今宵、月が満ちるとも

衣「きょうたろー!」

京太郎「っと、今日は一段と元気だな」

衣「うん。だって今日は特別な日だから」

京太郎「なんだ、誰かの誕生日でもあるのか?」

衣「違う、でも慶賀すべきことだ」

京太郎「まーた難しい言葉使いやがって……このっ」プニッ

衣「んみゅっ」

京太郎「んー、やっぱ子供のほっぺたは柔らけーな」


衣「……えへへっ」


京太郎「あれ? いつもここで噛み付いてくるのに……」

衣「京太郎が傍にいるなら……」

京太郎「え……」


透華「須賀京太郎、そろそろ時間ではなくて?」


京太郎「あ、ああ……それもそうだな」

衣「……行っちゃうのか?」

京太郎「ハギヨシさんには迷惑かけられないしな」

衣「そうか……」シュン

京太郎「ま、夜はたっぷり付き合ってもらうけどな」ワシャワシャ

衣「わー♪」

京太郎「そんじゃ、一生懸命働きますか。最後の一日だしな」

衣「……」

京太郎「また後でな」


衣「最後の日……」

透華「……衣?」

衣「一体京太郎はなにを烏滸言を」

透華「彼の言っていることに間違いはありませんわ。それはあなただって――」


衣「――聞きたくない!」ダッ


透華「衣! お待ちなさい!」



京太郎「んー、つっかれたー」

ハギヨシ「お疲れ様です。今日は一段と精が出ていましたね」

京太郎「なんたって最後の日ですからね。今までお世話になった分ですよ」

ハギヨシ「この後、ささやかながらパーティーを計画しているのですが……」

京太郎「もしかして俺のですか?」

ハギヨシ「ほんの短いあいだでしたが、君はよく頑張ってくれた。その労いですよ」

京太郎「……なんていうか、ありがとうございます」

ハギヨシ「それに見合う働きをした……だからもっと誇ってもいい」

京太郎「ハギヨシさんがそう言ってくれるなら、なんか自信が出てきますよ」

ハギヨシ「それは良かった。では、私は準備に取り掛かりますので」

京太郎「俺、手伝いますよ」

ハギヨシ「主賓にそのような真似はさせられませんよ。諦めておとなしく待っていてください」

京太郎「参ったなー」

ハギヨシ「ふふ、空いた時間で衣様の様子を見てはどうです? 今日は朝から京太郎くんに麻雀を教えるのを楽しみにしていたようですから」

京太郎「そうですね。そうしますか」



衣「……空が暮れ果て、もうじき満ちた月が昇る」

衣「それでも衣の心は……」

衣「やっぱり、足りない」

衣「衣には京太郎が必要なんだ」

衣「でも、京太郎には……」

衣「……衣と京太郎がずっと一緒にいられる方法……」

衣「そんなの、一つしかない」

衣「もうすぐ、もうすぐだ」

衣「京太郎と……あはっ」



透華「須賀京太郎、少し話があります」

京太郎「なんだよ、改まって」

透華「いいからついてきなさい」グイッ

京太郎「うおっ」


透華「話というのは、他ならぬ衣のことです」

京太郎「あいつの? 今から向かおうと思ってたとこだけど」

透華「……間一髪でしたわ」

京太郎「間一髪? 何の話だよ」

透華「悪いことは言いませんわ。今日はもう帰りなさい」

京太郎「いや、今日はパーティーがあるって、それに麻雀を教えてもらわなきゃだし」

透華「二度とここから出られなくなっても?」

京太郎「……待ってくれ。話が飛びすぎだろ」

透華「……そう、ですわね」



京太郎「……つまり、衣が俺に執着していると」

透華「平たく言えばそうなりますわ」

京太郎「親との死別……その代わりを俺に求めたってのか」

透華「私ではそれは叶わなかった……そういうことですわ」

京太郎「……一つだけ訂正しとく」


京太郎「人の代わりなんて、誰にもできやしないんだよ」


京太郎(そんなの俺が実証済みだ)

京太郎(久ちゃんの件だってあんなにこじれたわけだからな)


京太郎「それともう一つ……そういうことならなおさら帰るわけにはいかない」

透華「本気で、言ってますの?」

京太郎「当たり前だ。逃げ帰ったら、なんのためにここに来たんだかわかんないしな」

透華「ですが……!」

京太郎「はいはい、たまには年上の言うことも聞いとけって」ポン

透華「なっ――」

京太郎「それに、パーティーも楽しみだしな」


透華「~~っ、勝手になさい!」


京太郎「……ああ、勝手にするよ。いつも通りさ」



衣「来たか、京太郎」

京太郎「夜は付き合ってもらうって言ったからな」

衣「早速始めようか」

京太郎「ああ、でもその前に面子そろえようぜ」

衣「?」

京太郎「今日は実戦形式だ。麻雀は四人でやるもんだろ」



透華「で、私にも参加しろと?」

京太郎「うん」

透華「……ていっ」

京太郎「ぐほっ、物理攻撃はやめろ!」

透華「あなた、自分がどれだけ勝手なことを言っているか理解していますの!?」

京太郎「勝手にしろって言ったのはそっちじゃんよー」

透華「ああもう! やりますわやってやりますわ!」

京太郎「おお、頼もしい。そんで、あと一人だけど……」

透華「それならうちの使用人を交代で参加させましょう」

京太郎「大丈夫なのか?」

透華「うちの使用人たちのタフさを舐めないでほしいですわ」


透華「それに……みすみすあなたを壊させるわけにはいきませんわ」ボソッ


京太郎「よーし、そんじゃ行こうぜ」

透華「やるからには全力で行きます。覚悟なさい」

京太郎「はいはい、わかってるよ」

透華「……どうも怪しいですわ」



京太郎「あっちゃー、俺の飛びで終了か」

衣「ふんふふーん♪」

京太郎「随分楽しそうだな」

衣「うん、だって今日は特別だから」

京太郎「……それ、今朝も言ってたよな。どういうことなんだ?」

衣「家族が増える……衣にとって至上の喜びだ」

京太郎「そうか……ところで、夏休みの予定はなにかあるのか?」

衣「特にないよ?」

京太郎「俺はあるんだ」


京太郎「幼馴染が遠征に行くんだけどさ、いまいち心配だからついてくことにしたんだ」

京太郎「そのためにちょっとお金が必要だから、ここでちょっと働かせてもらってたんだけどな」

京太郎「まぁ、今日でここともお別れだけど、いい経験になったよ」

京太郎「お前にも麻雀を教えてもらったからな。感謝してる」

京太郎「ありがとな」


衣「……どうして?」

衣「どうして、そんなこと……」

衣「家族は一緒にいなきゃいけないのに……」

衣「やっぱり京太郎も衣を置いてくのか……?」

衣「……させない」

衣「離れるなんて、許さない……!」ゴッ


京太郎「――来たか……!」

透華「衣っ」

京太郎「勝手言って悪いけど、口は出さないでくれ」

透華「自分から煽るような真似をしてっ」

京太郎「心配すんな。こういうの、慣れてるからさ」


京太郎(とはいえ、なんてプレッシャーだよ)

京太郎(まるで海の底だ。意識しないと息をすることまで忘れてしまいそうになる)

京太郎(ひょっとすると照ちゃんよりやばいかもな……)


衣「月が満ち、衣の力も満ちた」

衣「恐ろしいか?」

衣「衣はこの力のためにずっと疎んじられてきた」

衣「人を壊す魔性、妖異幻怪の気形だと」

衣「でも大丈夫……そんな心もすぐ壊してあげるから」

衣「だってそれならどこにも行かないから」

衣「ずっと一緒にいられるから……」


京太郎「……なんつーか、すっごい自己完結してんな」

京太郎「なんでそんな好かれちゃったかね……」

京太郎「でもまぁ、いいさ」

京太郎「やれるもんならやってみろよ……!」



衣「ツモ、8000・4000」


京太郎(くそ、また海底ツモかよ)

京太郎(こいつと打つといっつも引きが悪いけど、今日は輪にかけて酷い)

京太郎(これが真の力だってのか?)

京太郎(海底までの時間がすごく長く感じる)

京太郎(まるで段々と蝕まれていくような……そんな気分だ)


衣「まだ、やるのか?」

京太郎「年下に負けっぱなしってのもカッコ悪いだろ」

衣「男子の意地というやつか……」

京太郎「油断してんなよ。また海底ツモを狙ってるなら、途中でブッ刺してやるからな」

衣「それはそれは……」


衣「その気勢、いつまで続くか見ものだな」ゴッ


京太郎「くっ」

透華「はぁ……気を、つけて」

京太郎「龍門渕さん?」

透華「私は大丈夫ですわ……」

衣「ふふ、透華の力も充溢してきているな」


京太郎(なんだ、こんな時期なのに微かに寒気がする)

京太郎(龍門渕さんもその手合いだってのか?)


衣「さぁ、そろそろ御戸開きといこうか」



京太郎「はぁ……はぁ……」

透華「くっ……私は……」

衣「ん、もう日が変わったか……存外粘る」


京太郎(やばい、目が霞んできた)

京太郎(俺、麻雀やってるだけ……だよな?)

京太郎(龍門渕さんもやばそうだし)

京太郎(このまま続けていけば……)


衣「そのまま諦念に身を委ねれば、楽になれる。京太郎もわかってるはずだ」

京太郎「そう、だな」

衣「先の見えている……そもそも勝負にすらなっていない。これ以上なんの意味がある?」

京太郎「そう、だよな」


京太郎(ここで諦めたら楽になれる……たしかにそうだ)

京太郎(そもそも勝負にすらなっていない……たしかにそうだ)

京太郎(結果も見えている……そう、なのか?)

京太郎(楽になりたい、今すぐなにもかも投げ出したい)

京太郎(一言、たった一言で全て終わる)

京太郎(この苦しみも、今まで積み上げてきた全ても)

京太郎(でも、この苦しみから、深い海の底から抜け出せるなら俺は……)


京太郎「――わかった」

衣「そう、それでいい」

京太郎「もう、俺は……」


『……酷いことでもなんでも好きにして。でも――』

『――私が京ちゃんから離れてくなんてありえない』


京太郎「……なーんてな」

京太郎「悪いけど、やっぱ無理だわ」

京太郎「危うく忘れかけてたよ」

京太郎「俺には、お菓子好きの女神さまがついてるってことを」


衣「……やっと、やっと見えた」

衣「京太郎を取り巻く残り香……そうか、その女が京太郎の……」


衣「待ってて……今、引き剥がすから……!」ゴッ


京太郎「それは勘弁してほしいね」

衣「何故? それが京太郎を苦しめ、悲しませてるのに?」

京太郎「苦しくても悲しくてもさ、忘れたくないんだよ」

衣「そんな烏滸言を!」

京太郎「馬鹿げてるってか? でも、これが俺なんだよ」

衣「渡さない、絶対に渡さない……!」

京太郎「いいぜ、好きなだけ付き合ってやるよ……!」



衣「ツモ、6000・3000……!」


衣(空の果てが白ずんできている)

衣(日が昇る……衣の支配も、弱まる)

衣(でも、それだけじゃない)


透華「……」


衣(まるで揺れる水面が凍りついていくかのよう)

衣(これが、透華の力なのか?)

衣(このままじゃ……!)


京太郎「悪い、それロンだわ」

衣「――え?」

京太郎「えっと、これは国士無双か? 親だから……48000だな」

衣「え、じゃあ……」

京太郎「そっちの飛びで、俺が逆転一位だ」

衣「そ、そんな」

京太郎「いやー、どうせ良いの引けないからって無茶なの狙ってたんだけど、まさか当たるとはな」


衣(違う、衣の支配にそんな陥穽はない)

衣(もしかして、透華が京太郎に?)


透華「……」スゥ

京太郎「龍門渕さんも限界みたいだな……もうすぐ朝だけど、まだやるのか?」

衣「……」ジワッ

京太郎「ちょっ、泣くのは勘弁してくれよ!」

衣「だ、だって……京太郎が勝つなんてありえないのに……」グスッ

京太郎「……ひどくね?」

衣「ひっく……京太郎と、もう会えなくなっちゃう……」

京太郎「それはちょっと違うよな」

衣「でも、今日で最後だって」

京太郎「アルバイトはな。でもそれで俺たちの関係が切れるわけじゃないだろ」

衣「……衣はずっと京太郎と一緒にいたい」

京太郎「それなー、ちょっと……いや、かなり難しいよな」


京太郎「……よしっ」


京太郎「じゃあ、いつでも繋がることができる魔法の呪文を教えてやるよ」

衣「魔法の、呪文?」

京太郎「ま、それはパーティーの後だな……ハギヨシさん」


ハギヨシ「はい」


京太郎「準備できたら……起こしてくだ、さい……」ドサッ


衣「きょうたろー!」

ハギヨシ「ご心配なく。眠っているだけです」

衣「良かった……」

ハギヨシ「では、私はお二人を運んできます」

衣「ハギヨシ、衣は……」


ハギヨシ「……私の短い経験から言わせてもらうと、全てが満たされた人間などいません」

ハギヨシ「皆が焦がれ、求め、満たそうと前進し、それが人の営みにつながるのです」


衣「そうか……閉じこもって引き止めるだけじゃ、手に入らないんだ」

ハギヨシ「そこで、私から提案があるのですが」

衣「提案?」

ハギヨシ「男を落とすにはまず胃袋からと申します」


ハギヨシ「さしあたっては、手料理などいかがでしょうか?」



京太郎「それじゃ、お世話になりました!」


透華「暇になったら遊びにきなさい。歓迎してあげなくもないですわ」

ハギヨシ「また会える日を楽しみにしていますよ」

メイド「またねー」フリフリ

透華「……ハギヨシ、衣はまだ寝ているのですか?」

ハギヨシ「いえ、来たようですよ」


衣「きょ、きょうたろー!」


京太郎「お、寝てたのか? ここ寝癖ついてるぞ」ワシャワシャ

衣「うわわっ、そうじゃなくてっ」


衣「これ、良かったら昼餉に……」

京太郎「ランチボックス? 中身は……サンドイッチか」

衣「うん、美味しくないかもしれないけど……」


京太郎(……指に絆創膏)

京太郎(なんというベタな)チラッ


ハギヨシ「……」ニッコリ


京太郎(仕向けたのはハギヨシさんね)

京太郎(でも、まぁ……)


衣「……」ソワソワ


京太郎「悪い気は、しないよな」ボソッ

衣「? な、なにか変だった?」

京太郎「いや、美味しそうだなって。んじゃ、早速」

衣「……」ドキドキ

京太郎「ん、美味しい」

衣「そ、そうか!」パァ

京太郎「いつの間にこんな特技身につけたんだよ」

衣「えへへ、秘密」

京太郎「それじゃ、これは俺からの贈り物」

衣「メモ帳の、切れ端?」

京太郎「そこにさっき言った魔法の呪文が書いてあるから」


京太郎「じゃあな、また遊びに来るよ」



衣「きょうたろー、行っちゃった」

透華「ほんの少しですけど、寂しくなりますわね」

衣「でも、いいんだ。衣は魔法の呪文を教えてもらったから」

透華「そういえばその切れ端にはなにが?」

衣「まだ見てない」

透華「どれどれ」


透華「これは……」

衣「なんだろう?」

透華「ふふ、今度一緒に携帯電話、買いに行きましょうか」
最終更新:2015年03月11日 02:59