知しない。超自然について語るのは宗教・哲学・形而上学。
  • 「DNA がインテリジェントな原因を持つ」とは「自然法則に従う進化では実現不可能」という意味。しかしこれは悪魔の証明で原理的にほぼ不可能。「バクテリアの鞭毛は進化では説明できない」と自信を持って主張していたが、進化経路が見つかってしまった。「今のところ、進化で説明がつかない」と「進化では実現不可能」を同義にできるのは、科学の論理ではなく、信念のみ


「神様の正体に触れなければ科学である」あるいは「超自然そのものについて論じなければ、超自然を原因にしても、科学である」とLuskinは考えているようだが、それは"特定宗教"ではないと言っているだけ。既にその前に機械論たる科学ではなくなっている。特定宗教が政治に介入することを禁じる政教分離の原則を突破できるかもしれないが、そのことがインテリジェントデザインを科学であると証明するものではない。

さらに、Luskinは引用を続ける。

"Surely the intelligent design explanation has unanswered questions of its own. But unanswered questions, which exist on both sides, are an essential part of healthy science; they define the areas of needed research. Questions often expose hidden errors that have impeded the progress of science. For example, the place of intelligent design in science has been troubling for more than a century. That is because on the whole, scientists from within Western culture failed to distinguish between intelligence, which can be recognized by uniform sensory experience, and the supernatural, which cannot. Today we recognize that appeals to intelligent design may be considered in science, as illustrated by current NASA search for extraterrestrial intelligence (SETI). Archaeology has pioneered the development of methods for distinguishing the effects of natural and intelligent causes. We should recognize, however, that if we go further, and conclude that the intelligence responsible for biological origins is outside the universe (supernatural) or within it, we do so without the help of science."(Of Pandas and People (2nd ed, 1993), pg. 126-127, emphasis added)

確かにインテリジェントデザインはの説明は、理論からは答えのない問いを含んでいる。しかし、答えのない問いは、いずれの側にもあるが、これは健全な科学にとって不可欠なものなのだ;それは研究対象範囲を定義する。問いは科学の進歩を妨げた誤りをあらわにする。たとえば、インテリジェントデザインを科学に位置することは、百年来の問題となっている。これはすべて、西洋科学に属する科学者たちが、一定の規則に従った感覚の経験で認識できるインテリジェンスと超自然を区別できないことによる。今日、我々は、現在NASAによる地球外知性の探査(SETI)のように、インテリジェントデザインの主張が科学と考えうることを認めている。考古学は自然現象と知的原因を識別する方法を創始した。しかしながら、我々がさらに前進し、生物の起源を説明するインテリジェンスが宇宙の外側(超自然)であるか否かを結論するとしても、それは科学によるものではないと認識すべきである。

Luskinが強調した部分は非常にまっとうなものである。まったく正しい。
問題はその手前にある「一定の規則に従った感覚の経験で認識できるインテリジェンスと超自然を区別できないことによる。」という点だ。

  • そもそも、インテリジェントデザイン理論の根幹は「デザインを経験的に検出できる」という"前提"を置くこと。だが、その方法は、「今のところ科学で説明できなくて、かつ意味ありげ」を判断基準にするもの。それは主観でしかない。
  • 「一定の規則に従った感覚の経験で認識できるインテリジェンス」が自然法則の外側に想定している以上は、それは超自然なのだが。

"The idea that life had an intelligent source is hardly unique to Christian fundamentalism. Advocates of design have included not only Christians and other religious theists, but pantheists, Greek and Enlightenment philosophers and now include many modern scientists who describe themselves as religiously agnostic. Moreover, the concept of design implies absolutely nothing about beliefs and normally associated with Christian fundamentalism, such as a young earth, a global flood, or even the existence of the Christian God. All it implies is that life had an intelligent source." (Of Pandas and People (2nd ed, 1993), pg. 161, emphasis added)

生命の起源がインテリジェントなものによるという考えはキリスト教根本主義に限ったことではない。デザインの主唱者にはキリスト教徒や他の宗教的有神論者ばかりか、汎神論者、ギリシャ哲学や啓蒙哲学、自らを宗教的不可知論者と考える科学者たちが含まれている。さらに、デザインというコンセプトは信仰や、"若い地球の創造論"、全地球的ノアの大洪水やキリスト教の神などのキリスト教根本主義に伴うものをまったく意味しない。意味することは生命の起源がインテリジェンスによるものだということである。

確かに、特定宗教に偏するものではなく、いわゆる"創造論"の主張も含まれないというのは、実は正しい。インテリジェントデザインは聖書の記述に依存せず、地球と宇宙が6000年という"創造論"の主張も排している。
しかし、ここで言っていることは、政教分離の原則に基づき特定宗教ではないということなのだ。「生命の起源がインテリジェンスによるもの」というインテリジェントデザインの根幹は、あらゆる宗教に共通していると言っているに等しい。つまりは科学でないと書いている。

結局は、米国連邦裁判所を突破して理科の授業に侵入しようとするあまりに、筆がすべったPercival Davisと Dean H. Kenyon ("Of Pandas and People"の著者)。それを引用するLuskinの自爆というところ。

なんだかんだ言っても、"Of Pandas and People"はインテリジェントデザインの教科書なのだとよくわかる引用であった。


生化学担当Dr. Michael Beheの執筆物から

続いて、LuskinはBeheの記述を引用する。

"The most important difference [between modern intelligent design theory and Paley's arguments] is that [intelligent design] is limited to design itself; I strongly emphasize that it is not an argument for the existence of a benevolent God, as Paley's was. I hasten to add that I myself do believe in a benevolent God, and I recognize that philosophy and theology may be able to extend the argument. But a scientific argument for design in biology does not reach that far. This while I argue for design, the question of the identity of the designer is left open. Possible candidates for the role of designer include: the God of Christianity; an angel--fallen or not; Plato's demi-urge; some mystical new age force; space aliens from Alpha Centauri; time travelers; or some utterly unknown intelligent being. Of course, some of these possibilities may seem more plausible than others based on information from fields other than science. Nonetheless, as regards the identity of the designer, modern ID theory happily echoes Isaac Newton's phrase hypothesis non fingo. (Michael Behe, "The Modern Intelligent Design Hypothesis," Philosophia Christi, Series 2, Vol. 3, No. 1 (2001), pg. 165, emphasis added)

現在のインテリジェントデザイン理論とPaleyの議論の最も重要な違いは、インテリジェントデザインがデザインそのものに議論を限っていることである。インテリジェントデザインは、Paleyの議論と違って、慈しみ深き神の存在についての議論ではないことを強く強調したい。取り急ぎ加えるなら、私自身は慈しみ深き神を信じており、哲学と神学がこの議論を広げることをわかっている。しかし、生物学におけるデザインについての科学的議論はそこには及ばない。 私はデザインを論じても、デザイナーについては未知のままにしている。デザイナーの役割を果たせる可能性のある候補は、キリスト教の神、天使と堕天使、プラトンの創造神、何らかの神秘的なニューエイジの力、アルファケンタウリからの異星人、タイムトラベラー、あるいは全く未知のインテリジェントな存在。もちろん、これらの可能性には、他の科学の分野からの情報に基づけば、他よりももっともらしいものもある。しかしながら、デザイナーの特定について、現在のインテリジェントデザイン理論はうまく、アイザック・ニュートンの「私は仮説を作らない」というフレーズを復唱している。

インテリジェントデザイン主導者たちのなかで、デザイナーを異星人でも悪魔でもよいと言っているのはただ一人Beheだけである。

それはさておき、Luskinはここでも、Dr. Michael Beheがデザイナーについて論じない点を強調している。しかし、その前に、デザインの存在を前提にしているところで、既に神の存在の議論なのだが。
「神かもしれないものが存在するかの議論」と「神についての議論」は同じではないが、同じようなものである。

続けてBeheが新聞に書いた記事からの同様の引用

"Although intelligent design fits comfortably with a belief in God, it doesn't require it, because the scientific theory doesn't tell you who the designer is. While most people - including myself - will think the designer is God, some people might think that the designer was a space alien or something odd like that." (Michael Behe, Pittsburgh Post-Gazette, 02/08/01).

インテリジェントデザインは神への信仰にフィットしているが、それを必要とするわけではない。というのは科学理論はデザイナーが誰なのか触れないからだ。私を含め、ほとんどのヒトはデザイナーを神と考えるが、ある人々はデザイナーを異星人やもっと奇妙なものと考える。

やっぱり、氏名不詳の神についての議論だといっているに等しい。それでも、Luskinが引用したのは、デザイナーが異星人でもよいと言ってくれるのがBeheだけだからか。

そしてBeheからの引用の最後は、ちょっと古くなってしまった代表作"Darwin's Black Box"から:

"The conclusion that something was designed can be made quite independently of knowledge of the designer. As a matter of procedure, the design must first be apprehended before there can be any further question about the designer. The inference to design can be held with all the firmness that is possible in this world, without knowing anything about the designer." (Michael Behe, Darwin's Black Box, pg. 197)

「何かが設計されたという結論は、全く独立してデザイナーについての知識でできていることができます。手順の問題として、デザイナーについてのどんな更なる質問でもあることができる前に、デザインは最初にとらえられなければなりません。デザイナーについて何でも知っていることなく、デザインへの結論は、この世では可能である全てのかたさで持たれることができます。」


数学/神学担当Dr. William Dembskiの執筆物から

そして、最後はインテリジェントデザインの理論の中心人物たるDr. William Dembskiの著作から引用するLuskinである。

"One of the worries about intelligent design is that it will jettison much of what is accepted in science, and that an “ID-based curriculum” will look very different from current science curricula. Although intelligent design has radical implications for science, I submit that it does not have nearly as radical implications for science education. First off, intelligent design is not a form of anti-evolutionism. Intelligent design does not claim that living things came together suddenly in their present form through the efforts of a supernatural creator. Intelligent design is not and never will be a doctrine of creation. " (William Dembski, No Free Lunch, pg. 314, emphasis added)

インテリジェントデザインについての懸念のひとつは、それが科学で受け入れられることの多くを放棄するということである、そして、インテリジェントデザインに基づくカリキュラムが現在の理科のカリキュラムと非常に違って見えるということだろう。インテリジェントデザインはラジカルに科学へ影響するが、理科教育にはラジカルな影響をあまり与えないと思う。何より、インテリジェントデザインは反進化論ではない。インテリジェントデザインは超自然の創造者によって、生物が現在の形状で同時に突如出現したとは主張しない。

これは、"若い地球の創造論"ではないとDembskiが書いているところ。しかし、"若い地球の創造論"でなければ、神についての議論ではないというわけではない。地球平板説から進歩的創造論まで神についての論は幅広く分布している。

確かにインテリジェントデザイン理論は「進化は一切ない論」という"若い地球の創造論"ではない。しかし、「大進化と言われるものは実は進化ではなくデザインである論」である。「反(Anti)」ではないが、ほとんど「反(Anti)」である。数学&哲学屋のDembskiにとっては大きな違いかもしれないが、普通は同じだ。

"Intelligent design is modest in what it attributes to the designing intelligence responsible for the specified complexity in nature. For instance, design theorists recognize that the nature, moral character and purposes of this intelligence lie beyond the competence of science and must be left to religion and philosophy." (William Dembski, The Design Revolution, pg. 42)

インテリジェントデザインは、自然にある"指定された複雑さ"について"デザインするインテリジェンス"が原因であるという考えで最も穏健なものである。たとえば、デザイン理論家は、このインテリジェンスの特性や道徳的性質や目的については、科学の能力を超えたものであって、それらは宗教と哲学に残されるべきものと認識している。

デザイナーを語らないのが科学だと言っているDembskiの良く引用される部分。しかし、デザインがあるという前提をとっているところが問題なのであって、デザイナーについては元来、科学の取り扱い対象外。

"The most obvious difference is that scientific creationism has prior religious commitments whereas intelligent design does not. ... Intelligent design ... has no prior religious commitments and interprets the data of science on generally accepted scientific principles. In particular, intelligent design does not depend on the biblical account of creation." (William Dembski, The Design Revolution, pg. 40)

最も明らかな違いは、創造科学が宗教的な関与を前提としているのに対して、インテリジェントデザインがそうではないこと。... インテリジェントデザインは宗教的関与を前提とせず、科学的データを一般に認められている科学的原則に従って解釈するものだ。特に、インテリジェントデザインは聖書の創造に記述に依存しない。

創造科学は「創造6日間は何でもあり」だが、その後は聖書の記述にあわせて、科学的な色合いの屁理屈をこねるもの。インテリジェントデザインは「大進化はデザイン」という前提に従うもの。それは普通は宗教に分類されるべきもの。

ただし、特定宗教たるキリスト教の経典たる聖書に依存しないようにつくられている点はDembskiは正しい。


そして、Luskin自らが語る

で、最後に、Luskin自らが、ほとんど繰り返しのように語る:

The scientific theory of intelligent design cannot identify the designer, but only detects the past occurrence of intelligent design in the natural world. Intelligent design theory cannot name the designer because it works off the assumption that all intelligent agents would generally create certain types of informational patterns when they act. While we can detect that type of information in the natural world to infer intelligent design, finding that type of information does not give us any information about the nature or identity of the designer. All we can infer is that the object we are studying was designed.

インテリジェントデザインの科学理論はデザイナーを特定できない。できるのは自然界にインテリジェントデザインが過去に起きたことの検出である。インテリジェントデザイン理論は、あらゆるインテリジェントエージェントが働くとき、一般的に特定の型の情報パターンを創り出すという仮定を置くので、デザイナーの名前を挙げられない。インテリジェントデザインを推論できる情報の型を自然界で検出できるが、情報の型を見つけることでは、デザイナーの性質や身元についての情報は得られない。可能なことはそのももがデザインされた推論することだけだ。
...
The fact that the identity of the designer is a religious question does not negate the purely scientific methods through which we can infer merely that an object was indeed designed. Indeed, when we find the type of information we know tends to be produced by intelligent agents, we have a valid scientific rationale for inferring intelligent design.

デザイナーの身元が宗教的問いであることは、そのものが実際にデザインされたと推論できるという純科学的手法を否定するものではない。実際、インテリジェントエージェントが創りだす傾向にあるとわかっている情報の型を見つければ、インテリジェントデザインを推論するための、有効な科学的正当性を得ていることになる。

用語を説明しておくと、"インテリジェントエージェント"とは時計職人やプログラマや神様など、知性で何かを創りだす存在を指す。

自然界の外側に存在するデザイナーは、機械論すなわち自然法則によって自然界を説明する科学の取扱商品ではない。従って、デザイナーが何者であり、どうやってデザインをしたかを論じることは科学の範疇ではない。これは当然のことであって、Luskinは間違っていない。

しかし、そもそもの問題について語っていない。連続分布する創造論を、進化論サイドと創造論サイドに分かつ境界線は、神様の直接介入を前提とするか否かである。そして、インテリジェントデザインは氏名不詳の神様の直接介入を前提としていることだ。

連続分布する創造論の創造論サイドとは「地球平板説・地球中心説・若い地球の創造論・ギャップ創造論・日=時代の創造論・進歩的創造論」であり、進化論サイドとは「進化論的創造論・有神論的進化論・理神論」である。これらのうち、ぎりぎり進化論よりの創造論である「進歩的創造論」とはつまるところ、「大進化は神による」というもの=「神様の直接介入あり」。この「前提としての直接介入」が科学とバッティングしている。介入者がキリスト教の神様であるか否かは、大した問題ではないのだ。

Luskinはあくまでも、神の属性情報にタッチしなければ"神についての議論"ではないと主張する。そして、それの合う、BeheとDembskiの執筆物を引用する。
しかし、引用された文章は、直接介入を前提とすることを明らかにしている。