■司馬遼太郎「肥前の諸街道・街道をゆく11」より
- 「浦人」:漁撈民・海民
- 律令制→農民を基盤(重農主義)
- 中世:海の時代:海賊
→+大航海時代
- 平戸の海峡は西洋では日本名以外の名称で呼ばれていた。
- 鷹島=元寇のときの元軍の基地
→漢人から五竜山、白骨山と呼ばれた。
- 鎌倉時代、幕府ではモンゴルを「蒙古」と呼んでいたが、庶民たちは、原語の発音に近似した「ムクリ」と呼んでいた。高句麗人のことは「コクリ」と呼んでいた。
■元寇
- 震天雷:投擲爆弾
- 弩砲(どほう):矢を射る砲
- ウイグル砲(ウイグル人の発明):水車のようなものを旋回させ大石を飛ばす
儀礼的で、いわば様式化された舞踊のようなもの、スポーツ的
矢合(やあわせ)の儀式
敵を集団としてすりつぶしていく
■モンゴル帝国
- 統治方式:農耕民族(漢民族)を下位に置き、商業民族(色目人:ウイグル人、イラン人、アラビア人)を上位に置く。
- 重商主義
中国の歴代王朝は重農主義だったが、元だけが例外で、重商主義だった。
- 重商主義→侵略・略奪に至り易い。
- 平準庫=国立銀行
- 重商主義と重農主義(p21)
:重商主義は重農主義を破壊する
:室町の重商主義や、昭和三十年代以後の重商主義も、それまでの重農的な伝統を破壊した
:財政官僚:中央アジア出身のアーマット、慮世栄、西域出身のサンガ
:銀本位制
「子母相権」
子=紙幣、母=銀
- 銀本位制の貨幣制度「ショウ法」は早すぎた制度だった。
- この銀本位制が、元寇をもたらした。
日本は、大陸のアラビア人などの情報によれば、「ワク」「ワクワク」(倭国)と呼ばれ、金銀の島と呼ばれていた。
(石見銀山などとの交易がすでに始まっていた?)
- モンゴル人は徹底した肉食。野菜や米を嫌う。→揚子江以南の江南人への蔑視(「蛮子」マンヅ)。
未羅、加羅(いまの釜山付近)、阿羅、多羅、草羅、耽羅(済州島)
「羅」は「国」という意味ではないか
未羅(『古事記』)、万豆良(まずら『和名抄』)、松浦
白村江戦役→敗戦の翌年、対馬、壱岐、筑紫に烽(のろし)台設置。
防人設置。
東国兵士(『万葉集』)
平戸松浦氏
嵯峨源氏系統の説、奥州阿部氏系統の説
源平合戦(義経軍に敗戦)
元寇
→倭冠活動へ?
ただし元寇より42年前の1232年に、小集団が高麗沿岸を襲撃している
『高麗史』忠定王2年(1350)、「倭冠の侵す、これより始まる」
『海東諸国紀』の「呼子殿」
『李朝実録』太宗6年(1406)、呼子遠江守源瑞芳、朝鮮人捕虜を還し、礼物を献じた。
呼子:薩摩の坊津、播州の室津に似ている
外津浦(ほかわずうら)、道元出帆の地
貝原益軒:中村学園
最終更新:2007年12月04日 23:24