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Intelligent Design NetworkのHarris&Calvertは言った「NOMAは問題を悪化させる」と


Intelligent Design NetworkのHarris&Calvertは、「神の意図に基づき、神の導きのもと、方向性を持って進む進化」でなければ、有神論とは相容れないと主張する。

Some attempt to reconcile science with religion by defining each as “nonoverlapping magisteria,” two completely separate and distinct “ways of knowing.” According to this concept the function of science is to provide “objective” knowledge of reality while religion deals only with “subjective” spiritual impressions. This attempted demarcation only exacerbates the problem rather than solving it because the magisteria actually do overlap when both offer an answer to the same question: Where do we come from? Theism holds that humanity was designed for a purpose, while science claims that design and the purposes it serves are an illusion. A recent example of the depth of the confusion is a resolution adopted by the Presbyterian Church USA (PCUSA) in which “evolution” is held to be consistent with a “God as Creator.” The problem is that evolution is not defined in the resolution. If by evolution, the PCUSA means “change over time,” then the statement may be accurate, but if evolution means “unguided, blind, unintended change,” then the statement is logically inconsistent.

科学と宗教を"重複のないmagisteria"すなわち、2つを完全に分離された、異なる"知り方"と定義して、両者を調停しようとしている人々がいます。このコンセプトによれば、科学の機能とは現実の"客観的"な知識を与えるもので、宗教は"主観的"な霊的な印象を取り扱います。しかし、ここで試みられた区分は、同じ問いに対して両者が答えを提示したときだけmagisteriaが重なるので、むしろ問題を悪化させます:「我々はどこから来たのか」という問いに対して、有神論は人間が何らかの目的のためにデザインされたと答えますが、科学はデザインや目的は幻想であると主張します。混乱の深さを示す最近の例では、米国長老派教会(PCUSA)が採択した決議があります。その決議では"進化"は"創造者としての神"と両立すると言っています。問題は、この決議において"進化"という言葉が定義されていないことです。もし、進化をPCUSAが「時間につれての変化」の意味で使っているなら、この声明は正しいかもしれません。しかし、進化が「指導されない、盲目の、意図されない変化」であるなら、この声明は論理矛盾です。

[ William S. Harris and John H. Calvert: Intelligent Design -- The Scientific Alternative to Evolution, 2003 ]

科学の原則たる方法論的自然主義に基づく限り、検証不可能な超越的神は取り扱い対象外。もちろん、"目的"という概念も科学が記述する自然法則にはない。"目的"がないかどうかは関知しない。これを、Harris&Calvertは「関知しない=ないという主張」とみなし、有神論と敵対すると解釈する。

そもそも、Harris&Calvertは超自然に言及しないという方法論的自然主義を認めない。

The use of Methodological Naturalism to censor "non-physical postulate"s (the Design Hypothesis) is no different than the statute that was used by Arkansas to censor the teaching of evolution. Hence, its use by schools to indoctrinate students in Naturalism/"nonreligion" would appear to be a clear and fundamental violation of the Establishment clause.

方法論的自然主義を使って非物理的な存在を仮定するデザイン仮説を検閲することは、アーカンソー州において進化論教育を検閲した州法と何ら違いがない。従って、方法論的自然主義を使って生徒たちに自然主義・比宗教を教えこむのは政教分離原則に明らかに違反していると思われる。

[ William S. Harris and John H. Calvert: Intelligent Design -- The Scientific Alternative to Evolution, 2003 ]

神への言及を禁止するような原則は誤りであるという主張だすなわち検証不可能な超自然も科学に含めること、すなわち科学の再定義を主張する。

本来は科学の原則たる「 方法論的自然主義 」とは「超自然が科学的研究法で使えないという限定的な見方である。多くの科学哲学者は科学的研究の基本的な要件は、経験的に検証可能でなければならず、実効的に自然界の研究と説明に限定するものだと考えている。このタイプの自然主義は、定義において自然界で検証不可能である超自然の存否について何も言わない」というものである。

超自然の存否に言及しないのは"方法論"についてなので、神(形而上学的的超自然主義)と両立する。なので、戦う進化生物者Dr. Kenneth R. Millerのような敬虔なキリスト教徒もいる。

さらに言うなら、超越的神が存在して、進化過程に直接介入していたとしても、科学の取り扱い対象外。科学の枠内では「説明不可能なものがある」というだけ。これは「機械仕掛けの宇宙を自然法則で記述する」という機械論から科学に至るまで、一貫した原則。超越的神の存在を前提として議論だったはずの機械論が神を記述しないのは、機械論が神の被造物の記述を対象としたものであって、神を記述するものではなかったから。

しかし、 Harris&Calvertの主張する"科学"は、神を記述する。自然法則で記述できない超越的な存在を、記述対象にしろという Harris&Calvertは明らかに論理的に間違っている。あるいは、Harris&Calvertにとっての"科学"は、「機械仕掛けの宇宙を自然法則で記述する」ものではない。

科学を「自然についての真理」と定義しない限り、Harris&Calvertの主張は論理的に成り立たない。

一方、「自然についての真理」 は宗教の領分でもある。科学を「自然についての真理」だと考えるなら、当然のことながら、宗教と科学の間に領土紛争が起きる。Harris&Calvertの眼から見る世界はおそらくそうなっていると思われる。

だとするなら、Harris&Calvertにとって、NOMAなど意味を成さないのも当然。