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ナイルパーチと長い夜(生物多様性と資本主義)

ナイルパーチと長い夜(生物多様性と資本主義)

12/23から、シネマライズで上映予定のドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」のサイトを見つけ、食用魚としてのナイルパーチについての情報を得る。

 ふーん、うーむと読み進めていくと、なんとナイルパーチの魚は、食ったことがあったことにいまさら驚く。というか、日本のファミレスなどでの白身魚フライとか、西京漬けとかによく使用されているらしい。だから、魚を食べるひとは、ナイルパーチをまず間違いなく食べているということになる。
 ヴィクトリア湖のナイルパーチの輸出先はまずはEUで、ついで日本とのこと。(アメリカは自国での養殖で足りているのだろうか?)

 ナイルパーチの問題を、生物多様性や生態系を破壊する外来侵入種問題として処理してしまうと、素朴な人間中心主義のヴァリアントであるエコロジズムに留まってしまう。(エコロジズム的観点はしばしば社会経済的な次元を見落とす。これはヒューマニズムと同様、超越的な視点に留まるからである。)
 解説を読む限り、このドキュメンタリー映画が優れているのは、外来侵入種(魚)によって誰が利益を得ているのか、ある局地(湖)の生物多様性を破壊することをものともせず誰が利益を得ているのかという社会的次元まで、考察と記述を押し進めている点であろう。
 その誰かとは、資本主義であり、資本主義の恩恵をこうむることのできる「北」の人間である。むろんわたしたち日本社会に住む人間も「北」側にある。
 ヴィクトリア湖周辺の現地の社会における階級問題や社会問題も、いってしまえば、資本主義の矛盾の一事例であるに「すぎない」。というのも、そこはかの「アフリカ」であり、例のごとくエメ・セゼールやエリック・ウィリアムズを持ち出さずとも、それが連綿と大航海時代より現在に到るまで続いている植民地主義の歴史の反復のひとつであるからだ。

 ロシア人機長が耳にした「アンゴラの子供はクリスマスに銃を贈られ、ヨーロッパの子供はぶどうを贈られる」という言葉は、まさにグローバル資本主義の悪循環を一言で言い表している。

シェイクスピアはその世界の出来事に対して、主体と感覚の開き方がずば抜けており、同時に、感覚されたものへの形の与え方もずば抜けてすぐれていたがゆえ、天才と呼ばれるにふさわしい仕事をなした。シェイクスピアが生きていた時代の世界は、ヨーロッパが大航海時代を経て、富を蓄積していった時代である。資本主義がますます進展するには、しばらく産業革命を待たないといけないにしても、産業革命を準備 した富の蓄積は、すでに植民地主義交易によって開始していた。
 シェイクスピアは「テンペスト」におけるキャリバンというキャラクターという「痕跡image 」の記述あるいは創造によって、当時の世界における破綻=カタストロフのはじまりという兆候を恐ろしいまでに的確に記述したが、他方、「マクベス」における「長い夜」という語もまた、同系列の兆候を示しているようにも思われる。
 もっとも、「長い夜」という詩的表現は、むしろ一般的ともいえるもので、「なんということもない」。だが、これがシェイクスピアによって書かれたということ、人間社会における力関係の周到な記述・分析・言語化をなしたシェイクスピアによって記されたことから考えると、ナイルパーチとグローバル資本主義の問題に対して、あいも変わらず「長い夜」が続いているのだ、といいたくなる。



 ・意図と行為
 意図のレベル 誰の意図か、だれの利害か


  • ドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」
  • 「生物多様性を脅かす移入種問題」
  • 外来侵入種について:IUCN(国際自然保護連合)
  • 「ビクトリア湖の悲劇、ナイルパーチ」
  • ブラックバス
  • 外来侵入種による生物多様性喪失防止のためのIUCNガイドライン
  • 生物多様性JAPAN
最終更新:2006年11月25日 22:01
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