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「人間関係の社会史」安永寿延

「人間関係の社会史」安永寿延(編集版)


…フランスにはモースに連なる巨大な学統の山脈がそびえたっていた。…レヴィ=ストロース、デュメジル、バンヴェニスト、デュモン…わたしはモースの贈与・交換の理論に人間関係のアルケー(原型)を見るだけでなく、彼の未開と文明をつなごうとする試みに、「人間関係の社会史」を構築しようとする努力の方法的先駆を見た。
 しかし、この試みや努力のあとを詳細に追及していくうちに、彼の西欧的発想にひそむある種の偏見がみえてきた。彼の同時代人マックス・ウェーバーはその宗教社会学の領域をプロテスタンティズムから古代ユダヤ教まで伸長するだけでなく、無謀にもインドから中国にまで拡張することによって、無力さを露呈した。モースは逆に「供犠」(1899)でインドのそれにふれた以後、インドや中国の知的フレーズにふれることはあっても、フィールドとしてはそこまで踏み込むことを避けた。
 そのようなモースに代わって今日のわれわれは、東アジアからアジアやイスラーム文化や西欧を視野にいれることができる。
 そもそも人間関係という、曖昧にして模糊、広大にして茫漠、固有と普遍、変転と不変、このような文明史の織り上げた多様にして多彩な様相を持った人間関係に直接取り組む方法などわれわれはもちあわせていない。可能なのはいかなる視座にもとづいて人間関係なるものを限定するかにある。
 モースはそれに「贈与・交換・契約」という、わずか三つの概念にもとづいて人間関係のアルケに迫った。モースは直観的に、インド=ヨーロッパ語圏における交換と契約の不可分性という普遍的原理を提示していた。われわれの理解を超え、むしろ困惑させることになったこの提示がわれわれの想像をはるかにこえた、言語の深層に根ざしていることを解読したのは、この問題提起を基本的に受け継いだバンヴェニストであった。この解読によってモースの直観は普遍的知識となった。
 バンヴェニストはさらにインド=ヨーロッパ語圏の「制度」という枠組みのなかで、語源的視点から新たな展開をめざす。これまでルソーの社会契約思想にしろモースの人間関係論にしろ、人間関係を成立させる基本的契機として、交換―契約という原理にもとづく、社会の二層構造が説かれてきた。一方、ニーチェは、社会成立の契機としてなによりも約束―信用を第一義とみる。これに対してバンヴェニストは、「交換―契約―信頼」の三層構造へと展開する。ここに彼のみごとな独自性がある。交換は契約を契機として成立し、契約は信頼を契機として成立するからである。
…「ニーチェが社会組織の原型を見るのは信用関係のうちにであって、交換関係のうちにではない」(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』)
「(人間が社会的存在になるためには)およそ約束しあうものたちがそうであるように、未来として自己を保証しうるようになるために、いかに人間はおのれ自身がまずもって、自分自身の観念に対してすらも、算定しうる・規則的な・必然的な存在にならねばならなかったことか」(『道徳の系譜』「負い目」・「良心の疾しさ」)
 たしかに、約束とは、共時的な人間関係を通時的かつ持続的なものに転化する、社会形成の本質的契機である。
 ここで思い起こされるのはイスラーム社会である。…そこでは約束は「イン・シャー・アッラー(神の思し召しのままに)」という口実のもとに、いとも容易に破られる。…実は日常の曖昧な約束のレヴェルは、本来のイスラーム的なものではない、と井筒俊彦はいう。むしろ逆に、「約束は必ず守ること、決して嘘をつかぬこと。『コーラン』では嘘は最大の悪徳の一つに数えられている。」(『イスラーム文化』II法と倫理)
 「イスラームは最初から、砂漠的人間、すなわち砂漠の遊牧民や世界観や、存在感覚の所産ではなくて、商売人の宗教―商業取引における契約の重要性をはっきり意識して、何よりも相互の信義、誠、絶対に嘘をつかない、約束したことは必ずこれを守って履行するということを、何にもまして重んじる商人の道義を反映した宗教だった」(I宗教)
 人々を拘束しあい破ることのできない強固な契約(バーヤアbaya’a)関係が厳としてひかえていて、これが社会存立の契機なのである、まぎれもなくイスラーム社会は契約社会である。
 地球上の社会は大雑把にいって契約社会と非契約社会のいずれかに分類される。前者はインド=ヨーロッパ語圏にイスラーム社会がこれに加わり、イスラエルのユダヤ教社会もこれに所属する。地域的にみても広大な領域を支配する。後者は東アジアの中国文明圏と東南アジアの仏教社会はこれにかさなる。周知にように東南アジアはイスラーム社会が交錯する。
 契約社会の人間関係を規定する価値は「不信」であり、非契約社会の人間関係を規定する価値は、前者と真っ向から対立する「信(信頼)」である。不信にせよ信にせよ、昨日今日はじまったものではない。その構図はそれぞれの文明成立の初期にまでさかのぼる。壮絶なまでに相互不信をつのらせ、それへの対応を迫らせたものはなにか。多様な異部族、異言語、異宗教、異文化間の容易には修復されない亀裂、一度生じたら越え難い疑惑の障壁のせいかもしれない。
 ところで、不信の構図に立脚する契約社会の真っただ中に、人間関係を律する独自な「黄金律」(the Golden Rule)が提示された。「すべて人に為(せ)られんと思うことは、人にもまたその如くにせよ」(新約聖書マタイ伝7章・ルカ伝6章)これはポジティブな規範であり、人間関係拡大の原理である。この黄金律は長い間キリスト教を他の宗教や文化から際立たせる特権的主張と看做されてきた。
 ところが契約社会のインドからも、似たような黄金律が発見された。世界最大の叙事詩「マハーバーラタ」のなかの一章は、今日「バガヴァッド・ギーター(神の歌)」として独立に扱われるが、その第六章32節には、次のような一文がみとめられる。「最高の修行者は、自己が楽をすることであれ、苦からはなれることであれ、それ(己れの望むこと)を一切のものに等しく認める。」(サンスクリット語からのこの訳文は、新約の黄金律のようにはまだ確定されていない)
 聖書のなかには、このポジティブな規範に対比されるネガティブな規範は認められないが、ホッブズは「リヴァイアサン」第一部14章のなかで、聖書の黄金律を福音(神)の法とするとともに、「己れの欲せざるところを人に施すことなかれ」という命題を人間の法と名付けた。これは『論語』の顔淵篇にみられる有名な一節であり、これが世界での初出である。つづいて、すでに登場した「バガヴァッド・ギーター」の黄金律のすぐあとに、並んで登場する。さらにこれは古代ローマの格言へと跳び、「リヴァイアサン」で紹介され、最後に1793年の「人権宣言」で再確認され、ながい旅路をへて、契約・非契約社会に関係なく世界を一周するグローバルな普遍的原理となる。とくに西欧では、この原理が自己の身体・財産の侵害の拒否という意味に理解されて、個人主義の観念と関連しつつ、人権の観念の萌芽となる。
 ところで、モースは、喜捨は贈与と財産についての道徳的観念と供犠の観念との産物であるとし、ギリシアの分配の女神メネシスが貧しいものと神のために、施しをしないものには仕返しをしたことをあげ、古代の贈与の原則が正義の原則に基づいていたことを明らかにした。さらにアラビア語のサダカsadaquaとヘブライ語のセダカzadaqaはともに正義を意味していたが、のちにそれは喜捨の意味に変わったという。それとともに、キリスト教イスラーム教により、世界を席巻した慈善と喜捨の教義が発生した。(『贈与論』第一章「V覚書 喜捨」)
 最後に注目すべきことは、モースの「贈与論」は徹頭徹尾「贈与・交換」というひとつの普遍的原理の世界にこだわるが、その対極に位置する「非贈与論」ないしは「反贈与論」という、いまひとつの普遍的原理が展開されている。(…)


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付記:上記の文は、1994年次の一年間の講義を振り返って、先生が書かれたものである。公表された文章としては、これが遺文である。
 編者はこの文を冊子より切り離された頁でのみ所持しており、それがゆえ紛失を恐れた。ゆえに、ここに掲載しておく。また、安永先生のご期待に生前かなうことができなかった不肖の生徒のひとりとして、なにかできないかと思い、こうして先生のやり残された計画の一端を公表することもよいかと思った。著作権などは当然、先生に帰属する。また掲載・編集の責任は一切私にある。
参考:
 和光大学人文学部紀要28号(1993)「人間関係の社会史―そのアルケからの序奏」
最終更新:2008年03月31日 01:40
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