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Claim CH505.1:
In 1952, Harold Williams wrote a story told by Haji Yearam, an Armenian Seventh-Day Adventist, in 1916. According to the story, Yearam as a boy helped guide three English scientists to the ark in 1856. Upon finding the ark sticking out of a glacier near the summit, the scientists, "vile men who did not believe in the Bible," flew into a rage and tried futilely to destroy it. Then they took an oath to keep the discovery a secret and murder anyone who revealed it. About 1918, Williams saw a newspaper article giving a scientist's deathbed confession, which corroborated Yearam's story.

1952年に、Harold Williamsはアルメニア人Seventh-Day Adventist信者Haji Yearamの1916年の物語を書いた。それによれば、Yearamは少年だった1856年に、3人の英国人科学者をノアの箱舟に案内した。山頂近くの氷河から突き出した箱舟を発見すると、聖書を信じない卑劣な男たちである科学者たちは、怒りにまかせて箱舟を破壊しようとしたが、うまくいかなかった。彼らは箱舟の発見を秘密にし、それを公表しようとしたものを殺すと誓った。1918年頃、Williamsは新聞に掲載された科学者の臨終の告白を見た。それはYearamの物語の裏付けになっていた。

Source:
LaHaye, Tim and John Morris, 1976. The Ark on Ararat, Nashville: Thomas Nelson Inc. and Creation Life Publishers, pp. 43-48.


Response:
  1. その物語には疑わしい点が幾つかある[Bailey 1989, 83-84]
    • 何故、Williamsは1952年まで、その物語に関わろうとしなかったのか?
    • そのような英国からの探検の記録は存在しない(5人の英国人によるアララト山の探検がその年に行われたが、彼らはクルド人のガイドを使っていて、箱舟にも関心はなかった)。
    • 何故、科学者たちは箱舟の存在を信じておらず、発見したくないと思っていたのに、箱舟を発見しようとしたのか?
    • もし、箱舟の位置が明らかに地元アルメニア人たちの常識だとするなら、科学者たちは何故ガイドを、箱舟の位置を公表しないように脅さなかったのか?
    • Yearamは1920年に82歳で死亡した。科学者たちはYearamより、かなり年上のはずだが、死亡したのは1918年だった。その科学者の年齢は100歳以上だったはずだ。
    • どんなにさがしても、該当する新聞記事は見つからない。
証言によれば、Yearamの父は「神が人々に箱舟がそこに今もあることを知ってほしいと思っている」と考えていた。神を信じない者の中傷を考え合わせると、この物語全体が、宗教的プロパガンダとして作成されたと思われる。

References:
  1. Bailey, Lloyd, 1989. Noah: The Person and the Story in History and Tradition. Columbia, SC: University of South Carolina Press.




最終更新:2010年05月09日 02:05