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バディウ「客体なき主体」

バディウの主体理論
「客体なき究極の主体」(『主体の後に誰が来るのか?』所収)抜粋
0.問題
「その向こうに何があるのか」と問うよりも、近代的な思考はまだその継続を要求しているという仮定のもとに、次のように問いを定式化する:
 デカルトからフッサールに至る主体の概念は、ニーチェとハイデガ−の間で、そして詩人たち(ヘルダリン、ホプキンス、マラルメ、ランボー、トラークル、ペソア、マンデリシュターム、ツェラン)を通して消尽し、破産してしまったが、それを継承するのはいかなる主体概念か。
 :客体なき主体を考えることができるか。
  • 客体の形式はもはや真なるものの企てを支えることができない。
  • 主体の空間を脱客体化することは可能か

  • 主体の彼方にあるものは主体である。
■主体は真理の審級の有限な断片にすぎない。

■主体とは、真理の局地的すなわち有限な地位である。
  • 主体とは局地的に開示される。

  • 主体は、言表の起点ではない。

  • 真理はつねに主体に先立つ。
「真理はつねに主体に先立つ。真理が主体以前に存在するということではない。真理は常に不明瞭な未来に宙吊りになっているからだ。」
前未来と真理
■主体は真理によって織り成される。
■主体は真理によって、有限の断片として存在するものである
■主体とはひとつの真理が凝結させるもの、無限の存在を持った真理が通過していく有限な点である。(この通過はいかなる内的契機も排除する。)

  • 主体の古典的機能(真理あるいはその限界が確立される透明な点)と、この機能を支持する存在(ガリレイ以降、真理が無限であることに耐えなければならなかった有限なるもの)とを混同してはならない。

1.公理的予備考察

  • 真理は知識を資格づけるものではなく、叡智への直観でもない。
  • 真理とは知のなかにあいた穴である。(ラカンのパラダイム)→主体は、穴の縁の効果、ないしその境界を画定する断片である。

新しい真理の理論を四つの命題に要約する。

A.真理はつねに出来事の後にある。
残された名が、状況を存在に縫合する空虚から引き出され、流通をはじめる時、真理の過程は開始される。

B.真理の過程は、出来事に対する忠実さである。
特殊な操作子(忠実さ)が、状況の項目と、出来事の残余(痕跡)である名との関係を評価する。

C.残された名への結合が確認された状況の項目は、状況の無限部分を形成する。
 それは未来に宙吊りにされ、現前化されない。状況の無限部分は、様々な有限の評価の結果によって到来するからだ。

D.状況の無限部分が、状況のなかの既知の集合やあるいは状況のなかに成立したとされる集合と、知が規定するものと一致することを避けるだろう場合、したがってまた状況の無限部分が知にとって識別不可能で絶対的に任意なもの、ジェネリックなもの(「似たものの集合」:総称的、種的)である場合、出来事の後で手続きが真理を産み出したといわれる。
 真理とはジェネリックなものであるだろう出来事後的な忠実さの手続きである。
 知にとって識別不可能なものとしての真理は、状況の存在そのもののメタファーであり、存在が回帰するところの純粋な多様性・無名の多様性である。

2.主体概念の否定的な境界画定
以上の定義より、以下の否定的な帰結が導かれる。

A.主体は実体ではない。
「実体」とはいわば状況のなかで一なるものとみなされる多様性である。
ジェネリックな手続きが帰着する内在的な識別不可能性は、主体が実体であることを斥ける。

B.主体は空虚な点ではない。
存在の固有名は空虚であり、非人間的で非主体的である。(存在論の概念)
真理は多様性として実現され、点として実現されるのではない。

C.主体は経験の意味の組織化ではない。
主体は超越論的機能ではない。
「経験」とはいわば現前化そのものである。
ジェネリックな手続きは、残された名によって形成される出来事に関わるのであり、現前化と一致することはない。
■同様に、意味と真理とを区別すべきである。
ジェネリックな手続きは、状況の出来事後的な真理を実現するが、真理というこの識別不可能な多様性にはいかなる意味も与えない。

D.主体は現前化の不変定数ではない。
ジェネリックな手続きが状況の対角線である限りで、主体は稀少なものである。
状況のジェネリックな手続きが特異なものである以上、各主体は厳密に特異なものである。

E.主体は結果ではなく起源でもない。
主体は手続きの局所的な地位であり、状況の過剰な配置関係である。


3.主体化---介入と忠実なる結合の操作子

出来事の名があり、忠実なる結合の操作子があり、これらが手続きを規制し、真理を創設する。

ex.キリストという出来事。教会という忠実なる結合の操作子。(パスカル「教会とは真理の歴史」
→忠実なる結合の操作子がそもそも出来事の不忠実でありただそれを利用しているだけではないか?

→操作子は出来事を決定する介入的な命名の結果として出現する。
 この操作子の出現が主体化である。

主体化は二の形式をとる。

最終更新:2007年03月05日 12:42
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