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ニーチェ以後

ニーチェ書誌あるいは「ニーチェ主義」の系譜

http://www.logico-philosophicus.net/profile/NietzscheFriedrich.htmなど。
■ショーペンハウアー cf.ベケット
■ブルクハルト(1818-1897)
ニーチェ(1844-1900)
■ワーグナー
「芸術と革命」ドイツ三月革命に参加。
 ヴィンケルマンの古典主義の影響。とくにギリシア悲劇。
■ドストエフスキー
ストリンドベリ
■ケラー「緑のハインリヒ」
■ゲーテ「ヴィルヘルム・マイスター」
■シュティフター「晩夏」
■ヴォルテール
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<ニーチェ以後>

ハイデガー(1903-1990)
ユンガー
バタイユ(
クロソウスキー(1905-2001)
ブランショ(1907- 200)
ドゥルーズ(1925-1995)
フーコー(1926-1984)
デリダ(1930-2004)
ラクー=ラバルト(1940- )
ナンシー(1940- )

■テキスト年表
1935 ハイデガー「形而上学入門」
1936/37 ハイデガー「ニーチェ、芸術としての力への意志」フライブルク講義
1937   ハイデガー「ヨーロッパ的思考におけるニーチェ形而上学の根本的立場」フライブルク講義
      ハイデガー「同一なるものの永劫回帰について」フライブルク講義
1938/39  ハイデガー「ニーチェ、反時代的考察」
1939   ハイデガー「“認識としての力への意志”について」
1940  ハイデガー「ニーチェ:ヨーロッパのニヒリズム」
1943   ハイデガー「ニーチェの言葉「神は死せり」」in「杣道」

1962 ドゥルーズ「ニーチェと哲学」
1964  ロワヨモン会議
    フーコー「マルクス、フロイト、ニーチェ」(邦訳エピステーメーII-0)他
1967 「ニーチェ」(ロワヨモン会議記録)
1968   ドゥルーズ「差異と反復」
1972 スリジー・ド・サル会議
1976 フーコー「知への意志」
1978  「ニーチェI・II」(スリジー・ド・サル会議記録)
    デリダ「エペロン(尖筆とエクリチュール)」
1978 ファニー&ジル・ドゥルーズ「ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ」
1979 ブルーメンベルク「難破船」
    デリダ「ニーチェのotobiographies(他者の耳伝)」
    ド・マン「読むことのアレゴリー」
1982 フーコー講義「主体の解釈学」
1982 フーコー「自己のテクノロジー」ヴァーモント大学
1983 ブランショ「明かしえぬ共同体」
1984 フーコー「快楽の活用」「自己への配慮」
1986 ラクー=ラバルト「歴史とミメーシス」「アンタゴニズム」in「近代人の模倣」
   ナンシー「無為の共同体」

1993 ドゥルーズ「批評と臨床」


■二次資料
丹治愛「モダニズムの詩学」
福田和也「奇妙な廃墟」


ニーチェ年譜

ニーチェ(1844-1900)
1844,ザクセンのレッケン生まれ。父はルター派の牧師。
1858 プフォルタ学院入学。
1864 ボン大学入学。神学、古典文献学専攻。リッチュルに師事。
    パウル・ドイッセンと「フランコニア」サークルに参加。
    ダヴィド・シュトラウス「イエスに生涯」を読み、信仰を放棄。
    リッチュルとともにライプチィヒ大学に転学。エルヴィン・ローデと出会う。
1865 シューペンハウアー「意志と表象としての世界」を古本屋で購入。
1868 リッチュルにワーグナーを紹介される。
1869 24歳でスイスのバーゼル大学古典文献学教授。プロシア国籍を放棄。
    オーヴァーベック、ブルクハルトと出会う。
1870-71 普仏戦争に従軍。トラウマ体験。
1872(28才)「音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生」出版。文献学的手法でなく哲学的推論によったこの本は、同僚にはローデを除き、まったく受け入れられなかった。
1873「ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家」発表。
  「ギリシア人の悲劇時代における哲学」草稿
1874 (30歳) 「生に対する歴史の利害」「教育者としてのショーペンハウアー」
1876「バイロイトにおけるヴァーグナー」
   マイゼンブークやレーともにイタリアのソレントにあるマイゼンブーク別荘まで旅行(ここでの議論をもとに書かれたレー『道徳的感覚の起源』をニーチェは高く評価)。
1876 ニーチェは、「ニーベルンゲンの指輪」上演に失望する。
1878(34歳)「人間的な、あまりに人間的な」でワーグナー批判を開始。中期。
1879 健康上の理由で大学を辞職。療養生活の開始。夏はスイスのサンモリッツのジルス・マリア村。冬はジェノヴァ、ラパッロ、トリノ、ニース。
1879「さまざまな意見と箴言」(「人間的」第二部」)
1880「漂泊者とその影」(「人間的」第二部」)
1881「曙光」
1882「悦ばしき知識」第一部。
   ザロメと出会う。
1883 (39歳)ザロメとの決裂後、ラパッロで「ツァラトゥストラはかく語りき」第一部。
1885「ツァラトゥストラはかく語りき」第四部。
1886(42才)「善悪の彼岸」発表。ケラー、ザーリス、シュピッテラーと出会う。
1887「道徳の系譜」発表。ドストエフスキー「悪霊」「死の家の記録」を読む。
   テーヌ、キルケゴール研究者のブランデスと文通。
1888(44才)「偶像の黄昏」「ヴァーグナーの場合」「アンチクリスト」「この人を見よ」
   「ニーチェコントラワーグナー」「ディオニュソス讃歌」
   ストリンドベリと文通。
1889,1/3,トリノのカルロアルベルト広場で馬に泣き崩れる。
   「罪と罰」には馬を見て泣く夢の記述あり。
   1/6 怪手紙を知人らに送り、オーヴァーベックによって精神病院に入院。
1893 エリザベト、パラグアイより帰国。
1900,8/25 肺炎によりニーチェ没。享年55歳。

1901 エリザベト「力への意志」編纂出版。決定版全集ともいわれる『グロイター版ニーチェ全集』の編集者マッツィノ・モンティネリは「贋作」といいきる。 
最終更新:2006年10月21日 10:28
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