遊びって結局なんなんだ

  • 遊びとは何なのか
ここでいう遊びとは、『義務としてでなく行う時間を消費する行為』としての意味を採用している。
必要だからすることではなく、余裕を使って行うこと、選択基準が有益無益だけに因らないこととして遊びがある。
これは生産活動に対しての無駄な行いであってよく、必要不可欠な活動に対する余剰としての『遊び』と意味合いを同じくする。
つまり「時間を好きに選んだ過ごし方で使うこと」が遊びなのだ。遊びが遊びである基準はそこだけだ。


  • 遊びを選ぶということ
自由に使える時間がなければ遊びは成立しない。必要に縛られた行動で時間を消費する事は遊びではない。
よって遊ぶためにはまず自由な時間が必要なのであるが、次にその時間をどう使うかを選ばなければ遊びにはならない。

例えば室内に寝そべって転がりながらぼんやりすること、例えばボール片手に広場で球技にいそしむこと、
例えば電気式の遊戯機械を起動してその攻略を行うこと、例えば同じく自由な時間を持った友人との会話を楽しむこと。
これらはどれも遊びだ。行為としての種類もその目的も全部異なるが、全て自由な時間の使い方を選んだ結果行うものだ。

遊びを選ぶ理由は何だっていい。気分がもやもやするからでも、元気が有り余っているからでも、人恋しいからでも、自分を磨きたいからでもいい。
環境によって選択肢が限られることも当然あるだろう。法などのルールによって自由の中に制限がかかるのも当たり前のことだ。
そんな中から自分の時間の使い方を選ぶことが遊びの最初の一歩である。

自由という無限の空間から、まず時間という範囲で制限し、環境・制度・精神状態・身体状況などといった縛り要素で更に削っていった中に残された空間。
その残された空間があなたの遊び場所である。あなたは遊び場所の全部を使ってもいいし、ほんの一部分だけ使ってもいい。
遊びとはあなたがそこで何を求めて何をするかであり、限られた範囲であっても自由が存在するということ、遊べるということは、基本的に幸いである。

タグ:

雅戌
最終更新:2018年11月08日 22:03