ギデンス「暴走する社会」を読む。たしかにこれほど実直で含蓄に富む本も珍しい。すでにオバマ政権または日本政府もすでにこの本を下敷きにしているようだ。
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アンソニー・ギデンズ「Runaway World」(原著1999:邦訳『暴走する社会』ダイアモンド社、佐和隆光訳2001)
0. 序文
社会は制御可能性が高まったというより、むしろ制御しうる範囲が狭まり、暴走。
コスモポリタン的寛容と原理主義の争い。
民主主義の普及がグローバリゼーションを促した。しかしグローバリゼーションは民主主義の限界をも炙り出した。
1. グローバリゼーション
■懐疑論者:グローバル経済は神話的。国民経済における貿易比率は僅か(例:2000年度日本GDPにおける貿易収支の対GDP比率は1.2%)。貿易は各地域ブロックの域内にとどまっており、「世界的」とはいえない。旧左翼。経済を管理する政府また福祉国家は不滅。グローバリゼーションは、福祉国家の解体と財政支出の削減を要求する市場主義イデオロギーで、19世紀的(1900年には輸出入額の対GDP比率は、英輸出14%輸入26%、独輸出14%輸入18%、蘭輸出94%輸入110%)。
■ラディカルズ:グローバル経済によって国民国家は終わった。為替取引と資本流出入の拡大、マネーの流れは過去に例がない。為替市場では一日一兆ドル超が売買。
- ギデンズはラディカルズを支持。しかし双方とも経済的面しか見ていない。政治、技術、文化にもグローバリゼーションの波は押し寄せている→通信技術の発展による。
- 通信技術:衛星通信。1950年代までは太平洋・大西洋を跨ぐ通信ケーブルは敷設されておらず、また敷設された初期には100以下だった回線がいまや10万回線。モールス信号は1999年に廃止。
- 米国でラジオが5000万人に普及するのに40年。PCは15年で、インターネットは4年で5000万人に普及。
■上下の力学(上方統合と下方拡散の均衡の力学)
- グローバル化は自律分散化を促しもする。国家は、大問題を扱うには小さすぎ、小問題を扱うには大きすぎる。
- グローバル化はローカルな文化的アイデンティティの復興をも促す。→国民国家の縛りを緩め、地域的ナショナリズムの台頭を誘う。
■横断的力学
国境を超える経済文化ゾーン(バルセロナ)。共産主義はメディアのグローバル化によって崩壊。
→「文化の多様性は消滅し、貧困化が進行。不平等の拡大。発展途上国の役割はない。」とする見方。
しかし分散化が進んでおり、西欧支配とはもはやいえない。
「逆植民地化」:先進国への途上国からの影響。LAのラテンアメリカ化、インドのハイテク進出、ブラジルのTV番組のポルトガルへの輸入(しかし日本における韓流のように、友好関係構築の戦略ともいえないか?)。
- 冷戦後、「敵」はいない。コソボ紛争は国家間戦争でなく、古典的な領土ナショナリズムと新しい道義的干渉主義の争い。
- 「敵」でなく、諸々のリスクと危険に晒されている。
- 制度の風化=貝殻制度。(日本の特殊法人など。)
- 「グローバル・コスモポリタン社会」の構築。我々は第一世代。私たちには作ることが「できる」(→オバマ?)。
- 我々が無力感に苛まれるのは個人の能力の欠如でなく、現行制度が適応できていないから。生活をグローバリゼーションに適応させねばならない。
2. リスク
- リスクという概念は中世には見当たらない。16世紀大航海時代以降。
- 古代文明は後ろ向きの文明。リスク→運命、幸運、神の意志。
- リスクへの挑戦という快楽(賭け、スピード、性的冒険)
- リスクの正負:未来を切り開く原動力としてのリスク。→近代資本主義は、将来のリスクを計算し、未来を開発。複式簿記の発明。
- 保険制度は海上保険からはじまる(英ロイズ社、1782)→未来をつくることを前提にした保険。リスクの再分配。リスク売買は資本主義にとって不可欠。保険のない資本主義は、機能不全になるだろう。
- 二つのリスク:外部リスク(自然に起因。洪水、飢饉):人口リスク(外部世界の知識が増えることで生じる、環境リスク) 。また複合リスクも。
- 現代社会は自然の終焉を前提として成り立つ。
- 人口リスクは、自然(とされてきたもの)だけでなく人生にも忍び込む。結婚:伝統的な流儀が通用しにくくなると、結婚・家族制度の意味が曖昧に。なにをしているのかが分からなくなる。→リスク概念を取り入れざるをえない。選択の自由の保証ゆえに、人生は機会と危険に満ちる。
- 「脅しやさん」の必要性:狂牛病、温暖化→「根拠なき脅し」という非難と、隠ぺいへの非難。しかしリスクが予想ほどでなければ脅し屋といわれる。しかしまた「牛肉は大丈夫=リスクはない」として、あげくにその情報が間違えていた(実際にそうだった)ことが判明すれば、隠ぺいとして非難される。→リスクを減らすためには脅し屋さんが必要。エイズ→脅し屋のおかげで先進国ではあまり蔓延しなかった。
- 科学と社会:科学情報を鵜呑みにはできない。科学の相対性は周知。
- 予防原則:1980年代ドイツでの環境論争。
- 「自然にやさしく」「技術への抑制」は普遍的でない。なぜなら科学技術の功罪を適正に判断するのは困難だから。
- 遺伝子組み換え作物:生物多様性が損なわれるかも。しかし伝統的農法では人口を養えない。遺伝子組み換えが農薬使用を減らし、集約農業の問題を解決する側面もある。
- リスク管理は避けられない。リスク管理に国際協力は欠かせない。
- 人口リスク(環境、核、経済のメルトダウン)の蔓延→宗教、反科学、反合理主義。しかし科学的分析なしに環境リスクの存在すら覚束ない。
- 技術進歩を監視する機関がない。開かれた議論の場があれば狂牛病騒動は避けられた。脅しと隠ぺいの板挟みからは抜け出せないが、被害を最小限にとどめることができる。
- リスクを否定しても無駄。リスクは管理されるべき。またリスクへの積極的挑戦こそが経済と社会を活性化させる。「変化」に慎重であるより、大胆であることが求められている。リスク=葡語で「あえて行う」という意味。
3. 「伝統」をめぐる戦い
- 創られた伝統:スコットランドのキルトは、18世紀に産業資本家ローリンソンが考案→キルトは産業革命の産物。高地人を工場に連れてくるために。1860年代、英国、インド兵用の軍服を作成(それまでは欧風の軍服)
- 伝統:羅tradere(他人に伝える、管理のために他人に託す)→ローマ相続法の総称。世代間の遺産相続は、委託とされた(相続者は遺産を大切に守り管理義務を負う)。伝統という語は中世にはない。伝統の観念が発生したことが近代開始の証。
- 啓蒙主義は、新しいものへの傾倒を正当化するために、伝統をドグマ・無知とみなしたが、これは偏見。
- 創られた伝統と真正な伝統とを区別する必要。
- なぜ伝統はねつ造されるのか。また意図的かどうかは別に、伝統は権力と結びつく。統治正当化のために伝統がねつ造されてきた歴史は長い。
- 「伝統は不変」というのは神話。伝統は進化し突然変化する。捏造されたものがまた再捏造されることもある。
- イスラム教においても変化があった。オスマン帝国はアラブ、ペルシャ、ギリシア、ローマ、アフリカ、インドの異種交配。
- 伝統と保守主義:伝統は、真理の響きを持つ。聖職者ら守護者だけが伝統を知っているということがその権力を保証する。啓蒙主義による伝統破壊は部分的にとどまった。伝統は力を保ち続けた。知恵の結晶としての伝統は、保守主義の精髄。先進国での伝統が存続したのは、近代化が公的組織と経済に限定されていたから。伝統の再確認は近代化によって強化。伝統と近代の共生。
- 「グローバル・コスモポリタン社会」は、「自然」「伝統」が終焉したのちに実現する。伝統は消失するのでなく、姿を変える。しかし伝統的流儀、伝統を真理とみなすやり方はもはや難しい。
- 伝統と科学の融合:1955年ヒンドゥー教寺院でのミルク→世界中のインド人がミルクを捧げた→ヒンドゥーの神々が世界に同時にあらわれた。この奇跡の証明のため、科学実験が必要という意見。
- 伝統が近代に打ち負かされる場合:空洞化した、金儲けのための伝統。伝統の屍。
- ギデンズの命題「伝統は社会存立の必要条件である」
なぜなら伝統は人間生活に連続性を与え、その様式を定めるから。(学者は伝統のなかで仕事している。折衷主義に徹するのは不可能。アイデアを展開したり体系化するには知的伝統に頼らざるをえない)
- 儀式、式典のくりかえしが重要な社会的役割を担うことを政府はよく知っている。伝統が生きながらえるには、内輪の儀式による正当化でなく、説得力なる正当化=徹底的な合理化が必要。宗教も同様、世界市民社会では、自分の信仰を正当化する必要に迫られる。
■中毒と自主性のせめぎあい
- 伝統がなくなると、人々の人生は選択肢の多い、従って熟慮が欠かせなくなる。伝統の持つ隠然たる力は、開かれた討論に置き換わる。自然と伝統が終焉した社会では日々、個人に意思決定が求められる。意志決定は中毒と強制がつきまとう(仕事、運動、食、性、愛への中毒)。中毒になるのは、自主的であるはずの選択が、不安ゆえに硬直するから(凍結した自主性)。中毒が繰り返されるのは不安ゆえ。
- 伝統社会では、過去が現在を設計する。中毒も過去に影響束縛されている。過去に自分の意志で自由に選択した生活様式の習慣から脱却できないがゆえに、中毒に陥る。
- 薄らぐアイデンティティ:伝統が安定した自己同一性をもたらすのに対して、伝統が廃れたところでは、自我の確立を避けられない。ひとはこれまで以上に自己同一性の構築に勤しむ(セラピー、カウンセリング)。フロイトの方法は未来を開くために過去を点検する。アル中治療:自分史を書きかえることが治療に有効。
■コスモポリタニズムと原理主義との戦い
- 原理主義はグローバリゼーションが普及してから発生した。19c末、進化論を受け入れないものに対して。またこの語は1960年代以降に使用されるようになる。
- 原理主義は狂信でも権威主義でもなく、聖書への回帰:逐語的解釈、教義を実践すること
- しかしこの呼称はラベル。他の定義は?→「包囲された伝統」:グローバル化のなかで問われるようになった伝統。
- 原理主義はグローバリズムの子供のようなもの。ホメイニ、ヒンドゥーはメディアを使用。
- 原理主義には疑義をだすべき。なぜならそれは暴力と親和的であり、世界市民的価値を蔑にするから。
- 原理主義の問い「聖なるものが存在しない世界に私たちは住まうことができるか?」
ギデンズの答え「できない」。
→普遍的価値が、寛容と討議のために不可欠であることを世界市民主義者は意識すべき。命がけで入手したいものがなければ、生きがいを見いだせない。
4. 家族
- 私生活への変化の波。中国の離婚状況:文化革命直後の婚姻法では離婚は容易。しかし離婚率上昇により政府は規制を検討。ねじれ:農村部での伝統的見合結婚をした夫婦が、都市部で離婚する夫婦の大半を占めている。
- 家族は、伝統と近代化の争いの最前線。と同時に家族は争いのメタファー。
- 過去の制度のうち、失われた家族の安らぎほど、ノスタルジアを誘うものはない。(保守による家族回帰の訴え)
■伝統的家族=経済的主体。農業では家族全員が従事。貴族の結婚は財産の分割贈与。中世欧州では、性的情念が結婚を導くのでなく、性的情念をはぐくむ場を結婚が作る。中世の結婚は不真面目、情欲、酔狂だった(デュビー)。
- 男女不平等は必要だった。妻は夫とその父の財産=動産だった。家柄の系譜と相続権確保のためには、性的二重基準が必要だった。娼婦、妾。妻が子の母であるために、品行方正、処女、貞節が求められた。
- こどもは親にとって満足のゆくように育てられた。人権はなかった。親が子に願うのは、幸せな人生を送ることでなく、公務に従事し、社会的貢献を果たすこと。
- 17cの生存率:乳幼児4人に1人が一歳未満で死亡。10歳以上の生存率は50%。
- セックスは生殖から切り離された。
- 結婚と家族は「貝殻制度」。伝統社会では結婚したカップルは、家族システムの部分、脇役であり、子また親戚の結びつきが、夫婦以上に重要だった。現在、カップルが家族の中心に。経済的絆としての家族の役割が低下し、愛と性的魅力が男女の絆となったためである。カップルは二人だけの歴史(自分史)を持つ。かつて性交は結婚生活の必要条件ではなかったが、いまやカップルにとって性交は必要条件で、ともに生活する根拠。
- 「純粋な関係」:互いのコミュニケーションが共通の利益をもたらすがゆえに持続する情緒的コミュニケーション。性的または恋愛関係、親子関係、親友関係の三ついずれもが「純粋な関係」になりつつある。そこでは信頼関係を構築することが成立条件であり、親しくなるために情報を公開しなくてはならない。→「民主主義」と相似。民主主義も「良い関係」も、ともに理念型。
- 「良い関係」とは対等な関係、互いに敬愛しあい、相手にとて最善であることを願う。相互理解が重要で、話し合い、隠し事をしないことが関係をつくる。信頼関係は努力して作られる。強制や暴力では作られない。
→「よい関係」の条件のいずれも、民主主義の価値と符号する:互いに平等で、それゆえに互いに敬愛する。様々な争点について自由な意見交換をする場=話し合いのための公共空間をしつらえることで、独裁的な力と伝統を保守しようとする力を抑える。独裁や暴力を許すと、民主主義の土台は崩れる。
■情念の民主主義
- 私たちの生活を改善するうえで社会の民主主義に劣らず、情念の民主主義は大切。親子:親が子に対して権威を持つのはいいが、親子は原則的な平等を建前とするべき。伝統的家族の子は「口答えすべきではない」。しかし、情念の民主主義では子供は口答えすべき。しつけや親への敬愛をなくそうというのでなく、規律や尊敬に段差をつける。身勝手な政府や権力にとって都合のいい規則から、民主主義へ変わろうとしたとき、同様のことが公共空間で起きた。
- 同性愛者は「関係」の新世界を開拓したひとびと。結婚は脆弱な関係を儀式的に安定化する。同性間結婚も同じ。
- 情念の民主主義でも養育義務が廃棄されるわけではない。
- 情念の民主主義はコスモポリタニズムと原理主義の対立の最前線。男女平等を憎悪する原理主義。
- 男女分け隔てせずに、十分な教育を女性に与えることは民主化と経済発展をもたらす最強の力。そのため伝統的家族は変わらないといけない。
5. 「民主主義」の限界
- 民主主義は20世紀を動かした最強のエンジン。ソ連、中国も「人民民主主義」と称す。サウジアラビアはいまも絶対王政だが、そういう国でさえ民主主義の潮流から隔離されてはいない。
- 民主主義=複数の政党が政権を目指し競争するシステム。全住民が選挙権を持ち、公正な選挙が行われる。市民的自由はその条件。
- 19世紀。米仏革命の理念であったが、選挙権は限定されていた。ミルでさえ民主主義に縛りを加える必要を説き、無知な者よりも賢明な者の選挙権が重みを持つべきとした。
- 第一次大戦より前に婦人参政権を認めたのはフィンランド、ノルウェー、オーストリア、ニュージーランドの四カ国。スイスでは1974年に女性参政権。
- 1970年代から民主主義国は二倍。ギリシャ、スペイン、ポルトガルの軍事政権転覆を皮切りに、80年代ブラジルなど南米でも。アフリカ、アジアでも。(日本への言及がない)
- 民主主義が普及した理由は、民主主義と自由市場を合成した欧米型システムが功を奏したから。民主主義が最善のシステムであることは疑いえない。
■民主主義のパラドックス
- 民主主義は益々普及しているが、後発国の模範である成熟した民主主義国では、民主的なプロセスへの幻滅がつのっている。米の投票率低下。なぜか?
- 独裁的な権力が伝統的な服従と敬愛の念を呼び覚ますのはもはや望めず、情報化されると、「強い権力ハードパワー」は機能しなくなる。東欧革命、アパルトヘイトも暴力なしに廃絶された。「暴力革命」が条件とされていたにも関わらず。
- 情報通信革命は、より行動的で感受性に富む市民層を形成した。それゆえ、在来の民主主義への不満がつのる。生活を侵食する変化の潮流に、オーソドクスな議会政治は対処しきれない。
- 政治家不信は蔓延してるが、西欧の九割は民主体制を望ましいとしており、また政治への関心が薄れたのでもない。若年層の関心も、かつてのそれを上回っている。
- 若者の政治観:「政治は堕落したビジネス」と考えられている。政治家が市民の利益でなく自己の利益を重んじるから。また経済を支配しているのは政治家でも国民国家でもないことを知っている。→特定非政治組織での活動がさかんに。→既存の政治が対応できない問題を扱う。
■「民主主義の民主化」
- 民主政治による問題解決ができないとすれば、民主主義と政府は風化するしかないのか?
→民主国家にとって必要なのは、民主主義の深化。=「民主主義の民主化」
- 民主主義国家が独裁国家ほど秘密主義であったわけではないが、文脈次第で秘密主義に傾くこともあった(核開発の隠ぺい)。また、民主制度にも、学閥、献金賄賂、つまり伝統的なシンボリズムと力関係もあった(英国上院)。
- 日独仏英米で賄賂事件が報じられるのは、開かれた情報社会では隠ぺいが難しいのと、また賄賂の定義が広がったからである。以前英では学閥は当然だったが、いまは違法。
- 「民主主義の民主化」=中央から地方への権限委譲。行政改革、政治の透明化。
:民主的手続きの刷新を怠ってはならない。市民審議会、国民投票、シングルイシューグループ(ひとつの問題に特化した団体)。
- 国家と市場、官と民という二項対立的な社会観を払拭すべき。その間には市民社会が存在している。情念の民主主義の実現が進歩的な市民文化の条件。寛容さなど民主的な態度を養うのが市民社会。
- 健全な民主主義とは、政府・市場・市民社会の三つの調和。
- メデイアとりわけテレビと民主主義:グローバルな情報化は民主化の推進力。しかしメディアは公共空間を破壊しかねない。選挙で選ばれてもいないのに、権力を持つメディア。
- 国民国家の力は依然強力だが、国民の生命を脅かすグローバルな力にははるか及ばない。環境リスク、グローバル経済、グローバルな技術革新は、民主的プロセスを経ずに、国内に侵入してくる。(これらが民主主義の魅力を損ねている)
■国民国家の枠組みを超えた民主主義
- 国民組織に劣らず、超国家的組織にも目配りしなくてはならない。
:国際連合は国家主権を侵害しない(国連憲章による)
:欧州連合(EU)は超国家的な組織の先駆け。EUはだが民主化の要件を満たしていない。しかしEUはやがて民主化されるべき。
- 超国家的組織のメリット:国家内、国家間の民主主義に積極的に貢献する(欧州裁判所など)。
- 民主主義をか弱い草花とみなすのでなく、荒地でも生育しうる草花とみなすべき。民主主義は戦いとるに値する。
- 暴走する世界は政治を不要としているのでなく、ますます統治(民主主義にしかできない統治)を必要としている。
―了―
訳者あとがきより:日本ではグローバル化を限定的にとらえたうえで肯定するのが多数派。しかし西欧では世論はわかれる。ギデンズは、反グローバル化を唱える旧左翼的な立場とは一線を画す。社会現象を枠組みにおいてとらえ、変化にあらがうより、それに適応することを合理的かつプラグマティックな戦略とする。グローバル化は情報通信技術の革新の結果であって、どこかの国の経済的戦略ではない。技術は不可逆で、反グローバル化(=反情報通信技術)は不可能。
- 1970年代労働党政権のもと英国経済は混迷の極み→キース・ジョゼフ下院議員による市場主義の提唱(ハイエクとフリードマンの影響):企業に比べて政府は非効率で愚かしい→国営企業の民営化・政府業務の民間委託・所得税減税・規制緩和・福祉削減(→小泉改革)
- 1970年代までは「市場主義」は少数派。キース・ジョゼフ自身の発言「「市場経済」という極端な言葉を使えるほど時代は成熟していない」ヤーギン&スタニスロー『市場対国家』
- 1997年労働党ブレア政権の圧勝により、18年続いたサッチャリズムは終わる。サッチャリズム=不平等に無関心ばかりか積極的に是認する(ギデンズ「第三の道」)。98年、ブレア「新しい社会民主主義」(ギデンズの要約)。第三の道とはサッチャリズム=市場主義でもなく、かつての労働党(平等主義、基幹産業の国有化)でもない。右派は効率のために平等を、左派は平等の為に効率を犠牲にしてきたが、効率と平等との両立をはかる。
- 「排除されるもののいない社会」:失業は排除の典型例。働きたい者にとって働く場所がないのは明らかな排除。ゆえに失業のない社会を目指す。
- 「過度の福祉はモラルハザード(倫理の欠如)をもたらす」という市場主義。たしかに福祉への依存はモラルハザードを産む。→福祉は今後、人的資本への投資を一義とし、福祉のお世話になるひとを減らしていくような政策へ。
※福祉予算を減らすのなく、福祉を必要としないひとを増やす。例えば職業訓練校の開発・整備・周知など。
最終更新:2010年01月30日 11:17